質問主意書

第185回国会(臨時会)

質問主意書


質問第九八号

集団的自衛権の行使に係る憲法解釈に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成二十五年十二月六日

小西 洋之   


       参議院議長 山崎 正昭 殿



   集団的自衛権の行使に係る憲法解釈に関する質問主意書

一 現時点における政府の憲法解釈とその変更について

(一) 平成二十五年十一月二十五日参議院決算委員会において、憲法第九条と集団的自衛権の行使に関する政府の憲法解釈について、小松内閣法制局長官は「現時点で、集団的自衛権に関する政府の憲法解釈は従来どおりである」と答弁している。
 現時点における政府の憲法第九条と集団的自衛権の行使に関する憲法解釈については、次の(1)から(5)までに示したものが該当するということで間違いないか。万が一に、該当しないものがあるとする場合は、その具体的理由とともに個別に示されたい。
(1) 憲法第九条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第十三条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解している。
(2) この必要最小限度の実力の行使については、①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、③実力行使の程度が必要限度にとどまること、の三要件を満たす必要がある。
(3) これに対し、集団的自衛権は、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使する権利であるから、①の第一要件を満たさないためその行使は憲法上許されない。
(4) したがって、仮に、集団的自衛権の行使を憲法上認めたいのであれば、「我が国に対する武力攻撃が発生しない限り認められないとされている実力行使を、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらずこれが認められる」とする必要があり、これは、憲法の解釈変更では不可能であり、憲法の条文改正という手段をとらない限りできない。
(5) なお、(1)でいう「必要最小限度の範囲」について、「集団的自衛権については、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものである」との過去の政府答弁等は、上記(2)の三要件のうちの第一要件たる「①我が国に対する武力攻撃が発生したこと」を満たしていないという趣旨であり、(1)の「必要最小限度の範囲」とは数量的な概念のものではない。故に、「必要最小限度の範囲を超えない集団的自衛権の行使」なるものが、憲法の解釈変更により合憲となる余地はない。
(二) 政府の憲法解釈についての考え方は、以下の①から③のとおりと理解してよいか。
① 憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。
② 仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。
③ このようなことを前提に検討を行った結果、従前の解釈を変更することが至当であるとの結論が得られた場合には、これを変更することがおよそ許されないというものではないと考えられるが、いずれにせよ、その当否については、個別的、具体的に検討されるべきものである。
(三) (一)(4)で確認した「集団的自衛権の行使は、憲法の解釈変更では不可能であり、憲法の条文改正という手段をとらない限りできない」という政府の憲法解釈(平成二十五年十一月二十五日参議院決算委員会における小松内閣法制局長官の答弁も含む)は、(二)①、②、③の考え方のもと、特に、(二)③の「憲法解釈の当否について、個別的、具体的に検討された」結果、定められた憲法解釈であると考えてよいか。
(四) 平成二十五年十一月二十五日参議院決算委員会における小松内閣法制局長官の答弁「現時点で、集団的自衛権に関する政府の憲法解釈は従来どおりである。他方、現在、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会において、我が国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増す中、それにふさわしい対応を可能とするよう安全保障の法的基盤を再構築する必要があるとの認識の下、集団的自衛権の問題を含めた、憲法との関係の整理について検討が行われているところであり、政府としては、懇談会における議論を踏まえて対応を改めて検討していく、これがこの問題に関する内閣の立場でございます。」について、本答弁中の「我が国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増す中」との事項は、(二)①にある「諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請」に該当する事項であると考えてよいか。(二)①、②、③までの政府の憲法解釈の考え方において、他に該当すべき事項があれば具体的かつ網羅的に示されたい。
(五) 個別具体の場合における、(一)(2)の「①我が国に対する武力攻撃が発生したこと」の有無は、「我が国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増す中」という事項、すなわち、我が国周辺の安全保障環境の如何によって、その事実としての有無が変わり得るものか、明確に示されたい。
 これが、変わり得るものでないのであれば、「最近のその(我が国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増す)状況も踏まえまして、安保法制懇で行われている議論を踏まえてその対応を検討していくというのが内閣の立場でございまして、その検討の結果をあらかじめ予断することはできない」(平成二十五年十一月二十五日参議院決算委員会における小松内閣法制局長官の答弁)としているが、安保法制懇で行われている議論の結果の如何によって、個別具体の場合における、(一)(2)の「①我が国に対する武力攻撃が発生したこと」の有無の事実関係が変わることもなく、従って、安保法制懇の結論の如何に関わらず、それを踏まえた内閣の検討によって、憲法解釈により集団的自衛権の行使を可能とする余地はないのではないか。
