1. トップ >
  2. 参議院の動き >
  3. 平成29年の参議院の動き >
  4. 参議院70周年記念論文表彰式

参議院の動き

参議院70周年記念論文表彰式

受賞論文一覧に戻る 


 節電を継続できる社会を目指して

神奈川県  藤沢市立鵠沼中学校 2年

山名  陽

12月になると街のあちらこちらでイルミネーションが華やぐ。キラキラと輝くイルミネーションを見るとうきうきした気分になる。だけど、その一方で私は3.11のことを思い出してしまう。

平成23年3月11日、東日本大震災が発生した。日本は未曾有の災害に襲われた。福島第一原発は津波で甚大な被害を受け、被災地だけでなく首都圏の電力も不足した。そして、人々は節電を余儀なくされた。

私は当時、千葉県市川市に住んでいた。電力不足に対応するため、市では計画停電が行われることになった。地区ごとに電気が止まる時間帯が決められ、電力が不足した場合は随時停電になるという案内がきた。計画停電がいつ行われるか不安になりながら、私たち家族はできるだけ電気を使用しないように心掛けた。結局、市川市では計画停電が行われることはなかった。あの時、一人一人が節電を意識し、限られた電力の範囲内で過ごそうとした。そして、それは計画停電の回避に大きく影響したと思う。

震災直後は、そうやってみんなが節電を意識して生活していた。コンビニやスーパーなどの商業施設、駅などの公共施設も照明を減らし、街のネオンも最小限になった。あちらこちらでエスカレーターも止まった。誰一人文句も不満も言わず、みんな黙々と階段を上がっていたことを私は覚えている。

東日本大震災によって福島第一原発が被害を受けたことは、電力不足を招いただけでなく放射能をも拡散した。被災地は放射能で汚染され、多くの人々がそのことによって今も苦しんでいる。そして、震災を機に人々は原発について考えるようになった。

電力は、私たちが生活していく上で、なくてはならないものだ。しかし、電力には限りがあり、そのエネルギーは原子力発電に依存していることを私たちは普段意識しているだろうか。地震大国である日本はいつ災害が起こるかも分からない。活断層や原子力発電所の老朽化も問題視されている。災害が起こり原子力発電所の機能が停止すると、電力の需要と供給のバランスは崩れ、私たちの生活は停滞し混乱する。東日本大震災で人々はその大変さや苦しみを経験したはずなのに、その時の記憶は少しずつ薄らいでいるように思う。

震災直後は控えめにしていたイルミネーションは年々元の華やかさに戻り、今年もクリスマスシーズンにはイルミネーションが至る所で飾られている。電車に乗るとテレビコマーシャルが絶え間なく流れている。パチンコ店の過剰なネオンはまぶしいくらいに色とりどりに光っている。私はそれらを見るたびに、人々は東日本大震災のことを忘れてしまったのかなと悲しくなる。震災時は一人一人が節電を意識し生活することができたのに、なぜ今それが出来ないのだろう。LEDの普及により昔に比べ電力の消費量は減っていると思う。だからと言って、街にあふれる過剰すぎるネオンやイルミネーション、電車の中のテレビコマーシャルは本当に必要だろうか。私たちは東日本大震災の教訓を活かし、できるだけ節電の意識を持ち、原子力発電に頼らない社会を目指す必要があるのではないだろうか。

中学生の私には、原子力発電に代わるエネルギー手段をどうすれば作り出せるのか分からない。だけど、一人一人が節電を意識すれば、限られた電力で生活できることを私は東日本大震災から学んだ。

だから、もし、私が国会議員になったら、節電の必要性を訴え、できるだけ原子力発電に頼らない社会を目指したい。人々に節電の協力を訴え、節電が計画的にできる制度をつくりたい。過剰なネオンやイルミネーションなどの電飾は規制し、店や施設の照明やエアコンなども規制する。人が少ない時間帯には各所のエスカレーターを止め、体の不自由な人のためのエレベーターは動かす。市町村は計画停電の時間帯を設ける。他にも震災時にみんなが節電を意識し心掛けたように、また同じことをすればいいと思う。私たちは震災から多くのことを学んだはずなのに、状況が落ち着くと不自由に感じることはなかなか継続できない。だから、私は節電を政策として打ち出し、計画的に実行していく制度を作りたい。

私たちは東日本大震災で経験したことを忘れずに、先にあげた問題点を常に意識し行動することが大切だと思う。原子力発電に依存しない社会を目指し、電力の使い方について考えていく必要がある。