質問主意書

第108回国会(常会)

質問主意書


質問第一四号

疎開船「対馬丸」に関する再質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。

  昭和六十二年四月二日

喜屋武 眞榮   


       参議院議長 藤田 正明 殿


   疎開船「対馬丸」に関する再質問主意書

 疎開船「対馬丸」に関し、昭和六十二年二月四日付けで行つた私の質問主意書に対し、答弁書(内閣参質一〇八第五号)が送付されたが、政府は紋切り型の冷淡極まる答弁に終始し、誠に遺憾に耐えない。
 かかる態度よりすれば、政府は問題の本質を把握せず、また沖縄県民の心に対する感性を喪失していると言われても止むを得ないであろう。
 我が国においては、今日まで遺骨収集は、陸上では沖縄県を始めとして鋭意進められてきたが、海中の遺骨については、人目に触れないこともあつて、なおざりにされてきた。遺骨収集問題において、最も心すべきことは、死者の鎮魂、遺族の心であつて、答弁書のいうような、遺骨が人目につくか否かといつたことは二次的な問題であろう。私は、長い議員生活において対馬丸問題を一貫して追求してきたが、遺族に対する援護といい、遺骨収集といい、政府の態度は終始消極的であつた。曲がりなりにも援護措置がとられ、対馬丸の沈没位置が発表されるに至つたのも、関係者の積年の努力によつて、政府が重い腰を上げざるを得なかつたのが真相ではないか。
 遺族の心情を考えるとき、私は、前記答弁書に納得するわけにはいかない。本問題の解決を願つて、以下のとおり再質問を行う。

一 「答弁書の一について」について

(一) 答弁書では「沈没艦船内の遺骨収集については、海自体が戦没者の安眠の場所であるとの考え方に基づき、原則としてこれを行わないが、」とする。

1 海自体が戦没者の安眠の場所であるとする考え方はどこからきたのか。国際的に認められたものだというのか、あるいは、政府が決めたものなのか、その根拠を明らかにされたい。
 なお、水田援護局長は、昨年三月三十一日の本院予算委員会において、船中で死者が生じた場合、水葬に付すのが国際的慣行になつていることをこの考え方の根拠に挙げているようだが、水葬は主として衛生上の理由から緊急避難的に行われる措置であつて、これをもつて、海が死者の安眠の場所であると積極的に言えるのか。あるいは、百歩譲つて、これは船乗りや軍人など海のプロについては言い得ても、一般人(本件の場合、学童が主体)についても言い得るのか。
2 本問題の重要なポイントであるが、戦没者の安眠の場所をいずれとするかは、誰が決めるべきことなのか。故人の意思の表明があれば当然それにより、それがない場合は遺族の意向に従つて決められるべきではないのか。本件の場合、遺族の意向が、これを沖縄の土としているのは明らかである。かかる意向に反して、政府その他が一方的に安眠の場所を海とすると決定できるのか。決定できると考えるのならば、その根拠を示されたい。
3 これまでの政府の答弁書は、海中の遺骨収集を行わないのは、専ら技術的に不可能だからだとするものであつたが、昨年の前記予算委員会における答弁及び今次の答弁書から、にわかに「海中安眠論」が浮上してきた。政府において方針を変更したのか。変更したのだとすれば、その理由は何か。過去の方針とも一貫した、整合性のある説明を行われたい。
4 陸上の遺骨収集については政府はこれを推進してきているが、未収集遺骨についての調査はなされているか。調査の現状及び今後の収集計画を明らかにされたい。
 さらに、海中の遺骨についての調査の実施の有無を、また、南西諸島方面での沈船に対する巡拝慰霊が行われると聞くが、同方面における沈船の名称、位置、水深、推定遺骨数等を明らかにされたい。