 余地があると考えているのであれば、それはすなわち、現時点で、政府により憲法の解釈変更が行われていることになるのではないか。
(六) (二)②として、「仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる」とあるが、仮に、当該「国民の信頼が損なわれ(た)」場合に、どのような問題が生じ得ると考えているのか、具体的かつ網羅的に示されたい。
(七) 政府の憲法解釈の考え方として、「特に、国会等における論議の積み重ねを経て確立され定着しているような解釈については、政府がこれを基本的に変更することは困難である」としているものがあるが、集団的自衛権の行使に関する論議はこれに該当すると考えるか。また、何故に「困難である」と考えているのか、必要に応じ、上記(二)②の趣旨並びに(六)の答弁内容も含め、具体的に説明されたい。
(八) 仮に、憲法の条文改正に依らず、集団的自衛権の行使を可能とする憲法の解釈の変更を行うのであれば、集団的自衛権とは自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力行使する権利であるから、(二)②にある憲法解釈における論理的追及の結果として、少なくとも、上記(一)(2)①の要件を「我が国または我が国と密接な関係にある国に対する武力攻撃が発生したこと」と見直す(つまり、(一)(2)①の要件に「我が国と密接な関係にある国に対する武力攻撃が発生したこと」という要素を付け加える)必要があることになると理解してよいか。
 (本問含め、問(十四)まで全て、実際に政府等においてそのような検討がなされているのかどうかに関わることのない、単なる純粋な憲法解釈に関する質問である。答弁拒否なく明確に答弁されたい。)
(九) (八)において、そもそも、(一)(2)①の要件は上記(一)(1)を前提とするものであるから、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈の変更を行うためには、(二)②にある憲法解釈における論理的追及の結果として、(一)(1)の解釈自体を変更する必要があることになると理解してよいか。
(十) (九)において、(一)(1)の解釈自体を見直す場合には、(二)②にある憲法解釈における論理的追及の結果として、以下の二つの(a)または(b)の解釈の変更による方法しかあり得ないと考えてよいか。他の方法がある場合は、具体的に示されたい。
 (a) 第九条の文言が一切の実力行使を禁じているように見えるという憲法解釈の前提の上で、(外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合に限定されていると解釈されてきた実力行使について、)我が国が武力攻撃を受けていなくても、我が国と密接な関係にある国が武力攻撃を受けた段階で、我が国の国民の生命や身体に危険が及ぶおそれがあるとみなして実力行使を認めることとする
 (b) 第九条の文言が一切の実力行使を禁じているように見えるという憲法解釈自体を変更する
(十一) (十)(a)については、どのような状態であれば「危険が及ぶおそれがある」といえるかは不明確であり、運用次第ではどこまでも広がり得ることから、(一)(2)の三要件に基づき具体的な危険が生じたときに限りごく例外的に実力行使を認めるという従来の解釈を大きく変更することになると考えるが、そのように考えてよいか。第九条の文言が一切の実力行使を禁じているように見えるという前提がある中で、そのような変更を合理的に説明することはできるのか。
 更に、(十)(a)のような解釈変更の方法を試みる場合は、憲法第九条の解釈のあり方として、(二)①の中の「憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきもの」に含まれる「規定の文言、趣旨等、立案者の意図、立案の背景となる社会情勢等、議論の積み重ねによる全体の整合性、論理性(的)」のいずれの事項にどのように抵触することになるか具体的かつ網羅的に示されたい。なお、いずれの事項にも抵触しない場合には(その場合は、(十)(a)の解釈変更の可能性があることになる)、その旨も明確に示されたい。
(十二) (十)(b)については、第九条の文言が一切の実力行使を禁じているように見えるという解釈は、従来の政府解釈のみならず、憲法学説においても定着した解釈であり、こうした、実務や学界において定着してきた第九条の解釈の根幹部分を変更することになると考えるが、そのように考えてよいか。
 更に、(十)(b)のような解釈変更の方法を試みる場合は、憲法第九条の解釈のあり方として、(二)①の中の「憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきもの」に含まれる「規定の文言、趣旨等、立案者の意図、立案の背景となる社会情勢等、議論の積み重ねによる全体の整合性、論理性(的)」のいずれの事項にどのように抵触することになるか具体的かつ網羅的に示されたい。なお、いずれの事項にも抵触しない場合には(その場合は、(十)(b)の解釈変更の可能性があることになる)、その旨も明確に示されたい。
(十三) 政府として、(十)(a)、(十)(b)のような憲法解釈の変更が、(二)①、②、③に示された政府の憲法解釈に係る考え方を変えずに、法令解釈として可能な憲法解釈の変更であると認識しているか、明確に示されたい。
(十四) (十)(a)、(十)(b)のような憲法解釈の変更が仮に行われようとする場合、これは、従来の憲法解釈を根本から覆す変更であり、「従来の憲法解釈を真っ向から否定するのでなく、最小限の解釈変更で対処できる案」などという理解ではあり得ないものと考えてよいか。
(十五) 現在、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の変更について議論している「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」は、そのメンバーの殆どを政治学者と元公務員が占めており、このような構成の会議に従来の憲法解釈を根本から覆すことの当否を検討させるのは、適当といえないのではないか。
 また、我が国にある主要な憲法学会の名称を網羅的に示した上で、本懇談会の構成員(特に、西修氏)が現時点で所属している憲法に関する学会の名称を各構成員ごとに網羅的に示されたい。

