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参議院の動き

参議院70周年記念論文表彰式

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 少子高齢化と理想の未来

新潟県  新潟県立佐渡高等学校 2年

村川  剛

「超高齢社会」、日本はついにそう呼ばれる時代を迎えてしまいました。テレビや新聞、インターネットなどではこの問題が毎日のように騒がれています。この問題の、まさに本質とも言える「少子高齢化」が唱えられてより約40年、「いつかこうなる」と言われ続けてきた問題ははっきり現実味を帯びてくるようになりました。

「超高齢社会」の問題はいくつかありますが、例えば「社会保障費の増大」が重要な問題として挙げられます。高齢者の割合が高くなるのに対して少子化が進み、働く世代が少なくなることで社会保障費が膨らんでしまう。その結果今までの国の予算では社会保障は立ち行かなくなり、一人あたりの負担が大きくなってしまう、という問題です。そのため政府は消費税増税などで歳入の増収を図ろうというわけです。

しかし、問題の本質は「少子高齢化」にあるのです。「超高齢社会」とは少子高齢化が進行した結果に過ぎません。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によると、少子高齢化の影響により2048年には人口は一億人を下回るとされています。このまま人口が減り続ければ生産年齢人口も減少し、日本の経済成長に大きな打撃を与えることでしょう。社会保障費の問題もその中の1つです。今、重要なのはこの人口減少をどう食い止められるか、ということなのです。いったいどうしたら減少を続ける日本の人口は増加に転じるのでしょうか。

そもそも少子高齢化の問題は、出生率の低下や平均寿命が伸びたことで始まりました。戦後の価値観の多様化による未婚率の上昇や、核家族化が進み共働き世帯も増えた現代は子育てが難しいことなどが出生率を低下させました。先の流行語ではありませんが、保育園が足りず子供を預けられない、といった問題もあります。かくて子供の数は減り続け、日本は「少子社会」とも呼ばれるようになりました。どうやら日本の人口減少を食い止めるにはこの「少子化」をどうにか打破することにつながってくるようです。複雑に問題が絡み合い、日本人の精神世界まで変わってしまった今、少子高齢化の流れを断ち切るには何が必要とされているのでしょうか。

ひとつは単純です。子供を安心して育てられるように環境を整えることです。政府は、保育園に入れない、いわゆる「待機児童」の問題に取り組んできました。この問題も、日本の社会が子育てをしづらいという理由の1つになります。確かに共働き世帯が増えた今、保育園などの託児施設は大切な社会設備です。

ところが現実には「保育士不足」という問題がありました。保育士の仕事は量が多くて大変、しかし賃金は比較的安い、というのがこの問題の原因のようです。私の姉は保育士を志し、資格を取って保育士として働いていますが、先輩職員から聞かされるのは、仕事が大変だから保育士をもっと増やせばよい、という意見だそうです。姉自身もあまりの辛さに音をあげそうになったこともあります。保育士の数が足りなくては待機児童の問題もなかなか解決しません。さて困りました。保育士の数を大幅に増やすにはどうしたらよいのでしょうか。そんな人材はたくさん埋まっているのでしょうか。

しかしもう一度少子化の問題を考えてみましょう。この問題は高齢化とワンセットで、日本は超高齢社会に突入したのでした。そうです、お年寄りの存在です。これから更に増えるとみられる高齢者、減るとみられる労働人口。この先今の労働力を維持するには、労働人口はすぐには増えませんから、高齢者の力も借りるべきです。こう言ったら語弊があるかもしれませんが、高齢者は隠れた労働力となる可能性をもっているのです。

何十年も働いて来て、老後はゆったりと暮らしたい、なのにまだ働かなければならないのか、冗談じゃないと思う方も多いと思います。確かにそうかもしれません。これまで日本の経済を、生活を支えてきた方々を私は酷使しようというのではありません。むしろ逆です。輝いてほしいと思っているのです。超高齢社会となった今、高齢者の健康寿命を延ばすことが1つの課題とされています。そんな中、週もしくは月に数回、保育士として子供たちと交流する、次世代とふれあって刺激を得るということはかえって活き活きとした老後の生活につながるのではないでしょうか。これは保育士に限った事ではありません。学校教師なども同じように言えます。

