質問主意書

第108回国会(常会)

質問主意書


質問第五号

疎開船「対馬丸」に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。

  昭和六十二年二月四日

喜屋武 眞榮   


       参議院議長 藤田 正明 殿


   疎開船「対馬丸」に関する質問主意書

 先の大戦末期における沖縄から九州への学童疎開船「対馬丸」遭難に関しては、大別すれば、(1)遭難者及びその遺族に対する措置、(2)遭難者の遺骨の収集・引上げの二つの問題があり、関係者の積年にわたる努力により、(1)については不十分ながらも事態の打開がはかられ、遺族に対する援護等の措置が行われたところである。しかし、(2)については、昭和五十年一月六日、同年二月四日及び五十九年十二月八日の三度にわたる私の質問主意書や昨年三月三十一日の本院予算委員会における私の質疑等にもかかわらず、依然として前向きの対処がなされていないのは誠に遺憾である。
 我が国においては、遺骨に対する感情は特別なものがあり、祖先崇拝の念厚い沖縄においてはさらに格別である。また、いたいけな学童を主体とする遭難である本件の場合、特別の配慮を要するものであることは論をまたない。このようなことから、昨年五月十五日の疎開船対馬丸遭難者遺族会総会においても対馬丸沈没地点の確認について決議がなされ、また本年一月の同遺族会においても同様の要請が行われた。かかる事態を踏まえて質問を行う。
 政府においても、今日の我が国の繁栄の人柱として南海の海原に消えた幼い死者と老いたる遺族の心情に思いをいたし、深情ある心こもつた答弁を行われたい。
 さらに、本年秋に沖縄県で開催される、四十七都道府県一巡の最後を飾る「海邦国体」を前に、沖縄の戦後処理の中でも重要なものの一つである「対馬丸」の遺族の要望に対して、前向きに対処されることが、戦後の平和と繁栄の中で国民的行事として執り行われ、生ける者の生命を謳歌する「スポーツの祭典」を真に意義あらしめ、沖縄戦の犠牲者に対する鎮魂のあかしともなるものと考える。

一 海における戦没者の遺骨収集に対する政府の方針について

 昨年三月三十一日の本院予算委員会における私の質疑に対し、河野洋平科学技術庁長官は「例えば四つのスポットに絞つて云々するというようなことでありますれば、私は方法はあるかも知らぬというふうには思います。しかし、これはもう一義的には厚生省の考え方が、御遺族に対してあるいは遺骨というものに対してどういう対応をするかということがまず先であつて、厚生省のお考えがはつきりいたしまして、私ども科学技術庁にこういう部分についてこういうことができないかという具体的なお話があれば、私どもは技術的な面からお手伝いをするということは、その具体的なお話があれば十分検討はできる。」と答弁し、これに引き続き今井勇厚生大臣は「問題は、現在の技術では一体できるかどうかという問題があるようでございますが、今後どのようにしていけばそれが本当にわかるのか、できるのかということをひとつ十分に御相談をしながら見守つてまいりまして、そのような形で少しでも先生の御希望がかなえられますようなことをいろいろまた相談をしてみたいと思つております。」と述べている。
 一方、同委員会で、水田努厚生省援護局長は、船中に死者が生じた場合水葬に付すのが国際慣行になつていることでもあり、海没の遺骨は海で安らかに眠つていただき、そのかわり海上の慰霊巡拝を行う。ただし、ダイバー等の目に触れる海没三十メートル程度以内の遺骨は収集することとしている旨答弁している。

1 以上から明らかなとおり、両大臣の答弁と援護局長の答弁には食い違いがあると思われるが、一体いずれが政府の方針なのか。対馬丸遭難者の遺骨の収集・引上げがなされていないのは技術的障害によるものか、あるいはそれ以前に海没の遺骨収集は行わないとする政府方針があるのか、明確にされたい。
2 昭和五十年一月十七日付けの私に対する答弁書(内閣参質七五第一号)二(1)では「沈没艦船中の遺骨の引上げについては、技術的に引上げ可能なものは船体とともに引上げを行つているが、対馬丸の沈没したとみられる箇所は水深八百メートル以上あり、引上げは技術的に不可能である。」としており、これが現在における政府方針であると理解してよいか。
 なお、水田局長の述べる扱いが決められているとするならば、いつ、どのようにして決定(閣議決定等)されたものか、明らかにされたい。
3 2に記したような政府の答弁書があつたので、私は昭和五十年二月四日付けで再質問を行い、その二(1)において、遺骨のみの引上げはできないかと質したが、これに対する同月二十一日付けの答弁書(内閣参質七五第三号)では、「沈船中の遺骨引上げのためには、潜水夫による潜水作業が必要であるが、現在のところ潜水可能な水深は五十メートル程度であり、これより相当深く沈没している対馬丸中の遺骨の引上げを行うことは技術的に不可能である。」としているが、これは技術的に可能ならば遺骨のみの引上げも行うものと解してよいか。
4 前記のごとく、昨年三月三十一日の予算委員会で、今井厚生大臣は「相談をしてみたい」と述べているが、それから既にほぼ一年の月日が経過している。この間、厚生大臣及び厚生省当局はどのような「相談」を行つたのか、またこれを受けて科学技術庁においてはどのような検討を行つたのか、具体的に明らかにされたい。

二 対馬丸沈没地点の確認について

 対馬丸の沈没位置については、昭和六十年二月一日厚生省より、北緯二十九度五十分・東経百二十九度三十分、北緯二十九度三十三分・東経百二十九度三十分、北緯二十九度三十一分・東経百二十九度三十分及び北緯二十九度三十二分・東経百二十九度三十一分の四箇所を挙げた記録が発表されている。
 対馬丸遭難者の遺骨の収集・引上げが現在の技術上容易でないのを認めるのにやぶさかではないが、前記対馬丸遭難者遺族会の要望は、対馬丸沈没地点の確認をしてほしいというものである。
 この点については、政府は昭和五十九年十二月十八日付けの私に対する答弁書(内閣参質一〇二第二号)において「対馬丸の遺骨収集が不可能である以上、船体捜索だけを行う考えはない。」と冷たく突き放しているが、これは多大の犠牲を払い、現在も幾多の苦難に直面させられている沖縄県民に正当に報いる途なのだろうか。本件の特殊性に配慮して、遺骨収集・引上げ問題とは切り離しても前向きに対処すべきではないのか。これによつて、遺族・県民の感情も和らぎ、また海上慰霊祭も正確な沈没位置で行われることとなる。
 問題は技術的な点にしぼられようが、昨年の予算委員会における科学技術庁長官及び同庁当局の答弁や海洋科学技術センターの「しんかい二〇〇〇」の潜航・観測調査・試料収集能力等からみて、対馬丸の沈没位置確認は、技術的、経費的に不可能ではない。もちろん、いろいろ難問はあるであろうが、決して乗り越えられないものではないと思われる。要は、政府の政治姿勢の問題であり、沖縄の県民感情への配慮の問題であり、沖縄の戦後処理に対する政府の認識の問題であり、政府の理解と関心さえあれば、国の行政責任を戦後四十二年の今日、当然に感得し得るものであり、不可能と困難を混同してはいけないのであつて、困難は、理解と愛情と誠意をもつて努力すれば、必ず解決できるものと信ずる。
 よつて、遺骨収集・引上げ問題とは切り離しても、対馬丸沈没地点の確認に前向きに対処すべきであると考えるが、政府の誠意ある答弁を期待する。

  右質問する。