二 憲法の文民条項の解釈を憲法解釈の変更の例として取り上げることについて

(一) 平成二十五年十一月二十五日参議院決算委員会において安倍総理は、「過去には法制局の解釈を変えたこともあるわけでございますし、そのことについては、そういうことも絶対にこれは変えることはあり得ないということではないと、こういうことで御理解をいただきたいと、このように思うわけでございます。」と答弁をした。
 平成二十五年十一月二十五日参議院決算委員会において小松内閣法制局長官が「これ〔従前の解釈〕を変更することがおよそ許されないというものではない」という政府解釈を示したものとして引用している平成十六年六月十八日衆議院議員島聡君提出政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書は、「御指摘の「憲法の解釈・運用の変更」に当たり得るものを挙げれば、憲法第六十六条第二項に規定する「文民」と自衛官との関係に関する見解がある。」としている。
 しかし、同長官は、平成二十五年十一月六日衆議院外務委員会において、「ただいまの文民の解釈につきましても、憲法の解釈を変更したものか、または、法規範、つまり、シビリアンコントロールの観点から、武力組織の方は閣僚になることができない、こういう論理に自衛隊の性格の変遷というものを当てはめて、その当てはめの結果であるというような考え方もございまして、そこのところは議論があるところでございます。」と答弁している。
 憲法第六十六条第二項に規定する「文民」と自衛官との関係に関する見解が憲法の解釈を変更したものかについては、「議論のあるところ」とするならば、政府の憲法解釈の変更を正当化する事例として同見解を引いてくるのは適当ではないのではないか。
 また、安倍総理において、自らの内閣の内閣法制局長官の答弁が一貫していない中で、「過去には法制局の解釈を変えたこともあるわけでございますし」との答弁を行ったことをどのように説明するのか。
(二) 仮に、「文民」と自衛官との関係に関する見解の変更が憲法の解釈を変更した例であるとして、同解釈変更は権力を制限する方向での解釈変更であったのに対し、集団的自衛権の行使に関する解釈の変更を行う場合、これは従来できないとされてきたものを可能であると解釈変更するものであり、権力制限とは逆の方向での解釈変更であると考えるが、政府としてこれらの二つの事項の本質的な差異をどのように考えるか、具体的に示されたい。
 また、従って、「文民」と自衛官との関係に関する解釈変更を、過去の解釈変更の例として、集団的自衛権の行使に関する解釈変更と同等に解することは妥当ではないと考えるが、政府としてどのように考えるか。

三 個別的自衛権行使の三要件に関する安倍総理の認識について

 平成二十五年十一月二十五日参議院決算委員会において安倍内閣総理大臣は「これは大体どの国においても、この三要件というのは言わばグローバルスタンダードに近い形でその三要件が基本的には掛かっているわけでございます。」と答弁している。
 昭和四十四年三月五日参議院予算委員会における高辻内閣法制局長官答弁によれば「わが憲法のもとでは、九条あるいは平和憲法の精神からいいまして、自衛の要件といいますか、自衛行動の要件といいますか、自衛権発動の要件といいますか、そういうものをえらく厳格に、えらく神経質に考えておりますから、現象面としてそういう点が国際社会の場合とあるいは違うことがあるかもしれません。あるかもしれませんが、要は、日本の憲法の中では自衛というものを最も厳密に解していくべきであるという態度を堅持してまいることが絶対に必要であると私は思っております。」とし、昭和五十七年七月八日衆議院内閣委員会における角田内閣法制局長官答弁によれば「ところが、わが国の憲法におきましては、再々申し上げているとおり自衛のためといえども必要最小限度の武力行使しかできませんし、またそれに見合う装備についても必要最小限度のものを超えることはできないという九条二項の規定があるわけでございますから、これは明らかに外国の憲法とは非常に違うと思います。」と示されているところであり、安倍総理の「グローバルスタンダード」であるとの見解は誤りであるのではないか。政府として、個別的自衛権行使の三要件がグローバルスタンダードと考えているのか否かを含め、明確に示されたい。

  右質問する。