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参議院の動き

参議院70周年記念論文表彰式

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 すべてに通ずる教育

京都府  京都市立西京高等学校附属中学校 3年

澤木 政寛

「伝統とは形を継承することを言わず、その魂を、その精神を継承することを言う。」

これは、柔道の創始者であり「日本の体育の父」とも呼ばれる嘉納治五郎の言葉である。

「日本の伝統文化」と聞いたとき、何を思うだろう。日本の誇りだ、と多くの人が感じるのではないだろうか。

では「日本の伝統文化は残していくべきか」と聞くとどうだろう。おそらく、他人事のように「残すべきだ」程度にしか思わず、「じゃあ自分がやろう」とまではならない人も多いのではないだろうか。

今日本は、伝統文化の継承問題に悩まされている。日本古来の技術・行事の担い手、そして日本人の伝統への関心は、現代の新しい文化などに埋もれ始めているのだ。

なぜこれを言い切れるのかというと、僕がその「担い手」だからだ。具体的に言うと、僕は日本三大祭りの1つで知られる祇園祭で囃子方といういわゆる担い手として活動しているのである。

祇園祭では山鉾巡行という行事が有名だ。その直前の日に宵山というものがあり、京都の町は屋台と人であふれ、歩行者天国にもなる。この時は人は多すぎるくらいなのだが、肝心の巡行当日に屋台で遊んでいるような若い人は少ないのだ。また本祭りとも言われる神輿行事ではもっと少なくなっている。

これは何故か。おそらく人に「祇園祭を残していくべきか」と尋ねたとき、多くの人は「残していくべきだ」というだろう。では「それは何故か」と問うと、「伝統だから」「町が活気にあふれるから」「経済効果があるから」等色々答えが返ってくるだろうが、その中に祇園祭の本来の開催目的である「無病息災を祈願するため」を言える人がどれだけいるのだろうか。

これは祇園祭に限らない。伝統文化の本質的な意味が腐敗し、単に「伝統文化を守ろう!」という声ばかりが肥大化しているのは、あらゆる伝統文化でも同じなのだ。

この問題から危惧されるのは、伝統文化が形骸化し、本来の意味が損なわれることだ。冒頭の嘉納治五郎の言う様に、伝統文化は形を残すものではなく、その魂つまりその本質的な意味を残すものだと僕は思う。もっとも現在の日本と昔の日本は根本的にも環境的にも違うため、伝統の意味が風化して副次的な価値が残るのは多少当然ではある。しかしそれはもう伝統文化ではなく「昔あった文化を利用した現代的産業」ではないか。果たしてそれはいいのか。伝統の本来の意味を考慮した上で残していくべきではないだろうか。

そこで僕がもし国会議員になったら、この問題を打開すべく「教育」の変革に特に尽力したい。具体的には、義務教育の指導要領にもっと伝統文化に触れあう機会を増やし、そしてなぜその伝統は必要なのか、それをしっかり理解させるというものだ。

なぜ教育でそれをやる必要があるのか。それは、教育は人の価値観や考えを形成する、つまり「人を創る」ことができるからだ。

例えば、戦前日本は世界に先駆けてほとんどの日本人に読み書きをできるようにし、その高い民族レベルは世界から注目された。

その一方で、以前行われたゆとり教育で子供の興味のあることを伸ばし尊重するようになり、結果学習能力の低下や若者の選挙離れなど、様々な社会問題の原因となった。

あくまでも個人一人ひとりの人格を操ることまでではないが、世代の大まかな枠組みのような価値観を形成することは出来る。そういう意味での「人を創る」ことを、教育は出来るのである。

そのため、「伝統文化はなぜ始まり、なぜ必要とされたのか、その目的は何なのか」を子供たちに伝え、そのうえで伝統文化に触れてもらうという活動を活性化させたいと考えているのだ。現在の教育にももちろん伝統文化の体験活動はある。それならば、その体験活動に伝統文化について深く知るための事前学習・事後学習をしっかりと時間数をとってやればいいのだ。

となれば必要になってくるのは通常授業との時間数のバランス、伝統文化体験を実のあるものにするための予算の財源の確立などたくさんのものが挙げられる。これを解決するためにももっと学び、尽力したい。それらを解決した時、多方面から見て教育が良いものになり、やがて国益につながるに違いない。そのためにも、誠実に学びたいと思う。

そして僕は伝統文化の問題を解決するために教育に尽力したい、だけではない。若者の学力の低下など教育が関連する諸問題を解決し、未来を担う世代から日本を立て直す、これが僕の夢だ。そのために必要なのは教育の変革だ。それを信じ挑戦していきたいと思う。