質問主意書

第159回国会(常会)

質問主意書


質問第二一号

在外公館の危機管理体制の改善等に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成十六年五月二十日

若林 秀樹   


       参議院議長 倉田 寛之 殿



   在外公館の危機管理体制の改善等に関する質問主意書

 昨年十一月二十九日にイラクにおいて発生した日本人外交官殺害事件をめぐっては、事件発生前・発生後を通じて、多岐にわたる危機管理上の問題点が浮かび上がった。
 第一に、職員の出張時に課していた定時連絡の確認の不徹底により、速やかな捜索・救援活動が行われなかった結果、被害職員が一命を取り留める最後の機会が奪われた。同時に、事件直後の情報錯綜につながり、犯人特定や真相究明の大きな障害となっている。
 第二に、川口外務大臣を本部長とする緊急対策本部が事件発生第一報のすぐ後に外務省に設置されたにもかかわらず、ティクリート市内の病院に搬送され救命措置を受けた後に死亡したとされる奥大使の死亡時刻すら、五か月以上を経た現在に至るまで特定されていないことからも明らかなとおり、外務省本省及び現地大使館の情報収集能力・分析能力が欠如しており、このこともまた犯人特定や真相究明の大きな障害となっている。
 こうした背景の中、国会からの再三にわたる要請もあり、去る五月十二日になってようやく「イラクにおける外務省職員殺害事件(事件の状況・経緯等)」と題する報告書(以下「外務省報告書」という。)が外務省より公表されたが、我が国警察による調査や大使館員による現地調査にかかわる内容を除けば、一か月程度で把握・公表が可能な内容であり、外務省本省及び現地大使館の情報収集能力・分析能力の欠如が露呈する結果となっている。
 以上二点の主な問題点以外にも、職員の安全確保策の不徹底等、様々な問題点が「外務省報告書」からも浮かび上がったが、去る四月にイラクで発生した日本人人質事件発生後の政府の対応を見ても、外交官殺害事件の反省が生かされず、情報収集能力・分析能力が依然改善されないままであることが明らかとなった。
 今後、イラクのみならず他の諸国においても、同種同様の事件の発生を未然に防止し、また万が一発生した場合に的確な対応を講じることができるように、両事件から浮かび上がった問題点を謙虚に反省し、今後の教訓として具体的な改善策を講じていく必要がある。
 そこで、日本人外交官殺害事件に関して、以下の各事項について質問する。

