質問主意書

第159回国会(常会)

答弁書


答弁書第二一号

内閣参質一五九第二一号
  平成十六年六月十一日
内閣総理大臣臨時代理           
国務大臣 細田 博之   


       参議院議長 倉田 寛之 殿

参議院議員若林秀樹君提出在外公館の危機管理体制の改善等に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。



   参議院議員若林秀樹君提出在外公館の危機管理体制の改善等に関する質問に対する答弁書

一の1について

 ティクリートへの出張に関する最終的な打合せは、出張の前日夜に行われた。

一の2の(一)について

 ティクリートは、フセイン元大統領の出生地としてその政権の支持基盤があったところであり、そこでテロ攻撃が多発していたとの事情は、両外交官及び上村在イラク日本国臨時代理大使(以下「上村臨時代理大使」という。)も承知していたが、他方、事件の当日行ったように、目立たない形で、一台の車両で高速で走り抜ける方が安全な場合があるとの認識を有していた。

一の2の(二)の(1)及び(2)について

 お尋ねの予告については、具体的な攻撃についての内容を含んだものではなく、ビン・ラーディンやアル・カーイダ関連組織による我が国を対象に含めた一般的な攻撃予告と受け止めていた。

一の2の(二)の(3)から(5)までについて

 在イラク日本国大使館(以下「大使館」という。)やその館員に対してテロの脅威があることについては一般的な認識があり、大使館警備等の安全対策を強化していたが、今般の事件を予想させる具体的なテロ情報があったわけではない。

一の3の(一)について

 事件の発生当時に大使館が管理・使用していた館用車は五台であったが、大使館の警備体制に影響を与え、その機能に支障を来すおそれがあることから、その詳細については、お答えを差し控えたい。

一の3の(二)について

 出張に使用した車両は、出張の前日夜の最終打合せの際に、出張者である両外交官が選択し、これを上村臨時代理大使が了承した。

一の4の(一)について

 「米軍車列を追い抜くような無理をしない運転」は、無用の危険を招くことを避けることとなると考えたものである。

一の4の(二)について

 本年五月十二日に外務省が公表した「イラクにおける外務省職員殺害事件(事件の状況・経緯等)」(以下「外務省報告」という。)において、「ジョルジース運転手は現地の交通事情に通じ、その豊富な運転経験(米軍車列を追い抜くような無理をしない運転)で信頼が厚かった。」と述べたのは、単にそのような事実を述べたものである。

一の4の(三)及び(四)について

 これまでの現地アメリカ合衆国軍隊(以下「現地合衆国軍隊」という。)による誤射の件数、被害者数及び実例について、公式に取りまとめられた情報があるとは承知しておらず、お答えすることは困難である。

一の4の(五)及び(六)について

 現地合衆国軍隊の車列の周囲を走行する際には、無用の危険を招くことを避ける運転を行うよう留意している。現地職員である運転手に対しても、無用の危険を招くことを避けるよう、指導・監督していた。

一の5について

 出張の前日夜に、出張者である両外交官及び上村臨時代理大使が最終打合せを行い、最終的に確認した。

一の6について

 今回の出張において、現地合衆国軍隊による送迎や護衛の提案があったとは承知していない。また、大使館からそのような要請を行った事実はない。

一の7の(一)の(1)について

 バグダッド方面から陸路で「国際機関/NGO復興会議」に向かった出席者数は、承知していない。

一の7の(一)の(2)について

 事件の発生当日、「国際機関/NGO復興会議」の出席者の通行を想定して、国道一号線の警戒が平常時より強化されていたとは、承知していない。

一の7の(一)の(3)について

 現地合衆国軍隊は、事件の発生した正確な時刻は特定できないとしつつも、事件の発生が二千三年十一月二十九日午後一時前後であった可能性を認めた上で御指摘の発言を行ったと考えられる。

一の7の(一)の(4)について

 現地合衆国軍隊がパトロールを行った具体的な時刻については、承知していない。

一の7の(二)について

 外務省本省及び在外公館の有する人的物的資源すべてを最大限活用して、イラクの治安情勢等に関する情報収集を行ってきているが、当時の国道一号線の警備状況が平常時より強化されていたとは承知しておらず、治安状況についても、今般の事件を想定させる具体的な情報は入手していなかった。

