質問主意書

第114回国会(常会)

質問主意書


質問第二四号

社会体育指導者資格付与制度に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成元年六月二十一日

市川 正一   


       参議院議長 土屋 義彦 殿


   社会体育指導者資格付与制度に関する質問主意書

 スポーツ活動は、人々の心身の健全な発達を促し、国民の健康で文化的な生活に寄与していく上で重要な意義を持っている。それは、国民の一人一人の自発的、自主的な活動を基本とするものであるとともに、その真価は、優れた指導者の指導とあいまって発揮されるものである。
 近年、国民の各層にスポーツ活動が広がっており、我が国のスポーツ人口は、急速に増加している。一方、スポーツ活動の傷害事故が増加するとともに、スポーツ界における暴力・不正事件も多発し、スポーツ活動が必ずしも人間形成と結び付いていないことや、競技スポーツの国際交流の分野でも、我が国のレベルが、国際水準から大きく立ち後れていることなども指摘されている。
 こうした事態の背景には、スポーツの指導にかかわる問題も含まれており、スポーツ指導者の大量養成と資質の向上を図ることが、スポーツを振興する上での重要な課題の一つとして浮かび上がっている。
 本来、スポーツ指導者の養成と配置は、国民の自発的、自主的なスポーツ活動を奨励するための国が責任を持って推進すべき条件整備の課題である。それにもかかわらず政府は、今日まで極めて不十分な対策しか採ってこなかった。例えば、今年度文部省予算における社会体育指導者の養成にかかる経費は、わずか千五百万円しか計上しておらず、全国に三十六万人いるといわれる指導員の数からして、余りにも少なすぎるものである。また、公共スポーツ施設の指導員は、主要施設に限ってみても二十一・六%しか配置されておらず、しかもそれは五年前と比較して七・六%も低下している。これらのことでも明らかなように、文部省は、スポーツ指導者の養成と配置について、事実上その責任を放棄してきたといっても過言ではない。
 こうした中で、文部省は、一昨年一月、「社会体育指導者の知識・技能審査事業の認定に関する規程」(以下「規程」という。)を告示した。しかし、この「規程」は告示されてから既に二年有余を経過しているにもかかわらず、その実施は順調には進展していない。それは、この「規程」が各団体の既成の指導員養成制度の実態及び今日要請されている指導者養成と著しく掛け離れていることに根ざしていると考える。
 そこで、スポーツ振興の上で重要な役割を果たす指導者の養成と資質向上を図る立場から、この「規程」とその運用などについて、以下、質問する。

一 文部省による審査事業の認定について

(一) 我が国のスポーツ指導者の資格付与は、これまで各種のスポーツ団体、地方自治体などで行われており、その登録指導者は約三十六万人に達している。今回の資格付与制度が発足することによって、これらの各種スポーツ団体や地方自治体による指導者養成事業は、結局、文部省の公認事業と非公認事業とに分割されることになり、文部省が認定しない事業は、相対的に権威がないもののように取られるなど、事実上格差や差別が生まれることにならざるを得ない。
 本来、スポーツは自由な活動であり、どの団体の付与する指導者資格が権威を有するものであるか否かは国民の選択と判断に待つべきものである。こういう点から、文部省が指導者制度の一環として、指導者の資格に関する基準を示すことはあるとしても、民間団体の審査事業のうち、特定のものを文部省が公認するということになる今回の「規程」は、社会教育法の精神に反し、スポーツの国家統制に広がるおそれがあると考えるが、どうか。
(二) 保健体育審議会は、この「規程」による資格付与制度を建議するに当たって、社会教育の分野の「技能審査事業認定制度」が参考になるとして、その仕組みを援用している。しかし、この制度は、「通訳」とか「速記」とか個人の「技能」に関するものであって、そこには人を「教育」、「指導」する能力は求められていない。社会体育における指導者は、スポーツに参加する人々の自主性を尊重し、精神的、肉体的な育成を目指して教え導くものであり、技能とともに優れた指導者としての資質が問われるものである。したがって、この制度の有効性を「技能審査事業認定制度」に求めるのは不適切であると考えるが、どうか。

