質問主意書

第189回国会(常会)

質問主意書


質問第一八五号

いわゆる新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性及び法的安定性に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成二十七年六月二十五日

中西 健治   


       参議院議長 山崎 正昭 殿



   いわゆる新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性及び法的安定性に関する質問主意書

 政府は、平成二十七年六月九日の「新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性等について」において、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(平成二十六年七月一日閣議決定)で示された「武力の行使」の三要件(いわゆる新三要件)は、昭和四十七年十月十四日に参議院決算委員会へ政府が提出した「集団的自衛権と憲法との関係」で示されたこれまでの政府の憲法解釈(以下「昭和四十七年の政府見解」という。)との論理的整合性及び法的安定性を保つものであると主張する。
 政府が、「新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性等について」において引用する昭和四十七年の政府見解は、以下のとおりである。
 ①憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第一三条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない(以下「①の論理」という。)。
 ②しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである(以下「②の論理」という。)。
 ③そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない(以下「③の論理」という。)。
 その上で、政府は、新三要件は、①及び②の基本的な論理を維持し、この考え方を前提として、これに当てはまる例外的な場合として、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしてきたこれまでの認識を改め、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合もこれに当てはまるとしたものである、と主張する。
 そして、③の論理を変更した根拠について、政府は、「(③を変えた根拠は安全保障環境の変化ということですか、という問いに対して)端的に申し上げれば、そのとおりでございます。」、「安全保障環境の変化によってどのような事態が起こり得るのか、あるいは我が国としてどのような対処をしなければならないのか、どのような備えを用意しておかなければいけないのかというのは、まさに政策問題でございまして、この憲法上の議論の前提となってございます。」と答弁している(平成二十七年六月十日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会における横畠裕介内閣法制局長官答弁)。
 しかし、憲法上導かれる武力行使の要件を政策判断によって変更することは、憲法解釈の論理的整合性及び法的安定性において疑義がある。
 以下、質問する。

一 昭和四十七年の政府見解を提出するきっかけとなった昭和四十七年九月十四日の参議院決算委員会において、以下のやりとりがなされている。
〇説明員(吉國一郎君) (前略)その場合に、自衛のため必要な措置をとることを憲法が禁じているものではない、というのが憲法第九条に対する私どものいままでの解釈の論理の根底でございます。その論理から申しまして、集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、他国が――日本とは別なほかの国が侵略されているということは、まだわが国民が、わが国民のその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではないということで、まだ日本が自衛の措置をとる段階ではない。日本が侵略をされて、侵略行為が発生して、そこで初めてその自衛の措置が発動するのだ、という説明からそうなったわけでございます。
〇水口宏三君 それは後半は政策論ではないですか。憲法上ですね、そういうことを明確に規定している条文はどこかということを私は伺っているのです。(以下省略)
〇説明員(吉國一郎君) 政策論として申し上げているわけではなくて、第九条の解釈として自衛のため必要な措置をとり得るという説明のしかた(中略)かりにわが国と緊密な関係にある国があったとして、その国が侵略をされたとしても、まだわが国に対する侵略は生じていない、わが国に対する侵略が発生して初めて自衛のための措置をとり得るのだということからいたしまして、集団的自衛のための行動はとれないと、これは私ども政治論として申し上げているわけでなくて、憲法第九条の法律的な憲法的な解釈として考えておるわけでございます。
 このように政策論、政治論を捨象して導かれた昭和四十七年の政府見解を、安全保障環境の変化という政策問題を理由に変更することは、憲法解釈の論理的整合性を損なうのではないか。仮に、論理的整合性を損なわないというのであれば、その理由を明らかにされたい。

二 政府は、③の論理の変更について、「(「安全保障環境がとてもよくなりましたので、では元に戻しましょうといったら戻せばいいわけですね。」という問いに対して)まさに我が国の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を根底から覆すような事態というのが、およそ我が国に対する武力攻撃しかないのだということであるならば、それはもとに戻るということであろうかと思います(以下省略)」、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合以外には、およそ我が国の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を根底から覆すような明白な危険がある、そんな場合はないのだという環境になったとするならば、仮定でございますけれども、それは、①、②に当てはまるものとしては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるということになろうかと思います。」と答弁している(平成二十七年六月十日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会における横畠裕介内閣法制局長官答弁)。
 しかし、安全保障環境の変化によって、個別的自衛権のみが許される、あるいは、限定された集団的自衛権まで許容されるというように、③の論理の基準が変わるのは法的安定性を損なうのではないか。仮に、法的安定性を損なわないというのであれば、その理由を明らかにされたい。

  右質問する。