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国際関係

重要事項調査

重要事項調査議員団(第二班)報告書

       団長  参議院議員   関谷 勝嗣
            同        小泉 顕雄
            同        吉田 博美
            同        佐藤 泰介
            同        佐藤 雄平
            同         山本  保
        同行
             厚生労働委員会調査室次席調査員  小林  仁
             参事                     酒井 康丞

 本議員団は、スウェーデン王国、ドイツ連邦共和国及び英国における社会保障改革等に関する実情調査並びに各国の政治経済事情等視察のため、平成十六年九月十五日から同月二十四日までの十日間、スウェーデン、ドイツ及び英国の三か国を訪問した。

 日程は、次のとおりである。

 九月十五日(水)
   東京発、ストックホルム着

 九月十六日(木)
   スウェーデン国会において、元保健医療・社会保険担当大臣ボー・クェンベリ議員と懇談

 九月十七日(金)
   スウェーデン社会保険庁において、オーレ・セッテルグレン年金局長、
   次いでエドワード・パルマー研究開発部評価課長兼ウプサラ大学社会保険経済学教授と懇談
   高齢者施設「ホーンスクロケンス」訪問
   保育所「ティンメルマンスゴーデン」訪問

 九月十八日(土)
   ストックホルム発、ベルリン着

 九月十九日(日)
   ドイツ連邦議会等視察

 九月二十日(月)
   ドイツ連邦保健社会省において、クラウス・シュレーダー事務次官、
    フランツ・クニープス医療・介護保険担当総局長、ハンス・フレッケン年金局長と懇談
   職業訓練校「ベルリン州立クロイツベルク上級建設・建築センター」訪問
   ドイツ連邦職員年金庁において、ヴァルター・グランツ広報担当官と懇談

 九月二十一日(火)
   ベルリン発、ロンドン着
   英国議会等視察

 九月二十二日(水)
   高齢者施設「テムズブルック」訪問
   「全英児童虐待防止協会」訪問

 九月二十三日(木)
   在英国日本大使館において、年金数理庁の
   ジョージ・ラッセル首席アクチュアリーと懇談
   ロンドン発(機中泊)

 九月二十四日(金)
   東京着

 本議員団に与えられた調査目的は、欧州諸国における社会保障制度の実情調査であった。

 急激な少子高齢化が進行する我が国では、持続可能な社会保障制度の構築と次世代の健全な育成が重要な政策課題となっている。とりわけ年金問題は国民の関心が高く、平成十五年から十六年にかけて行われた衆参両院の国政選挙においても大きな争点となった。平成十六年の年金法改正を経て、現在、年金改革については与野党協議の行方に注目が集まっている。また、我が国では、要介護者の増加と介護給付費の増大が続いており、平成十七年に介護保険制度の大幅な見直しが予定されている。他方、少子化については出生率の低下傾向に歯止めがかからず、児童虐待や若年者雇用の劣化が社会問題化している。

 そこで、本議員団は、このような我が国の現状を踏まえ、年金制度の現状と改革の動向を主たる調査事項として、あわせて、高齢者介護の現状、次世代育成・若年者支援施策の現状についても調査することとし、スウェーデン、ドイツ及び英国の三か国を訪問したものである。議員団は派遣期間中、訪問国の政府関係者及び学識経験者から、調査事項に関する説明を聴取し意見交換を行うとともに、関連施設を訪問するなどの現地調査を行った。

 なお、議員団は出発前の九月一日、外務省から各訪問国の政治経済事情について、厚生労働省からは社会保障分野における国際比較及び各訪問国の調査事項に関する概要について、それぞれ説明を聴取した。さらに、現地においても、日本大使館等から最新の状況について、説明を聴取した。

 社会保障制度の国際比較には、人口構造の状況等の社会的背景の違いを考慮する必要がある。調査の概要を報告する前に、我が国の社会保障を取り巻く環境と社会保障給付の現状について、比較に必要な基礎データを簡潔に確認しておくこととする(この後、年号は西暦表記とする)。

 日本の総人口は二〇〇四年現在、約一億二千七百六十八万人である。総人口に占める六十五歳以上人口の割合(これを「高齢化率」という。)は十九・四%、一九五〇年時点での高齢化率が四・九%であったのに対し、二〇五〇年には三十五・七%まで上昇すると推計されている。他方、合計特殊出生率は一九五〇年時点で三・六五であったものが二〇〇三年には一・二九にまで低下した。

 続いて、社会保障給付の規模をみると、一九九八年における社会保障給付費の対国内総生産比の割合は十五・一%であった。給付内容別の対国内総生産比は、「医療」が五・七%、「年金」が七・三%、「福祉その他」が二・一%となっている。

 なお、租税負担と社会保障負担の合計が国民所得に占める割合である国民負担率は三十五・五%、財政赤字を加えた潜在的な国民負担率は四十五・一%となっている。

 それでは、訪問国ごとに調査の概要を報告する。

一、スウェーデン

 まず、高福祉・高負担の福祉国家として世界に存在感を示してきたスウェーデンから報告する。

1 社会保障の現状に関する基礎データ

 スウェーデンの総人口は約八百九十四万人にすぎない。日本の総人口の十四分の一程度である。国内市場が小さいため、人材の養成に力を注ぎ、高い技術力を背景として輸出を中心に経済を支えている。同時に、女性の労働力率が高いこと、就業人口の三割以上が医療・福祉等の公共部門に従事していることなど、経済活動における女性の役割と公共部門の割合が高いことが特徴である。

