質問第四六号
芸術・文化の育成に関する質問主意書
右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。
平成十二年五月三十日
但馬 久美
参議院議長 斎藤 十朗 殿
芸術・文化の育成に関する質問主意書
一 芸術・文化の育成に関する取組状況について
我が国は、明治以来、教育を国家の基本に据え、今日まで国家形成を図ってきたところであるが、戦後はその成果が見事に花咲き、世界をリードする経済大国にまで発展してきたことは、周知のとおりである。
しかし、その反面、西洋化と知識偏重教育に陥り、「文化の形成」という観点において、文化行政がなおざりにされてきたことは否定できない。
教育の荒廃が叫ばれて久しく、最近の青少年犯罪の凶悪化を始め、ドメスティック・バイオレンスや児童虐待等の家庭内秩序の崩壊は、まさに日本人としての価値観や日本文化を、世代を越えて、保てなくなってきていることに起因していると思えてならない。
我が国の文教行政において、文化庁が外局として設置されている。その任務については文部省設置法第十二条に「文化の振興及び普及並びに文化財の保存及び活用を図る(中略)ことを任務とする」とあるが、文化の創造という本来的な意義をソフト面において、果してどれだけ発揮してきているか疑問に思う。
「ハコモノ行政」といわれるように、第一、第二の国立劇場が誕生し、博物館や美術館、文化会館に芸術ホールなどと、国も地方も、「かたち」の残る建物には莫大な予算を計上し、立派な建物をつくったが、そこでストップして、「芸術・文化の育成」というソフト面への踏み込みが十分になされていないのが現状であろうと思う。この点、国はどのように考えているのか見解を示されたい。
また、国は芸術・文化の育成にどのように取り組んでいるかについても明らかにされたい。
二 伝統芸術・文化の理解者・庇護者について
歴史上、例えば王宮文化のように芸術文化は、いかなる国においても権力者若しくは富裕者がそれを支え栄えさせてきたことは否定できない。今日では国民生活が向上し、国民一人一人が芸術・文化を理解し、支え栄えさせていく使命を担っていることは論を待たない。しかし、国民自らが生きる時代に左右され、芸術・文化も時代に乗れるもの乗れないもの当然でてくると思われる。
問題は、この時代の波に乗れない伝統ある芸術・文化が自然淘汰され、歴史の闇に埋もれてしまっていいのかということである。次の時代に生きてくるものもあることは否定できない。
私は、時代に乗れるもの乗れないもの区別せずに、しっかり伝統芸術・文化の役割を理解し、その庇護者となりうるのは、普遍的には国若しくは地方自治体であろうと思うが、政府はどのように考えているか見解を示されたい。
三 予算配分並びに拡充について
「芸術文化の振興」予算を平成九年度からみると、文部省予算約五兆八〇〇〇億円に対して、二一〇億円である。これは「新国立劇場の整備運営費」が四七億円、「国立美術館整備運営費」五五億円と、「ハコモノ予算」になっている。平成十年度では約六兆五〇〇〇億円に対して、二八三億円、十一年度は五兆九〇〇〇億円に対し二四三億円、十二年度では約五兆九〇〇〇億円に対して、二四六億円である。うち「新国立劇場整備費」に五六億円、「国立美術館整備運営費」に九九億円と相変わらずハコモノに多く予算が計上されている。
国家予算の〇・〇三%、文教予算の〇・四%にも満たない「芸術文化の振興」のための予算の大半が、ハコモノ予算に費されているのが現状である。
歴史上、中華文明という巨大な文明圏の淵に存在していながら、その一部を選択して受け入れつつも、独自の素晴らしい文化を築き上げてきた日本という国の文化に対する行政サイドの扱いとしては、あまりにもお粗末過ぎると言わざるを得ない。
NPO法が施行されている今日、我が国の芸術文化の支援助成活動は、国、地方自治体、助成財団、メセナ等の企業、そしてNPOを含む市民という五つのセクターに分かれることになるが、中でも国や地方自治体いわゆる行政サイドは、芸術・文化の育成のメーン・セクターであろうと考える。
今後はハコモノ行政を見直し、芸術・文化のソフト面の育成に本腰を入れていくとともに、予算の配分並びに予算の拡充について政府の見解を示されたい。
四 個人アーティストへの助成について
芸術・文化の表現に「お金」がかかることは言うまでもない。
「企業メセナ協議会」が平成十一年に文化芸術活動団体や個人アーティストを対象に調査した結果がある。これは建築、音楽、美術、演劇、舞踏、映像等我が国文化芸術の各ジャンルを網羅しており、文化芸術活動面の実態を知る上で大変参考になる調査結果である。
これによると、文化、芸術活動の発表にかかる経費は、個人活動で平均五六三万円、団体で一億四二二七万円で、いずれもそれを発表するための慢性的な資金不足を訴えており、資金面で「全く問題なし」と回答した個人アーティストや団体は一件もなかった。
