質問主意書

第70回国会(臨時会)

答弁書


答弁書第三号

内閣参質七〇第三号
  昭和四十七年十一月十七日

内閣総理大臣 田中 角榮      


       参議院議長 河野 謙三 殿

参議院議員喜屋武眞榮君提出当面の沖繩における諸問題に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。



   参議院議員喜屋武眞榮君提出当面の沖繩における諸問題に関する質問に対する答弁書

一、について

 給油所の建設に関しては、現在沖繩県以外の地域において、その秩序ある建設を確保するため行政指導による新規給油所の建設調整措置を実施しており、農協給油所についてもその対象として建設に対する行政指導を実施している。
 沖繩県についても、「石油製品の流通販売秩序が混乱をきたさないよう所要の措置を講ずるものとする。」という沖繩復帰対策要綱の趣旨に沿つて、沖繩県以外の地域における給油所建設調整措置に準じ所要の措置を講ずることとしているが、このため現在、沖繩県におけるガソリンの需要動向、給油所の経営状況等を調査するとともに、地元事情等に関する関係方面の意見を聴取しつつ、沖繩県における給油所建設の方針を検討中であり、復帰後一年程度の経過をみて最終的に決定することとしている。農協給油所についても、本方針に従つて処理する考えである。

二、について

 さとうきびの最低生産者価格については、パリティ指数に基づき算出される価格を基準とし、物価その他の経済事情を参酌し、さとうきびの再生産を確保することを旨として定めることとなつているが、昨年に引き続く干ばつ等により生産が停滞的であるといろ事情もあるので、これらを十分勘案のうえ、定めることといたしたい。
 また甘しゃ糖の糖価安定事業団の買入れ価格については、さとうきびの最低生産者価格にさとうきびの集荷および甘しゃ糖の製造に要する標準的な費用を加えたものを基準とし、国内産糖の製造事情その他の経済事情等を参酌して定めることとなつており、その決定に当たつては、地域の諸条件の相違等を十分考慮して定めることといたしたい。

三、について

 首里城跡は現在琉球大学敷地として利用されている。歓会門の復元については、大学当局との調整もついて、昭和四十七年度より復元工事をすすめている。しかし、久慶門、首里城正殿の復元まですすめるためには、その位置が大学構内の中心部付近にあつて、現在大学の重要な土地として利用されているため、琉球大学の今後の運営と密接な関係が生ずるので、直ちに着手することはできない。
 琉球大学は琉球政府当時から他の場所への全面移転計画が樹てられて復帰後、国に移管されてからも引き続き移転計画はすすめられており、移転後の大学跡地の利用について現地においても各種の利用構想が議論されている。
 また、すでに失つた文化財の復元よりも残存文化財の補修保存を優先すべきだとする意見もあり、首里城の今後の復元については、引き続き検討される情勢にあるので、久慶門、首里城正殿の復元については、これらの情勢の推移を勘案しながら検討してまいりたい。

四、について

 第二次大戦中におけるいわゆる戦争犠牲については、国民すべてが戦争による各種の犠牲を被つており、従つて、政府は、戦争犠牲者相互の均衡を考慮しつつ、戦傷病者戦没者遺族等援護法、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律等特に一般の国民とは違つて特別の措置を、要するものについてのみ措置を講じているところであり、これらの一連の措置をもつて、個々人の戦争災害に対する国の措置は終つたものと考えている。
 沖繩県民についても、すでに復帰前からこれらの法的措置を本土と同様に講じており、さらに沖繩の戦闘における特異性に着目して戦闘協力死没者、疎開船対馬丸遭難者に対する見舞金の支給措置等も講じているところである。
 従つて、県民各人の戦争災害についてこれらの措置の対象とならないものにまで拡大して新たな措置を講ずる考えはない。

五、について

 戦傷病者戦没者遺族等援護法は、戦争公務の遂行に際してこうむつた負傷、死亡等の災害に対し、使用者としての立場から国家補償を行なおうとするものであり、その対象者は、国との使用関係あるいはこれに準ずる立場にあつた者に限られるものである。
 対馬丸による沖繩からの学童の疎開は、沖繩戦の始まる前に、戦闘から退避するために行なわれたものであり、国との使用関係が認められないので、戦傷病者戦没者遺族等援護法上の準軍属として処遇することは適当でない。
 なお、死亡した学童・引率教師及び付添者の遺族に対しては、昭和三十七年及び昭和四十七年に見舞金を支給している。