質問主意書

第203回国会(臨時会)

質問主意書


質問第四四号

昭和四十四年の高辻内閣法制局長官答弁を日本学術会議会員の任命拒否の合法根拠とすることが詭弁であることに関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  令和二年十二月四日

小西 洋之


       参議院議長 山東 昭子 殿



   昭和四十四年の高辻内閣法制局長官答弁を日本学術会議会員の任命拒否の合法根拠とすることが詭弁であることに関する質問主意書

 高辻内閣法制局長官は、昭和四十四年七月二十四日の衆議院文教委員会において、文部大臣の国立大学学長の任命制度について、「それから、その中身でございますが、大学の自治、これはむろん言うまでもなくきわめて重要な問題でありますが、ただいま御指摘になりましたように形式的な任命権あるいは実質的な任命権というようなことばで言いますと、非常に一義的に形式的任命権ならもう手も足も出ないのじゃないか、実質的任命権なら何んでもできるではないかというふうになりがちでございますが、そういう意味では私どもはいずれも誤りであると思っております。要するに、大学の自治はそれ自身を憲法が直接に保障しているわけではございませんが、これも判例―有名なポポロ判決にありましたように、学問の自由にゆかりのあるものとしてこれを尊重しなければならぬことは言うまでもございませんが、他方、私どもがどうしても忘れてはならない規定、これがやはり憲法にございまして、憲法十五条一項というのもわれわれはこれを無視することができない。十五条第一項はあらためてここで申し上げませんが、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」これが、この規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理、これをまた同時に、全然無視して考えるわけにいかないと思うわけであります。国立大学の学長も公務員である以上は、終局的には国民の任命権に基づいて任命されている。文部大臣自身も、また国民の任命権に基づいて任命されているわけでありますが、その文部大臣が、学長の任命にあたりまして、たとえいかなる場合であっても、何らの発言権も持ち得ないと解することは、その結果として国会に対しても責任を負い得ない。ということは、国民主権の原理に一顧も与えないことになって、正当ではないのではないか。その意味で、この問題はやはり大学の自治と、それから国民主権とのいずれか一方に偏した見地において考究すべきではなくて、その調整的見地、つまり片方だけに偏してもむろんいけないわけでありますが、その調整的見地において考究すべきではないか。そのような大学の自治と、国民主権の原理との調整的見地において考えてみますと、単に、申し出がありました者が、何らかの理由で主観的に政府当局の気に食わないというようなことではなくて、そういうことで任命しないというのはむろん違法であると思いますが、そうではなくて、申し出があった者を任命することが、明らかに法の定める大学の目的に照らして不適当と認められる、任命権の終局的帰属者である国民、ひいては国会に対して責任を果たすゆえんではないと認められる場合には、文部大臣が、申し出のあった者を学長に任命しないことも―理論上の問題として私はお答えするわけでありますが、理論上の問題としてできないわけではないと解されるというのが当時の考え方でございます。この考え方は、われわれの考えとして、今日変える必要があろうとは少しも思っておりません。」と述べている。
 これについて、以下質問する。

