質問主意書

第134回国会(臨時会)

答弁書


答弁書第四号

内閣参質一三四第四号

  平成七年十二月十二日

内閣総理大臣 村山 富市   


       参議院議長 斎藤 十朗 殿

参議院議員田英夫君提出村山内閣の基本姿勢に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。


   参議院議員田英夫君提出村山内閣の基本姿勢に関する再質問に対する答弁書

 我が国の国政の在り方が世界の政治、経済に大きな影響力を有する今日にあって、政治家の国民に対する責任を明確にした、真の民主政治を実現する方向性を積極的に打ち出すべきとの議員の趣旨には、本内閣としても基本的には考えを同じくするものである。第百三十一回国会における所信表明演説でも述べたとおり、政治家は、改革の方向付けとその実現に強いリーダーシップを発揮し、行政官は、その専門知識を活かして誠実に具体的政策の実施に当たるという双方の役割と責任を十分に自覚し、歯車がかみ合ってこそ、諸改革や国政運営は適切になされるものと考えており、今後とも、本内閣として、憲法の理念を尊重し、政治のリーダーシップの下、適切な国政運営に努めてまいる所存である。

一の1について

 質問主意書は、議長から転送された後、速やかに答弁作成に係る省庁を定めた上で、これらの省庁の長たる国務大臣あて転送日当日にその全文を回付している。したがって、これら答弁作成に係る省庁の長たる国務大臣に対しては、答弁書が付議される閣議の当日を含めた七日前に回付するのが通例となっている。
 このことについて、本質問主意書を例として具体的に申し上げると、平成七年十一月一日に転送された「村山内閣の基本姿勢に関する質問主意書」と同様、内閣官房長官、外務、大蔵、運輸の各大臣及び防衛庁、総務庁の両長官へそれぞれ全文を転送日当日に回付するとともに、全省庁にも別途配布し、また、内閣総理大臣に対しても全文を報告したところである。
 なお、質問主意書は、内閣への転送と同時に関係議院から全省庁へ配付されていると承知している。

一の2について

 質問主意書に対する答弁書は、事務次官等会議を経て閣議に付議することとされており、答弁書の内容に関する関係省庁間の協議は、当該事務次官等会議の前日までに完了することとされている。したがって、答弁作成に係る省庁の長たる国務大臣は、当該事務次官等会議の前日、すなわち答弁書が付議される閣議の二日前までには、答弁書の内容を承知することとなるが、他の国務大臣については、遅くとも当該事務次官等会議の後、すなわち当該閣議の前日までには、答弁書の内容を承知しているのが通例となっている。
 なお、当該事務次官等会議及び閣議には、質問主意書及びこれに対する答弁書の全文を配布している。

一の3について

 御指摘のような規程等はない。

一の4について

 質問主意書に対する答弁書について、各国務大臣は、遅くとも答弁書が付議される閣議の前日までにその内容を承知しており、必要に応じ当該閣議の場等において意見を述べているところである。

一の5について

 質問主意書の国務大臣への回付に当たっては、議長から転送された全文そのものを回付しており、御指摘のように担当部分のみを送付することはない。
 したがって、答弁を作成する省庁は質問主意書の全文を承知の上、答弁を作成しているところであり、御指摘の平成七年十一月十四日付けの答弁書も同様に作成されたものである。
 なお、同答弁書における「関係国務大臣」とは、「一の1について」で述べた答弁作成に係る省庁の長たる国務大臣である。

二の1について

 平成七年九月上旬に日銀が実施した公定歩合の引下げ後、一か月経過後において短期プライムレートの引下げを実施しなかった銀行数は、地方銀行協会加盟行では二十六行、第二地方銀行協会加盟行では五十一行であり、二か月経過後において短期プライムレートの引下げを実施しなかった銀行数は、地方銀行協会加盟行では二行、第二地方銀行協会加盟行では十行である。
 なお、都市銀行、長期信用銀行、信託銀行は、いずれも先般の公定歩合の引下げ後、一か月以内に短期プライムレートの引下げを実施している。

