質問主意書

第159回国会(常会)

答弁書


答弁書第二○号

内閣参質一五九第二○号
  平成十六年六月十一日
内閣総理大臣臨時代理           
国務大臣 細田 博之   


       参議院議長 倉田 寛之 殿

参議院議員若林秀樹君提出日本人外交官殺害事件の事実関係等に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。



   参議院議員若林秀樹君提出日本人外交官殺害事件の事実関係等に関する質問に対する答弁書

一の1について

 奥大使については、イラクでの勤務自体が長期出張であったため、ティクリートへの出張決裁書は存在しないが、今般の事件が発生した現地時間二千三年十一月二十九日及び三十日の在イラク日本国大使館(以下「大使館」という。)関係者が確認している奥大使の出張予定は、同月二十九日バグダッド発(陸路)、同日ティクリート着、同月三十日ティクリート発(陸路)、同日バグダッド経由(陸路)アンマン着(空路)である。
 井ノ上書記官の同月二十九日及び三十日の出張予定は、出張決裁書に「十一月二十九日バグダッド発(陸路) 十一月二十九日ティクリート着 十一月三十日ティクリート発(陸路) 十一月三十日エルビール着」と記載されている。

一の2について

 奥大使については、直行・直帰の予定であった。奥大使は、二千三年十一月三十日にバグダッドへ戻って同日アンマンへ、同年十二月二日にアンマンからダマスカスへ、同月三日にダマスカスからカミシリへ、同日カミシリからイラク・トルコ国境のシロッピ(イラク側はザホー)を経由してモスルへ移動し、同月四日にモスルからティクリート及びサーマッラーを経由してバグダッドへ戻る予定であった。
 井ノ上書記官については、会議の後、同年十一月三十日にティクリートからエルビールへ、同年十二月一日にエルビールからモスルへ、同月二日にモスルからドホークへ、同月三日にドホークからモスルへ、同月四日にモスルからスレイマニアへ移動し、同月五日にスレイマニアからバグダッドへ戻る予定であった。

二について

 「国際機関/NGO復興会議」の開催されたティクリート宮殿は、ティクリートの中心付近から北郊外へ直線距離で約十二キロメートルの所に位置している。
 事件の発生現場は、ティクリートから南へ国道一号線沿いに約三十キロメートル、サーマッラーから北へ国道一号線沿いに約十五キロメートルの地点付近である。
 事件を担当した現地警察署はディジュラ警察署であり、事件の発生現場から北へ国道一号線沿いに約四キロメートルの所に位置している。
 現地アメリカ合衆国軍隊(以下「現地合衆国軍隊」という。)第四歩兵師団管轄のオマハ駐屯地(以下「オマハ駐屯地」という。)は、事件の発生現場から北へ国道一号線沿いに約二十五キロメートルの所に位置している。
 奥大使、井ノ上書記官及びジョルジース運転手の三名が、事件後に搬送された病院はティクリート総合病院であり、事件の発生現場から北へ国道一号線沿いに約三十五キロメートルの所に位置している。
 バラド中心部に位置するレストランと果物店は、事件の発生現場から南東へ国道一号線沿いに約六十五キロメートルの地点の近傍に位置している。大使館からお尋ねの「バグダッド郊外」の地点までは複数の経路があり、事件に遭遇した館用車が、どのような経路を走行したかは現時点で明らかでないが、「バグダッド郊外」の地点からバラドまでは、約八十五キロメートルである。
 お尋ねの各所の住所は、承知していない。
 お尋ねの通常の所要時間については、交通事情等によるので、確定的にお答えすることは困難である。

三の1から3まで及び7について

 お尋ねの時刻については、本年五月十二日に外務省が公表した「イラクにおける外務省職員殺害事件(事件の状況・経緯等)」(以下「外務省報告」という。)Ⅱ.事件の経緯に掲載している前後関係のとおりで、それ以上のことは特定できていない。

三の4について

 ディジュラ警察署によれば、二千三年十一月二十九日午後一時三十分ごろに通報を受け、警察官複数が現場に出動し、その際、警察官の招集などにしばらく時間が掛かったとしている。しかし、現場到着時刻については、現時点で特定できていない。