 スウェーデンの高齢化率は二〇〇三年現在で十七・二%に達している。ただ、一九五〇年の時点で既に十・三%であったことには留意を要する。他方、合計特殊出生率は一九五〇年時点で二・三二であったものが一九九〇年代に一・五まで低下したものの、二〇〇三年には一・七一にまで回復している。今後の高齢化率の推移は、国連の推計によると、二〇五〇年に二十七・〇%となる見通しである。日本と比較すると、高齢化の進行は今後とも穏やかなものとなろう。

 次に、一九九八年における社会保障給付費の対国内総生産比は三十四・一%であり、日本の二倍強の割合となっている。給付内容別の対国内総生産比をみると、「医療」が六・六%、「年金」が十・二%、「福祉その他」が十七・三%となっている。給付内容別の構成においても「福祉その他」の比率が社会保障給付の過半を占めているなど、「福祉その他」が国内総生産の二・一%にすぎない日本とは、社会保障の構造が大きく異なっていると言えよう。

 なお、国民負担率は二〇〇一年現在で七十四・三%となっており、日本の倍以上の数値を示している。しかし、原則二十五%の付加価値税率に代表される高い負担に支えられて、財政は一九九八年以降黒字を続けており、潜在的な国民負担が存在しないことは注目に値する。

 さて、スウェーデンにおける本議員団の関心は、スウェーデン方式と呼ばれる新年金制度の仕組みとともに、政治主導で行われた年金改革のプロセスにあった。以下、スウェーデンのドラスティックな年金改革について、その背景と経緯、新年金制度の特徴を中心に報告する。次いで、高齢者ケアの現状と保育施策の現状について、関連施設を訪問する機会を得たので、これらの点についても、順次簡潔に報告することとする。

2 スウェーデンの年金改革

 スウェーデンでは、一九九〇年代に政治家主導で年金制度の抜本改革が行われ、一九九九年から新しい年金制度が実施されている。本議員団は、この間の経緯を知るために、まず、スウェーデン年金改革の立役者として知られるボー・クェンベリ議員(現自由党党首)との面談に臨んだ。

 ボー・クェンベリ議員は、スウェーデンにおける年金改革の契機となった一九九一年の政権交代時に、保健医療・社会保険担当大臣となった人物である。スウェーデンでは、一九九一年にそれまでの社民党政権に代わって、穏健党(旧保守党)、中央党、自由党及びキリスト教民主党の右派四党から成る連立政権が成立した。当時のボー・クェンベリ大臣は、懸案となっていた年金改革を断行するため、当時の野党であった社民党、左翼党(旧共産党)及び新民主党にも改革への参画を呼び掛けた。そして、議会に議席を有するすべての政党から構成される「年金ワーキング・グループ」が設置されると、その座長に就任したのである。

 ボー・クェンベリ議員は、「年金ワーキング・グループ」が設置された背景には、次の三点があると説明している。第一は、高齢化の進行と経済の低成長に伴い旧年金制度の持続可能性が疑わしくなってきたこと。第二は、旧制度の仕組みに不合理な点があったこと。第三は、政権交代以前にも旧制度の問題点は指摘されていたにもかかわらず有効な解決策が見いだせなかったことである。

 ここで、旧制度の仕組みと問題点について、オーレ・セッテルグレン年金局長とエドワード・パルマー教授による説明を併せて紹介しておこう。

 スウェーデンの旧年金制度は一九六〇年以降、老後生活の最低水準の保障を目指した定額の基礎年金と、従前所得に対応した給付を行う報酬比例の付加年金の「二階建て構造」になっていた。一九四八年に施行された国民年金法によって基礎年金制度の原型が導入されたものの、充分な給付水準ではなかったため、一九六〇年に付加年金制度が導入されたのである。

 定額の基礎年金はすべての住民に適用された。その財源は事業主及び自営業者が負担する保険料であり、被用者本人には保険料負担がなかった。保険料率は、事業主が支払賃金の五・八六%、自営業者が課税対象所得の六・〇三%であった。基礎年金の給付額は、四十年の居住要件で満額が支給され、単身者で年約五十七万円、夫婦の場合は一人当たり単身者の約八割である約四十五万円であった。財政方式は完全賦課方式であり、保険料収入が給付費を下回る場合に、国庫負担によって、その不足分が補てんされた。問題点の第一は、人口構造の高齢化によって、国庫負担が増えていくことが避け難い仕組みにあった。ちなみに、国庫負担の額は、一九九七年には給付費の約三十八%に達したという。

 報酬比例の付加年金については、被用者だけでなく、一定額以上の稼得所得のある自営業者にも適用された。その財源は事業主と自営業者の保険料であり、国庫負担はない。ただし、一九九五年からは被用者本人も負担することとなった。保険料率は、事業主と自営業者が十三・〇%、被用者本人が所得の一%であった。財政方式は修正賦課方式で、五・五年分の積立金が存在していた。