二の2のイについて

 平成七年八月七日、大和銀行の専務取締役(当時)源氏田重義から、大蔵省銀行局長西村吉正に対して「意見交換を行うとともに、頭取から報告をしたい案件があるので時間をとってほしい」旨の申出があった。なお、仲介した政治家はいない。

二の2のロについて

 大和銀行からは、頭取(当時)藤田彬、副頭取(当時)安井健二、専務取締役(当時)源氏田重義、常務取締役(当時)山路弘行、常務取締役勝田泰久、大蔵省からは、銀行局長西村吉正、銀行課長村木利雄が出席し、午後六時ごろから午後七時ごろまで大和銀行白金会議所で行われた。

二の2のハについて

 当初、大和銀行からは、銀行局長室への来訪の申出があったが、当時はコスモ信用組合の破綻処理が発表された直後で、木津信用組合、兵庫銀行の処理についても世間の関心が高まっている時期であり、また、大和銀行については、三菱銀行と東京銀行の合併に続く大型合併問題の焦点との見方があった。この時点で銀行局長が大和銀行の頭取と長時間にわたって会談することによる報道機関に与える影響には、十分注意する必要があった。そのため、大蔵省等が共用している会議所で会うことも検討したが、当日は、他に会議があり、多数の人々の出入りが予想されたので、大和銀行の白金会議所で話を聞くことにした。

二の2のニについて

 大蔵大臣が事情を聴取した結果、銀行局長の発言については、当時の金融機関をめぐる状況が極めて緊迫したものであったことから、そのような状況のもとでは、不確実な情報が流れることは問題であり、事態の解明が先決であると考えたところであるが、本件の発表の時期と関連づけて御指摘のような発言をした事実はないとのことであった。
 また、事件に係る双方のやりとりの概要は、大和銀行頭取から、「七月下旬、ニューヨーク支店の現地採用職員から頭取あての私信を受け取った。この職員は、かねてから有能との評価を受けてきており、以前、頭取がニューヨークへ出張したときにも説明等に当たった者である。この私信には、十年以上にわたる米国国債の取引により十億ドル以上の損失を生じたとの告白が含まれている。真偽のほどが明らかでなく、余りにも長期間かつ多額のことなので、ともかく事態の解明に当たることが先決であると考え、担当者に着手させたところである。ある程度の時間がかかると思うが、事態の把握に努め、状況が分かり次第報告したい。仮にこの損失が事実であったとしても、大和銀行の資産・収益状況から見て経営の根幹を揺るがすような影響を与えるものではなく、損失処理は迅速にできると思う。」との説明を受けたので、銀行局長からは、「早急に事態の把握に努め、状況が分かり次第報告してほしい。」との旨を伝え、その他様々な意見交換を行ったとのことであった。

二の2のホについて

 平成七年八月八日には、大蔵省側の出席者は、告白の手紙は見ていない。大蔵省は、従来より不祥事件の処理に当たっては、まず金融機関自身が事態の解明を行い、その調査結果の報告に基づき改善指導を行うという手法をとってきたこと、また、書状には、告白が含まれているものの、頭取が、旧知の職員から受け取った私信であるとの説明をしたことから、その場で提出することまでは求めなかったものである。

二の2のヘについて

 大和銀行が、事態の解明をある程度行った上、大蔵省銀行局に対し、不祥事件として概要報告を行ったのは、平成七年九月十二日であり、大蔵事務次官及び大蔵大臣に報告したのは、その二日後である。

二の3について

 法令に照らして問題にすべきような事実があったという疑いがないにもかかわらず、職員の会食の状況等について調査を行い、これを公表することは、職員のプライバシー保護の観点から適当ではないと考える。
 いずれにせよ、大蔵省においては、「綱紀の厳正な保持について」の通達を発出し、「職務上の関係者からの会食等への招待は、原則として応じないこと。」としており、さらに、紀律保持委員会などあらゆる会議を通じて綱紀の保持の徹底を図り、職員の気持ちの引締めを行ってきているところである。
 御指摘を謙虚に受け止め、今後とも綱紀の粛正に全力を尽くしてまいりたい。