一の7の(三)について

 両外交官は、国道一号線を通行する時刻を事前に現地合衆国軍隊に連絡していない。

一の8について

 一の2の(一)についてで述べたとおり、ティクリートは、フセイン元大統領の出生地としてその政権の支持基盤があったところであり、そこでテロ攻撃が多発していたとの事情は、両外交官及び上村臨時代理大使も承知していたが、他方、事件の当日行ったように、目立たない形で、一台の車両で高速で走り抜ける方が安全な場合があるとの認識を有しており、防弾チョッキやヘルメットは被害車両には搭載されていなかった。
 御遺族に対しては、両外交官が亡くなった際の状況について少しでも情報を得たいとのその強いお気持ちを踏まえ、外務省からできる限りの説明を行った経緯はあるが、事件の詳細が不明だったため、御指摘のような詳細にわたる説明を外務省から御遺族に対し行ったことはない。

一の9について

 両外交官は携帯電話を有していたが、ジョルジース運転手は有していなかった。両外交官の携帯電話の通信会社、機種等について明らかにすることは、大使館の警備体制に影響を与え、その機能に支障を来すおそれがあることから、お答えを差し控えたい。事件発生当日、井ノ上書記官は携帯電話を携行しておらず、奥大使は、二千三年十一月二十九日午前十一時三十一分、午前十一時五十四分及び午後零時八分に上村臨時代理大使に、同日午前十一時三十五分に岡本内閣総理大臣補佐官(当時)にそれぞれ発信を行っている。

一の10について

 被害車両の車載無線等、館用車の装備品については、大使館の警備体制に影響を与え、その機能に支障を来すおそれがあることから、お答えを差し控えたい。

一の11について

 会議主催者、現地合衆国軍隊、連合暫定施政当局(以下「CPA」という。)等の連絡先については、両外交官及び大使館は把握していた。

二の1について

 大使館においては、職員がイラク国内を出張する際には、出張者から大使館に対して必ずしも定時に連絡を行うことにしていたわけではなく、出張先の業務の都合に応じて、打合せの必要があるごとに随時連絡を行うことにしていた。なお、多くの場合、イラクの劣悪な通信事情もあり、目的地に到着後に出張者が大使館に連絡を行うことにしていた。

二の2の(一)について

 発信記録は、二千三年十二月上旬に入手した。この発信記録によって、奥大使が同年十一月二十九日午後零時八分に、大使館に最後の発信を行ったことを確認した。

二の2の(二)について

 二千三年十一月二十九日午後零時八分に奥大使が電話をした相手は上村臨時代理大使であり、その通話時間は一分二十一秒である。通話内容は、館務にかかる事務的打合せである。

二の2の(三)について

 大使館出発以降、外務省職員の中で両外交官と連絡を取ったのは上村臨時代理大使であり、その時刻は二千三年十一月二十九日午前十一時三十一分、午前十一時五十四分及び午後零時八分である。個々の通話の内容等については、いずれも館務にかかる事務的打合せである。

二の2の(四)について

 これまで判明しているところでは、井ノ上書記官は、携帯電話を携行しておらず通話をしていない。奥大使は、岡本内閣総理大臣補佐官(当時)に対して二千三年十一月二十九日午前十一時三十五分に発信している。

二の3の(一)について

 会議の日程としては、二千三年十一月二十九日には、各種の視察等が予定されていたが、両外交官がどの時点で行事に参加することとしていたかは特定できていない。大使館において両外交官と出発前に、会場到着時に報告を行うよう打合せを行った事実はない。

二の3の(二)について

 イラクの通信事情は劣悪な状況にあり、事件発生当時、地上電話回線は機能しておらず、基本的には一般携帯電話はバグダッド市外では使用できなかった。現地駐在外交団や報道関係者が使用する衛星携帯電話についても、衛星にアンテナの向きを合わせておくなど、技術的に一定の条件を満たさないと通話が可能とならない。両外交官が大使館との連絡のために利用していた衛星携帯電話についても同様であり、使用していた館用車には携帯電話車載アンテナが搭載されていたが、受信状況が常時良いとは言えないことから、大使館では通常は外出した館員からの連絡を待ち受ける形となることが多かった。大使館は、事件の第一報が入るまで、両外交官がティクリートでの会議に出席していると考えていた。

二の3の(三)について

 お尋ねの報道は承知しているが、その報道内容の事実関係については、確認できていない。

二の4について

 両外交官及びジョルジース運転手が、事件現場から大使館等に対し通信を行ったとの事実はない。

三の1について

 外務省緊急対策本部の構成員は、川口外務大臣、逢沢外務副大臣、阿部外務副大臣、田中外務大臣政務官、松宮外務大臣政務官、荒井外務大臣政務官、竹内事務次官、田中外務審議官、藤崎外務審議官、北島官房長、髙島外務報道官、鹿取領事移住部長、西田総合外交政策局長、石川国際社会協力部長、海老原北米局長、堂道中東アフリカ局長、古田経済協力局長、林条約局長及び小島国際情報局長である。

