質問主意書

第40回国会(常会)

質問主意書


質問第三号

宗教法人法附則第二十七項に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。

  昭和三十七年三月十七日

大谷 贇雄      


       参議院議長 松野 鶴平 殿



   宗教法人法附則第二十七項に関する質問主意書

 宗教法人法附則第二十七項に「宗教法人がもつぱらその本来の用に供する」とあるうち「本来」の意義について、すでに昭和二十七年七月十八日附内閣総理大臣の「衆議院議員若林義孝君提出宗教法人法に関する質問に対する答弁書」において、『「本来」とは、宗教団体の歴史、沿革その他伝統からして本質上宗教目的に使用さるべきものたることをいつたもの』と記されてあるが、念のため重ねて以下数項を質問する。

一、宗教法人たる仏教寺院の経営にかかる幼稚園、学校も「仏教本来の用に供し」つつあるものと解すべきことは、仏教の歴史を知るものの常識、通念である。釈迦成道後五十年の生涯はすべてこれ人間の教化育成であり、老幼男女あらゆる種類の人々を、その人に応じ、機に臨んで教育し指導したものであることは周知の史実である。
 続いてその教えを信奉したアショカ王、カニシカ王の仏教活動も大がかりな教育運動であつた。中国大陸における禅、浄土教等の活動においても、僧侶の修行、養成のほかに、数多くの俗人居士を立派に育成し、これが大陸の政治、経済、教育に偉大な貢献を示したことも明瞭な史実である。
 日本仏教の始祖たる聖徳太子の創建にかかる大和の法隆寺学問所、難波の四天王寺の教田院、悲田院、療病院、施薬院等のごときも、すべて釈迦以来の本来の教化育成の方法として生れたものであり、本願寺現如その他によつて創設せられた各種の学寮、禅行堂もまた仏教本来の立場からする教育の機関であつた。専門の僧職を養成することのほかに、一般世人をも仏教の精神により教育しつつあつたものである。
 寺院の経営する学校、幼稚園はまさにこの仏教本来の使命遂行の一方法であり、歴史、伝統からして本質的に仏教そのものの目的に使用されているものである。
 幼少な子供に恩を知り、恩に報いる生活態度を教えることは、仏教精神からすればきわめて必要なことである。その教育内容たる仏教精神そのものは一貫して二千数百年不変であるが、その教育の施設、方法等はもちろん時代によつて次々に変遷するものであり、現代の幼少な子供に適応した教化施設として、幼稚園の形態を採つたものとみるべきである。
 従つて史実に徹する場合、現在の寺院の幼稚園、学校は当然に「仏教本来の用に供し」ている施設であることは明瞭であると考えるが当局の所見如何。

二、ましてや特定の宗教法人がその寺院規則に、「境内の一部に幼稚園専用の建物を設け、本堂を講堂として朝の礼拝を行ない、宗教教育を基盤とする幼児の教育施設を設置する」旨を掲げ、本山の同意、知事の認証を得て登記を完了している場合などは、まさにすでに公認せられて「本来の用に供し」つつあるものとみるべきであろう。
 これをも「本来の用に供する」ものでないと解することはあやまりであると判断するが、当局の所見如何。

三、地方によつては前記のごとき仏教寺院の幼稚園を目して、目的外の建物と解し、固定資産税等を課税しつつある現状であるが、その幼稚園が学校法人となつているか否かに関係なく「仏教本来の用に供し」ているものとして附則第二十七項により当然にその敷地、建物はすべて非課税たるべきものと解するが、当局の所見如何。

 以上仏教に例をとり説明を加えてきたのであるが、キリスト教等他の宗教法人においても同様の歴史的事実があることは周知の事柄である。