質問主意書

第148回国会(特別会)

答弁書


第百四十八回国会答弁書第六号

内閣参質一四八第六号

  平成十二年八月八日

内閣総理大臣 森 喜朗   


       参議院議長 斎藤 十朗 殿

参議院議員福島瑞穂君提出護衛艦さわぎり艦内での隊員自殺事件についての調査委員会報告書に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。


   参議院議員福島瑞穂君提出護衛艦さわぎり艦内での隊員自殺事件についての調査委員会報告書に関する質問に対する答弁書

一について

 本年二月二十一日に、海上自衛隊佐世保地方総監部(以下「佐世保地方総監部」という。)が、平成十一年十一月八日に護衛艦「さわぎり」艦内で発生した隊員の自殺事故(以下「本件事故」という。)の発生場所を「土佐沖」と表現した理由は、遺族等が場所をイメージしやすくするためにはこのような表現が適切であり、また、このような表現であれば、本件事故当時の「さわぎり」の具体的位置までは明らかにならず、自衛隊の戦術、戦法等が明らかになるおそれがないと考えたためである。

二について

 本件事故当時の「さわぎり」は、自殺した隊員(以下「事故者」という。)をヘリコプター等で陸上まで運べる位置にあったが、発見当時、事故者は心肺停止状態にあり、可及的速やかに救命処置を行う必要があったため、救急救命士の資格を持つ衛生員長等による救命処置を直ちに開始するとともに、「さわぎり」と同一行動中の僚艦からへリコプターにより医官を直ちに「さわぎり」に急行させ、医官による救命処置を継続して実施したものである。仮に、発見後事故者を直ちにヘリコプターで搬送した場合には、陸上医療機関まで数時間を要し、この間十分な救命処置が行えなかったことを考えると、当時の処置は、万全を期したものであり、適正であったと考えている。
 また、本件事故の発生場所から佐世保港に実際に帰港するまで、「さわぎり」は、約二十一時間を要した。

三について

 事故者の食事については、平成十一年十一月七日の夕食を事故者が食べなかったこと以外は判明せず、本件事故に係る一般事故調査委員会(以下「調査委員会」という。)においては、同日の夕食を事故者が食べなかったことをもって、普段と同じであったか否かは判断していない。
 なお、調査委員会作成の「護衛艦「さわぎり」の一般事故調査結果」と題する報告書(以下「報告書」という。)の二ページの(ウ)の「特に普段と変わったところはなかった」との部分は、同日の当直終了後、事故者が普段と変わりなく同僚と将棋を指していたという調査の結果を記述したものである。

四について

 平成十一年十一月七日から翌八日にかけて「さわぎり」で実施された訓練は、別紙1のとおりである。
 事故者は、これらの種目の選手に選抜されていなかったことから、これらの訓練には参加しなかった。

五について

 調査委員会においては、非番時を含む事故者の行動について、乗員からの聞き取り調査等により、これを把握しようと努めたが、平成十一年十一月六日から同月八日にかけての事故者の非番時の行動で把握できたのは、別紙2のとおりである。

六について

 御指摘の「P班長」及び「H班長」の平成十一年十一月六日から同月八日までの三日間における勤務日程は別紙3のとおりであり、訓練日程は別紙4のとおりである。
 P班長及びH班長の同月六日から同月八日までの三日間の非番時の行動については、防衛庁においては、両班長から、いずれも、午後三時三十分から約三十分間艦上体育を行い、午後七時から約三十分間甲板掃除を行い、午後七時三十分に火の元点検を受け、別紙4に記載した訓練が行われていた際にはこれに参加し、当直者の食事のため一時当直を交代していたほか、これ以外の時間は、就寝していなかった際には、居住区の自己のベッドで雑誌を読んでいたか、入浴していたか、食堂でトランプを行っていたと思うと聞いている。

七について

 御指摘の「副長N」は、首をつっている事故者を最初に発見した御指摘の「機関科L」からの報告を受けて右舷軸室に行き、同室に降りるラッタルの途中で本件事故の状況を確認し、P班長、機関科L等に対して事故者を床に降ろすよう指示したものである。
 副長Nが右舷軸室に行った時刻及び事故者を床に降ろすよう指示した時刻は、いずれも、機関科Lが事故者を最初に発見した平成十一年十一月八日の午前十時一分ころから、事故者を医務室に収容した同日の午前十時十分ころまでの間である。