 付加年金の給付額については、三十年の加入で満額の年金を受給できた。これを「三十年ルール」という。「三十年ルール」は三十年を超えて保険料を納付しても、給付には反映されないことを意味する。さらに、付加年金の給付額は、三十年の加入期間のうち、最も収入の高かった十五年間に基づいて、その平均年収の六十%とされていた。これを「十五年ルール」という。その結果、賃金上昇カーブが相対的にフラットなブルーカラーよりも、教育に時間が掛かっても賃金上昇率が高いホワイトカラーの方が多くの年金を受けることができたのである。問題点の第二は、このように拠出と給付の両面で不公平があったことである。

 以上のような問題点があったにもかかわらず、一九九一年の政権交代前においては、既存の制度の枠組みを変更するような大幅な改革は実行されなかった。当時の社民党政権は一九八四年に「年金委員会」を設置したものの、労働組合、経営者団体、年金受給者団体等の利害関係者が含まれていたため激しい主張の対立が生じ、改革に向けたコンセンサスが得られなかったのである。

 それでは、一九九一年以降の年金改革が成功した理由は何か。ボー・クェンベリ議員は、「年金ワーキング・グループ」から学ぶべき点を三つ挙げて、次のように説明する。

 第一は、明確な基本方針をもって改革に臨んだことである。第二は、「年金ワーキング・グループ」が各政党における年金問題の最高権威かつ責任ある実力者によって構成されたことである。第三は、厳選された少人数による会議に徹し、委員相互間のオープンで知的な議論が行われたことである。重要なことは、労働組合、経営者団体、年金受給者団体等といった利害関係者の扱いであった。彼らには意見を述べる機会を保障すると同時に、「年金ワーキング・グループ」から排除することで、合意形成を可能にしたのだという。

 このようにして構成された「年金ワーキング・グループ」では、各党の主張を最初からぶつけ合うのではなく、まず、年金問題の専門家の意見を聴き、彼らとの意見交換を行うことから始められた。そして、一九九二年には年金改革の原則について、次のような基本的な考え方がまとめられた。すなわち、(1)生涯所得に応じた給付の原則を採用すること、(2)従来の基礎年金に代えて新たに最低保証年金を導入すること、(3)経済の動向との関係が明確なシステムとすること、(4)旧制度から新制度へは段階的に移行することである。

 その後、「年金ワーキング・グループ」における検討作業も主要政党内の意見集約も幾度か挫折の危機を迎えたが、一九九四年には当時の与党四党(穏健党、中央党、自由党及びキリスト教民主党)と野党社民党との間で、いわゆる「五党合意」が成立した。「五党合意」には、今日の年金制度のうち、自動財政均衡メカニズムを除くほとんどが盛り込まれていた。新民主党及び左翼党はこの合意に加わらなかったが、合意に達した五党の議席数は全議席の八十八%を占めていたことから、年金改革はその実現に向けて大きく前進した。

 スウェーデンでは一九九四年に総選挙が行われている。しかし、年金問題については既に「五党合意」が成立していたため、大きな争点とはならなかった。総選挙の結果、連立政権を構成していた右派四党は社民党に敗れたものの、社民党も単独過半数には達せず、少数単独政権となった。社民党内では政権復帰後、「五党合意」による年金改革への批判が高まったが、「五党合意」の内容に沿って実施するとの方針は最後まで維持された。年金改革に関しては、事実上の大連立が形成され、選挙後も維持されたのである。「五党合意」の内容が合理的であったこと、各党の指導者が粘り強く党内の説得に努めたことの結果である。

 スウェーデンにおける年金改革の経過は、以上のとおりである。新制度の実施は関係者に対する説得と施行準備に時間を要したため、当初の予定よりやや遅れたものの、一九九九年から段階的に施行された。所得比例年金は二〇〇一年から支給を開始し、二〇〇三年からは最低保証年金の支給が始まった。これにより、制度全体が動き始めた。この間の度重なる頓挫の危機と紆余曲折の経過を知るオーレ・セッテルグレン年金局長は、最終局面において考えられる最もきれいな形で実施できたことについて、繰り返し「奇跡だ」と評した。

 我が国では、リーダーシップによる政治とコンセンサスによる政治とは平面を異にするとの受け止め方が一般的であるが、スウェーデンの「コンセンサス・ポリティックス」は、政治家の強力なリーダーシップによるコンセンサスの形成を意味しているといえよう。

 続いて、新年金制度の特徴を見ることとする。 第一は、制度体系を従来の二階建てから全国民を対象とする所得比例年金の一階建てに再編したことである。これにより、生涯に納めた保険料総額に応じて年金額が決定されることになり、「三十年ルール」、「十五年ルール」といった不公平な問題が解消された。また、新制度では、拠出に応じた給付とするため、老齢年金のみの給付となった。そこで、障害年金は疾病保険制度に統合され、遺族年金は独立した制度に再編されている。

