質問主意書

第147回国会(常会)

質問主意書


質問第四九号

護衛艦さわぎり艦内での隊員自殺事件についての調査委員会報告書に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成十二年五月三十日

福島 瑞穂   


       参議院議長 斎藤 十朗 殿


   護衛艦さわぎり艦内での隊員自殺事件についての調査委員会報告書に関する質問主意書

 一九九九年一一月八日、海上自衛隊佐世保地方総監部所属の護衛艦さわぎり艦内で機関科所属の三等海曹(二一歳、以下「A海曹」という。)が自殺した。A海曹は、上官からの執拗な「いじめ」を受けていたことを生前から遺族に話しており、このほか、船上で賭事や飲酒が日常化していたとも遺族から指摘された。A海曹の自殺に対しては、直ちに佐世保地方警務隊が現場検証、事情聴取し、一週間後には、海上自衛隊として異例の調査委員会が設置された。しかし、調査委員会は自殺から三か月以上後の二〇〇〇年二月二一日、調査報告書(以下「報告書」という。)をまとめたと発表したが、この内容は遺族にすら公開されなかった。結論は「いじめ」はなく、飲酒は寝酒程度で、賭事もなかったというものだが、五月一五日にやっと公開された内容は、A海曹の評価の大半が「いじめ」の当事者と指摘された上官の聞き取りで構成されており、客観的な調査とは到底言えないものであった。よって、政府による公正な再調査が行われるよう、以下質問する。

一、二月二一日の発表では、自殺の発生現場は「土佐沖」とされていたが、報告書では和歌山県潮岬南方○○海里(○○は白抜きで隠されていることを指す。)と記述されている。この両地点は同じ場所か違っているのか。仮に同じだとすれば、報告書と発表はなぜ違う表現となったのか。違っているとすれば、なぜ間違った発表が行われたのか。また、○○海里と陸からの距離を隠す理由はどこにもないと思うが、これは何海里か。仮に距離を隠す合理的理由があるならば、その理由を示されたい。

二、報告書の二ページの(オ)の記述によれば、A海曹は一一月七日の夕食を食べていなかったようであるが、その上の(ウ)の記述では「特に普段と変わったところはなかった」とされている。A海曹は普段から夕食を食べていなかったのか、あるいはこの日のみ食べていなかったのか。後者であるならば、その理由は何か。そもそも調査委員会は、これを調べたのか。調べなかったとすれば、その理由は何か。

三、A海曹は一一月七日の午前〇時から、自殺した一一月八日の朝まで、どのような訓練日程に基づいて訓練を受けていたのか。何時から何時まで何という名前の訓練に従事し、何時から何時まで休憩し、何時から何時まで食事をとり、何時から何時まで就寝していたのか、詳しくわかるように示されたい。仮に、示せないということであれば、調査委員会はそれを調査したのかどうかを示されたい。

四、そもそも、自殺直前のA海曹の訓練日程が調査報告書に、なぜ記述されていないのか。記述しなかった合理的な理由を示されたい。

五、機関科の直属上司P班長は、自殺事故発生後に電話で呼び出されているが、事故発生時にはどこにいたのか。仮に不明であるならば、調査委員会はなぜそれを調査しなかったのか。その合理的な理由を示されたい。

六、一一月三〇日に副長Nが遺族に話した内容では、軸室には機関科Lと一緒にNも駆けつけたと語ったという。「ドア」を開けたのも、最初に見つけたのも副長で、皆が駆けつけてきてから「降ろせ」と指示してその場を離れたとも語ったという。しかし、報告書四ページの記述では、Lが一人で発見したことになっており、遺族の聞いた話と食い違う。この食い違いについて、調査委員会は、どのような調査を行ったのか。もし仮に行っていないとすれば、行わなかった合理的な理由は何か。

七、操縦室において、Lは機械員長Mに対し「A海曹が軸室にいた」という話をし、Mからすぐに呼んでくるよう命じられながら、なぜ真っ先に軸室に行かず、寝室である第四居住区に行ったのか。居住区に行く必然性はないと思うが、調査委員会はこれについて理由は調査したのか。調査しなかったとすれば、その合理的理由は何か。

八、また、Lの話も、一一月九日に「さわぎり」に駆けつけた遺族がLから直接聞いた話と食い違っている。一一月九日にLは、八時四五分に点検で軸室に行ったらA海曹がいたので「変なことはするなよ」と言って外に出したという。遺族が「変なことはするなと言ったということは、君は息子が変なことをするかもしれないという状況にいたということを知っていたのではないか」と聞き、Lは「いいえ違います。紐を持って今にも首をつろうとしていたからです」と答えている。遺族は「なぜそのとき上司に言って助けてくれなかったのか」とLに聞き、Lは「忘れていました」と答える。このやりとりは艦長以下の何人もが一緒に聞いていて、誰も何も言わなかったという。この状況が報告書には記載されていないし、Lが「忘れていました」と答えたのも、いかにも不自然である。Lにどのような事情があったのか、調査委員会ではどのような調査が行われたのか。

九、七ページでは、警務官に実況検分は一一月九日の一一時五分、遺族が退艦した後に開始されたことになっているが、遺族によれば警務隊は遺族が艦に入る前にいろいろな捜査をしており、そのために朝七時三〇分頃には到着していたのに艦内に入れてもらえなかったという。警務隊は遺族が艦に入る前には何をしていたのか。また、それが終わるまで、遺族を艦内に入れなかった理由は何か。

