質問主意書

第180回国会(常会)

質問主意書


質問第四三号

台湾返還に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成二十四年二月二十八日

山谷 えり子   


       参議院議長 平田 健二 殿



   台湾返還に関する質問主意書

 本年四月より中学校で使用される東京書籍発行の地図帳「新しい社会科地図」は文部科学省の検定に合格しているが、十八頁の図版「アジア各国の独立」において、日本の領土だった台湾について「台湾(一九四五 中国へ返還)」と記述している。
 また、高校の日本史教科書のうち、山川出版社の「詳説 日本史B」も、三百四十七頁の脚注②において「台湾は中国に返還され」と記述し、文部科学省の検定に合格している。
 一方、東京都教育委員会は平成二十四年度から都立高校における日本史を必修科目とし、「江戸から東京へ」という教材を作成し、平成二十三年四月から配布し使用している。この「江戸から東京へ」の平成二十三年度版は、GHQの施策などに触れた「日本の非軍事化と民主化」の箇所(百二十五頁)において「日本の敗戦によって、台湾は中国に返還され」と記述していたが、東京都教育委員会は平成二十四年度版から「日本は敗戦によって台湾・朝鮮半島などの支配を放棄」(百二十七頁)と訂正し、「台湾は中国に返還」という記述を削除した。
 さらに、前述した山川出版社の「詳説 日本史B」も三百六十頁においては、サンフランシスコ平和条約に関して「領土についてはきびしい制限を加え、朝鮮の独立、台湾・南樺太・千島列島などの放棄が定められ」と記述し、サンフランシスコ平和条約で日本が台湾を放棄したと明記しているのである。これでは、日本は台湾を返還したのか放棄したのか分からなくなり、高校生は戸惑うばかりだろう。
 日本が日本の領土だった台湾を一九四五年に中国、すなわち当時の中華民国に返還していたとするなら、その後、日本は一九五一年に署名したサンフランシスコ平和条約においてなぜ台湾を放棄できたのか、説明がつかなくなる。
 そもそも、日本政府の台湾に関する発言をたどってみると、例えば昭和三十九年二月二十九日の衆議院予算委員会において、当時の池田勇人首相は「サンフランシスコ講和条約の文面から法律的に解釈すれば、台湾は中華民国のものではございません。しかし、カイロ宣言、またそれを受けたポツダム宣言等から考えますと、日本は放棄いたしまして、帰属は連合国できまるべき問題ではございますが、中華民国政府が現に台湾を支配しております。しこうして、これは各国もその支配を一応経過的のものと申しますか、いまの世界の現状からいって一応認めて施政権がありと解釈しております。」と答弁している。
 つまり、台湾を領有し統治していた日本は、中華民国に施政権を移譲しただけで、返還はしていないため、サンフランシスコ平和条約で台湾を放棄できたのであり、台湾の帰属は「連合国できまるべき問題」とする立場だったと理解し得る。
 そこで、以下のとおり質問する。
 なお、台湾の領土的な位置付けに関する日本政府の見解は「我が国は、日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号)第二条に従い、台湾に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しており、台湾の領土的な位置付けに関して独自の認定を行う立場にない。」というものであると承知している。この質問はサンフランシスコ平和条約以前の歴史事実についての確認を旨とするもので、台湾の領土的な位置付けについての質問ではないことをあらかじめ申し添える。

一 政府は、前述の池田首相(当時)の答弁について、現在どのように受けとめているのか、政府の見解を示されたい。

二 馮寄台・台北駐日経済文化代表処代表は、平成二十二年十二月二十三日付けの毎日新聞に「台湾は第二次世界大戦後、中華民国政府に返還された」という旨の表現を含む寄稿をしたが、政府はこれをどう受けとめるのか、見解を示されたい。

三 政府は、東京都教育委員会が台湾返還の記述を削除した事実をどう受けとめるのか、見解を示されたい。

四 日本が台湾を中国(中華民国)に返還した事実があるとすれば、その根拠となる条約等がなければならない。事実の有無を明らかにするとともに、事実がある場合は当該条約等を具体的に示されたい。

  右質問する。