質問主意書

第84回国会(常会)

答弁書


答弁書第二四号

内閣参質八四第二四号

  昭和五十三年七月二十一日

内閣総理大臣 福田 赳夫   


       参議院議長 安井 謙 殿

参議院議員山中郁子君提出横浜市内米軍航空機事故に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。


   参議院議員山中郁子君提出横浜市内米軍航空機事故に関する質問に対する答弁書

一から三までについて

 承知していない。

四について

 J79GE-8エンジンの全体的な技術情報を承知していないので、IHI17との間の改良点を述べることは困難である。

五について

(1) 中間レベルの整備とは、飛行部隊における整備と補給処における整備との中間段階に当たる整備をいい、報告書で述べたとおり、アフターバーナの取付けについていえば日本国内では実施されていない。なお、報告書の「合衆国における中間レベルの整備」の内容等については、報告書に記載したもの以外は承知していない。
(2)から(4)まで RF-4B六一一号機は、岩国飛行場から飛来し、厚木海軍飛行場ではエンジンの換装又は修理を行つていない。その他の事項については、承知していない。

六について

 第三ライナーのサポート装着不良の状態は、後視二時方向位置の隣接する三列に生じていたと認められた。報告書で述べたとおり、この装着不良は次のライナーの組み込み後では容易には分からず、また、このような装着不良は、エンジンテスト時の音、振動又は排気ガスの状態からは判断できないと認められる。

七について

(1) 離陸直後目撃されたという白煙状のものは、金属を溶かしていた状態での煙ではないと考えられる。また、僚機がみた黒煙及び炎は、漏出燃料による機体内部の火災発生を示すものである。
(2) ごく短時間内での各金属板の焼損進行は可能である。この可能性を確認するため行つた実験によると、アフターバーナダクト材及びエンジン室天井材は高温(アフターバーナ内部の温度に相当)で、かつ、ブラスト(アフターバーナ使用時の圧力相当の高圧気流)を直撃させた状態では、ほぼ瞬時に溶損することが認められた。なお、当該エンジン部分の素材等については、現用の米軍機に係る事項であるので、答弁を差し控えたい。
(3) 左エンジンアフターバーナライナーのフレックス現象によつてアフターバーナダクトが溶損し、ここから火炎がトーチ状に同エンジン室内に噴出してエンジン室上部の天井板及び第六燃料タンク室下面を順次溶損し、次いで同タンクから流出した燃料はエンジン室に入り同エンジン室後部に火災が発生し、左エンジン火災警報燈(ファイヤ・オーバーヒートライト)が点燈したと推定された。また、左右エンジン室隔壁板上部にも溶損が及び、これによつて右エンジン室にも燃料が流出し、右エンジン火災警報燈(ファイヤ・オーバーヒートライト)が点燈するに至つたと推定された。得られた残骸も以上の経過を示し、あるいはこれに沿うものであつた。

八について

(1)及び(2) アフターバーナダクト等の溶損位置及び事故発生の経過からみて、火災警報燈(ファイヤ・オーバーヒートライト)の点燈は正常な作動であつたと考えられる。なお、離陸前に警報装置のライトが作動したという事実はない。
(3) 答弁を差し控えたい。
(4) 点燈時、既に火災を起こしていたと考えられる。
(5) アフターバーナダクト等の焼損位置との関係上、火災警報燈(ファイヤ・オーバーヒートライト)が点燈する条件を満たすに至つていなかつたためと考えられる。
(6) 秒単位の正確な時間は不明である。
(7)及び(8) 操縦士の判断及び行動については、報告書で述べたとおりである。また、同人の飛行経歴に関する事項については、報告書に記載したもの以外は承知していない。

九について

(1) 破片の飛散状況からは爆発は推定されない。
(2)及び(3) 第三ライナーのサポート装置不良の状態は、該当部分のアフターバーナダクトのトラックの形状及び溶損位置から確認できた。また、第三ライナー等の関係回収物件は破損又は焼損の状態であつた。ただし、左エンジンアフターバーナダクトの後視二時位置のTサポートトラックは、はつきり原形をとどめている。
(4) 各種資料とは、残骸及び現場調査資料、米側技術調査資料、管制記録、第三者撮影の八ミリフイルム及び各種写真、関連する航空機技術マニュアル等である。
 所要の実験とは、七についてで述べた実験である。
 なお、昭和五十二年十二月九日、厚木海軍飛行場で残骸全般及びエンジン部分につき、同日、事故現場で現場状況につき、それぞれ調査を行つた。

十について

 事故分科委員会による本件事故の検討及び調査は、昨年十二月二日に同委員会に提出された合衆国本国における技術調査の結果等の資料について、日本側技術専門委員による究明を経て、日米間で協議を重ね、その結果をまとめるという手順をとつたものである。