質問主意書

第151回国会(常会)

質問主意書


質問第四四号

高レベル放射性廃棄物地層処分の研究開発に関する再質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成十三年六月二十八日

福島 瑞穂   


       参議院議長 井上 裕 殿


   高レベル放射性廃棄物地層処分の研究開発に関する再質問主意書

 先の高レベル放射性廃棄物地層処分の研究開発に関する質問主意書に対する四月十三日付け答弁書から、高レベル放射性廃棄物処分のための処分地選定調査が、動力炉・核燃料開発事業団によって、全国約五百七十地点にも及び実施されていたことが明らかとなった。その上、本件調査実施に先行する形で本件以外の調査が同じく動力炉・核燃料開発事業団によって実施され、二十二冊の報告書にまとめられていたことも明らかとなった。これは国民にとって驚くべきことである。
 調査地点の公表は当然なされるべきである。しかるに核燃料サイクル開発機構(旧動力炉・核燃料開発事業団)は「当該地点の周辺地域がサイクル機構により放射性廃棄物が持ち込まれる候補地であると誤って理解をされ、当該周辺地域の住民等に混乱を引き起こす可能性があることから、サイクル機構としては、現時点においては、当該地点を公表することができるかどうか慎重に検討すべきであると考えている。」と答えている。こうした答弁は国民にとって核燃料サイクル開発機構及び国に対する信頼を著しく損ねるものである。調査地点の公表は、高レベル放射性廃棄物の処分場にされるのではないかと心配している地域の住民のみならず、国民にとって当然の要求である。
 なぜなら高レベル放射性廃棄物の処分については昨年十月、処分実施主体である原子力発電環境整備機構が昨年設立され、現在は文献調査の段階にあると多くの国民は考えている。国民は、処分場選定の調査など、いかなる形にせよなされておらず、白紙の状態から処分事業がスタートし、文献調査を実施していると受け止めている。ところが現実には、動力炉・核燃料開発事業団が、国の指示により十六年も前に処分地選定の調査段階の一つである「広域調査」とそれに先行した形の本件以外の調査を実施していたのである。
 当時の国の方針やそれを受けた動力炉・核燃料開発事業団の役割について、ほとんどの国民は事実上知ることができず、知らされていなかった。まして具体的な調査実施の有無、調査方法、調査箇所等は国民には全く知らされていなかった。これは国民を欺くに等しい行為である。
 政府は、動力炉・核燃料開発事業団が国の指示により処分地選定に向けて本件調査、本件以外の調査のほかに、いかなる調査を実施したかを明確にすべきである。さらに本件調査、本件以外の調査とそれ以外の調査を何に、どのように活用したのか、国の責任において国民の前にすべて明らかにすべきである。
 昨年五月の特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律の審議において、衆議院商工委員会附帯決議は「原子力事業における情報公開原則の重要性を認識しつつ、その選定プロセスの透明性・公正性が確保されるよう十全の努力を払う」ことが明記され、参議院経済・産業委員会においても同趣旨の附帯決議がなされた。また、昨年九月二十九日の特定放射性廃棄物の最終処分に関する基本方針においても「概要調査地区等の選定においては」、「情報公開を徹底し透明性を確保することが必要である」とし、「処分地選定に関する手続き等の透明性の確保のため」という理由で、総合エネルギー調査会原子力部会の下に「高レベル放射性廃棄物処分専門委員会」が設置された経緯もある。
 今後原子力発電環境整備機構によってなされるとする処分地選定には徹底した情報公開が謳われている。以上を踏まえるならば、特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律制定以前に実施された、処分予定地選定に向けた調査のすべてに情報公開が徹底してなされるべきである。よって以下質問する。

一、答弁書によると「放射性廃棄物処理処分方策について(中間報告)」(昭和五十九年八月七日原子力委員会放射性廃棄物対策専門部会報告。以下「昭和五十九年中間報告」という。)及び「放射性廃棄物処理処分方策について」(昭和六十年十月八日原子力委員会放射性廃棄物対策専門部会報告。以下「昭和六十年報告」という。)を受けて、動力炉・核燃料開発事業団は高レベル放射性廃棄物の処分予定地の選定主体として「広域調査地表調査シート(昭和61年度および昭和62年度)」を作成し、さらに「原子力開発利用長期計画」(昭和六十二年六月二十二日原子力委員会決定。以下「昭和六十二年長期計画」という。)によって動力炉・核燃料開発事業団は処分予定地の選定主体ではなくなったにもかかわらず、「地質環境等の適性を評価するための調査」として、処分予定地の選定主体であったときと同名の「広域調査地表調査シート(昭和63年度)」を作成したとされる。
 国の方針変更に伴い動力炉・核燃料開発事業団の役割に大きな変更があったにもかかわらず、同名、同内容の調査を同事業団が続けた根拠は何か。