八について

 調査委員会は、佐世保地方総監部の幕僚長を委員長とし、公正性を確保するため、「さわぎり」の関係者を含まず、海上幕僚監部、佐世保地方総監部等の隊員から構成されている上、約三か月間をかけて、遺族からの聞き取り調査を行うとともに、職務上の上司、同僚等の部隊関係者等から事情聴取を行うなど、徹底した調査を実施したものであり、本件事故に関し、再調査を行う必要はないと考えている。
 なお、事故者が機関科Lにロープを持っているところを目撃されたのは、右舷軸室における一回だけであり、医務室前で機関科Lが再度事故者と会った時は、事故者はロープを持っていなかったものである。報告書の三ページの(コ)において、「軸室に居たこと及びロープを持っていたので」と記述しているのは、「右舷軸室に居たこと及び同室においてロープを持っていたので」という意味である。

九について

 調査委員会においては、機関科Lが、平成十一年十一月九日、遺族に対し、事故者が「紐を持って今にも首をつろうとしていた」とは語っていないことについては、機関科Lのみならず、その場に立ち会った艦長を含め複数の者に確認している。

一〇について

 御指摘の「W」は、御指摘の訓練の目的をよく理解していなかったため、訓練当日は終日待機していなければならないものと誤解して、終日自宅で待機していた。
 一方、御指摘の「G」は、当該訓練の目的を理解していたことから、Wから電話連絡を受けた時点で訓練を終了した。

一一について

 御指摘の二冊の手帳については、平成十一年十一月八日の午前十時二十三分ころ、機関科の士長が最初に発見して副長Nに渡し、副長Nがこれを調べた後、衛生員長が、他に事故者が身に付けていたものと一緒にこれをビニール袋に入れて医務室で保管し、翌九日に警務官が二冊の手帳を調べた後、補給長が、当該ビニール袋を士官室で保管していたが、同月十四日の午後、二冊の手帳を遺族にお返しした。
 その後、調査委員会が、同月二十七日の午前九時ころから同日の午前十一時三十分ころまでの間、遺族からの聞き取り調査を実施した際、遺族から、二冊のうち一冊の手帳が一ページ破られている旨の訴えを受け、その場で、二冊の手帳を確認した後、そのうちの破られたページがある手帳一冊を遺族から預かった。
 二冊の手帳が第一発見者の手から調査委員会の手に渡るまでの期間は十九日間であるが、そのうち、六日間は「さわぎり」の乗員が管理し、十三日間は遺族が管理していた。

一二について

 事故者の検視を実施した警務官が、平成十一年十一月十七日に、死体の外部所見、現場の状況等を総合的に勘案し、自殺と判断した。

一三について

 調査委員会においては、P班長からは延べ約四十時間以上、H班長からは延べ約二十時間以上、それ以外の隊員からは合計約二百時間以上、それぞれ聞き取り調査を行った。

一四について

 防衛庁においては、御指摘の「I分隊長」から、平成十一年九月中旬に、当時事故者が抱えていた不動産に係る問題の処理に関して、事故者が迷惑をかけたことを謝罪するとともに、I分隊長の心遣いに感謝するとの内容の手紙を遺族から受領し、これを御指摘の「N機関長」に報告するとともに、当該問題の処理に携わった機関科の一曹にも通報したが、礼状であったこと等から、返事は出さなかったと聞いている。
 また、防衛庁においては、N機関長から、同人も、I分隊長と同じ時期に、同じ内容の手紙を遺族から受領し、事故者にこれを知らせるとともに、両親にもよろしく伝えてほしい旨を述べたが、返事は出さなかったと聞いている。

一五について

 海上自衛隊においては、現在でも艦長が御指摘の苦情受理者に指定されている。
 当該苦情処理制度は、自己の受けた取扱いが不法・不当であると考える隊員が、直近の上司を通さず、苦情受理者として指定されている各部隊等の長に対して直接苦情の救済を求めることができるものであり、有益なものであると考えており、また、これ以外にも、隊員の悩みについては、個人面接及び管理者による観察等により心身の状況を把握し、上司、先輩等が一体となって親身に問題の解決に当たるよう指導している上、カウンセリング制度も採り入れており、様々な方法により対応しているところである。

別紙一 平成11年11月7日から翌8日にかけて「さわぎり」で実施された訓練

別紙二 平成11年11月6日から同月8日にかけての事故者の非番時の行動

別紙三 P班長及びH班長の平成11年11月6日から同月8日までの3日間における勤務日程

別紙四 P班長及びH班長の平成11年11月6日から同月8日までの3日間における訓練日程