二の4について

 大蔵省に係る不祥事は、大蔵省への信頼を大きく損なうもので、公務員の綱紀に関する国民の御批判については、これを謙虚に受け止める必要があると考える。
 また、大和銀行問題及びその対応等については、既に答弁させていただいたとおりである。しかしながら内外から種々の御批判をいただいたところであり、今回の事件を貴重な教訓としていかなければならないと考えている。
 しかし、大蔵省の担っている財政機能と金融機能とは、いずれも経済運営上密接に関連する重要な政策手段であることから、これらの機能を一つの省で一体的に運営することが必要不可欠であり、政府としては、同一大臣の責任の下に、一体的に政策を遂行し、我が国経済の円滑かつ効率的な運営に努めてまいりたい。
 いずれにせよ、中央省庁の在り方については、中長期的な検討課題の一つと認識しているが、中央省庁は国の行政機構の最も根幹をなす組織であり、その改編の影響は極めて大きいと考えられることから、様々な観点から十分慎重に検討することが必要と考える。

三の1について

 政府としては、大韓航空機事件に関する衆・参両院決議に沿い、中立で、かつ、この分野における専門的能力において最も適任である国際民間航空機関(以下「ICAO」という。)を中心とする真相の究明を推進し、また、関係各国と共にICAOの調査に協力してきたところである。平成五年のICAO最終報告書をもって、これまでに得られた情報を基に行い得る公式な真相究明は基本的に完了したものと認識している。他方、その後「大韓航空機事件の真相を究明する会」がICAO事務局に対し、同報告書の内容について更に質問を行ってきたと承知しているところ、これについては政府よりICAO事務局に対し、中立性、客観性を保ちつつ事実関係を誠意をもって回答するよう働きかけてきた。また、今回を含め本事件に係る累次の質問主意書への答弁書作成に当たり、ICAO事務局に対し再三、詳細にわたる事実関係の照会を行う等、政府として可能な限りの努力を払ってきている。
 御指摘のICAO最終報告書の訳文作成については、特に本件報告書には、関連する訴訟での係争事項ともなっている本事件の責任の所在等、機微でかつ国家間の関係にも関わり得る問題について、英文に特有の表現で書かれ、解釈を特定し得ないような記述も含まれていることから、政府として責任をもって国会に提出し得る訳文を作成することは、仮に英文が正文であることを断った上であっても、極めて慎重にならざるを得ないとの事情がある。このことは決して御指摘のような国会軽視に出たものではなく、重ねて御理解を得たい。

三の2について

 昭和五十八年及び平成五年にICAO事務局に勤務していた政府職員の氏名及び現在に至る略歴は次のとおりである。

昭和五十八年  芦沢璋  昭和五十四年七月から昭和五十九年七月までICAOアジア太平洋事務所管制捜索救難担当官
             昭和六十年四月から同年五月まで運輸省航空局安全監察官
             同年五月から昭和六十三年六月まで同省航空局監理部国際航空課航空交渉調査官
             同年六月同省辞職
平成五年    冨田博明 平成四年一月から平成六年十二月までICAO事務局本部地域問題部担当官
             平成七年一月から同年三月まで運輸省航空局技術部航空機安全課航空機検査官
             同年四月から同省航空局技術部航空機安全課補佐官
        芹沢道男 平成三年五月から平成六年四月までICAOアジア太平洋事務所管制捜索救難担当官
             同年四月から運輸省東京航空交通管制部航空管制官
        井ノ口寛 平成五年七月から平成七年七月までICAOアジア太平洋事務所管制捜索救難担当官
             同年七月から運輸省東京航空局新東京空港事務所管制部航空管制官

三の3のイについて

 各国のオブザーバーは基本的には分析作業に立ち会い、これを観察したが、ICAO事実調査団(以下「調査団」という。)によるボイス・レコーダーの記録の再生と翻訳の作業にはオブザーバーも参加した。具体的には、記録テープの再生はフランスの技術者が行い、韓国語については、最初に韓国のオブザーバー、主として大韓航空のパイロットが英語に訳し、これを調査団や他のオブザーバーが適切な英語に直すという作業を繰り返し、その後、フランスの公式韓国語翻訳者が翻訳の最終確認を行った。
 その他の分析作業は、フランスの専門家の協力の下に、調査団が中心となって行ったと承知している。

