質問主意書

第192回国会(臨時会)

質問主意書


質問第一〇六号

吉國内閣法制局長官の「憲法九条でかろうじて認められる自衛のための行動」答弁の論理構成等に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成二十八年十二月十四日

小西 洋之   


       参議院議長 伊達 忠一 殿



   吉國内閣法制局長官の「憲法九条でかろうじて認められる自衛のための行動」答弁の論理構成等に関する質問主意書

一 政府は、いわゆる昭和四十七年政府見解の作成要求がなされた昭和四十七年九月十四日の参議院決算委員会での吉國内閣法制局長官の答弁「国際法上の観念としての集団的自衛権、集団的自衛のための行動というようなものの説明として、A国とB国との関係が一定の緊密な関係にあって、そのA国とB国が共同防衛のための取りきめをして、そうしてA国なりB国なりが攻められた場合に、今度は逆にB国なりA国なりが自国が攻撃されたと同様として武力を行使する、その侵略に対して。そういう説明は、国際法上の問題としてはいま水口委員の仰せられましたとおりだろうと思います。ただ日本は、わが国は憲法第九条の戦争放棄の規定によって、他国の防衛までをやるということは、どうしても憲法九条をいかに読んでも読み切れないということ、平たく申せばそういうことだろうと思います。憲法九条は戦争放棄の規定ではございますけれども、その規定から言って、先ほど来何回も同じような答弁を繰り返して恐縮でございますけれども、わが国が侵略をされてわが国民の生命、自由及び幸福追求の権利が侵されるというときに、この自国を防衛するために必要な措置をとるというのは、憲法九条でかろうじて認められる自衛のための行動だということでございまして、他国の侵略を自国に対する侵略と同じように考えて、それに対して、その他国が侵略されたのに対して、その侵略を排除するための措置をとるというところは、憲法第九条では容認してはおらないという考え方でございます。」のうち、「わが国が侵略をされてわが国民の生命、自由及び幸福追求の権利が侵されるというときに、この自国を防衛するために必要な措置をとるというのは、憲法九条でかろうじて認められる自衛のための行動だ」の箇所について、平成二十七年八月十日付内閣法制局作成による政府見解において、昭和四十七年政府見解における「この(1)及び(2)の基本的な論理と(3)の結論を区分することなく一体として述べているもの」としているが、この答弁の全体の論旨からなぜそのような理解ができるのか、論理的に説明されたい。

二 前記「一」の吉國内閣法制局長官の答弁は、我が国に対する外国の武力攻撃が発生しない限り我が国は武力の行使が許されず、それ故に、限定的な集団的自衛権行使を含むあらゆる集団的自衛権行使が違憲であることを法理として示すものであると理解してよいか。そのような理解が正しくないのであれば、具体的な理由を論理的に示されたい。

三 前記「一」の吉國内閣法制局長官の答弁中「ただ日本は、わが国は憲法第九条の戦争放棄の規定によって、他国の防衛までをやるということは、どうしても憲法九条をいかに読んでも読み切れないということ、平たく申せばそういうことだろうと思います。」、「憲法九条は戦争放棄の規定ではございますけれども、その規定から言って、先ほど来何回も同じような答弁を繰り返して恐縮でございますけれども、わが国が侵略をされてわが国民の生命、自由及び幸福追求の権利が侵されるというときに、この自国を防衛するために必要な措置をとるというのは、憲法九条でかろうじて認められる自衛のための行動だ」、「他国の侵略を自国に対する侵略と同じように考えて、それに対して、その他国が侵略されたのに対して、その侵略を排除するための措置をとるというところは、憲法第九条では容認してはおらないという考え方でございます。」との箇所は、限定的な集団的自衛権行使を含むあらゆる集団的自衛権行使が違憲であることを法理として示すものであると理解してよいか。そのような理解が正しくないのであれば、具体的な理由を論理的に示されたい。

  右質問する。