 第二は、所得比例年金の保険料率が将来にわたり十八・五%に固定されたことである。十八・五%という数字は手取り所得に対する割合で、名目所得に対しては十七・二一%となる。また、所得比例年金の給付費については、保険料収入及び積立金の運用益等で賄い、一般的な国庫負担はない。

 第三は、所得比例年金の制度設計は拠出建てを基本とすることである。保険料率十八・五%のうち十六%ポイント分については賦課方式で運用するものの、この部分についても給付建てではなく拠出建てとする。これを「概念上の拠出建て」という。残りの二・五%ポイント分は積立方式で運用する。これを「プレミア年金」と呼んでいる。

 第四は、所得比例年金が無支給又は低額になる者について、税財源による最低保証年金を支給することである。最低保証年金の給付額は、配偶者の有無、国内在住期間及び所得比例年金の受給額によって決まる。

 第五は、新制度への移行は段階的に行うことである。一九五四年生まれの者から新制度のみが適用され、それ以前の者は旧制度との併給となる。

 議員団からの主な質問は、以下のとおりである。

 まず、最低保証年金との関係で、自営業者や農家の所得捕捉の実態を質問したところ、ボー・クェンベリ議員は、次のように答えている。

 保険料については、税務当局が捕捉した稼得所得と社会保険庁が把握する他の年金権情報に基づいて社会保険庁が決定する。税務当局は、その保険料を事業主及び自営業者に課される税と併せて徴収するという仕組みである。スウェーデンでは、個人に対しては国民登録番号制によって、事業所に対しては付加価値税徴収のためのインボイス制によって、かなり的確な所得捕捉が可能となっている。一方、税務当局が把握していないヤミ所得については、当然のことながら所得比例年金に反映されない。また、最低保証年金は給付時に課税の対象となることから、現役時代に所得捕捉を逃れてみても、結果的にはわずかな最低保証年金しか受けられないことになる。

 オーレ・セッテルグレン年金局長に対しては、保険料率を固定した賦課方式の下では給付額を調整することになろうが、その方法について質問したところ、次のような説明があった。

 年金財政が賦課方式で運用されているから、毎年、制度全体の資産と債務を計算し、債務が資産を上回る状況になったときは受給権者の年金資産を自動的に引き下げる手法を導入した。これを「自動財政均衡メカニズム」と呼んでいる。ここにいう資産とは、年間保険料総額に受給者の平均年齢から被保険者の平均年齢を引いた年数を乗じて得られた額と積立金残高の合計であり、債務とはいわゆる過去期間分の年金債務のことである。

 エドワード・パルマー教授に対しては、社会保障と経済政策との関係を質問した。教授は、新年金制度が経済との関連を強めていることを強調し、「概念上の拠出建て」を次のように解説した。

 「概念上の拠出建て」部分の年金額の計算については、まず、年金受給開始時までの保険料納付額に賃金上昇率、既死亡者利益、事務経費等を考慮して受給権者の「年金資産」を算出する。次に、社会保険庁が世代ごとの平均余命と経済成長率ノルマを考慮した「計数」を生年、支給開始年齢別に設定する。そして、個々人の年金受給開始時の年金額は、その人の「年金資産」を「計数」で割ることによって算出される仕組みとなっている。

 新年金制度施行後の問題点を問われた際、パルマー教授は、男女間の賃金格差が所得比例年金の格差となってしまうことについても、賃金格差の問題を年金制度の仕組みで解決することは適当ではないという。ただ、育児期間については保険料相当額を国庫負担で補っていることは意味がある。このように国庫が保険料負担を肩代わりする制度は、兵役期間や高等教育の就学期間についても認められているが、教授は、就学期間に対する国庫負担については賛成できないと述べた。

 このほか、平均余命の伸びによる年金給付額の引下げについては、長寿に対するペナルティともなりかねないとの指摘に対し、倫理的な観点と公平性の観点の両面から、その調整の是非等について、意見交換がなされた。

3 スウェーデンの高齢者ケア

 スウェーデンでは、一九九二年のエーデル改革以降、日本の市町村に相当するコミューンが高齢者ケアの施策を推進する役割を担っている。高齢者ケア施設には従前、(1)ケア付アパートであるサービスハウス、(2)いわゆる老人ホーム、(3)小規模共同住宅であるグループホーム、(4)地域療養型のナーシングホームの四形態があった。エーデル改革の後、これらはすべて、社会サービス法に「特別の住居」として一本化され、施設ではなく、一種の「住宅」と位置付けられている。

 議員団は、ストックホルム市内の老人ホーム「ホーンスクロケンス」を訪問し、建物内を見学した。一九九八年に設立された新しい「住宅」で入居者は五十三名、多くがアルツハイマー症等の要介護度の高い高齢者である。職員はパートタイマーを含めて五十名と手厚く、看護師、准看護師、資格を有する看護助手で構成されている。居室は全室個室、三十㎡以上の広さでトイレ、シャワー等が付いており、以前から使用していた家具の持込みもできるなど、居住環境の向上が図られていた。「施設の在宅化」が意味するところを、分かりやすく具現した光景であった。