二、動力炉・核燃料開発事業団が一九八八年(昭和六十三年)に作成した「中部事業所の業務概要」では、「国の定める方針に沿って処分予定候補地の選定に資するため、全国を対象とした地質環境調査を行うこととしており」、「63年度も調査を継続します。」と記している。この業務概要は、昭和63年度調査を明らかに61年度、62年度に続く一連の調査であると認識しており、核燃料サイクル開発機構が位置付けの違う調査を同名で行ったとする答弁書における説明とは隔たりがある。「中部事業所の業務概要」のように「広域調査地表調査シート(昭和61年度および昭和62年度)」と「広域調査地表調査シート(昭和63年度)」は、一連の調査報告書と考えるべきではないか。

三、動力炉・核燃料開発事業団が、答弁書のように昭和五十九年中間報告及び昭和六十年報告を受けて高レベル放射性廃棄物の処分予定地の選定主体と位置付けられ、具体的に全国を対象とした文献調査や地表踏査を実施しながら、昭和六十二年長期計画によって処分予定地の選定主体ではなくなったのはなぜか、理由を明らかにされたい。

四、原子力開発利用長期計画(昭和六十二年六月二十二日改訂)の改定を目前に控えた、昭和六十一年十一月二十一日に科学技術庁原子力局は、実施時期を昭和六十二年から六十六年までという長期で、しかも長期計画改訂時期と重なることを承知で「地層処分研究開発5ケ年計画」を策定した。

1 なぜこの時期に「地層処分研究開発5ケ年計画」を策定したのか。
2 この時期に作成した責任の所在はどこにあるのか。また作成の意図は何か。
3 昭和六十二年の長期計画の改訂後、「地層処分研究開発5ケ年計画」は明確に撤回されたり廃止されたりしたのか。

五、一九八六年(昭和六十一年)に土岐市にある動力炉・核燃料開発事業団・中部探鉱事業所が、「中部事業所」に名称変更され、環境地質課が設置された。

1 環境地質課の「環境」とは何を意味するのか。
2 同課は何のために設置されたのか。
3 なぜ土岐市の同事業所に環境地質課が設置されたのか。その理由を具体的に明らかにされたい。

六、答弁書により動力炉・核燃料開発事業団が「本件以外の広域調査」を実施し、二十二冊の報告書が存在していることが明らかになった。この「本件以外の広域調査」を計画立案した時期、具体的に実施した期間(開始と終了の時期)と実施部署を各報告書ごとに明らかにされたい。

七、本件調査と本件以外の広域調査との関係については、この二つの調査の実施時期から推測して、本件以外の広域調査が先行し、地域別にリモートセンシングをして絞り込み、その上で約五百七十地点の広域調査を実施したと考えてよいか。もし仮にリモートセーシングによる絞り込みでないとしたら、調査のために約五百七十地点を選定した経緯を明らかにされたい。

八、約五百七十の調査地点の公表及び本件以外の広域調査地点の公表は当然なされるべきものである。動力炉・核燃料開発事業団が、国の指示に従って、「処分予定地選定」という役割を果たすために約五百七十地点の本件調査を実施し、本件以外の広域調査を実施したことは、答弁書で明らかなとおりである。動力炉・核燃料開発事業団に「処分予定地選定」という役割を課したのは国であり、政府の責任において答弁書に示された約五百七十地点の公表を指示するか、あるいは政府の責任において公表すべきであると考えるがどうか。

九、本件調査及び本件以外の調査は、これまでどの場面でどのように活用されたのか、あるいは全く活用されていないのか、具体的に示されたい。

十、動力炉・核燃料開発事業団は、本件調査及び本件以外の調査の他に、処分予定地選定のための調査を実施したか否か。実施したのであれば、その調査のすべてを明らかにされたい。また、その調査をこれまで何に活用したかを明らかにされたい。

十一、動力炉・核燃料開発事業団は上記一連の調査実施に当たり、当該自治体に対し、調査内容や調査の目的を説明し、了解を得たか。

  右質問する。