質問主意書

第121回国会(臨時会)

答弁書


答弁書第一二号

内閣参質一二一第一二号

  平成三年十月二十九日

内閣総理大臣 海部 俊樹   


       参議院議長 長田 裕二 殿

参議院議員吉岡吉典君提出日本の戦争犯罪についての軍事裁判に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。


   参議院議員吉岡吉典君提出日本の戦争犯罪についての軍事裁判に関する質問に対する答弁書

一の1について

 第二次世界大戦における日本国民の戦争犯罪に関して行われた裁判としては、(1)東京において行われた極東国際軍事裁判所の裁判、(2)東京において行われたいわゆるGHQ裁判及び(3)連合国各国が開いた法廷において行われた裁判があった。(3)については、米国はマニラ、横浜、上海、グアム等において、英国はシンガポール、クアラルンプール、タイピン、ラングーン、香港、ペナン、ジェッセルトン、メイミヨウ等において、オーストラリアはラバウル、ウエワク、モロタイ、ダーウイン、シンガポール、香港、マヌス等において、オランダはバタヴィア、バリクパパン、マカツサル、モロタイ、ポンチャナック、メナド、アンボン、メダン、クーパン、バンジェルマシン、ホーランデイア等において、中国は上海、南京、広州、北京、徐州、漢口、瀋陽、済南、台北、太原等において、フランスはサイゴンにおいて、フィリピンはマニラにおいて裁判を行ったと承知している。

一の2について

 起訴された者の数及びその裁判結果を裁判国等ごとに示すと次の表のとおりであると承知している。

図 表 1/2

図 表 2/2

一の3について

 戦争犯罪裁判を、A、B、Cの三級に区別することは、公式に行われていたわけではないが、いわゆるA級及びBC級戦争犯罪裁判の区別について承知しているところは、おおむね次のとおりである。
 いわゆるA級戦争犯罪人とは、極東国際軍事裁判所において審理された戦争犯罪人を指し、これを裁いた裁判がA級戦争犯罪裁判といわれている。
 いわゆるBC級戦争犯罪人とは、日本国内及び国外において連合国が開いた法廷のうち極東国際軍事裁判所以外のもの(以下「連合国戦争犯罪法廷」という。)において審理された戦争犯罪人を指し、これを裁いた裁判がBC級戦争裁判といわれている。

一の4について

 日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「平和条約」という。)発効時に戦争犯罪人として巣鴨刑務所に収容されていた者は、九百二十七名である。そのほかに、資料によれば、ニュービリビッド刑務所(通称モンテンルパ刑務所、フィリピン)に百十一名、マヌス島刑務所(オーストラリア)に二百六名の者が戦争犯罪人として収容されていたと承知している。

一の5について

 宣誓仮出所制度とは、昭和二十五年三月七日、連合国最高司令官総司令部により、日本において服役するすべての戦争犯罪人を対象として、拘置所におけるすべての規則を忠実に遵守しつつ、一定の期間以上服役した戦争犯罪人に付与する恩典として設けられた仮出所の制度である。
 右制度により、平和条約発効時までに出所した者の数は、八百九十二名であった。

二の1について

 A級戦争犯罪人に対する減刑及び赦免は、平和条約第十一条及び平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)を根拠として、中央更生保護審査会の審査に基づく我が国の勧告及び極東国際軍事裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定に基づいて行うものとされていた。
 A級戦争犯罪人として有罪判決を受けた者のうち減刑された者は十名(いずれも終身禁錮の判決を受けた者である。)であり、いずれも昭和三十三年四月七日付けで、同日までにそれぞれ服役した期間を刑期とする刑に減刑された。なお、赦免された者はいない。

二の2について

 二の1において述べた十名に対する減刑は、いずれも、我が国の勧告並びに米国、英国、フランス、オランダ、オーストラリア、カナダ、フィリピン、パキスタン及びニュー・ジーランドの政府の決定に基づいて行われた。なお、その減刑の処分決定には理由が付されていないが、我が国の勧告は、本人の善行及び高齢を理由とするものであった。

二の3について

 BC級戦争犯罪人に対する減刑及び赦免も、平和条約第十一条及び平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律に基づいて行われた。

二の4について

 平和条約第十一条及び平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律に規定する「赦免」とは、一般に刑の執行からの解放を意味すると解される。赦免が判決の効力に及ぼす影響について定めた法令等は存在しない。

二の5について

 平和条約第十一条に規定する「拘禁されている日本国民」とは、極東国際軍事裁判所又は連合国戦争犯罪法廷において有罪とされ、刑を科せられて平和条約の発効時まで日本国民として拘禁されていた者を意味するものと解され、平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律は、これらの者の刑の執行並びに赦免、刑の軽減及び仮出所について定めたものである。したがって、同法第一条に規定する「刑を科せられた者」は、平和条約第十一条に規定する「拘禁されている日本国民」と同義であり、平和条約発効によって日本国籍を離脱した者も、これに含まれると解される。

二の6について

 A級戦争犯罪人のすべてについて刑期が満了したのは、昭和三十三年四月七日であり、BC級戦争犯罪人のすべてについて刑期が満了したのは、昭和三十三年十二月二十九日である。BC級戦争犯罪人のうちお尋ねの朝鮮半島出身者及び台湾出身者についての釈放の時期は、不明である。

三について

 昭和二十七年四月二十八日、平和条約の発効及び公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律(昭和二十七年法律第九十四号)の施行により、選挙権、被選挙権などの公民権が回復された。

四の1について

 資料によれば、平和条約発効時に巣鴨刑務所に収容されていた者のうち、朝鮮半島出身者と推定される者は二十九名で、その裁判国は、十八名が英国、十名がオランダ、一名がオーストラリアであり、台湾出身者と推定される者は一名で、その裁判国は英国である。

四の2について

 朝鮮半島出身者及び台湾出身者で戦争犯罪裁判において起訴された者の数及びその裁判結果等については、いずれもその実態を正確に把握できない。資料から推定できる受刑者総数は、朝鮮半島出身者について百五十名程度、台湾出身者について百七十名程度と承知している。

四の3について

 朝鮮半島出身者及び台湾出身者の刑の執行の状況は、平和条約発効前については、不明である。
 平和条約発効後については、我が国が、平和条約第十一条及び平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律に基づき、連合国最高司令官又は関係国から身柄の引渡しを受けた者に対して巣鴨刑務所で残刑を執行した。

四の4について

 朝鮮半島出身者及び台湾出身者について、我が国は、累次にわたり赦免の勧告をしている。減刑の勧告をした事例は資料上見当たらない。
 朝鮮半島出身者及び台湾出身者について、赦免又は減刑を受けた者の数その他赦免又は減刑に関する実情は、不明である。