4 スウェーデンの保育

 スウェーデンでは、子供が一歳までは、両親のいずれかが育児休業を取って家庭で育児を行い、子供が義務教育に就学するまでは、公的な保育サービスを利用することにより、両親共に仕事と育児の両立を図るのが一般的である。保育サービスは、その大部分をコミューンが直接運営しており、財源も一割程度の利用者負担のほかはコミューンの税財源等により賄われている。

 議員団は、ストックホルム市郊外の住宅街にある保育所「ティンメルマンスゴーデン」を訪問した。ここには八十六人の児童が通っており、三~五歳児を対象とした四つのユニットと一~二歳児を対象とした一ユニットの合計五つのユニットで構成されている。保母等の資格を有する職員二十名で対応しているが、保育カリキュラムについては、親の意向を反映させるため、協議の場に父母の積極的な参加を促しているという。

 スウェーデンでは一九九八年に保育所と日本の幼稚園に当たる就学前教育の統合が図られ、法律上は「就学前保育施設」と呼ばれている。保育サービスの所管が社会省から教育省に移管されたが、日本の幼保一元化と異なり、元々保育サービスが普遍的に提供されていたため、サービスの内容に大きな変化は見られないとのことであった。

二、ドイツ

 次に、ドイツについて報告する。

1 社会保障の現状に関する基礎データ

 ドイツの総人口は約八千二百六十万人、日本の約三分の二に相当する。そのうちドイツ人でない者が約七百三十万人、人口の八・九%を占めており、トルコ等からの移民となっている。

 一九九〇年に東西ドイツは統合され、既に十四年が経過した。しかし、現在においても、例えば失業率をみると、旧西独が八・一%であるのに対し、旧東独は十八・一%となっており、東西ドイツの格差は歴然としている。西から東へ年間十一兆円規模の資金移転が行われているが、そのうち八割程度が社会保障に関係するものである。

 ドイツの高齢化率は、一九五〇年に九・七%であったが二〇〇〇年には十六・四%となった。合計特殊出生率は二〇〇二年に一・四〇と欧州諸国ではイタリア、スペインと並んで低い水準にある。国連の推計によると、高齢化率は二〇五〇年に二十八・〇%まで上昇する見通しである。

 社会保障給付費の対国内総生産比は一九九八年で二十九・三%である。また、国民負担率は二〇〇一年に五十五・三%、財政赤字を含めた潜在的な国民負担は五十九・〇%となっている。

 シュレーダー政権は二〇〇三年に「アジェンダ二〇一〇」と題する大規模な構造改革プログラムを打ち出した。ドイツでも人口の世代間構成が変化した結果、社会福祉国家として必要な費用が経済や国家財政を圧迫するに至っている。「アジェンダ二〇一〇」の目標は、こうした中で、社会保障システムの機能を維持し、かつ経済成長をも促進することである。「アジェンダ二〇一〇」の対象となる分野は、経済、職業教育、労働市場、医療、税制、教育、年金、家族支援であり、具体的対策の目指すところは、賃金外コストの削減、内需拡大、そしてより弾力的な労働市場の実現である。労働市場の規制緩和、社会保障給付の削減については、労働組合や連立与党左派から強い反発を受けたが、シュレーダー首相の精力的な説得工作や法案の一部修正により、国民に負担を求める関連法案は二〇〇三年にすべて成立し、十二の法律のうち八つが二〇〇四年一月に発効している。

 さて、ドイツにおける本議員団の関心は、年金及び介護保険の現状、若年者雇用対策としてのデュアルシステムの実情についてであった。

 以下、順次報告する。

2 ドイツの年金制度

 ドイツでは二〇〇二年に年金保険、医療保険、介護保険等の社会保険制度を一括して所掌する連邦保健社会省が発足した。議員団は、ドイツにおける年金制度と介護保険制度の動向を知るため、連邦保健社会省を訪問し、クラウス・シュレーダー事務次官、フランツ・クニープス医療・介護保険担当総局長、ハンス・フレッケン年金局長と懇談した。また、連邦職員年金庁において、ヴァルター・グランツ広報担当官と懇談した。

 ドイツは社会保険の母国といわれている。しかし、日本と異なり国民皆年金・皆保険ではない。

ドイツの公的年金である法定年金保険制度は民間被用者を中心にカバーするのみで、農業者は国庫負担による老齢保障、官吏は恩給制度と全く別の制度となっている。法定年金制度もホワイトカラーは職員年金保険、ブルーカラーは労働者年金保険、鉱山労働者年金保険に制度が分立している。

 シュレーダー事務次官は、現在、連邦議会において、職員年金保険と労働者年金保険を統合するための年金保険組織再編法案が審議中であると述べるとともに、年金制度については一九八〇年代以降、持続的で安定した制度とするための改革が数度にわたって行われてきたこと、特に二〇〇一年には、所得代替率の引下げ、保険料率の将来にわたる上限(二十二%)の設定、積立方式の個人年金(いわゆるリースター年金)の創設等を内容とする改革法案が成立していることを強調した。

