1. トップ >
  2. 参議院の動き >
  3. 平成29年の参議院の動き >
  4. 参議院70周年記念論文表彰式

参議院の動き

参議院70周年記念論文表彰式

受賞論文一覧に戻る 


 反省を活かした教育

東京都  東京都立国際高等学校 1年

ナップ・ダニエル

日本人は「反省」という言葉を多用する傾向にある。何か失敗をした時、「反省」し、学校では生徒に「反省」文を書かせ、いつでもこの言葉に依存しがちである。しかし、私はこの言葉は決まり文句、言うだけで何も意味を持たない、いわゆる「思考停止ワード」になっていると感じている。特に千代田区の国際交流体験事業を通じてドイツ・ポーランドに1週間滞在してから、そう感じることが多くなっている。私はなぜそう思うようになったのだろう。

簡潔に言えば、日本の歴史教育、そしてそれに伴う歴史との向き合い方が不十分だからである。私が国会議員だったら、さらに自国の失敗に重点を置くように歴史教育を改善することを提案したい。また、古代史に使う時間を減らし、より現代の情勢に関係が深い近代史に代わりに多くの時間をかけるようにも提案したい。日本の過去の失敗に堂々と向き合い、そこから得た教訓を現在に活かせるような次世代の育成が、歴史教育の改革を通して達成できると私は確信している。

それを明確化するために、ベルリンでの経験を話したい。私は訪問の5日目午前、団員と共にベルリンをバス・地下鉄・徒歩で探検した。私達はまず、国会議事堂を訪問した。訪問を終え、記念撮影をし、ブランデンブルク門に向かい始めたところ、国会議事堂の敷地内に記念碑を発見した。ナチス・ドイツに殺害された少人数者のための慰霊碑で、どこからか、その少人数者の一種のシンとロマの民族音楽が流れていた。到底日本ではありえないようなことだった。(私は調べたが、日本の国会議事堂の中にこのような慰霊碑はない。)その後、ブランデンブルク門を訪れ、またもや記念撮影をし、徒歩で数百メートルしか離れていない殺戮されたユダヤ人のための慰霊碑も見学した。つまり、ドイツの首都ベルリンの中心に、戦争で自国が過去に被害を与えた集団のための慰霊碑がいくつもあったということだ。前述のように日本では到底考えられない。

同日午後、ベルリン市役所への表敬訪問を終え、現地の青少年との交流をした。チームを組んでボウリングで対戦し、その後夕食をとった。心配していた言語の障壁も簡単に英語で乗り越えることができ、私達の会話は盛り上がった。食事の際する質問をいくつか私達は用意していた。事前に調べたときに分かったことだが、ドイツとフランスでは、言語のみ違う、内容、挿絵などが全く同じ教科書を使用しているらしい。すなわち、両国とも自国に有利になるよう偏った視点からの内容を提示できない。現地の高校生にこれについての考えを尋ねると、彼らは教科書が同じだったと知らなかったと告白した。一見無知に見えたが、それに続いた難民問題の話で私の考え方は急変した。彼は自分の国が難民を受け入れていることをとても誇りに思っているらしい。

この理由を聞いて、私は感銘を受けた。彼の理由はこうである。第二次世界大戦中、ドイツが他国に侵略していく中、強制収容所に送られていた人々は逃げようとしていなかったわけではない。彼らが逃げられなかったのは、近隣の国々が難民を受け入れない体制をとっていたからである。だから、彼は現在のドイツでその教訓を活かし、積極的に難民を受け入れることを誇りに思っている。

彼の考え方の中では、「反省」が大きな要素を占めている。このように、過去と堂々と向き合い、そこからの教訓を活かしているからか、ドイツは日本と比べ、近隣の(戦争中に大きな被害を与えた)国々とも大いに良好な関係を保ちながら接している。以前も述べた教科書の件ももちろん、ドイツは欧州連合の中でも中心的な存在を担い活発に活動している。

また、ドイツ人は過去の罪をただ一人の責任にしない傾向が強いことも現地で感じた。日本では、歴史の教科書や授業で、ヒトラーが一般的に責任者として指摘されている。いや、日本だけではない、私はアメリカの学校でも同じような教育を受けてきた記憶がある。しかし、ドイツではこれと対照的な教育を与えているらしい。私達は現地で「テロのトポグラフィー」という、ホロコーストの責任者についての展示を見学した。「ヒトラー」という単語を高い頻度で聞くかと思って展示を見始めた私は驚かされた。全体を通し、「ヒトラー」は数カ所でしか登場せず、特定された人物が高い頻度で指名されることはなかった。