三の2及び3について

 大使館や警察当局との連絡調整、遺留品等の管理・受渡し及び収集した情報の分析・整理は、中東アフリカ局長が所掌している。

三の4について

 大木大使は、イラク復興支援、政治日程等についての活動を行っているが、イラク国駐箚特命全権大使ではなく、大使館の館員の安全確保等についての監督責任はなかった。また、今般の事件に関する調査活動等には携わっていない。

四の1の(一)について

 二千三年十一月二十九日から三十日朝にかけて入手した情報は、現地警察からの情報も含め、現地合衆国軍隊からCPAを経由して大使館等を通じて入手しているが、入手経路の詳細については、相手方との信頼関係を損なうおそれがあり、お答えを差し控えたい。

四の1の(二)及び(三)について

 現地各機関、外務省緊急対策本部等との連絡及び収集した情報の分析・整理については、大使館においては、上村臨時代理大使が責任者であった。

四の2の(一)及び(二)について

 二千三年十一月二十九日午後六時三十五分から四十分ごろに受けた大使館への事件発生の第一報では、日本人らしい者二名及びレバノン人一名が殺害された旨の連絡があった。同日午後七時四十五分、上村臨時代理大使がCPAを往訪し午後十時三十分ごろまで更なる情報の入手に努め、「二名の日本人NGOが襲撃され殺害された、レバノン人通訳一名が怪我、これら三名はティクリート総合病院に搬送された」、「被害者を特定するものが現場から持ち去られており身元確認できていない」、「被害車両は九十九年製トヨタランドクルーザー、防弾車両、レバノン登録である」及び「現地米軍は地域の族長に現場より持ち去られたものを返却するよう説得している」との情報が得られた。さらに、「ムカイシファの四キロ南でトヨタのランドクルーザーで、飲食物を買うため道路脇に停車、その際、小火器による攻撃に遭い、車両に跳び戻った。車両には三十五発の弾痕。殺害された者、負傷した者の名前は不明」であるとの情報も得られた。ただし、この情報の一部については後日誤りであったことが確認された。
 現地合衆国軍隊によれば、同日午後十一時過ぎに、回収した旅券による最終的な身元確認を行ったとしている。その後、同月三十日午前一時三十分ごろ、CPAから大使館に対し、回収された旅券を基に、被害者が奥大使及び井ノ上書記官であることが確認された旨の連絡があった。

四の2の(三)について

 現地合衆国軍隊の判断の根拠については、承知していない。

四の2の(四)について

 事件の発生直後に、現地地区長が二名の日本人は外交官である旨を記載したメモを作成し、また、イラク市民防衛隊が地区長の下に日本の身分証明書等が残されている旨を現地合衆国軍隊に報告したこと、被害車両の中にはレバノンの車両登録書等があったこと等が明らかになっているが、現地警察が被害者それぞれの国籍をどのようにして推定していたのかについては、承知していない。

四の2の(五)について

 地区長のメモの存在が我が国に明らかになったのは、二千三年十二月上旬である。

四の2の(六)について

 二千三年十二月一日に成田空港において御遺族に対し、資料を手交して説明した内容は、御遺族のクウェートまでの渡航の日程、事件に関する報道内容、それまでに入手した情報及び政府の対応についてであった。

四の2の(七)の(1)について

 事件直後は、外務省本省の指示により、大使館は遺体を速やかにバグダッドに移送することに専念しており、関係者は死亡証明書をティクリート総合病院の医師に要請することはなかった。
 なお、両外交官の死亡証明書は、二千三年十一月三十日、バグダッド国際空港にて、現地合衆国軍隊の軍医立会いの下、上村臨時代理大使が遺体の身元確認を行った際、軍医により作成された。

四の2の(七)の(2)について

 ティクリート総合病院の医師に最初に照会を行ったのは、事件の数日後にイラク人専門家を現地に派遣したときである。お尋ねの外務省報告の発言は、本年二月二十九日の上村臨時代理大使の現地調査の際に聴取したものである。