一 職員の出張時の安全確保策について

1 両外交官と上村臨時代理大使が、ティクリートへの出張時の具体的な行動内容について、最終的な打合せを行ったのはいつの時点か。
2 危険性の認識について
(一) 大使館出発前に両外交官や上村臨時代理大使はどの程度危険性を認識していたか。
(二) 「外務省報告書」によると、「今回の事件を予想させる日本をターゲットとした個別具体的なテロ情報を得ていたということはなかった。」とされている。以下の各情報について、現地大使館や外務省は具体的な内容を把握していたか。把握していた場合、どのように評価し、対応を講じていたか、具体的に明らかにされたい。
(1) 昨年十月半ばに、ビンラディンと思われる人物が示唆したとされる日本に対するテロ予告
(2) 昨年十一月半ばに、アルカイダの関連組織が発したとされる日本を対象とした攻撃予告
(3) 奥大使が生前に語っていたとされる「CPAに派遣されている日本人外交官はテロの対象」(十二月一日付け朝日新聞)だとするテロの予告
(4) 奥大使が生前に友人に伝えていたとされる「イラクでテロの襲撃対象リストに入っているようだ」(十二月一日付け読売新聞)との情報
(5) 狙われていると奥大使が語っていた(三月六日放送のNHKスペシャル「伝えたかったことがある」)とされるテロ予告
3 使用車両の選定について
(一) 事件発生当時に大使館が管理・使用していた車両の内訳(台数、種類等)を明らかにされたい。
(二) 事件当日の両外交官の使用車両を、いつ、だれが判断・決定したか。また上村臨時代理大使も判断理由や決定された使用車両について承知していたか。
4 ジョルジース運転手が「豊富な運転経験(米軍車列を追い抜くような無理をしない運転)で信頼が厚かった。」ことが「外務省報告書」の冒頭で強調されている。
(一) 「米軍車列を追い抜くような無理をしない運転」をプラスに評価する理由は何か。米軍車列を追い抜こうとすると米軍より誤って銃撃を受けるおそれが大きく、そうした危険性を避けられるということか。
(二) 今回の出張時の運転手の選定理由の一つとして、「米軍車列を追い抜くような無理をしない運転」をすることが重要視されていたということか。
(三) イラク国内において、米軍による誤射の実例が多数存在することからこのような記述がなされたと推察する。イラク開戦以降の米軍による誤射の件数・被害者数がどの程度であるか、米軍が公表している数字も含め、政府が把握している情報やその分析結果について具体的に明らかにされたい。
(四) 被害者側に起因する誤射の実例、米軍側に起因する誤射の実例は、各々どのようなケースと要因に分類されるか、米軍から公表されている実例をもとに、具体的に明らかにされたい。
(五) (四)項の被害者側に起因する誤射を防止するために、米軍車列の周囲を走行する際にどのような点に留意することとしているか、具体的に明らかにされたい。
(六) 現地職員の運転手の中には、米軍車列を追い抜くような無理な運転をする者がいたために、ジョルジース運転手が「米軍車列を追い抜くような無理をしない運転」であったことを「外務省報告書」の冒頭で殊更に強調したものと推察する。(五)項の米軍車列の周囲を走行する際の留意点を徹底するために、どのように現地職員の運転手を指導・監督していたか、具体的に明らかにされたい。
5 警護車両及び武装警備員を同行させないことについて、いつ、だれが判断・決定したか。
6 「国際機関/NGO復興会議」の主催者である米側から、米軍による送迎や護衛の提供等、何らかの提案はなかったか。また提案があった場合は、具体的にはどのような提案であり、だれの判断によりなぜ断ったか。提案がなかった場合は、大使館側から米側に対して何らかの要請はしなかったか。
7 事件発生当日、「国際機関/NGO復興会議」出席のために、CPA等の幹部もバグダッドからティクリートに向けて移動したと聞いている。当然、米軍が両地域間の警戒を平常時より強化していたものと推察する。
(一) 「外務省報告書」によれば、現地米軍からの情報として「事件の起こった十一月下旬頃は、二九九工兵大隊の(国道)一号線パトロールは午前八時から午後四時までの間、三回程度行うこととしていた。事件発生時刻に米軍パトロール或いは付近の連合軍が通りかかったという事実はない。」とされている。
(1) バグダッド方面から陸路で「国際機関/NGO復興会議」に向かった出席者は何人ぐらいいたか。
(2) 事件発生当日、「国際機関/NGO復興会議」の出席者の通行を想定して、国道一号線の警戒も平常時より強化されていたと推察するが、米軍がどのような警戒態勢を講じていたか、具体的に明らかにされたい。
(3) 現地米軍は事件発生時刻が何時であることを前提として回答したか。
(4) 事件発生当日に米軍パトロールが行われた時間をすべて列挙されたい。
(二) 両外交官の行動計画策定の参考にするために、国道一号線の治安状況や、(一)(2)項の警備状況について、事前に米軍や主催者側よりどのような情報を入手していたか、具体的に明らかにされたい。
(三) 大使館側から米側には、両外交官が国道一号線を通行する時間帯を何時ごろと事前に報告していたか。
8 防弾チョッキ、ヘルメットは被害車両に搭載していたか。搭載していなかった場合、なぜ搭載しなかったか。また、十二月一日付け南日本新聞によれば、田中外務省大臣官房調査官が外務省と電話でやりとりしながら、「防弾チョッキを着けていたが軽装だった。」と御遺族に報告したとされているが、「防弾チョッキを着けていた」と報告した理由は何か。
9 奥大使、井ノ上書記官、ジョルジース運転手は携帯電話を所持していたか。所持していた場合は、利用していた通信会社、機種、事件発生当日の通話記録を所持者ごとに明らかにされたい。
10 被害車両に搭載されていた無線機の機種を明らかにされたい。
11 緊急時の連絡先(会議主催者、米軍、CPA、現地警察等)について、事前に両外交官、大使館職員は各々把握・携行していたか。