日欧の過去の見据え方の違いは、これ以外にも様々な箇所で表れている。例えば、あなたが今、第二次世界大戦について学ぶ旅を企画しなければいけないとする。あなたはどこを訪れるか。今、読者の皆様の中の多くには、広島、長崎、沖縄あたりが浮かんでいるに違いない。私はドイツの(以前述べた、ドイツとフランスの共通の教科書を知らなかった)高校生に同じような質問をしてみた。壁に投げつけたボールのように猛スピードで跳ね返ってきた彼の答えは「アウシュビッツ強制絶滅収容所」だった。この2つの最も決定的な違いは何だろう。日本人は、自国が被害を受けたことの象徴となる場所を選び、ドイツ人は自国が被害を与えた象徴となっている場所を選んでいる。確かに、この一人の高校生の意見が全ドイツ人の意見を統合したものではない。しかし、アウシュビッツ強制絶滅収容所は確かに平和教育の現場として幅広くヨーロッパでは利用されている。現地のガイドさんによれば、年間訪問者の約7割が20歳以下であるらしい。この統計から、アウシュビッツ強制絶滅収容所が教育に広く用いられていることが明確にわかる。

現在のドイツ人の若者は確かに平和教育に対して肩の力を抜いた姿勢を持っているかもしれない。しかし、私はこれも大きな欠点だとは思わない。むしろ、「平和の大切さ」、「戦争の惨さ」などという抽象的な概念を叩き込むよりも、一見ゆとりをもった平和についての教え方をしたほうが良いのかと思う。誰にとっても、頭に叩き込まれたことより、自身の考察によることのほうが実りあることは明白である。だから、抽象論にとどまらず実践的な平和教育をすることで、対象となる生徒に自分で考察させ、間接的に平和の大切さを教えるべきだ。このような形の教育をするために、アウシュビッツ強制絶滅収容所は十分に考えを促す力を持つと私は確信している。ドイツではしっかりと過去の失敗から得られる教訓を活かすことができていることが、以前の難民の例を通して分かる。つまり、歴史教育をする上で重要なことは、その教育の内容の充実度である。

しかし、日本の歴史教育にはまだ課題点が残る。日本の教師群が手を抜いて指導しているわけではないし、生徒が不勉強だというわけでもないだろう。問題点は、どうしても日本が、自国が被害を受けたことに重点を置いてしまい、自国が与えた被害に対しては、軽い内容となってしまう。私が学校で配られた世界史Bの教科書をめくってみると、満州事変に続く日本の第二次世界大戦への参戦までの過程は2ページ分しか書かれていない。(ちなみに、古代ギリシアの生活や文化については、約2.5ページの内容が含まれている。)太平洋戦争中の日本軍の他国への進出は一文で済ませられ、残りがアメリカ軍の反撃についての情報のみを含んでいる。つまり日本は現在への影響が比較的少ない古代の歴史を近代史よりも、または同じ程度集中的に扱い、過去の失敗を教訓として活かしきれていない、改善の余地が残る歴史教育を実施していることが明確だ。

このほかにも、日本の歴史教育は古代に集中しがちだという問題点が挙げられる。学校の歴史の授業では、古代が最初に扱われ、きっちりと時系列的に歴史が進められている。そうなると、近代史の勉強は後回しになってしまい、時間的な制限により、近代史の扱いが軽視されるだけではなく、生徒のほうも、歴史の授業を長い間受け続け、やる気が失せてきたころにやっと扱うことになってしまう。このため、いくら近代史の中で自国の過去の失敗に焦点を当てても、全く無意味である。だから、ここもまた、私がドイツで見た教育方法を日本の歴史教育や平和教育に還元したらどうだろうか。ドイツでは、中学校3年から高校3年まで、1930年代以降の歴史に集中すると、現地の青少年に聞いた。日本でもそうすれば、現在により精通した内容となっているような近代史をさらに勉強でき、ドイツと同じように屈辱的な過去と堂々と向き合う姿勢を持つ次世代の育成もできるに違いない。

以上のように、ヨーロッパの社会では、過去に対する姿勢がいくつもの面で大きく異なる。一方日本では近隣の国々との関係が必ずしも優れているとは言い難いのは事実だ。だから、日本は歴史教育を自国の過去の暗い出来事に対し、より透明度の高いものへと充実させ、近代史をより重点的に扱い、未来へとつなげるように努力するべきだろう。これが日本の対外関係の改善の第一歩になると私は確信している。だから、私が国会議員になったら、日本の歴史教育に以上で述べたような改革を提案する。そして、日本もドイツと並んで、世界の最先端を走るような教育内容を取り入れていくことによって、日本の対外関係の改善の土台を築くべきである。