五の1について

 大使館の館員の安全確保の観点から、館員の人数を含め、その体制について明らかにすることは差し控えており、事件の情報収集を行った職員の人数についても、お答えを差し控えたい。
 事件の直後の調査の方法については、上村臨時代理大使がCPAを往訪し情報の入手に努めるとともに、両外交官の顔写真をCPAを経由して現地合衆国軍隊に送付し、正確な身元確認を現地合衆国軍隊が迅速に行うよう要請した。具体的に得られた報告の内容は、四の2の(一)及び(二)についてで述べたとおりである。

五の2の(一)について

 上村臨時代理大使は、二千三年十一月二十九日には大使館に所在しており、その後、同日午後七時四十五分から午後十時三十分ごろまでCPAを往訪し、情報の入手に努めた後、大使館に戻った。同月三十日の午後九時四十分過ぎにバグダッド空港に赴き遺体安置所において両外交官の遺体を確認した。

五の2の(二)について

 二千三年十一月二十九日に上村臨時代理大使がCPAを往訪していた間、上村臨時代理大使がCPAの関係者から直接情報を入手し、外務省本省に連絡した。

六の1、2、4及び5の(一)について

 事件発生の状況を可能な限り詳細に把握するため、事件の直後にイラク人専門家を現地に派遣したほか、その数日後、イラク人専門家を再度現地に派遣し、すぐに調査を行った。イラク人専門家が行った調査については、その対象、方法、内容、結果等については、捜査中の事件にかかわることであり、また、目下のイラク情勢にかんがみ、関係者の身体の安全を最大限に確保するとの観点から、外務省報告以上に詳細を明らかにすることを差し控えたい。

六の3について

 両外交官の遺体のティクリートからバグダッド国際空港までの搬送の際、イラク人専門家は同行していない。

六の5の(二)について

 現在、今般の事件は依然捜査が継続中であり、関連する情報の開示には基本的に限界があるが、外務省報告は捜査等に支障のない形でできる限り対外的に説明を行うとの観点から、これまでに判明した事柄を整理したものである。お尋ねの事項は、具体的に話を聞いた者の特定にかかわることであるが、このようなことについては、捜査中の事件にかかわることであり、また、目下のイラク情勢にかんがみ、関係者の身体の安全を最大限に確保するとの観点から、お答えを差し控えたい。

六の6について

 外務省報告は、イラク人専門家による調査の結果を含め、捜査等に支障のない形でできる限り対外的に説明を行うとの観点から、これまでに判明した事柄を整理したものである。

七の1について

 館員を現地に派遣して調査を行わせることは、今般の事件の真相究明を進める観点から適当であると考えたからである。

七の2について

 本年二月二十九日に、上村臨時代理大使が現地に赴き、現地警察、ティクリート総合病院、現地合衆国軍隊等から聞き取り調査等を実施したが、その内容については、捜査中の事件にかかわることであるため、外務省報告以上に詳細を明らかにすることを差し控えたい。

七の3について

 上村臨時代理大使は、所要の安全確保のための措置を講じてティクリートを訪問し調査を行ったが、安全確保のための措置の態様を含む調査の方法及び調査結果の内容については、捜査中の事件にかかわることであり、また、目下のイラク情勢にかんがみ、関係者の身体の安全を最大限に確保するとの観点から、お答えを差し控えたい。

七の4について 

 現在、今般の事件は依然捜査が継続中であり、関連する情報の開示には基本的に限界があるが、外務省報告は捜査等に支障のない形でできる限り対外的に説明を行うとの観点から、これまでに判明した事柄を整理したものである。お尋ねの事項については、捜査中の事件にかかわることであり、また、目下のイラク情勢にかんがみ、関係者の身体の安全を最大限に確保するとの観点から、お答えを差し控えたい。

八の1について

 大使館及びその館員をめぐる治安動向に対処するため種々の安全対策に優先的に取り組まざるを得ない状況が幾度か生じたことがあったため、被害車両の輸送のための準備作業は何度か中断せざるを得ないこととなった。また、輸送の手配に当たっては、被害車両が重要な証拠物件であり輸送途中で襲撃、事故等により損傷しないよう最大限保全を確保した形で輸送するため、外務省本省の指示の下で、輸送経路の選定、コンテナ調達可能性の検討、コンテナの収容できる航空機手配、レバノン登録抹消手続等について種々検討と事務手続を進めたが、バグダッドにおいて信頼できる輸送業者が見付からない等の事情があり、作業は難航した。最終的には、クウェートの運送業者を用いることとし、被害車両をこん包し、積載した後、現地時間本年二月二十七日午後にバグダッドを出発し、同月二十九日午後七時にクウェートに到着した。その後、貨物航空便にてクウェートを出発し、日本時間同年三月四日夜に成田空港に到着した。