二 職員の出張時の定時連絡及び安否確認等について

1 十二月二日付け毎日新聞によると、関係者による情報として、「上村司・臨時代理大使は職員に、出張時は安全確保のため一時間おきに電話で現在位置を連絡するように指示した。」ことが明らかになっている。また、二月十七日衆議院予算委員会、四月一日衆議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会、四月五日参議院イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会、四月二十日参議院外交防衛委員会、四月二十一日参議院本会議等、定時連絡がなされていたことを前提とした質疑・答弁が国会においても繰り返しなされている。上村臨時代理大使が職員の出張時に課していたとされる定時連絡は具体的にはどのようなものだったか。連絡の間隔、記録担当者、記録方法、記録内容(所在地、時刻等)、確認の責任者等、その項目を列挙して明らかにされたい。
2 事件発生当日の通信状況について
(一) 当日午後〇時ごろの定時連絡がなされていたことは、昨年十二月の時点では確認されず、二月にようやく明らかにされ、さらには四月になってから時刻が午後〇時八分と特定された。確認に至る経緯を具体的に明らかにされたい。また「外務省報告書」によると、「携帯電話会社に残された電話の発信記録によれば」との記述があるが、発信記録をいつ照会し入手したか、具体的に明らかにされたい。
(二) 「外務省報告書」によると、「最後の発信は在バグダッド大使館にあてて二九日午後〇時八分に行われた。」とされているが、通話相手・通話時間・通話内容を具体的に明らかにされたい。
(三) 事件の翌週以降、岡本首相補佐官(当時)に同行するために、奥大使はヨルダン・シリア等の周辺国を訪れることとなっており、また復興支援策を円滑に進めるために両外交官は周辺国大使館や外務省本省とも日常的に連絡を取っていたものと推察する。事件発生当日に外務省職員(在イラク大使館職員以外も含む)が奥大使、井ノ上書記官各々と通信した時刻、通信手段、通話時間、通話内容を、通話した職員の所属先も含めてすべて明らかにされたい。
(四) (三)項で示される以外の事件発生当日の被害者の通信について、携帯電話会社及び携帯電話本体に記録されている発着信記録に基づき、通信時刻、通話時間、通信先を、発着信の区別を含めて被害者別にすべて列挙されたい。
3 安否確認を怠った背景について
(一) 「国際機関/NGO復興会議」の会場まではどの程度の所要時間を見込み、何時に到着する予定だったか。また、出発前の打合せにおいて、会場到着時に報告の連絡を入れるように確認はしなかったか。
(二) 午後一時の定時連絡を確認せず、かつ主催者側にも両外交官の会場への到着の確認をしないまま、事件発生の第一報が入った午後六時四十分まで、安否の確認を怠った理由は何か。
(三) 十二月二日付け毎日新聞によると、関係者からの情報として、「二人は指示に基づき午前十一時ごろ、襲撃現場であるティクリート南方十~十五キロ地点の近くから大使館に電話連絡した。しかし、その後、正午の連絡がないため大使館側から電話したところ応答がなく、連絡が途絶えた。」とされているが、この関係者は特定されているか。また「連絡が途絶えた」と、定時連絡が途切れていたことを認識していたその関係者が、そのまま安否の確認をせずに放置したのはなぜか。
4 四月五日放送のテレビ朝日系列「報道ステーション」によると、地域住民が現場に駆け付けた時点では、当初即死と伝えられていた井ノ上書記官もまだ生存し、助けを求める声を発していたことが明らかになったが、大使館等へ救助要請の通信はなされたか。

