質問主意書

第156回国会(常会)

答弁書


答弁書第四四号

内閣参質一五六第四四号
  平成十五年八月二十九日
内閣総理大臣 小泉 純一郎   


       参議院議長 倉田 寛之 殿

参議院議員福島瑞穂君提出イラク戦争における米英軍の劣化ウラン弾使用に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。



   参議院議員福島瑞穂君提出イラク戦争における米英軍の劣化ウラン弾使用に関する質問に対する答弁書

一及び二について

 千九百九十六年八月二十九日に国際連合人権委員会の下に設けられていた差別防止・少数者保護小委員会が、劣化ウランを含む兵器等、大量破壊兵器又は無差別に影響を与える兵器の製造及び拡散を制限するよう各国に求めること等を内容とする「人権、特に生命に対する権利の享受のための必須条件としての国際平和と安全に関する決議」を採択したことや、本年二月十三日に欧州議会が、欧州連合加盟国に対し劣化ウラン弾等の使用の一時停止を求めること等を内容とする「不発弾及び劣化ウラン弾の有害な影響に関する決議」を採択したことは承知している。また、国際連合環境計画が、同年三月のボスニア・ヘルツェゴビナにおける劣化ウランに関する調査報告書において御指摘のような勧告を行っていることは承知している。しかし、政府としては、劣化ウラン弾の影響について国際的に確定的な結論が出されているとは承知しておらず、国際機関等による調査の動向を引き続き注視していく考えである。

三について

 劣化ウランは、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和三十二年法律第百六十六号)第二条第二項に規定する「核燃料物質」に含まれるものとして、同法による規制の対象となっている。
 まず、犯罪の成否については、捜査機関が収集した証拠に基づいて個別に判断すべき事柄であるが、あくまで一般論として申し上げれば、日本国内で核燃料物質を故意に散布した場合において、例えば、核燃料物質をみだりに取り扱うことにより、その原子核分裂の連鎖反応を引き起こし、又はその放射線を発散させて、人の生命、身体又は財産に危険を生じさせたと認められるときは、同法第七十六条の二違反の罪に該当し得る。
 また、製錬事業者等が過失により核燃料物質を散布した場合については、同法第六十四条第一項及びその関連省令に定めるところにより、速やかに汚染の広がりの防止及び汚染の除去等の措置をとることが求められる。

四について

 本年七月一日の衆議院イラク人道復興支援並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会における藤田祐幸氏による参考人としての意見陳述の内容については承知している。また、イラク共和国(以下「イラク」という。)内において劣化ウラン弾を発見し、又は高レベルの放射線を確認したとの内容の報道についても承知している。しかし、アメリカ合衆国(以下「米国」という。)が今回のイラクに対する軍事行動において劣化ウラン弾を使用したか否かについては承知していない。

五について

 本年三月十四日のノートン大佐の会見及び同月二十六日のブルックス准将の会見については承知している。お尋ねのブルックス准将の発言については、米国の軍隊の保有する弾薬のうちに劣化ウランを使用した弾薬がわずかにあることを述べたものであって、米国が今回のイラクに対する軍事行動において劣化ウラン弾を使用したことを述べているものではないと理解している。

六について

 本年四月二十五日付けのガーディアン紙の記事及びグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(以下「英国」という。)政府が自国による劣化ウラン弾使用を認めていることは承知しているが、英国政府は、米国の軍隊が使用した兵器については米国の問題であるとの立場であると承知しており、英国が米国の軍隊による劣化ウラン弾使用を認めたとは承知していない。

七について

 米国の中央空軍が本年四月三十日付けで公表した「数量で見るイラクの自由作戦」と題する報告書の中に、イラクの自由作戦において合計三十一万千五百九十七発の三十ミリ機関砲弾が使用されたことが記載されていることは承知しているが、米国が劣化ウラン弾を使用したか否かについては承知していない。

八について

 米国が今回のイラクに対する軍事行動において、一般に「バンカーバスター」といわれているレーザー誘導装置を付けた地中貫通爆弾であるか否かを問わず、劣化ウラン弾を使用したか否かについては承知していない。

九について

 米国政府に問い合わせを行った結果、米国は今回のイラクに対する軍事行動において劣化ウラン弾を使用したか否かについて、今後とも明らかにすることは予定していないと承知している。また、劣化ウラン弾による健康被害等については国際的に確定的な結論が出されているとは承知しておらず、国際機関等による調査の動向を引き続き注視していく考えである。