第6回国会(臨時会)
答弁書第一九号 内閣参甲第一四六号 昭和二十四年十一月二十五日 内閣総理大臣 吉田 茂 参議院議長 佐藤 尚武 殿 参議院議員細川嘉六君提出義勇軍に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。 参議院議員細川嘉六君提出義勇軍に関する質問に対する答弁書 中国国民党軍へ日本の元軍人が参加しているとの噂については、かねてから各種の情報を耳にしており、最近新聞紙上や雑誌記事としても取扱われているのを見たので深い関心を持ち、特別審査局をして追放者の動静監査として調査を進めさせてはいるが、現在までのところ日本人義勇軍が日本国内において編成されているというような事実は発見されない。 もつとも、この問題に関連して 本 籍 福島県岩瀬郡仁井田村戸井田舎宮内二二四 住 居 東京都南多摩郡鶴川村熊ケ谷一、〇四七 元正規陸軍将校(中将) 根 本 博 当五十九年 が中国国民政府の募兵運動に関係しているとの風評が伝えられたので、同人の居住地について調査させたところ、同人は現在不在であつて、本年五月初旬留守宅の家人には行先を告げずに旅行したままとなつていることが判明している。 更に 本 籍 鳥取県東伯郡浅津村大字南谷 住 居 東京都世田ケ谷区赤堤町二ノ五二二 元正規陸軍将校(中佐) 吉 川 源 三 当四十四年 も根本博と同行台湾に渡航したとの情報があり、調査を進めさせたところ、同人は九月下旬頃国外から帰還していることが判明したので、更に同人について調査せしめたところ、同人の陳述は次の通りである。 「吉川源三は昭和二十年三月から第六軍参謀として中国杭州に駐在していたことがあるが、復員後杭州出身の李●源という青年が東京に来て、昭和二十四年一月知人宅で面会し、その後同人からしばしば中国に渡航方を勧誘されたので、吉川はこれに応ずる意志を表明し、五月初旬李●源の斡旋により根本博と会見して同人と共に中国渡航の決意を固め、五月八日頃根本、李とともに東京を出発し福岡市に赴いた。 かくして六月二十六日宮崎県延岡市の沿岸から台湾籍の三十屯位の汽船に便乗し台湾に向け渡航した。 同行者は根本博、吉川源三、岡本秀徹、照屋林蔚、中尾一男、吉村某、淺田某の七名であつた。 一行は七月十日基隆に到着、その後八月十五日まで台北郊外北投温泉旅館に滞在して中国側の指示を俟つたのであつたが、湯恩伯の要望により一行中根本等六名は福建省に赴き、吉川は福州において湯恩伯軍に身を置きか門作戦に参加した。しかしながら、同地の対中国共産軍との戦況は国民政府軍に不利であつて、福建の命数も予測に難くない状況に置かれたため帰国の意を伝え、湯の許可を得て吉川、照屋、中尾の三名は九月二十一日中国船に便乗して日本に帰国したというのである。」 その他調査せしめた結果によれば、日本国内において日本人義勇軍が組織された事実は発見されない。 これを要するに、李●源を中心とする日本人募兵運動は、李●源等の策動によつて一部の日本人がこれに応じて渡航するに至つたに過ぎないもののようであつて、伝えられるように大規模な募兵運動が行われたものとは認められない。 本件運動に関与したものの処置については、覚書該当者の政治活動として鋭意調査を続けしめている。 なお、吉川、照屋及び中尾等の国外渡航に関する適法な旅行証明書携帯の有無等についても別に調査せしめている。 注 ●=金へんに生 |