 一方、フレッケン年金局長は、現行の保険料率十九・五%の更なる引上げは政治的に極めて困難な情勢にあり、毎年、制度の見直しを行わなければ給付と負担の均衡を維持できない状況にあることを説明した。二〇〇四年には、スライドの完全凍結、年金受給者の介護保険料を年金保険者が負担する制度の廃止、新規裁定者の年金支給を月初から月末に変更する等の方法により、保険料の引上げを食い止めたとのことである。

 連邦職員年金庁においては、議員団から保険料の徴収体制を質問した。グランツ広報担当官は、ドイツでは疾病金庫が医療保険、年金保険、介護保険、失業保険の保険料を徴収していること、自営業者については一部を除いて任意加入であり未納問題は生じないが、被用者には事業主が届け出ない事例があり苦慮しているとの説明があった。

3 ドイツの介護保険制度

 ドイツでは一九九四年に介護保険制度が創設され、日本にも大きな影響を与えた。

 しかし、日本の介護保険制度とは相違している点も少なくない。例えば、被保険者は公的医療保険の加入者でなければならないことから官吏や自営業者の多くは民間の介護保険に加入していること、受給に年齢要件や加齢疾病要件がないこと、利用者負担は定率ではなく三段階に設定された要介護度ごとの給付限度額を超える部分であること、在宅給付に現金給付があること、施設入所者の居住費は給付の対象外であること、財源は一・七%の保険料で賄われており公費負担がないこと等に違いがある。

 クニープス医療・介護保険担当総局長は、介護保険の受給者が約二百一万人、うち在宅が約百三十六万人、施設が約六十五万人であること、公的介護保険の給付額が二兆二千億円程度であることを明らかにした。日本の介護保険の事業規模が約六兆円であることと比べると、人口規模の違いを考慮に入れても、ドイツの介護保険は給付の内容が小さいことが分かる。また、現金給付の動向について質問したところ、現金給付のみを受給する者の割合は年々減少する傾向にあり、現物サービスが普及するにつれて、今後もその傾向が進むのではないかとの見解を述べた。

 二〇〇二年には、介護サービスの質の確保や痴呆高齢者に対するケアを改善するための法改正等が行われたが、連邦憲法裁判所の違憲判決を受けて、現在、連邦議会において養育児童のいない被保険者の本人負担分保険料を〇・二五%引き上げる法案が審議されているとのことである。

4 ドイツの若年者雇用対策

 ドイツでは、満六歳から十八歳までの十二年間が義務教育となっている。初等教育を経て、十二歳の時に、大学へ進学するためのギムナジウムか、基本的な一般教育を受けるための基幹学校、実科学校等かの進路を選択する。基幹学校等を卒業した生徒のほとんどは、デュアルシステムの職業教育に進み、企業で職業教育を受ける傍ら、少なくとも十八歳までは職業学校に通うことになる。

 議員団は、ドイツにおける若年者の職業教育の実情を視察するため、ベルリン市内の職業訓練校「ベルリン州立クロイツベルク上級建設・建築センター」を訪問した。クラウス・ポネス校長から、ドイツにおけるデュアルシステムの概要と課題について説明を受けたほか、学校施設内を見学した後、三十名程度の職業訓練生との懇談に臨んだ。

 ポネス校長の説明は、次のとおりであった。

 職業訓練を受けている青少年は、現在約百六十五万人である。ドイツの若年者の約七割がデュアルシステムの中で、国が認定する約三百六十種の訓練職種のいずれかを習得している。職業訓練の期間は職種により異なり、二年から三年半となっている。職業訓練を実施している事業所は、自営業者や官公庁を含む広範な産業にわたり、約五十万か所の事業所に及んでいる。

 「クロイツベルク上級建設・建築センター」は一九二七年に創設され、現在ではベルリン州中央部における建設・建築関係職業教育の拠点として、約二千人の生徒が学ぶ大規模な職業訓練校である。約百名の教員には、企業から派遣されたマイスターも多数含まれているとのことである。

 議員団から、訓練期間中のコストはだれが負担するのかとの質問をしたところ、ポネス校長によると、義務教育期間中の公立学校の授業料は無料、すなわち公費で負担していること、また、その間、職業訓練生と事業主との間には職業教育契約が締結され、労働協約に基づいて月七万円程度の訓練生手当が支払われるとのことであった。

 在校生との懇談の場では、就職先の職場環境と必要とされる技能が体感できるので職業意欲が高まるとの声が聞かれたほか、事業主と職業訓練契約を結ぶこと自体が難しいとの体験が語られた。また、若年者雇用の実情について、最近は大学入学資格のアビトゥアを取得した生徒でも職業教育に進む者が多くなっているとの報告もあった。

 職業訓練と教育のデュアルシステムについては、日本でも二〇〇四年から日本版デュアルシステムが導入されている。それ以前は日本にはなじみが少ない制度であったが、敢えて言えば、衆参両院の速記者養成所が義務教育ではないものの、ドイツ流のデュアルシステムに近かったのではないかと思われる。

