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参議院の動き

参議院70周年記念論文表彰式

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 社会情勢への関心の向上のための取り組み

大阪府  小林聖心女子学院高等学校 2年

松尾 絢海

東京五輪が2020年に開催決定となった。熊本地震が発生した。そして、ドナルド・トランプがアメリカ大統領になった。めまぐるしく変化していく現代で、今を生きる私たち高校生に必要なこと。それは主要5科目とは異なる「教養」「知識」であると私は思う。ここでいう教養とは、自分の周りで起こる事象に興味を持ち、そのことに関しての知識や見聞を広げるということである。

そこで、私が国会議員になったら取り組みたい問題は、教育問題である。その教育問題の中で、特に私が今、高校生として学校生活を送っている中で問題視しているのは、第1に世界情勢への無関心、第2に時事問題への無関心、そして第3にディスカッション能力の低さ、である。

私がこれらのことを問題視するようになった1つのきっかけは、学校で外国人の先生と留学生の3人で話したことである。私はその先生から、外国人は友人との会話の中でも、社会問題などについて熱いディスカッションをするのが普通である、ということを聞いた。日本人は天気などの表面上の会話しかしないから、日本人ではない私としては、とても違和感がある、と。確かに考えてみると、私は友人たちとそういった社会情勢に関するディスカッション、それどころか社会情勢についてのちょっとしたニュースについてもあまり話さない。話すこともあることにはあるが、どうしてもどちらかが一方的に話してしまったり、話が通じなかったり、なんとなく微妙な雰囲気になったりしてしまうことが多い。こういったことが起こるのは、日本人のディスカッションの習慣以前に、日本の高校生に社会情勢に対する興味関心、教養、知識がないためだと私は思う。そこで、私はここで、最初に提示した3つの問題それぞれに、解決策を示していきたいと思う。

まず、第1、第2の問題の、世界情勢と社会情勢への無関心についてである。今、グローバル化が叫ばれている中で、英語教育だけではない国際教育が必要だと私は思う。例えば、テレビやネットニュースが急速に普及したことで、私の通う学校では、新聞を取らなくなった家庭、また、読まなくなった学生が増えてきている。公益財団法人新聞通信調査会が、2016年に18才から19才を対象に調査した結果によると、新聞(朝刊)を読む、と答えた割合は約34パーセント、毎日読む、と答えた割合は約7パーセントと、低かった。また、新聞(夕刊)に関しては、読む、と答えた割合は6パーセント、毎日読む、と答えた割合は0パーセントと、朝刊のパーセンテージより、さらに低くなっていた。

また、若い世代へのスマホの急速な普及に伴い、学生の情報源はネットニュースに偏ってきていると思う。ネットニュースには、確かに、最新の情報を得ることができる、という利点があるが、新聞と比べると芸能ニュースなどが多く、社会情勢などのニュースよりも学生の興味を引く内容が多い。つまり、自分が意識してネットニュースを読むのと読まないのとでは、得られる情報に個人個人に大きな差が生まれてしまうということである。これではおそらく、社会情勢への教養や知識を増やすこと以前に、興味関心はわかないと思う。

そこで私は、1つ、学校単位でできる社会情勢への興味関心を広げるプログラムを提案したいと思う。それは、「まわしよみ新聞」である。私は、現在学校で図書委員をやっているが、先日、学校をこえた、図書委員同士の交流会というものが行われた。そこで行われたのが「まわしよみ新聞」である。私は都合がつかず、残念ながら参加することはできなかったが、この「まわしよみ新聞」は手軽で、準備も多くはないため、今すぐにでも導入できると思う。この「まわしよみ新聞」とは、皆で興味のある新聞記事を切り抜いて持ち寄り、それぞれにその記事についてプレゼンした後、その切り抜いた記事をポスターに貼って提示しておく、というたったこれだけである。これなら、少人数単位でもできるため、昼休みなどに図書館で開催すれば、興味のある人は気軽に曜日を決めず、参加できるのではないかと思う。

また、行政単位として資金面でサポートするとすれば、私は各学校の各クラスに新聞を支給することが良いと思う。新聞は朝刊のみで、具体的には5大紙(朝日、読売、毎日、産経、日経)のうち2紙程度に、プラスで地方紙を支給する。目につくところに新聞があることによって、図書館まで行かずとも、新聞をとっている家庭も、とっていない家庭も、気軽に読むことができ、普段新聞を読まない人でも自然と手が伸びるようになるのではないだろうか。

次に、第3の問題、ディスカッション能力の低さについてである。私は日本の学生のディスカッション能力が低いのは、日本語、という言語の特性も手伝っているとは思う。しかし、日本人のディスカッション能力の低さは、先ほどから私が繰り返している、学生のニュースに対する興味関心の低さであると思う。人は誰しも、興味関心のあることに対して、相手に伝えたいという思いから、なんとかしてそのことがらの面白さを伝えようと知識を増やす。たとえば、好きなアーティストだったら、良い曲や面白かったラジオのトークを紹介するだろうし、好きな俳優だったら、出演作を紹介したり、バラエティ番組での発言を取り上げたりするだろう。それと同じことが、社会情勢に関するディスカッションについても言えると思う。興味関心のないことについての話は盛り上がらない。つまり、ディスカッションなどという高尚なものにも発展はしない。だからこそ、社会情勢に対する興味関心を広げることが先決である。

しかし、社会情勢に関する興味関心は、なかなか自然に生まれてくるものではないと思う。だからこそ、前段に述べた各クラスに新聞を配給することによって、目のつくところに「いつでも」時事問題を置くことになる。そこに「ある」という事実に惹かれて、一人でも新聞を読み始めたら、しめたものである。そうすれば自然と人の輪ができ、「この記事、すごく面白いよ」と話の輪が広がっていくのではないかと思う。人が集まるところには会話が生まれるし、それはきっと、次のステージであるディスカッションにも繋がっていくと思う。

よって、私は最初に提示した3つの問題について、「まわしよみ新聞」の実施、そして、学校に新聞を配給することを提案する。

しかしながら、私が提案したこれらの取り組みで、すべての学生が社会情勢に強い興味関心を持ち、ニュースについてディスカッションをするようになるとは、とても思えない。それは、おそらく不可能なことであるだろう。しかし、一人でも多くの学生が「知る」ことによって、また、知ることを「始める」ことによって、日本の未来で輝くことのできる人材が増えることができたら、こんなに素敵なことはない、と、私は思う。だからこそ、私は高等学校の教育問題に取り組んでいきたいと思う。