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参議院の動き

参議院70周年記念論文表彰式

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 循環型社会の推進の先にあるもの

京都府  京都府立洛北高等学校附属中学校 1年

船越 天翔

「これは燃えるゴミ?プラゴミ?それとも資源ゴミ?」と、ゴミを捨てる前に分類を考える習慣が最近ようやく身についてきた。とはいえ、消費社会に暮らす我々はゴミを分類する事自体、少々面倒に感じてしまう。

平成12年に循環型社会形成推進基本法が制定され、廃棄物の発生抑制・再生資源の適正な利用促進などについて、国や自治体および消費者それぞれに責務が与えられた。環境問題への取り組みを分かりやすくするために3Rや4Rなど小学生の頃から学んできた。

循環型社会について調べていると、江戸時代は理想的なエコ社会だったという事を知った。江戸時代の人々が環境保護の意識を持ち、リサイクルを行っていた訳ではないだろうが、「物を最後まで使い尽くす」という事に非常に長けていたのではないかと思う。

当時の江戸の人口は約120万人とされ、その頃の海外都市と比べても最大級の規模であった。当然、人口増加は水不足やゴミ処理問題を招く。江戸の人々は計らずして本格的に環境問題に知恵をしぼり取り組んだのだ。

江戸が世界一の人口だったといっても、物質的には貧しかった。限りある資源を大切に使い、壊れたら修理したり、他の物へ姿形(すがたかたち)や用途を変えて再利用したりして、最後は全て大地へ戻せるようにする事により「物」が循環していた。そしてその循環の過程に人が関わることにより、雇用や労働が生まれ、お金の流れができ、経済的な安定をもたらした。エコロジーが上手くいくとエコノミーも発展するというわけだ。

江戸時代に活躍していた職人や商売人達をいくつか調べてみた。1人目は修理再生職人の瀬戸物焼き接ぎ職人。割れたり欠けてしまった陶磁器を白玉粉で接着してから焼き接ぐ技術が発明され、新品が売れなくなるほど流行ったらしい。

2人目は回収業者の紙くず買い。不要になった紙や帳面を買い集めて仕分けし、漉き業者へ卸して利益を得ていた。古着屋も大きな商売ができた。当時の日本では布は全て手織りだったため、布地は貴重品であった。着物は古着屋で売られた後もボロボロになるまで着用され、子供用に仕立て直したり、端切れにしておしめや雑巾になるまで再生されたらしい。すごいのはここからで、もう布としては利用出来なくなると、燃やしてその灰を農地の肥料や洗剤として利用したのだ。同様に再生紙など植物資源の物は、最後には大地へ戻るのだ。鉄くずやわらくず、ロウソクの燃えかすといったあらゆる物が再利用されたが、それらが価値ある商品として流通していた事に驚くばかりだ。

明治以降化石燃料が使われ始め、格段に物質面での豊かさが生まれた。その反面、大量の二酸化炭素を排出する事で発生する温室効果ガスによる地球温暖化問題も生まれた。我々の生活になくてはならない電気も一部の石油や石炭を燃やして作るのだ。これ以上の環境破壊を食い止めるために、今しっかりと循環型社会を築かねばならないと思う。

江戸時代の人々の暮らしを現代の我々の暮らしに完全に当てはめる事は難しいだろう。しかし物を大切にし、再資源化を徹底するという心がけは大いに学ぶべきだと思う。「知らない」では済まされないのだ。

もし自分が国会議員になったら、国や地域はもちろん身近な生活の中でも、人々が地球に優しい取り組みを学べる機会を積極的に作りたい。物があふれる現代へ、先人達からの「足るを知り無駄を省く知恵」を伝える。そして江戸の循環型社会をお手本に、皆が環境保護を常に意識した生活が無理なく出来るようにしたい。

さらに、経済面の発展につなげるために、現在ボランティア頼みのような仕事もプロ意識と責任感を持って取り組んでもらえるように職業化したい。

IT化が進んだとはいえ、まだまだ人の力で行う仕事がほとんどである。後継者不足に悩んでいる農業や酪農業界、伝統文化や工芸の職人等の育成と就業にも力を注ぎ、その技術をクールジャパンのひとつとして世界中へ紹介し、活躍出来る道を拓くのも大切な事だと考える。

古より受け継がれてきた日本の素晴らしい知恵と技術力があれば、循環型社会の推進と経済発展を実現出来ると信じている。