二 社会体育指導者の対象について

(一) 文部省の「規程」に基づく体育局長「通達」によると、社会体育指導者を(1)地域スポーツ指導者、(2)競技力向上指導者、(3)商業スポーツ施設における指導者、(4)スポーツプログラマーの四つに区分しているが、その根拠が明確ではない。もともと、この「規程」の出発点は、千九百七十二年の保健体育審議会答申「体育・スポーツの普及に関する基本方策について」(以下「答申」という。)にあることは、今回の「建議」でも述べられている。その「答申」は指導者について、日本体育協会などの民間の有志指導者とともに、公共社会体育施設における指導者、及び市町村教育委員会における体育スポーツ担当の機構と職員の現状に最も問題があるという認識に立って、社会体育指導者の対象と対策を示しているのである。しかし、今回の「規程」は、「商業スポーツ施設における指導者」は対象にしているが、「公共スポーツ施設における指導者」は対象にしていない。
 この資格付与制度が、「社会教育法」及び「スポーツ振興法」などの原則に立ち、国民のスポーツを振興するため、社会体育指導者の資質向上を目的とするものであるとすれば、国及び地方自治体の直接の責務にかかわる公共スポーツ施設における指導者の配置基準の策定と併せて、その大量養成と資質の向上こそ最も重視すべき課題であると思うが、どうか。
(二) 社会体育指導者を「規程」に基づいて四区分に特定することは、千九百七十二年保健体育審議会答申の趣旨からしても、また各社会体育団体の既存の指導員制度の実態からも掛け離れており、指導員の在り方とも関連して、この制度は合理性を欠いている。例えば、水泳の鈴木大地選手を育てたコーチは、商業スポーツ施設の指導員であると同時に水泳連盟の強化コーチであることをみても、今回の区分が実態に合致していないことは明白である。もし、区分するとしても、公共スポーツ施設の専門指導者を含む職業的専門的指導者と任意のボランティアの指導者のそれぞれの資格で十分であるという関係者の意見を尊重するべきではないか。文部省が四区分に固執するのであれば、その明確な根拠を示すべきであると考えるが、どうか。

三 審査事業の実施団体について

(一) 「規程」に基づく審査事業の実施は、「公益法人(民法第三十四条)であって実施能力のあるもの」としているが、もともと社会教育法に基づく社会教育団体は、公益法人であることを求めていない。社会教育の一部である社会体育に関連する事業であるにもかかわらず、この事業についてのみ公益法人であることを求めるのは極めて疑問である。しかも、体育局長「通知」に示されたカリキュラムの講習時間は、商業スポーツ施設における指導者で二千時間となっているが、これらの講習を実施できる体制を既に持っている関係の公益法人は存在していない。したがって、今回の制度は、資格付与の認定団体がその審査事業を、こうした講習を実施し得る体制を持った学校法人(大学・専門学校など)に委託することを前提としたものであると考えざるを得ないが、どうか。
(二) 本年四月、この「規程」に基づく「商業スポーツ施設における指導者」の資格取得を設立目的とした「日本社会体育専門学校」が新設され、ここを卒業すれば、スキー、テニス、スポーツプログラマー二種など、文部省認定の「商業スポーツ施設における指導者」資格が取得できるかのような学生募集案内が配付されている。しかし、現在、当該資格審査事業については、その申請さえも行われていないのである。
 ところが、この「日本社会体育専門学校」の講師陣は、文部省の委嘱で「規程」のカリキュラムを作成した学者グループのメンバーであるとともに、その名誉顧問は、外ならぬこの制度を建議した保健体育審議会社会体育分科審議会会長である。しかも、同校の現副校長は千九百八十八年十二月の「商業スポーツ施設指導者養成団体連絡協議会」の席上、「この学校は三年前に文部省スポーツ課長(当時)から指示されて設立を準備してきたもの」と報告している。つまり、保健体育審議会の「建議」が出される一年以上も前に指示が出ていたことになる。これらの事実は「初めに専門学校ありき」であって、これの事業のために文部省、保健体育審議会、学者グループが共同して「規程」を作成したという疑惑を抱かざるを得ない。高石邦男前文部次官(元体育局長)を始め、リクルート疑惑に包まれている文部省としては、同校の設立と今回の「規程」との関係にかかわる疑惑について、これらの事実関係を究明し、国民の前に、特にスポーツ関係諸団体と関係者に明らかにする責任があると考えるが、どうか。
(三) 他方、体育系の大学・学部の卒業者は毎年四千人に上るが、専門的な能力を生かせる職場が少なく、体育・スポーツの専門分野への就職は十%前後といわれ、専門的指導者の養成機関としての本来の役割を果たし得ない状況にある。そこで、社会体育指導者の養成・配置の要望にこたえるため、公共スポーツ施設における専任指導者の配置基準の策定と併せて、これらの大学・学部に社会体育指導者の養成機関としての機能も持たせることを検討すべきと思うが、どうか。

  右質問する。