月や週に数回では労働力が増えたとは言えないでしょうが、そこは超高齢社会です。何も1人や2人だけ雇うというのではありません。高齢者は当分は増え続ける人材でもあるのです。肝心の青年期、壮年期の労働者の雇用に影響しない限りは頼れる存在だと思います。高齢者はまさに城であり石垣であり堀になり得るのです。

ある時私は通学のバスの中でさる腰の曲がった老婦人のお話を耳にしました。その方は、自分は年をとっているが家にいても何もすることがない、だから賃金は安くても旅館の皿洗いにバイトに行っているのだとおっしゃっていました。素晴らしいおこころがけです。年をとっても進んで何か働こうとする意志、こういったお年寄りを今後増やすことが超高齢社会となった日本の課題ではないでしょうか。働かせるとは言っていません、働いてもらうのです。高齢者が増えて医療費が増大する、一方で労働人口は減る、これでは社会が行き詰まるのも道理です。だから健康でお年寄りが活躍できる社会を実現することが大切なのです。

さて少子化対策ですが、保育園などの施設を高齢者を活用しながら増やす、というのは制度を整えれば実現しそうです。厄介なのは「子供はたくさんいらない」や、「子供は産まない」といった風潮です。設備や環境などもあるでしょうが、少子化はこれにも因るところが大きいと思います。この意識の問題には、前述しましたが子育ての大変さを人々が抱いていることが大きな原因の1つと考えられます。私は、現代は以前よりもずっと子育てが大変に感じる時代ではないかと考えています。なぜならば、地域のつながりが薄くなったからです。わが国には昔から「子供は地域の宝」という価値観があり、子供は地域のなかで育ってきたと考えます。子供だけでなく親もそのコミュニティーの中で近所の家族や先輩たちと交流していて、今よりも子育てに安心感があったと思います。私の住む町には以前ほど多くはないですが、まだこういった地域の行事はたくさん生きていて、様々な行事では地域の大人たちが子供たちの面倒をみています。しかし都市部ではこういった交流は姿を消し、地域とは疎遠になったので子育ても個々の家庭内のみで行う、かくて家事や子育てへの不安も以前よりかなり多くなったのではないでしょうか。

そのためもう一度地域との連携を意識してもらえるよう、自治体単位でこうした取り組みを促進させましょう。国庫支出金にこうした事業への区分を設けて各自治体での地域の交流の予算にするのです。どの世代も1つに集まって地域の連帯を強く持つ、そこからは帰属意識も生まれてくるはずです。身近なコミュニティーに明るさを感じるところから社会に希望と活気が戻ってくるのではないでしょうか。そうなれば子供を産み育てることに魅力を感じるようになるかもしれません。その地域内の子供とふれあうなど、具体的に子育てに憧れを思う場面が増えるからです。また、そうして育った子供達も大人になって郷党のことを意識し故郷に戻る、これは過疎化対策にも効果がありそうです。

少子化の問題は、現代の日本に今まで以上に変革を迫ってきています。それは新しい社会のありようだけでなく過去から学ぶということも求められています。古代から日本も様々な場面で維新改革が行われ、そのたびに社会の様相は新しく、大きく変わってきました。しかし科学技術が進歩し、より大きな変換点となる21世紀は、私たちが歩んできた道に学ぶことが重要となるのではないでしょうか。もう一度私たちの戦後以来の価値観を見つめ直しましょう。新たに考えるところもかつての日本に立ち返るところも両方です。かかる問題とは、社会の構造だけではなく思想の面でも変化を迫っているのです。超高齢社会では働き方はより多様化する、一方少子社会では地域や共同体との関係をかつてのようにまた築いていく。私たちは、経験したことのないこの問題を過去と未来の双方向を見据えながら解決していかなければならないのです。

そのためには、保育所を増やして子供を育てられる環境を整えること、子供を地域や郷土のつながりの中で育てられるような事業を増やすこと、この2つの政策が必要なのです。まずは子供を産み、育て、人口減少に歯止めをかけましょう。日本を持続させていくにはこの道しかありません。

日本人はかつて幾多の困難をそれほど混乱することなく乗り越えてきました。維新や敗戦も国内が大きく乱れるということはなく、成長も復興も早かったと思います。そんな私たちならこの問題も乗り切れます。そしてその先に待っているのは「明るい未来」でしょう。お年寄りも子供も笑顔で活躍できる、まさに私たちが理想としてきたような社会です。大きく難しい問題ですが、苦しくも乗り切ることができれば、理想の社会は必ず実現できると信じています。