三 外務省緊急対策本部について

1 構成員はだれか、すべて列挙されたい。なお、変更がなされている場合は変更前後を含めて明らかにされたい。
2 現地大使館や警視庁等との連絡調整、遺留品等の管理・受渡しはだれが主たる責任を負っているか。
3 収集された情報の分析・整理はだれが主たる責任を負っているか。
4 大木イラク担当特命全権大使の役割について
(一) 事件発生時までに、大使館員の安全確保等について、具体的にどのように指示・監督していたか明らかにされたい。
(二) 事件に関する調査活動等に、これまでどのような役割を果たしてきたか、具体的に明らかにされたい。

四 事件直後の現地大使館による情報集約と正確な情報把握の重要性について

1 情報収集体制について
(一) 情報の流れが、現地大使館を通じて情報収集する形に一元化されていなかったことが情報錯綜の一因になったと考えるが、事件発生当日から翌朝に掛けて、首相官邸や外務省本省等国内各政府機関が、現地大使館を通さずに現地各機関や米国本国政府機関より直接に、何らかの通報や情報提供を受けた時刻とその内容をすべて列挙されたい。
(二) 現地各機関や緊急対策本部等との連絡はだれが主たる責任を負っていたか。
(三) 収集された情報の分析・整理はだれが主たる責任を負っていたか。
2 初期情報の正確性について
(一) 現地大使館への事件発生の第一報では、被害者や被害車両を識別する特徴、その根拠とされた所持品・遺留品等、どの程度正確な情報の提供があったか、具体的な内容を明らかにされたい。また、第一報の時点では把握されておらず、後から伝達された被害者や被害車両を識別する特徴、その根拠とされた所持品・遺留品がある場合は、その具体的な内容と伝達時刻を明らかにされたい。
(二) 事件発生直後の処理を担当した現地警察署、被害者が搬送された病院を、いつ、だれに確認して把握したか。また、被害者各々の生存状況を、いつ、だれに確認して把握したか。
(三) 事件発生直後に、米軍が被害者を日本人二人とレバノン人と判断した具体的な根拠を各被害者別に明らかにされたい。
(四) 事件発生直後に、現地警察は被害者各々の国籍をどのように推定していたか。具体的に推定していた場合は、その推定の具体的な根拠を各被害者別に明らかにされたい。
(五) 「外務省報告書」記載の地区長メモの存在が日本側に伝えられたのはいつか、具体的に明らかにされたい。
(六) 昨年十二月一日に成田空港で御遺族に対して事件に関する説明をした際の説明内容と配付された資料の記載内容を具体的に明らかにされたい。
(七) 担当医師による死亡証明書及び証言について
(1) 「外務省報告書」によると、被害者について「カルテその他の記録は作成されていない」とされているが、ジョルジース運転手については「家族の者がティクリート総合病院の医師に要請し、同医師が発行した死亡証明書」があるとされている。奥大使及び井ノ上書記官について、死亡証明書の発行を要請しなかったのはだれの判断によるものか、また、その理由について具体的に明らかにされたい。
(2) ティクリート総合病院の医師に最初に問い合わせをしたのはいつか、また「外務省報告書」Ⅱ.B.2.(3)に記載されている証言を得たのはいつか、具体的に明らかにされたい。

五 現地大使館の情報収集体制について

1 事件発生当日から翌日に掛けて、何人の職員が事件の情報収集に当たったか。邦人職員・現地採用職員の内訳も含め明らかにされたい。また、どのような調査(対象、方法、内容等)を行ったか。具体的にどのような内容の報告がなされたか。
2 上村臨時代理大使の動向について
(一) 事件発生当日(事件発生前も含む)から翌日に掛けてどこにいたか、正確な時間も含めて具体的に明らかにされたい。
(二) 「外務省報告書」によると、「午後七時四五分、上村臨代がCPAを往訪し午後一〇時三〇分頃まで更なる情報の入手に努めるとともに、その間に随時本省と電話連絡を行った。」とされているが、その間、上村臨時代理大使自身が直接、米軍や現地警察、病院、現地大使館、外務省本省等とやり取りをしたのか、それともCPA職員あるいは同行した大使館職員がやり取りをして得た情報を伝え聞いたのか、具体的な状況を明らかにされたい。

