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参議院の動き

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 より質の高い文民統制へ

東京都  東京学芸大学附属高等学校 2年

佐藤 日向子

戦後から冷戦期にかけての日本の防衛政策は自衛隊をいかに抑制するかというものであった。しかし、近年世界のパワーバランスの変化によって自衛隊を積極的に有事対処等に活用する傾向が強まっている。このような日本の国防事情の変化に伴い、国民は安全保障について広く議論する必要性に迫られている。しかし、日本国民の国防に関する認識は戦後この手の議論がタブー化されていたこともあり、いまだ十分なものではない。今まで以上に自主防衛が求められるこれからの時代に日本が平和を築いていくためには国民の国防に対する意識を高めていくことが大切だ。本論文では「この先様々な事態に対応できる文民統制」を目標に、日本を守るため、そして世界のリーダー“平和国家日本”を実現するためのより質の高い文民統制について提案する。

そもそも、戦後日本の再軍備は治安維持部隊としての警察予備隊からはじまった。朝鮮戦争によって日本国内の米軍が手薄となり、日本の国防が疎かになるとして、外部の侵略に備えるための準軍事的組織が必要となったのである。しかし、敗戦直後の日本国民にとって再軍備というのはあまりにも刺激的すぎる議題であった。予備隊創設の命令を下したマッカーサーも再軍備の課題の一つとして、「国民の反軍感情」を挙げている。ここで国内的議論を詰めて、再軍備のための法整備を整えればよかったのだが、日本の駐在米軍は急遽朝鮮半島に出動しなければならない緊急事態の中、そのような段取りを踏むこともできず、日本は再軍備の基礎の部分を固めることができなかった。そこでマッカーサーは再軍備を正式な軍隊としてではなく治安維持上の警察力強化部隊として進めた。GHQは予備隊を踏み台に軍を再建するつもりだったと思われるが、その意図は諸外国にも日本政府にも隠された。日本はこの“ごまかし”をその後も引きずってしまったことによって国防の現実から目を背けてきてしまったのだ。

また、日本は文民統制においても問題を抱えることとなる。

戦後に米国から取り入れられた文民統制という理念は、国民の代表者たる文民が軍隊を統制するという軍隊統制システムである。この場合、政策的な補佐を文官が、軍事的な補佐を武官が各々対等な立場で、政治家に行う。ところが予備隊創設の中心となった警察系官僚は軍国主義復活を恐れ、制服組の力を抑え込もうとした。こうして、日本では武官に対する文官優位の独特な縦型文官統制が形成されたのである。この体制は冷戦期まで続く。しかし冷戦後の日本はより国際的な防衛協力を求められることとなる。日本周辺の安全保障環境の緊張に伴う有事対処や国際貢献にも自衛隊を積極的に活用していく方針に切り替わったのだ。これにより自衛隊の円滑な運用に重点が置かれ、軍事専門家である制服組の役割が必然的に増すこととなった。さらに、内局の官僚も生え抜き組が主流となり制服組を抑え込むという意識が薄れていく。自衛隊の統合運用強化のための改革も近年大きく前進した。

このようにここ数年で日本の文民統制改革は着々と進んできたが、果たして日本国民に制服組と背広組が対等に政治家を補佐するという文民統制の構図が正しく認識されているかと問われれば、自信を持って肯定できないのが今の日本の現状ではないだろうか。これは国防政策全体に言えることで、政府が議論を重ねてことを進めてもその真意を国民が理解できなければ意味がないのだ。なぜなら、主権者たる国民の無知は国防政策の合理的な進行を妨げるだけでなく、戦争を知らない世代が増えるこの先の日本に万が一ヒトラーのような統制者が現れてしまった場合に再び戦争の惨禍を繰り返すことになりかねないからである。よって安全保障環境の変化により日本の防衛負担が大きくなっていくこれからの時代にこそ、これまで十分にできていなかった防衛に関する国内的議論を成熟させる努力を行っていかなければならない。

ここで、前述の問題点を解決し、冒頭の目的を達成するために私は“より質の高い文民統制のための5本の矢”を提案する。(1)防衛学の専門家を育てる。(2)元自衛官を含む軍事的知見はもちろん現場観に長けた文民が政治に合理的に参加できる環境を整える。(3)国防・安全保障についての国民の理解を深める。(4)軍事はあくまで政治の一手段であるという文民統制の基本を押さえる。(5)防衛力の活用の仕方を決める最終決定権を有するのは国民の代表者たる文民であり、ひいては国民一人一人であることを国民が自覚する。