一 政府(大塚幸寛内閣府官房長)は、本年十一月五日の参議院予算委員会において「その当時の五十八年改正の答弁の、その発言の記録を基にしながらおっしゃっておられますので、先ほど、私、その四十年前のあれなので、当時のやり取りであり、必ずしも現時点では把握が難しいと申し上げました。例えば、そこでその形式的任命権という言葉が使われておりますが、これは同じく、その当時、昭和四十四年の高辻当時の法制局長官が、一義的に形式任命権ならもう手も足も出ないのじゃないか、実質的任命権なら何でもできるではないかというふうになりがちでございますが、そういう意味では私どもはいずれも誤りであると思っておりますといったような御発言もございます。要すれば、形式的、形式的任命という言葉、言葉を一つ取っても、必ずしもその定義が明確ではないというふうにも思いますし、ましてや四十年たってございますので、先ほど把握が難しいと申し上げました。」、「先ほども高辻政府委員の答弁を引用いたしましたが、その形式的任命権あるいは実質的任命権というところの定義自体が必ずしも定まっていないというふうに、それは当時の法制局長官の答弁としてそういう実際答弁の記録もございます。」と答弁しているが、高辻長官の昭和四十四年の答弁は、「形式的な任命権あるいは実質的な任命権というようなことばで言いますと、非常に一義的に形式的任命権ならもう手も足も出ないのじゃないか、実質的任命権なら何んでもできるではないかというふうになりがちでございますが、そういう意味では私どもはいずれも誤りであると思っております。」とあるように、文部大臣の国立大学学長の任命制は文部大臣が形式的任命権のみしか有しないものではなく、「申し出があった者を任命することが、明らかに法の定める大学の目的に照らして不適当と認められる、任命権の終局的帰属者である国民、ひいては国会に対して責任を果たすゆえんではないと認められる場合」には実質的任命権を行使することができる制度であることを述べているものであり、この高辻長官の答弁を「要すれば、形式的、形式的任命という言葉、言葉を一つ取っても、必ずしもその定義が明確ではない」、「形式的任命権あるいは実質的任命権というところの定義自体が必ずしも定まっていない」という趣旨に理解するのは曲解も甚だしい行為ではないか。

二 前記一について、高辻長官の答弁の趣旨を「要すれば、形式的、形式的任命という言葉、言葉を一つ取っても、必ずしもその定義が明確ではない」、「形式的任命権あるいは実質的任命権というところの定義自体が必ずしも定まっていない」との趣旨に理解できる根拠を高辻長官の答弁の文言を引用しながら分かりやすく説明されたい。

三 文部大臣による国立大学学長の任命制度が創設された当時の文部大臣の当該任命権の内容(制度の趣旨)について説明した会議録や内閣法制局における審査資料等は政府の中に存在するのか。

四 昭和四十四年の高辻長官の答弁は、文部大臣の国立大学学長の任命制度の運用解釈を政府として定めたものであり、日本学術会議の会員は昭和五十八年の日本学術会議法の制定時に「今回の改正法案のこの制度の改正は、内閣総理大臣の任命制をとるということが目的では毛頭ございません。選挙制を推薦制に変えるというのが今回の改正法案の骨子でございます。先ほども御説明申し上げましたように、推薦制をとるがために国家公務員としての位置づけをされております日本学術会員が、その法的地位を獲得するためには何らかの入口をあげ、中に引き入れるという行為が法律的には必要になってくるわけでございまして、そういう随伴する行為として内閣総理大臣の任命というものを考えたわけでございます。したがって、申し上げるまでもなくそれは形式的任命ということでございまして、これは先ほども総理からお答えになりましたとおりでございます。」などと総理大臣に裁量権のない形式的任命制度とされているのであるから、高辻長官を根拠に日本学術会議の推薦を総理が任命拒否できるとする政府の解釈は日本学術会議法に反するものではないか。

五 高辻長官答弁の「申し出があった者を任命することが、明らかに法の定める大学の目的に照らして不適当と認められる、任命権の終局的帰属者である国民、ひいては国会に対して責任を果たすゆえんではないと認められる場合」について、政府はどのような基準(場合)を定めているか、説明されたい。

六 前記五について、日本学術会議から推薦された者を任命拒否できるとする場合をどのように考えているのかについて、政府の見解を示されたい。

七 前記六について、日本学術会議から推薦された者を任命しないことが違法ではないとされる場合はどのような場合であるかについて、平成三十年に任命拒否ができるという解釈を作成した当時に内閣法制局は審査を行っているか、また、内閣府はそうした場合を検討し作成しているか、また、政府として菅総理が任命拒否を行った時点及び現時点においてそうした場合を作成しているかについて答弁されたい。

  右質問する。