六 現地専門家による調査について

1 事件発生当日及び翌日に掛けて、何人の現地専門家が大使館により派遣され、ティクリートには最初にいつ到着したか。また、各々の具体的な選任基準(調査経験・能力、関係機関・ティクリート周辺部における人脈の有無等)は何か。
2 事件発生当日及び翌日に派遣された現地専門家はどのような調査(対象、方法、内容等)を行ったか。また、具体的にどのような内容の報告がなされたか。
3 ティクリートからバグダッド国際空港まで米軍車両が両外交官の御遺体を搬送する際に、現地専門家は同行したか。
4 事件発生翌々日以降はいつどのような調査(対象、方法、内容等)を行ったか、具体的にすべて列挙されたい。また、具体的にどのような内容の報告がなされたか。
5 目撃証言の収集について
(一) 「外務省報告書」Ⅲ.A.2.(3)では、現地大使館が行った累次の調査で得られた事件発生当時の現場付近にいた者からの聞き込み情報が列挙されているが、現地専門家が現場の聞き込みから得た情報について、調査日時も含め具体的にすべて明らかにされたい。
(二) 米軍に通報やパスポートの提出を行った現地地区長、パスポートを持ち出して現地地区長に届けた地元住民、十一月三十日付け共同通信の報道で目撃談が掲載されたハッサン・フセイン氏及び五月十日付け東京新聞において米軍の誤射だと語ったとされる警察官について、それぞれ接触し証言を得ているか明らかにされたい。証言を得ている場合は、具体的にどのような内容の証言を各々得ているか。得ていない場合は、速やかに証言を得るべきと考えるが今後どのように対応するか。
6 「外務省報告書」は、これまでの現地専門家による調査結果も含んだ形で作成されているか。

七 上村臨時代理大使ほか大使館職員による現地調査について

1 現地専門家によるものとは別に調査を実施する理由は何か。
2 いつ、どのような調査(対象、方法、内容等)を行ったか、具体的にすべて列挙されたい。また、具体的にどのような内容の報告がなされたか。
3 二月二十九日以降に行ったとされる事件現場における調査について
(一) 訪問の際は、米軍による警護を受けたか。
(二) 事件現場の具体的な道路状況(見晴らしの状況、車線数、中央分離帯の有無・状態、走行可能な道路面の幅、道路面内の高低差、道路面と隣接地の高低差、車両・人間の通行量等)、周囲の建物の分布状況等、得られた情報を具体的に明らかにされたい。
(三) 周辺の道路脇に売店は存在したか。存在した場合は、売店の関係者から得られた証言を具体的に明らかにされたい。
4 目撃証言の収集について
(一) 「外務省報告書」Ⅲ.A.2.(3)では、現地大使館が行った累次の調査で得られた事件発生当時の現場付近にいた者からの聞き込み情報として、(A)~(H)の発言を紹介しているが、大使館職員が現場付近で聞き込み情報を得た相手はその八人のみか。また事件発生時に(A)~(H)は正確にはどこにいたか、現場からの距離や方向を具体的に各々明らかにされたい。
(二) 米軍に通報やパスポートの提出を行った現地地区長、パスポートを持ち出して現地地区長に届けた地元住民、十一月三十日付け共同通信の報道で目撃談が掲載されたハッサン・フセイン氏及び五月十日付け東京新聞において米軍の誤射だと語ったとされる警察官について、それぞれ接触し証言を得ているか明らかにされたい。証言を得ている場合は、具体的にどのような内容の証言を各々得ているか。得ていない場合は、速やかに証言を得るべきと考えるが今後どのように対応するか。