始めに多くの批判を受けそうな2本目の矢から説明する。2本目は簡単にいうと、実業家経験のある政治家が金融政策に携わり、元法律家の政治家が法務大臣を務めるように、防衛大臣などの国防に関わる重要ポストには、元自衛官を含めた軍事的専門知識をそなえた人物を置くべきだという提案である。武官が防衛大臣に対して直接専門的助言を行えるようになっても、それを受け取る文民が全くの素人であっては運用が効率的に進まない。それに何より現場で実務にあたるのは自衛官である。実際に米国では戦後に大統領を務めた13人中10人に軍歴があり、また、軍歴のない大統領ほど重要ポストに元職業軍人や勲章持ちの元軍人を起用する傾向がある。逆に自らが元職業軍人であったアイゼンハワー大統領は国務、国防長官共に軍歴に乏しい人物を起用した。つまり米国民にとって重要なのはバランスであり、軍事も国政を構成する重要な一要素だと考えられているのだ。しかし日本では先の大戦の教訓から元武官が政界で活躍するのをよく思わない世論も存在する。そこで重要になってくるのが3本目の矢である。

2本目では元武官の政治家の起用について説明したが、結局のところ政治家を選ぶのも政策を評価するのも全て国民である。よって、2本目を実行するためには国民の十分な理解が必要となってくる。具体的には義務教育課程での安全保障教育の強化が必要だ。戦後、国防議論がタブー化していたのは教育現場も例外ではない。国防議論を活発化させるにはまず、学生の内に国防問題について知り、議論する時間が必要である。国民に正しい知識があれば、正当な国民の代表者を最も妥当な役職へ配置することも可能である。ここで大切なのは、この3本目の矢には国内議論を活発化させ、国防政策を進める効果があるだけでなく、政府が間違った政策を打ち出した際にそれを止める効果もあることだ。よって政府はその議論の機会を義務教育課程で国民に等しく与えるべきである。また日本には防衛を専門に扱う学部のある大学がほぼ無い。この手の研究を専門に行っているのは政府の組織がほとんどである。このような状態では国民レベルでの議論は深まらない。政府は大学と連携して政府外にも国防研究を行う機関を設けるべきだ。これが1本目の矢にも繋がる。自衛官等の国の役人だけでなく、テレビのコメンテーターなど国民の身近に専門家が登場すれば、国民と政府の意識の差を埋めることができる。また、政府外に専門機関ができることにより、レベルの高い国内議論が望めるほか、政府の政策を精査することも可能となる。まさに、戦争のためではない、平和のための防衛学なのである。

ここまで色々な提案をしてきたが、一番大切な矢は4本目と5本目の矢だ。文民統制は国民の代表者が自衛隊を統制するという仕組みで、とどのつまり、国民が国防の在り方を最終的に決定するというものである。ひいては国民一人一人が文民統制のシステムを理解し、この役割と責任を自覚しないといけない。逆に政府・国民共にこの2本の矢を守っていれば、国民が平和を望み続ける限り、再び戦争の惨禍が起こることはないと思う。

私の提案は恐らく今の日本で多くの賛同を得られるものではないと思う。ただ、日本周辺の安全保障環境が悪化し、かつグローバルな防衛協力が日本に求められてきた今、国防について広く議論を起こす必要性が増してきたことは事実だ。戦後の日本は国防議論がタブー化されてきた。国会でも教育現場でも深く掘り下げてこなかったのだ。防衛装備の強化が主な国防政策であった冷戦期まではそれで対応できたかもしれない。しかし、近年実際に自衛隊を災害派遣や海外派遣、有事対処に活用することが現実化してきたにもかかわらず、国内で国防議論が成熟しきっていない状態では、これからの時代に対応できない。一昨年の平和安全法制はその議論を始める一つのきっかけとなったと思う。今こそ、国内の議論を広く起こし、日本の安全保障を見つめ直すときである。

ここ10数年で冷戦が終わり、中国の台頭、北朝鮮の暴走、米国の弱体化、テロの脅威等の世界情勢が目まぐるしく変化して、日本の防衛負担が大きくなったように、これからの日本にどのような状況が襲いかかってくるかはまだ誰にもわからない。だからこそ、これから先、どのようなことが起こっても対応できるような文民統制の体制を私たちの世代で固め、後世の日本に残すことが、この時代の日本に生まれた私たち世代の使命だと思う。