三、英国

 続いて、英国について報告する。

1 社会保障の現状に関する基礎データ

 英国の総人口は約五千八百八十四万人、日本の半分弱である。高齢化率は一九五〇年の十・七%が二〇〇一年に十五・九%となっている。合計特殊出生率は二〇〇三年に一・七一と、ここ三十年ほど一・七前後で比較的安定して推移している。国連の推計によると、今後の高齢化率は二〇五〇年に二十三・三%となる見通しであるが、日本と比較すれば高齢化の進行は遅い。

 社会保障給付費の対国内総生産比は、一九九八年で二十五・三%となっており、日本とスウェーデンの中程に位置する。また、国民負担率は二〇〇一年で五十・二%と低くはないが、財政が黒字であるため、潜在的な国民負担が存在しない。

 さて、英国における本議員団の関心は、日本と同様の二階建ての制度体系下で近年の年金改革の動向を知ることであった。次いで、高齢者ケアの現状と児童虐待防止対策について関連施設を訪問する機会を得たので、これらの点についても報告する。

2 英国の年金改革

 議員団は、在英国日本大使館において、英国政府年金数理庁(GAD)の首席アクチュアリーであるジョージ・ラッセル博士と懇談した。

 年金数理とは、年金財政が健全に運営されるように、数理的に適正な保険料率を算定し、積立金が将来の年金支払のために必要な水準にあるかどうかを評価する業務であり、その資格を有する者をアクチュアリーと呼んでいる。日本では、国民年金と厚生年金については厚生労働省年金局数理課が、国家公務員と地方公務員の共済年金についてはそれぞれの共済組合連合会が、企業年金については個々の厚生年金基金が年金数理に関する業務を行っている。対して英国では、年金数理庁が各種の年金に関する数理業務を一元的に担い、政府や企業年金等に対し、中立的立場から年金数理上の助言と勧告を行っている。年金財政の検証や将来推計が年金政策当局や保険者自身ではなく、第三者機関によって行われているのである。

 英国における年金制度のあらましと改革の動向について、ラッセル博士から聴取した説明の概要は、以下のとおりである。

 英国の公的年金は国民保険制度の一部である。国民保険制度は年金のみならず、失業給付、労災給付等をカバーする総合的な社会保険制度(ただし、医療は除く。)である。義務教育修了年齢を超え(十六歳以上)、年金受給年齢未満(男性六十五歳、女性六十歳)の全国民(所得が一定額未満の者を除く)が加入することになっている。年金保険だけの独立した制度ではないので、年金保険料の拠出も国民保険全体に対する保険料として、内国歳入庁国民保険料局によって徴収されている。

 英国の公的年金の体系は、被用者・自営業者を通じて定額の給付を行う基礎年金と、被用者のみを対象とする報酬比例の国家第二年金の二階建てとなっている。ただし、被用者は国家第二年金に代えて、所定の基準を満たす職域年金や個人年金を選択することができる。これを国家第二年金の適用除外という。その結果、報酬比例部分については、国家第二年金にとどまっている者は三十四%にすぎず、職域年金を選択している者が四十%、個人年金を選択する者が二十六%となっている。

 英国の公的年金は、全般に給付水準が低く、高齢化の速度が緩やかであることから、年金財政への危機感が小さい。そのため、これまでは低所得者層の給付水準の充実が政治課題となってきた。

 ブレア政権は、基礎年金については制度の基本を維持しつつも、一九九九年に年金受給額が低い高齢者のために、年金収入等が一定額を下回る場合はその不足分を国庫が補う生活保護類似の最低所得保証を導入した。次いで二〇〇三年には、勤労収入や貯蓄がある場合にはこれに報いるため、上限一定の最低所得保証部分に定率のクレジットを上乗せする年金クレジット制度を導入した。

 また、二階部分については、二〇〇一年に確定拠出型の個人年金であるステークホルダー年金制度が導入された。さらに、二〇〇二年には定率であった従来の所得比例年金に代えて、低所得者への給付率が高い国家第二年金制度を創設した。

 このようにして低所得の年金受給者のかさ上げが図られてきたのである。

 他方、私的年金の分野では、金利の低下等の影響で職域年金、個人年金の運用成績が悪化している。国家第二年金の適用除外を受けている者が被用者の過半を占めている英国では、重大な問題となっている。企業が倒産した場合の加入者保護の問題と併せて、現在、支払保証制度としての年金保護基金制度の導入や受託者基準制度の導入といった内容の関連法案が議会で審議中となっているとのことである。

 議員団から、国家第二年金に人気がないのはなぜかと質問したところ、ラッセル博士は、原因として、国家第二年金は保険料が高いことと将来定額給付になる予定であることを挙げた。そして、国家第二年金については、財政的には存続可能でも政治的には疑問であるとの見方を示した。

 また、年金は社会保険であるにもかかわらず、政治課題化すると福祉の傾向を強めるとの英国の教訓を踏まえて、年金は選挙の争点とすべきではないのではないか等の意見交換が行われた。