(二) 答弁書では、「例外的に、遺骨が人目にさらされていて遺骨の尊厳が損なわれるような特別な状況にあり、かつ、その沈没艦船内の遺骨収集が技術的にも可能な場合には、これを行うこととしている。」とする。
 私は、前記のごとく、遺骨収集については、人目にさらされているか否かといつた世間的基準でなく、遺族の気持ちを最優先に考えるべきだと思う。遺族が収集を要望する場合には、技術上・国家財政上の制約の範囲内で国が収集すべきであり、それが、戦争を行つた国家の責任ではないのか。(収集に当たつて、人目に触れるものを先に行うことはあつても良い。)遺骨収集に対する認識につき、政府の見解を明確に答弁されたい。
 また、水田局長は、素人のダイバーの潜水限度約三十メートルの範囲で遺骨収集を行つている旨答弁している。一方、昭和五十九年十二月十八日の私に対する答弁書(内閣参質一〇二第二号)では、「現在の技術では、潜水士による潜水作業の可能な水深は、高度の技術を駆使しても百メートルから百五十メートル程度が限界である。」とする。このように、政府答弁によつても、現在収集を行つている水深三十メートル程度のもののほかに、三十~百五十メートル程度のものが技術的にはほぼ収集可能と思われる。
 我が国周辺海域において、この範囲の遺骨の概況を政府は調査しているか。

二 答弁書の「二について」について

(一) 先の質問主意書で、私は、現状では対馬丸遭難者の遺骨収集・引上げが技術的に容易でないことを認めつつ、せめて遺族会が要望する対馬丸沈没地点の確認に政府が前向きに対処されることを要望したにもかかわらず、答弁書は、「対馬丸の遺骨収集は行わないこととしており、また、対馬丸の沈没した位置が必ずしも明確でなく、これを発見するためには、広い範囲にわたる調査を要することなどの困難があり、沈没地点の確認を行う考えはない。」とする。

1 政府は沈没地点の確認を行わない理由の第一に、遺骨収集を行わないことを挙げるが、先の質問主意書で明らかにしたとおり、たとえ遺骨収集ができないとしても、沈没地点の確認には大きな意味がある。なぜ政府は、遺骨収集を行わない以上は沈没地点の確認をしないといつた、かたくなな態度をとり続けるのか。
2 沈没地点確認の技術上の困難についてであるが、その推定位置四箇所がすでに政府から発表されている。また、昨年の予算委員会での内田科学技術庁研究調整局長の答弁が明らかにしているように、音波探査、サイドスキャンソナー、水中カメラ等による探査に加えて、海洋科学技術センターの「しんかい二〇〇〇」を活用すれば(昭和五十九年十二月十八日の答弁書において、政府は「しんかい二〇〇〇」の最深調査地点を「千七百六十五メートル」と明らかにしており、これは対馬丸の推定深度八百メートルの二倍余である)、「困難」が克服できないとは考えられない。なぜ、踏み切らないのか。
 財政上の理由から行わないとするのなら、差し当たり、調査位置、期間などを限定して第一回の調査を行うことも考え得るが、その考えはあるか。

(二) 答弁書では、「昭和六十二年度には、対馬丸の沈没した海域において、海上からの慰霊巡拝を行うこととしている。」とする。

1 「巡拝」の対象とするのは、対馬丸だけか。その他の沈船も含まれるのか。含まれる場合には、「巡拝」の概要を明らかにされたい。
2 対馬丸に関しての慰霊をどのように行うのか。通常、海上慰霊に当たつては、読経、花束の投下等の行事が行われるが、これを発表されている四地点でそれぞれ行うのか。仮に然りとすれば、対馬丸がその地点に沈没している確率は四分の一であり、これでは四分の一慰霊祭といわれても止むを得ないであろう。さらに、いずれかの一地点のみでこれを行うことにも根拠はない。いずれにせよ、沈没地点の確認がなされない限りはかかる事態は避けられず、真の慰霊とはほど遠いと言わざるを得ない。
 このような理由からも、政府は対馬丸沈没地点確認に前向きに対処すべきだと思うが、どうか。
 以上、各項目に分けて再質問を行つたが、私は、冒頭に記したごとく、今日においてもなお政府は、本問題に関する十分な認識と感性を具有していないと断ぜざるを得ない。本件のような問題は、沖縄県民、ひいては日本国民すべての「戦争と平和」、「生者と死者」にかかわる問題であり、戦後四十有余年を経た現在においても決して風化させてはならず、逝きし者の鎮魂のため、生ける者の果たすべき課題だと考える。
 政府においても私の質問の真意を理解され、拙速によらず、誠実に、脱漏なく、各項目を検討の上、答弁されんことを要望する。

  右質問する。