三の5について

 ディジュラ警察署によれば、被害車両は、警察官がエンジンをかけて自走させ、ディジュラ警察署に搬送したが、現時点でその正確な時刻は特定できていないとしている。

三の6について

 ディジュラ警察署によれば、警察官が乗ってきた旧式のいわゆるピックアップに、三名の被害者を乗せ、これを警察官が運転し、ティクリート総合病院に搬送したが、現場を出発した時には、事件の発生後一時間以上の時間が経っていたと思われるとしている。被害者を搬送したとされる旧式のピックアップでは、搬送に三十分から一時間程度は掛かった可能性があるが、三名の被害者がティクリート総合病院に運び込まれた時刻は、現時点で必ずしも特定できていない。
 なお、ティクリート総合病院の医師によれば、被害者が病院へ搬送された正確な時刻についての記録はなく、正確に記憶していないとしているが、「勤務時間(午後一時まで)が終わってから夕方までの時間」に被害者が病院に搬送されてきたとしている。

三の8について

 現地合衆国軍隊第四歩兵師団第二百九十九工兵大隊(以下「大隊」という。)によれば、二千三年十一月二十九日午後三時四十五分ごろ、ディジュラ警察署のある建物内に執務室がある地区長が、オマハ駐屯地に出頭し、「日本人らしき外国人」が襲撃されたとの事件の第一報を口頭で伝えたとしている。

三の9について

 大隊によれば、二千三年十一月二十九日午後二時からの定例記者会見では、今般の事件に報道官は言及しておらず、今般の事件に言及したのは同日夜以降であったとしているが、その正確な時刻は承知していない。

三の10について

 大隊によれば、二千三年十一月二十九日午後四時ごろ、イラク市民防衛隊(以下「ICDC」という。)を現場に派遣し、同日午後五時三十分ごろ、ICDCがオマハ駐屯地に帰還したとしているが、ICDCが現場に到着した時刻については、承知していない。

三の11について

 大隊によれば、ICDCがディジュラ警察署から回収した被害車両が、二千三年十一月二十九日午後五時三十分ごろ、ICDCから大隊に対して提出されたとしている。

三の12について

 遺留品は、大隊が、事件の直後から二千三年十二月中旬にかけて逐次現地地区長から回収した。大隊によれば、同年十一月二十九日午後五時三十分ごろ、ICDCがオマハ駐屯地に帰還し、ディジュラ警察署から回収した被害車両と一部遺留品を大隊に提出し、同日午後九時三十分ごろ、大隊は改めてその部隊をオマハ駐屯地から地区長の下に派遣し、地区長が保管していたとされる遺留品を回収し、その後も同年十二月中旬にかけて大隊が地区長から逐次遺留品を回収したとしている。

三の13について

 大使館が事件の直後に派遣したイラク人専門家がディジュラ警察署と連絡を行ったが、その時刻については、報告されていない。

三の14について

 事件の発生当初、大使館は、連合暫定施政当局(以下「CPA」という。)を経由して現地関係者と連絡を行っており、直接ティクリート総合病院と接触できていなかった。

三の15について

 被害車両が、二千三年十一月二十九日午後五時三十分ごろ、ICDCから大隊に対して提出された際に、ナンバープレートは被害車両の中にあったと考えられる。

三の16について

 上村在イラク日本国臨時代理大使(以下「上村臨時代理大使」という。)がCPAを往訪し、更なる情報の入手に努めていた二千三年十一月二十九日午後七時四十五分から午後十時三十分ごろまでの間に伝えられた。

四及び五について

 お尋ねの事項については、特定できていない。

六について

 外務省報告七頁二十五行目に記述した「地域の族長」は、CPAの表現であるが、これは外務省報告六頁二十一行目以降に記述した「地区長」とすべて同一人物であると考えられる。事件の直後から二千三年十二月中旬にかけて大隊が、逐次地区長から回収した遺留品は、パソコン、デジタルカメラ、携帯電子端末、フロッピーディスク等の記憶媒体等の電子機器を始め、現金及びクレジットカード、外交旅券や運転免許証等の各種身分証明書類、写真、メモ等の書類、文房具、食料品並びに衣類及び洗面道具を始めとする身の回り品であった。