3 英国における高齢者ケア

 議員団は、ロンドン市内にある高齢者介護施設「テムズブルック」を訪問し、管理責任者のピーター・ドンキン氏から説明を聴取した。その概要は次のとおりである。

 英国の高齢者ケアは、国営の国民保健サービスによる医療と地方自治体の社会サービスによる介護福祉の枠組みの中で提供される。サービスの提供主体については、サッチャー政権下でなされた改革により営利、非営利の民間事業者の参入が進んでいる。介護に要する財源は自治体の一般財源(税)で賄われており、自治体は民間事業者からサービスを購入し、利用者に提供する。利用者に対しては、自治体の職員であるケアマネジャーが心身の状態、経済状態を評価判定し、適切なケアサービスを決定する。個人の施設入所費は、原則自己負担であるが、低所得者には減免措置がある。

 英国では、一九九三年のコミュニティケア法により、自治体による総合的なケアマネジメントが確立するとともに、自治体に財源を集約し運営責任が明確化された。また、二〇〇〇年のケア基準法に基づいて独立した全国ケア基準委員会によって統一的に事業者の監督が行われているという。

 「テムズブルック」は、ケンジントン及びチェルシー区の施設で、入所者は五十六名である。その内訳は、重度痴呆者が二十名、二十四時間看護ケアが必要な者三十一名、リハビリ期にある者が五名となっている。居室は全室トイレ・シャワー付きの個室であり、スタッフは看護師、理学療法士、作業療法士等の常勤者が八十一名となっている。施設運営費予算については、年間約四億円とのことである。

 ケアの質については、スタッフの質の確保も含めて、施設や自治体においても重大な関心が払われている。モニタリングの制度としては、例えば、区域の施設管理者がランダムに行う相互チェックや外部の者による定期レヴュー、さらには抜き打ちの査察などがあり、何重にもケアの質に関するチェックが行われているとのことである。

4 英国の児童虐待防止施策

 英国には、児童の虐待防止や保護を専門とする慈善団体があり、積極的な役割を果たしてきた。議員団は、児童虐待の防止に関する民間団体の活動を調査するため、「全英児童虐待防止協会」を訪問し、渉外担当顧問のテイラ・ホプキンス氏から説明を聴取した。以下、その概要である。

 英国では、児童虐待の通報が寄せられると、警察と社会サービス局が調査に入ることになっている。通報の件数は年間十六万件以上、家庭訪問等の調査が十二万件以上実施されている。児童が危険にさらされている場合、要保護児童として「登録」される。登録件数は年間二万五千件前後である。登録された児童には社会サービス局が向こう六か月間の保護プランを作成し、六か月ごとに見直すことになっている。登録された児童のために「ケース会議」が開かれるが、「ケース会議」には、ソーシャル・ワーカー、学校の担任や校長、保健師、看護師、カウンセラー、警察官、保護観察官そして父母(弁護士を伴う場合もある)が参加する。英国の児童虐待への取組は、虐待が疑われる児童を「登録」によって多方面の専門家が早期の段階でサポートできる仕組みを用意するとともに、「ケース会議」において、当事者である父母等も含めた関係者と専門家が一堂に会して、児童の将来を一緒に考えるところに特徴がある。

 全英児童虐待防止協会は一八八四年に設立され、百二十年の歴史を有する民間組織である。政府・自治体や警察などと強力な連携関係を持ち、これまでに一千万人以上の児童を保護してきたという。英国において、虐待のリスクが認められる児童を保護する法律上の権限を付与されている唯一の慈善団体でもある。

 協会の理念は、性的虐待、身体的虐待、心理的虐待、ネグレクトのいずれを問わず児童の虐待をなくすこと、すべての児童が愛され価値を認められ、その潜在能力を発揮できるようにすることである。そのために、協会ではカウンセラー等の専門家千八百人をスタッフとして雇用しているほか、全英に百八十もの児童保護チームとプロジェクト、二百のネットワークを有し、一万七千人ものボランティアが協会の活動を支えている。協会には年間約一億ポンド(約二百億円)の収入があり、その八十五%が個人や企業からの寄附によるものである。

 児童虐待の実態について問われたホプキンス氏は、英国における児童の虐待死は、年間七十五人から八十人であり、毎週一人ないし二人の児童が死亡している。スウェーデンの年間一件ないし数件に比べると多いといわざるを得ないとした。

 また、英国においても性的虐待が顕在化しつつあり、それも家庭の中で多発していることが憂慮されている。ただし、実際に発生件数が増加しているのかどうかは分からないという。これらの事案について、協会では、虐待を受けた児童が裁判で証言する際のコーチング、虐待を受けた児童と一緒に法廷に下見に行くこと、傍聴席からのサポート等も行っているという。

 協会が実施している二十四時間ヘルプラインや児童虐待フルストップキャンペーンの効果に関する質問に対しては、従来、表ざたになるころには末期的状態であったのが、早期の発見につながったことで親子関係の修復、家庭の再建のための支援事業へと結びついているという。それだけに親教育や家族に対するカウンセリングの重要性が高まっており、そのための本格的なプログラムを用意して取り組んでいるとのことであった。

 以上が、本調査団による調査の主な概要である。

 最後に、本議員団の調査に当たって多大な御協力と御尽力を頂いた在外公館をはじめ、関係各省、訪問先等の関係者各位に対し、改めて心から感謝の意を表する次第である。