質問主意書

第205回国会(臨時会)

質問主意書

質問第二一号

日韓関係を正常な隣国関係にするためのさらなる努力に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  令和三年十月八日

那谷屋 正義


       参議院議長 山東 昭子 殿



   日韓関係を正常な隣国関係にするためのさらなる努力に関する質問主意書

 日韓条約の締結以来、五十五年が経過した。日本と韓国は互いに重要な隣国として正常な国家関係を維持し、協力友好を発展させるように、様々な努力を重ねてきた。特に両国関係の過去からくる不幸な歴史の傷跡を克服するために、真剣な努力が払われたことは特筆に値する。二〇一五年(平成二十七年)には慰安婦問題の解決のための新たな政府間合意(二〇一五年合意)が生まれ、新たな努力がはじまった。しかるにこの合意をめぐって新たな反発や失敗がみられ、日韓関係の冷え込みがはじまり、長く続いているのは遺憾である。韓国の女性団体が慰安婦問題を提起したのを受け、日本政府と国民がこの問題の解決に取り組みはじめてから、三十年の歳月が流れた。数少なくなった韓国の生存被害者の中には日本になお謝罪を求める声がある。この際、日本の努力の積み重ねを再検証、再確認し、政府のお詫びと反省の真意をはっきりと説明することによって、本当の合意に近づくことが、日韓関係を正常な隣国関係に戻す土台となるものと考える。そのような考えから、以下の質問を行う。

一 一九九三年(平成五年)八月四日、日本政府は国の内外での資料収集調査に基づき獲得した慰安婦問題認識を河野洋平官房長官談話(以下「河野談話」という。)として発表した。河野談話は、軍当局の要請で、慰安所が広範な地域に設営されたことを認め、慰安所の設置と管理、慰安婦の移送に日本軍が直接間接関与し、慰安所の生活は、「強制的な状況の下での痛ましいものであった」と述べた。その上で、次のように謝罪し、約束した。

 「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、・・・いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」

 この河野談話は以後の歴代の内閣において継承されてきた。岸田内閣においても、河野談話を継承しているか否か、明らかにしていただきたい。

二 一九九五年(平成七年)八月十五日、戦後五十年に際して、村山富市総理は閣議決定に基づき、総理談話を発表した。この中で、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、・・・疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と述べている。この内容のうち、植民地支配がもたらした損害と苦痛に対する反省と謝罪は、一九九八年(平成十年)の日韓パートナーシップ宣言に収められ、二〇〇二年(平成十四年)の日朝平壌宣言にも収められた。

 岸田内閣においても、村山談話を継承しているか否か、明らかにしていただきたい。

三 一九九五年(平成七年)に政府は慰安婦被害者に対してお詫びと償いの事業を実施する財団法人女性のためのアジア平和国民基金(以下「アジア女性基金」という。)を設立し、原文兵衛氏を理事長に据え、フィリピン、韓国、台湾の被害者に事業を開始した。その際、慰安婦被害者のお一人お一人に総理のお詫びの手紙、原文兵衛理事長のお詫びの手紙とともに、償い金二百万円、医療福祉支援として百二十万円ないし三百万円を渡した。償い金は国民からの拠金を財源とし、医療福祉は政府の拠出金によってまかなわれた。総理の手紙には、「私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。・・・わが国としては、道義的責任を痛感しつつ、・・・過去の歴史を直視し、・・・後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。」と書かれていた。この手紙はフィリピンの被害者二百十一人、韓国の被害者六十人、台湾の被害者十三人に渡されたが、その手紙には橋本龍太郎総理、小渕恵三総理、森喜朗総理、小泉純一郎総理が署名した。

 岸田内閣においても、アジア女性基金の事業、歴代総理のお詫びの手紙を日本国家の正当な努力であったと評価しているのか否か、明らかにしていただきたい。

四 アジア女性基金はフィリピン人とオランダ人の慰安婦被害者の大多数には受け入れられたが、韓国では政府登録の被害者の三分の一以下の人にしか受け入れられなかった。そして、アジア女性基金が解散した後、二〇一一年に韓国憲法裁判所が韓国政府の行動を違憲であると判定した。李明博大統領は日本政府に慰安婦問題解決に一層の措置を求めるようになり、それが二〇一三年からは朴槿恵大統領に受け継がれた。日韓両国の間で深刻な交渉が続いた結果、ついに合意に至り、二〇一五年(平成二十七年)十二月二十八日、岸田外務大臣はソウルの地において尹炳世韓国外務部長官と会談し、合意した内容を共同記者会見の席上、次のように発表した。

 「(一) 慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。

 (二) 日本政府は、これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ、その経験に立って、今般、日本政府の予算により、全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。」

 岸田総理はこの合意をまとめた当時の外務大臣であり、二〇一五年合意に責任をもち、それが韓国の被害者、日韓両国民に受け入れられることを願っておられるのは当然であると考えるが、改めて伺いたい。岸田総理は、二〇一五年合意の際に当時の外務大臣として発表した立場、特に、前述の(一)と(二)の内容を確認し、継承しているのか、否か、明らかにしていただきたい。

五 韓国では朴槿恵大統領が和解治癒財団を設立し、日本政府が閣議決定して、送った十億円を受け取り、生存被害者に一億ウォン(約一千万円)、被害者遺族に二千万ウォン(約二百万円)を支給した。その支給にあたり、二〇一五年合意の際に岸田外務大臣が表明した日本政府の立場、特に、前記四の(一)の内容を安倍総理の手紙にして与えてほしい、それを、被害者、その遺族に渡したいという希望が和解治癒財団から出されたが、日本政府はなぜかその要請に応じなかった。当時四十七人生存していた慰安婦被害者は現在十人程度しか元気でおられない。

 岸田総理としては、「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。私は、日本国の総理大臣として、改めて慰安婦として、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からのお詫びと反省の気持ちを表明する」というような手紙にご自身の署名を添えて、駐韓日本大使をして現在お元気でおられる慰安婦被害者のもとに届けさせ、二〇一五年合意のより広い理解を促すお考えはないか、お伺いしたい。

六 文在寅大統領の政府は、二〇一八年十一月二十一日、和解治癒財団の解散を進めると発表したが、財団が残した残余金は約五十七億八千万ウォン(約五億七千八百万円)であり、韓国政府が支出した百三億ウォン(約十億円)と合わせて使途を考え、日本から送られた十億円の残余金のうち、約五億七千八百万円については日本と協議するという方針が明らかにされた。韓国政府部内、周辺には、残った十五億円すべてを投じて慰安婦問題についての研究所を韓国政府が設立、運営し、日本政府に協力を要請するという構想もあると言われている。

 岸田内閣においては、日本が慰安婦の名誉回復、心身の傷の治癒のために送った十億円の残りを韓国政府の慰安婦問題研究所の設置のために使うという案をどのように考えるか、お伺いしたい。

  右質問する。