質問主意書

第213回国会(常会)

質問主意書

質問第七号

令和六年能登半島地震発生時の原子力規制庁の初動に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  令和六年一月二十六日

石垣 のりこ


       参議院議長 尾辻 秀久 殿



   令和六年能登半島地震発生時の原子力規制庁の初動に関する質問主意書

 令和六年能登半島地震の発生により北陸電力志賀原子力発電所(以下「志賀原子力発電所」という。)において、使用済燃料プールのスロッシングによる溢水や変圧器からの油漏れが発生するなどの影響があった。

 原子力規制庁の発表資料によると、地震発生後の対応は次の通りである。

〇令和六年一月一日十六時十分に石川県能登地方を震源とする地震が発生(志賀町 震度七)し、九分後の十六時十九分に志賀原子力発電所に係る原子力規制委員会・内閣府事故合同警戒本部(以下「警戒本部」という。)が設置された。

〇十六時二十二分には気象庁が石川県能登において大津波警報を発表し、十六時二十六分に志賀原子力発電所に係る原子力規制委員会・内閣府事故合同現地警戒本部(以下「現地警戒本部」という。)が設置された。

〇二十時三十分に大津波警報を津波警報に気象庁が切り替え、二十一時五十分に警戒本部を廃止した。

 また、令和六年一月六日二十三時二十分に発生した震度六弱の余震の際にも、二十三時四十一分に警戒本部、二十三時五十分に現地警戒本部がそれぞれ設置されるが、翌七日零時九分に原子炉の「止める・冷やす・閉じ込める」の機能及び使用済燃料の「冷却」の状態に異常がないことを確認、零時二十分に警戒本部が廃止された。

 原子力規制庁の現地職員の初動について記者会見での記者とのやりとりによると、一月一日の現地警戒本部は志賀原子力発電所から十二キロメートル離れている石川県志賀オフサイトセンターに設置され、この日は一日現地に原子力規制庁の職員は行っていないとのことである。

 原子力規制庁の発表資料では、警戒本部の廃止との記載があるだけで現地警戒本部も同時刻に廃止されているか不明だが、記者とのやりとりでは同時刻に廃止していると答えている。つまり、一月一日に震度七の地震が発生し、現地警戒本部を設置する事態となったが、現地を確認することなく、現地警戒本部を廃止したことになる。

 原子力災害対策初動対応マニュアルによると原子力事業所所在市町村において、震度六弱以上の地震が発生した場合には警戒事態となり事故現地警戒本部を立ち上げ、現地原子力規制事務所の所長又は所長があらかじめ指名した原子力運転検査官は当該原子力規制事務所の担当する原子力施設の緊急時対策所に移動することとなっている。

 以上を踏まえて、以下質問する。

一 令和六年一月一日には原子力規制庁の職員が志賀原子力発電所に行ったのか誰も行かなかったのか明らかにされたい。また、この日に志賀原子力発電所内の緊急時対策所に職員が参集し、地震への対応業務を行ったのか明らかにされたい。

二 一月二日に原子力規制庁の職員二名が志賀原子力発電所の緊急時対策所に向かったと記者に答えているがこれは事実なのか明らかにされたい。

三 一月一日に志賀原子力発電所内の緊急時対策所に原子力規制庁職員が誰も行かず、職員による現地確認が行われない段階で現地警戒本部を廃止した対応は初動対応マニュアルに反していて、適切ではなかったと考えるが政府の見解を伺う。

四 一月六日の余震発生時には、警戒本部設置から九分遅れで現地警戒本部が立ち上げられているが、余震発生時点において志賀原子力発電所の敷地内にも原子力規制庁の職員がいたのか明らかにされたい。

五 一月六日の余震発生は二十三時二十分であり、その時点で志賀原子力発電所内にいたとしたならば宿直勤務をしたということなのか。そうであるなら、職員が宿直していることが通常で、最初に地震が発生した一月一日は元旦であり、誰も宿直していなかったということなのか明らかにされたい。

  右質問する。