一〇、一一ページでは、三〇分待機についてA海曹に電話連絡をしたWが「今回の警急呼集訓練の目的を良く理解していなかったため」、A海曹に外出をしないように伝えたとされるが、Wがこの目的を理解していなかったのはなぜか。また、前日の分隊整列時の副長指示で「ほとんどの」乗員はこれを理解していたというが、この時点では全乗員が副長指示を聞いていたのか。

一一、この警急呼集訓練の電話連絡網では、A海曹が一番最後なのか。最後でないとすれば、A海曹は誰かに訓練内容を連絡したのか。その連絡を受けたものは、なぜA海曹と同じような待機をしなかったのか。三一班の連絡網の流れをアルファベッドで良いので示されたい。

一二、誤った連絡及び誤った理解があったかもしれないが、A海曹は厳密に本来の三〇分待機の趣旨を守り、二日間も自宅から出なかったというエピソードは、調査報告書全体のA海曹に対する「訓練に熱意がなくやる気がない」という評価と矛盾するが、この点について調査委員会はどのように判断したのか。

一三、ページが切り取られていたA海曹の手帳については、二五ページで「遺書の捜索で数人が扱っている」と記述されているが、誰が、いつ、何時間、何をするために手帳を扱ったのかが書かれていない。この手帳は遺書が書かれていたかもしれないと指摘されているもので、切り取りが誰によっていつ行われたかは、非常に重要なことである。調査委員会メンバーは、五月二二日、佐世保を訪れた社民党調査団に対して、切り取られているのは一ページと語り、二冊の手帳が各二ページずつ、四ページも切り取られている事実すら認識していなかった。手帳について、誰が、いつ、何時間、何のために扱ったか、示されたい。また、切り取りについて、十分な調査をしなかった合理的な理由を示されたい。

一四、さわぎり艦内でどのような訓練が行われていたかを知るため、三一ページの「平成一一年度護衛艦さわぎり教育訓練等計画」(さわぎり般命第六八号。一一.四.一)、「護衛艦さわぎり教育訓練実施細則」(平成七年さわぎり達第二号)、「平成一一年度機関科教育訓練計画」(機関長命令第一一-二A。一一.四.一)、及び三二ページの「護衛艦さわぎり技能訓練シラバス実施要領の標準(案)に関する達」(平成一〇年さわぎり達三号)、「技能訓練シラバス実施上の細部事項について」(機関長命令第一〇-七号。一〇.七.一五)の内容を明らかにされたい。

一五、三四ページでは、「A海曹が仕事上の悩みを話した相手は、同僚及び下位の者であって上司等に相談した事実はない。」と、上司に相談しなかったのがA海曹の落ち度のように記述されており、またA海曹の妻及び母親も上司に相談していないことから、遺族らもA海曹が深刻な状況とは認識していなかったと断じている。しかし、遺族の話では分隊長や機関長はA海曹にとって雲の上の人であり、とても直接話せる人ではなかったという。直属上司は「いじめ」の当事者と思われている人間であり、A海曹や遺族の悩みを訴えることのできる艦内システムはなかったのではないかと思われるが、調査委員会はこのような訴えが可能であったと判断したのか。もし、そういう判断をしたのであれば、その合理的理由を示されたい。

一六、「さわぎり」も含め自衛隊の各部隊において、隊員が直属の上司を飛ばして、より上の上司に悩みを訴えたり、上訴したりできるシステムがあるのか。

一七、報告書は、A海曹の個人情報である「成績評価」については克明な記述をして公開しながら、「いじめ」の当事者と遺族から指摘されているP班長や、H班長の評価については、それが記述されている二二ページをすべて白抜きにして隠している。問題のない評価であれば隠す必然性がないと考えるが、調査委員会がこれを隠した理由は何か。

一八、三五ページでは、「教育訓練指導に当たっては、指導の成果を見るための評価が大切であり、現場での評価は実施されているものの、その記録はなされていない」と記述されている。また「科長を含む総合評価、教育成果を反映した計画の見直し等に関しての記録もない」とも書かれている。このことは、調査報告は「A海曹の習熟度、錬度が低かった」と断じていながら、それは記録に残されたものではなく、「いじめ」の当事者と指摘されているP班長の言い分が、一方的に判断材料とされたことを示している。P班長はA海曹が習熟度が低いと主張しながら、習熟度を高めるために訓練スケジュールを見直すなどの措置も取っていなかったことが、ここから読み取れる。このようなP班長の指導内容についての徹底的な調査が行われるべきであると考えるが、これを行わなかった合理的理由があれば示されたい。

一九、調査委員会はA海曹の上司からの聞き取りは、報告書に綿密に反映しているが、遺族の意見は、ほとんど報告書に反映していない。調査委員会は調査に当たって遺族の意見をどの程度聞いたのか。遺族の意見が報告書に反映されていない理由は何か。

二〇、以上のような不十分な調査では、四二ページにあるような「行き過ぎた指導、飲酒の強要、暴言等の「いじめ」と取られる事実はなかった」というような結論を導き出すことはできない。護衛艦内のカウンセリングシステムを含め、教育訓練指導の仕方、指導そのものの総合評価などを見直す、格好の機会としてとらえ、そのためにも、より徹底した調査を行い、自殺の真の原因を解明すべきであると考えるが、政府の見解を示されたい。

  右質問する。