商業ベースで採算に乗る大衆文化や芸術は、行政や各助成機関の支援については何らに問題にならないが、商業ベースに乗らない文化芸術こそ助成を必要としているにもかかわらず、これらの個人活動家には助成の枠もなく、路頭に迷っているのが現実である。
そのため個人アーティストや助成対象になりにくい任意の小団体は、外務省所管の「国際交流基金」の助成で海外で発表のチャンスをつかもうとしているのが実態である。
我が国伝統芸術や文化が、国内では発表できなく海外でしか、その発表のチャンスがないという驚くべき実態があることを認識しなければならない。
これらの個人アーティストの芸術文化活動の助成について、政府はどのように考えているのか。
五 個人助成の方法について
文化活動の助成を行う機関は、それぞれ扱うジャンルを内規で定めている。その中で圧倒的に多いのは西洋クラシック音楽への助成であり、クラシック音楽以外芸術文化がないのかとさえ思われる助成実態である。
明治政府以来のキャッチ・アップ政策の効果が十分に表れていると思うが、しかし他のアーティストが助成を受けにくくなっているのは確かである。
ハコモノ行政で立派な劇場や芸術会館ができたものの、その使用料は世界一高いと言われている。使用料が高ければ当然入場料に跳ね返ってくる。我が国では自分の国の文化芸術を見るのに支払う料金が、これがまた世界一となっている。これでは果して我が国は文化立国と言えるのだろうか。
ドイツでは文化保護立法がなされ、入場料に助成されているため個人アーティストであろうと小さな任意団体であろうと保護されている。
我が国においても、行政さえその気になれば、個人アーティストへの助成ができるシステム作りは十分可能である。
例えばその一つは、舞台や会場の制作において、利益率が低いと商業演劇サイドは拒否するためボランティアに近い人々により制作されているが、ここに行政サイドが手を差し伸べ制作機関を創設し、アーティスト達に積極的に発表の場を提供していく方法もある。
また一つは、現在団体にしか適用していない会場費の助成を、個人アーティストにも認める必要がある。舞台内容を選び積極的に会場を提供し、あるいは会場費の肩代わりをする。当然この場合には、審査機関が必要になる。
このように個人アーティストの活動を行政サイドで積極的に助成して、芸術文化の育成を行う姿勢が行政サイドにあるのか、見解を示されたい。
六 芸術文化振興の財源について
消費税が実施される以前には、国税の一つに「入場税」があった。この税収は昭和六十一年度は五四億円、昭和六十二年度は七三億円、「入場税」の最後の昭和六十三年には八〇億円が徴収されている。
現在は消費税に変わっており、入場料にかけられる消費税は一般会計に繰り入れられている。
私は、このかつての入場税徴収額に匹敵する金額を、芸術文化振興費の財源に充当すべきであると考える。
この消費税収に相当する国庫を、商業ベースに乗りにくい純粋芸術や伝統文化の助成として回すことができるならば、芸術文化から税金を取るという禁断の果実を獲るような抵抗感が和らぎ、立派な目的税化することができるのではないか。
韓国では「芸術文化振興基金募金」という制度があり、またアメリカやヨーロッパにも古くから日本のかつての入場税に類似した税金がかけられて、芸術文化振興に手厚く保護と助成がなされているという。
国民が芸術文化のために支払った税金は、芸術文化の育成と助成のために還元すべきであると考える。もちろん、ハコモノ予算としてでなく、芸術文化のソフト部分にである。
芸術文化振興の財源について政府の見解を示されたい。
七 アートマネージメントについて
文化施設等ハード面が立派でもソフト面が貧弱であることは前述のとおりである。そのソフト面の質の向上を図るとともに、芸術文化団体の活動を支える経営基盤を強化することが大きな課題となっている。また民間企業によるメセナ活動の機運の芽を更に活性化することも要請されている。
芸術文化活動をめぐる三つの要素があると言われている。芸術家等の創造性、聴衆を中心とする社会、そしてこれらを支える資本の三つであるが、これらを有機的にリンクさせる機能全般はアートマネージメントと言われており、具体的には芸術文化活動の企画制作、経理、組織管理等の業務、広報活動、マーケティング等の業務が含まれる。
このアートマネージメントを司るアートマネージャーの養成や企業団体の育成が、今後の芸術文化活動の活性化にとって死活の課題であると思われる。このアートマネージメント活動に対する見解と今後の方針を示されたい。
右質問する。
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