八 被害車両の保全と日本への移送について

1 移送に三か月以上を費やしたのはなぜか。いつ、どのような内容の検討や方針の決定、交渉や手続(必要物資の調達等も含めて)を行ったのかを、日付も含めて具体的にすべて列挙されたい。
2 ティクリート・バグダッド間、バグダッド・クウェート間の搬送について、米軍車両による陸送を米軍に要請することはできなかったのか、具体的な事情を明らかにされたい。
3 弾丸の貫通痕の数から見て、被害車両から回収された金属片が少な過ぎるとの情報に接しており、犯人の関係者等が金属片を秘密裏に被害車両から持ち去った可能性があることを懸念する。被害車両の保管について十分な防犯措置を講じていたか、具体的に明らかにされたい。また仮に金属片が秘密裏に持ち去られた可能性があるとしたら、いつ、だれの管理下にあった時と考えられるか、具体的に明らかにされたい。

九 御遺体の撮影許可について

1 病院内で撮影したと思われる御遺体の映像が、事件発生直後に外国通信社により世界各国向けに配信されたが、いつどこで、だれの立会いの下で撮影されたものか、具体的に明らかにされたい。複数回にわたる場合は各々について示されたい。
2 配信した外国通信社に対して、抗議をしたか。抗議をした場合は、いつどのような形で抗議をしたか、具体的に明らかにされたい。
3 撮影の許可はだれの判断によりなされたか。また、我が国政府も許可に同意したか。同意していない場合、撮影の許可を行った者及びその所属機関に対して、いつどのような形で抗議をしたか、具体的に明らかにされたい。

十 警察当局と外務省の連絡について

 今回のように海外で発生した事件については、初期の捜査活動を円滑に進め、正確な情報を得る上で、警察当局から外務省に対して的確かつ具体的な要請をすることが重要である。
1 警察当局から外務省に対して①現地病院発行の死亡診断書、②担当医師の証言、③現場に駆け付けた警察官の証言、④回収された弾丸・薬莢に関する情報、⑤事件発生当日の携帯電話の通信記録、⑥両外交官の出張予定表、⑦「国際機関/NGO復興会議」の日程・次第・参加者等の情報、⑧ジョルジース運転手の司法解剖結果について、それらを入手するように要請した日付、外務省がそれを得た日付、警察当局に提出・報告がなされた日付を各々明らかにされたい。
2 警察当局から外務省に対して遺留品を入手・提出するように要請した日付、現地大使館がそれを得た日付、外務省がそれを受け取った日付、警察当局に提出・報告がなされた日付、外務省に返還された日付を各遺留品別に各々明らかにされたい。
3 外務省から警察当局への遺留品提出、警察当局から外務省への遺留品返還について、その日付を明らかにする何らかの文書は作成・保存されているか。

十一 遺留品に含まれる機密情報について

 「外務省報告書」では遺留品が現地米軍の手に渡るまでの過程が一切明らかにされていない。パソコンや携帯電子端末、フロッピー等の記憶媒体には国益にかかわる機密情報が記録されていた可能性もあり、データが盗難や消去・改竄されていないか、確実に検証する必要がある。
1 遺留品のうち、パソコン、携帯電子端末及びフロッピー等の記憶媒体それぞれについて、事件発生後、いつ、だれを経由し、いつ現地米軍に回収されたか、事実関係を具体的にすべて明らかにされたい。
2 「外務省報告書」によると、「現地米軍は地域の族長に現場より持ち去られたものを返却するよう説得している」との情報が当初寄せられたとされている。この族長や米軍に第一報を寄せたとされる現地地区長の関係者が、機密情報の入手を目的に犯行に関与し、機密情報が流出等していないか危惧する。これら関係者の犯行への関与や、機密情報の流出・消去・改竄の可能性がないことの確証を何か得ているか。得ている場合は、その確証の根拠を具体的に明らかにされたい。

十二 危機管理体制の改善について

 事件が発生したことや事件後の対応に関する反省を踏まえ、在外公館の危機管理体制についてどのような改善を行ってきたか。また、今後行っていくか。

  右質問する。