八の2について

 現地合衆国軍隊車両による輸送についても検討したが、総合的に判断した結果、証拠物件を保全した上で最も適切に輸送できる方法を選択したものである。

八の3について

 被害車両の保全については、重要な証拠物件であるとの認識の下、事件発生直後から現地合衆国軍隊に申入れを行った。二千三年十二月六日に大使館敷地内に収容した後は、証拠物件としての保全のための措置を直ちに採っている。

九の1について

 外国通信社が配信した遺体の映像が、どのように撮影されたかは、承知していない。

九の2について

 遺体の写真を掲載したすべての報道機関に対して、厳重に抗議し、配信を中止する等、しかるべき措置を採るよう求めた。例えば、ロイター通信については、二千三年十一月三十日に在英国日本国大使館を通じて、また、AP通信については、同年十二月八日に外務省国際報道官から東京支局長に対してそれぞれ配信中止を要請した。

九の3について

 撮影を誰が許可したかは、承知していない。また、我が国が同意したという事実はない。

十の1について

 警察当局においては、両外交官の遺体が帰国する前日の二千三年十二月三日に外務省と協議し、被害者の身分関係、事件に巻き込まれた経緯、事件や事件発生前後における挙動不審者の目撃状況及び事件現場や被害車両の状況等に関する情報並びに事件に関し現地の各機関が作成した書類の提供を包括的に要請したほか、その後も必要に応じ逐次要請をしている。
 また、お尋ねの情報等について、外務省が情報等を入手した時期及び外務省から警察当局に提出又は通知をした時期等は、次のとおりである。
 被害者である両外交官の死亡診断書については、ティクリート総合病院から発行されていない。
 被害者の担当医師及び事件現場に臨場した警察官の証言については、事件発生直後のイラク人専門家による現地調査及び本年二月二十九日の上村臨時代理大使による現地調査により聴取し、その後速やかに警察当局に通知した。
 被害車両内部で発見された銃弾の一部と推定される金属片については、大使館において事件発生直後に入手し、二千三年十二月二十七日に警察当局に提出した。
 薬きょうについては、入手していない。
 事件発生当日の携帯電話の通信記録については、奥大使のものに関し大使館において同月上旬に入手し、その後速やかに警察当局に提出した。
 両外交官の出張予定及び「国際会議/NGO復興会議」の日程等の情報については、外務省が事件発生後に入手し、随時警察当局に通知した。
 ジョルジース運転手の司法解剖については、行われていない。
 なお、個々の情報等に関し警察当局が通知又は提出を受けた日については、捜査中の事件にかかわることであるため、お答えを差し控えたい。

十の2について

 警察当局においては、遺体が帰国する前日の二千三年十二月三日に外務省と協議し、被害者の遺留品等が現地の各機関から入手できれば提供するよう要請したほか、その後も必要に応じ逐次要請を行っている。
 遺留品は、事件発生直後から同月中旬にかけて、現地合衆国軍隊からCPAを経由して大使館に引き渡され、同月十五日及び本年一月十三日に、外務省職員が我が国に持ち帰った。このうち警察当局が捜査上必要と判断したものについては、御遺族の同意を得た上で、二千三年十二月二十七日及び本年一月二十二日に、外務省が警察当局に提出したが、同年二月二日までにすべて外務省に返還された。
 なお、個々の遺留品の詳細については、捜査中の事件にかかわることであるため、お答えを差し控えたい。

十の3について

 警察当局が遺留品等の証拠物件の提出を受け、領置した場合等には、刑事関係法令に基づき所要の書類を作成し、保存することとされている。

十一の1について

 遺留品であるパソコン、携帯電子端末、フロッピーディスク等の記憶媒体は、事件の直後から二千三年十二月中旬にかけて、逐次、現地地区長から現地合衆国軍隊へ回収された。

十一の2について

 お尋ねの事項については、捜査中の事件にかかわることであり、お答えを差し控えたい。

十二について 

 今般の事件を契機に、在外公館の安全確保のための措置を強化することが重要であるとの認識から、全在外公館に対し警戒水準を更に高めるよう警備・安全対策強化につき改めて指示するとともに、在外公館の警備員の増員、防弾車の増車、コンクリート・ブロックの増設等、人的物的両面から、なし得る限りの警備・安全対策強化を行い、安全確保に万全を期するよう努めてきている。
 在外公館の安全確保のための措置を含めた危機管理体制に関しては、現下の国際情勢に照らし更に強化が必要であると考えており今後とも最大限の努力をしてまいりたい。