七の1について

 お尋ねの地区長の執務室はディジュラ警察署のある建物内にあることから、地区長はディジュラ警察署内において、事件に関する情報を承知するに至ったと考えられるが、具体的にどのような通信手段によって伝えられたのかについては、必ずしも特定できていない。

七の2について

 ディジュラ警察署にどのような通信手段があるかについては、承知していない。

七の3について

 地区長がなぜオマハ駐屯地に直接に出頭したか、また、何時までオマハ駐屯地に滞在していたかについては、承知していない。

七の4について

 地区長は、オマハ駐屯地に出頭し「日本人らしき外国人」が襲撃されたとの事件の第一報を口頭で伝え、三名の被害者のティクリート総合病院への搬送を報告したと承知している。

七の5から7までについて

 お尋ねの事項については、承知していない。

八について

 ディジュラ警察署による現場の検分が、どの程度終わっていたかについては、承知していない。

九の1について

 お尋ねの報道は承知しているが、その報道内容が事実であることを裏付ける情報には接していない。なお、現地合衆国軍隊によれば、「事件発生時刻に米軍パトロール或いは付近の連合軍が通りかかったという事実はない。」としている。

九の2について

 ディジュラ警察署による車両の検分が、どの程度終わっていたかについては、承知していない。

九の3について

 被害車両の車両登録書には、レバノン当局の登録番号、所有者が在レバノン日本国大使館であること、所有権発生の日並びに車両の型、年式、色及びエンジン番号が記載されている。上村臨時代理大使はCPAを往訪し、更なる情報の入手に努めていた二千三年十一月二十九日午後七時四十五分から午後十時三十分ごろまでの間に「被害車両は九十九年製トヨタランドクルーザー、防弾車両、レバノン登録である」という内容を伝えられた。

九の4について

 被害車両のナンバープレートは、前後とも外され、車内の座席の下に保管されていた。大隊がナンバープレートを被害車両から発見するまでにどの程度の時間を要したかについては、承知していない。

十について

 お尋ねの事項については、承知していない。

十一の1の(一)から(三)まで及び2について

 外務省は、現地の置かれている特殊な状況、大使館の館員の安全確保の問題、捜査権限に基づく捜査を実施できないこと等、様々な制約の下で調査を行わざるを得なかったことから、入手すべく努めた事実関係にかかわる情報をすべて把握できたわけではない。例えば、両外交官は二千三年十一月二十九日午前十時過ぎに大使館を出発したが、同日午前十一時過ぎの時点でもバグダッド郊外の地点を通過していたと見られる点について、その間の移動に関する事実関係は明らかになっていない。
 外務省報告は、こうした調査を前提に、今般の事件が依然捜査中であり、関連する情報の開示には基本的に限界がある中で、捜査等に影響のない形でできる限り対外的に説明を行うために、これまでに判明した事柄を整理したものである。したがって外務省報告作成の過程で、不合理あるいは不自然と感じられる事柄も含まれる点は認識していたものである。
 しかし、外務省報告に記載した事柄で確認が不可能な又は今後更に調査を継続すべき事柄について、また、外務省報告に記載しなかった事柄で真相究明のために本来明らかにする必要がある事柄について、具体的に列挙することは、現在、捜査中の事件にかかわることであり、お答えを差し控えたい。

十一の1の(四)について

 今般の事件は依然捜査が継続中であり、基本的に関連する情報の開示には限界があるが、事件に対する国民の関心が高く、事件の経緯等については、これまでに国会等の場においても累次説明を行ってきている。その中で、いくつかの事項の発生時刻、証言の内容等については、事実関係を正確に確定できないまま公表することで、事実関係に関する無用の混乱や誤解を招き、結果として捜査を含む真相究明に支障を来すことを避けるべきであるとの考えから極めて慎重に対応してきた。外務省報告の中では、これらの懸念につき関係者と十分協議をし、捜査を含む真相究明に支障を来すおそれのないことを確認した上で、これまでに判明した事柄を整理し公表したものである。

十二について

 現地合衆国軍隊、イラク警察当局等による捜査に加え、国内では外務省及び警察当局が緊密に連携を図り政府として調査を進めているところであり、第三者機関である調査機関の設置は必要ないと考える。