質問主意書

第171回国会(常会)

質問主意書


質問第一〇号

食中毒事件としての水俣病における政府の対応に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成二十一年一月十九日

松野 信夫   


       参議院議長 江田 五月 殿



   食中毒事件としての水俣病における政府の対応に関する質問主意書

 水俣病が食中毒事件としてどのように対処されたのか、事実関係及び法解釈を明確にするために、平成二十年十一月十九日に質問主意書(第一七〇回国会質問第九三号。以下、「質問主意書」という。)を提出したところ、同年十二月二日に質問主意書に対する答弁書(内閣参質一七〇第九三号。以下、「答弁書」という。)を受領したが、十分な答弁が得られず、同月九日に再質問主意書(第一七〇回国会質問第一二五号。以下、「再質問主意書」という。)を提出し、同月十九日に再質問主意書に対する答弁書(内閣参質一七〇第一二五号。以下、「再質問に対する答弁書」という。)を受領した。しかし、いまだ事実関係及び法解釈が明確ではないので、以下のとおり質問する。

一 質問主意書及び再質問主意書において、「政府は水俣病事件を食中毒事件と認識しているか。食中毒事件と認識しているのであれば、いつの時点で認識したのか。」と問うたところ、再質問に対する答弁書で、食中毒事件と認識した時期は昭和三十四年十一月十二日である旨答えている。
 しかし、厚生省公衆衛生局環境衛生部食品衛生課編「昭和三十一年全国食中毒事件録」によれば、「所謂『水俣病』について」、「発生年月日 昭和二十八年十二月~昭和三十一年十二月」、「患者数六十四名 うち死者数二十一名」、「原因食品 水俣湾内産魚介類」と記述している。
 「全国食中毒事件録」に記載されている事件は、すべて食中毒事件であるという認識があるが故に記載され、公表されているのではないか。

二 かかる記述からすれば、政府は遅くとも昭和三十一年十二月の時点で、水俣病は食中毒事件という認識があったのではないか。

三 水俣病が食中毒事件であるとすると、当然に食品衛生法の適用を受けることになるが、政府は再質問に対する答弁書において、「特定の飲食店が一定の期間に販売の用に供した食品が食品衛生法(昭和二十二年法律第二百三十三号)第四条(現第六条)第二号に該当するかどうかは、十分な科学的・経験上の知見に基づき、当該食品のすべてについて、有毒な物質を含む食品であると確実に判断し得るかによって決していた」と答えている。
 そうなると、水俣病は、「昭和三十一年全国食中毒事件録」では「原因食品 水俣湾内産魚介類」と明記される一方で、原因食品は判明していても「水俣湾内産魚介類」のすべてを調査して、それが有毒な物質を含む食品であると確実に判断し得なかった故、同法第四条第二号に該当するとは判断できなかったと主張するのか。それではおよそ不可能なことを強いることになるのではないか。

四 昭和三十年代当時でも、毎年の「全国食中毒事件録」によれば、原因食品として「折詰(複合調理食品)」、「折詰弁当」、「学校給食」などが記述されているが、これらも「すべて」の食材に有毒な物質を含む食品であると確実に判断したということか。
 そうではなく、例えば「折詰弁当」であれば、弁当に使われている食材すべてではなくてもどれかが有毒な物質を含むということで該当性を判断していたのではないか。

五 食品衛生法は昭和四十七年の法改正で、第六条(旧第四条)第二号に「又はこれらの疑いがあるもの」との文言が加えられて適用範囲が拡大されたが、この法改正以降も同様に、原因食品のすべての食材について有害又はその疑いがないと同条に該当しないと考えているのか。それともこの改正によって当該食品のすべての食材が有害でなくとも当該食品の食材のうち一部でもその「疑い」があれば同法の適用が可能になったと解しているのか。

  右質問する。