三の3のロについて

 本件は技術的な分析作業であり、各国オブザーバーは「三の3のイについて」で述べたように、基本的にはこれに立ち会うことが目的であったので、我が国としてはこの分野に精通した台木調査員一名を派遣することで十分と判断したものである。同調査員は昭和五十五年に運輸省に入省、主として航空技術分野の職務を歴任した後、平成四年五月から平成七年六月まで国際観光振興協会パリ事務所次長、以後現在まで鉄道局保安車両課補佐官として勤務している。
 なお、分析作業のオブザーバーとして我が国から参加したのは台木調査員のみであったが、同作業に先立って、パリにおいてロシアからICAOに対してボイス・レコーダー及びフライト・レコーダーの原テープが引き渡された際には、駐仏大使外日本大使館館員が、米国及び韓国の関係者とともに立ち会って引渡を確認する等、一連の行事に参画した。

三の3のハについて

 フランスの提供した専門家の人数は十二名であり、その氏名及び当時の肩書は以下のとおりである。なお、こられ専門家の略歴は承知していない。また、この外に一時的に何人かの技術者が分析作業に参加したと承知しているが、記録に残っていない。

A.E.COURBIERE(クールビエール) 事故調査局フライト・レコーダー技術者
M.GONON(ゴノン)           右に同じ
J.-M.LAPENE(ラペン)       右に同じ
P. BOYELDIEU(ボワィエルディウ)  事故調査局実験室専門家
A.SERRES(セレス)          事故調査局ボイス・レコーダー技術者
P.ARSLANIAN(アースラニアン)   事故調査局長
J.C.ANTOINE(アントワーヌ)    事故調査局実験室長
P.HENNEQUIN(エヌカン)      事故調査局広報室長
J.F. BERTHIER(ベルティエ)    事故調査局冶金専門技術者
J.F.BUISSET(ビュィセ)      警備官
P.LEMOINE(ルモワーヌ)       飛行実験センター・レコーダー解析課長
N. LALLET(ラレ)           飛行実験センター・ワークショップ課長

三の3のニについて

 大韓航空パイロット及び同社技術者は、「三の3のイについて」で述べたように、フライト・レコーダー及びボイス・レコーダーの分析にオブザーバーとして立ち会い、韓国語の部分を英語に翻訳する作業に参加したと承知している。
 また、韓国政府及び大韓航空関係者以外の者では、ロシアからのオブザーバーの一人であるP.DOROSTCHENKO(ドロスチェンコ)大佐が韓国語を解したと承知している。同大佐の略歴は承知していない。

三の4のイについて

 御指摘の各報告書については、それぞれの作成当時の政府内関係者にも照会する等可能な限りの調査を行ったが、「仮訳」の形にせよ、政府において訳本を作成したとの事実は確認されなかった。

三の4のロについて

 昭和五十八年十二月に公表された最終報告書は本文が五十六頁、附属が合計九十二頁、平成五年三月十一日付けの中間報告書は七頁、平成五年五月二十八日付けの最終報告書は六十五頁、平成五年六月八日付けの最終報告書追補は一頁である。なお、平成五年五月二十八日付けの最終報告書には関連して同時に公表された参考資料がある。

三の4のハについて

 平成五年三月十一日付けの中間報告書は、ICAO事務局から理事会に対し、事実調査の進捗状況に関する中間的な報告を行うための部内文書であり、本来公表を目的としたものではない。また、最終的に公表すべき情報はすべて最終報告書に含まれ、公表されることから、中間報告書を公表する必要はないとの判断の下に、事務局長が秘扱いで取り扱うよう提案し、理事会は異議なく秘扱いを承認した。
 なお、昭和五十八年十二月に公表された最終報告書の作成直後の時期においても、御指摘のように、ICAOの内部討論の過程が正式に公表されていたとは承知していない。

三の5について

 御指摘の報告書の内容の当否について、防衛庁は評価する立場にない。

三の6について

 御指摘の規則については、質問主意書の御指摘を踏まえ、米国政府当局に照会した結果、同規則は米空軍の内部規則であることが判明しており、その内容について政府としてコメントする立場にはない。