第5回国会(特別会)
答弁書第六十二号 内閣参甲第六七号 昭和二十四年四月二十六日 内閣総理大臣 吉田 茂 参議院議長 松平 恒雄 殿 参議院議員池田恒雄君提出開拓事業に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。 参議院議員池田恒雄君提出開拓事業に関する質問に対する答弁書 一、戦前の開拓政策は、大正年代に開墾助成法が制定され、開墾に対する国庫助成がなされたのに始まる。当初は開墾事業に投下された資本に対する利子を国庫助成金によつて補給していたに留るが、昭和四年に同法が改正されて事業費元金の一部補給の趣旨に改められ、面積五町歩以上の開墾に対してその事業費の四割を助成して来た。昭和十六年には食糧自給の強化を図るという目的の下に農地開発営団が設立され、主要な開墾事業及び入植事業は同営団により施行されることとなつた。一方開墾に対する助成も、太平洋戦争の開始によつて国内食糧に不安を覚えた結果、緊急食糧増産対策の一環として強力に推進せざるを得ぬこととなり、第二次土地改良事業において補助率は五割に引上げられ、ついで藷類増産緊急開畑事業に到つてその補助率は更に八割に引上げられ、終戦に到つた。終戦前における開拓の実績は、大正八年より昭和十九年までの開墾面積田一二〇、四一一町、畑一三二、六五四町、計二五三、〇六五町であり、その中昭和十六年から十九年までに農地開発営団が施行した面積は、田二、九九二町、畑一〇、一八二町、計一三、一七四町である。 二、終戦後における開拓政策は、食糧増産と失業対策の要請の下、昭和二十年十一月緊急開拓事業の一環としてとり上げられたのであるが、二十二年十月実施要領を改訂して、計画を現実に即したものとなすとともに、国土資源の合理的開発、土地の農業上の利用の増進、人口収容力の安定的増大、新農村の建設というあらたな目標を追求することとなつた。以下これを分説する。 1 開拓用地の取得 開拓予定地区の選定については、従来と雖も、予め土地分類、立地条件、経済効果の測定等を行い、適地を厳選してこれを決定する方針の下に行つて来たのであるが、目標面積の達成に急なるあまり、往々行き過ぎを生じ、特に山林関係者との間に摩擦を生ずること屡々であつた。そこで二十三年九月次官通達により方針を改め、今後は必ずしも目標面積にとらわれず、確実な適地調査を行つて、一団地の面積が十町歩を越えるものに対しては都道府県開拓委員会適地調査部で、十町歩以上のものに対しては新たに設置された未墾地買収予定地審査会によつて、夫々適否を審査することとし、これら調査機関には、山林、土木の技術者をも加えて公正を期することとした。更に本年一月には「開拓適地選定の基準」を定め、適地として判定する際の具体的な科学的な基準を設定し、今後における未墾地の解放は科学的な基礎に立脚し、特に山林の買収については慎重を期し、国民経済的に見て農地として利用することが明かに有利なものを厳選して実施することとなつたのである。現在までに開拓用地として自作農創設特別措置法により買収又は移管された未墾地は二十四年三月初現在において左の如くである。
開拓予定地区の道路、灌漑排水等の重要な建設工事は全額国費をもつて国の直営で行い、あるいは都道府県に委託して行わせている。開拓予定地区の開墾作業は、開拓者又はその組織する団体等をして自主的に行わせるものとし、一定の補助金を交付し、又小規模の開墾は、国の補助により、都道府県知事の適当とみとめる団体又は個人に行わせることになつている。しかしながら昭和二十四年度は、経済九原則の見地から、事業費の大巾圧縮となり、殊に補助金の交付は極めて困難である。 終戦後における開墾実績(二十四年一月末現在)は、田一九、一六二町、畑三二二、六九三町、計三四一、八五五町であり、これを規模別に見れば、大開墾(一団地の面積が大体五十町歩以上のもの)一五〇、三〇〇町、小開墾一九一、五五五町である。 3 入 植 入植者が開拓地の建設を終えて安定せる自作農となるためには、入植者自身が入植者として適当であるかどうかということが第一条件であることが終戦後二箇年の実績から見て明かとなつたので、昭和二十二年度来入植実施方針を確立し、入植者選衡制度を設けて、適格者の人選を厳格に行い、入植の万全を期することとなつた。即ち入植者募集の主たる対象は、海外で農林業に従事していた引揚者及び農家の後継者以外の子弟とし、入植志望者に対しては、都道府県開拓委員会入植者選衡部においてその適格性を一定の基準により吟味して、初めて入植適格者を決定するという行き方をとつている。終戦後における入植の実績は、二十三年十二月末現在において、入植一六三、八五九戸、増反四二五、八四九戸を完了し、入植者の住宅八二、七〇一戸を完成した。 4 営農指導 入植者の子弟の教育、基幹入植者の養成、開拓地に対する家畜、種子、種苗の補給を行うために、全国各地に修練農場、基地農場を設けている。又各地に開拓実験農場を設け、一戸又は数戸の農家群を選定し、これを誘導助成して開拓地農家の到達すべき、或は到達し得べき農業経営形態を完成、展示すると共に、その建設方法を確立せんとしている。更に開拓の現地において直接開拓者に対し営農指導を行う組織として常駐営農指導員を、文化厚生施設として保健婦を全国に配置する外、北海道には開拓医、診療所を設置している。 開拓者の営農資金は、開拓者資金融通法によつて、長期低利の融資を行つており、二十三年度迄に現物融資を含め約三十七億円を貸付けた。 なお、開拓者をして、開拓事業を自主的に推進させるため、農業協同組合法に基く開拓農業協同組合の設立に対して、その保護助長を行つている。 三、開拓農業における農業生産の実績 1 昭和二十二年における開拓地入植者の農作物作付面積及び収穫高は次の如くであり、これを種類別に見ると米麦、雑穀、豆類、藷類等のいわゆる主要食糧作物が作付面積において八二%を占めている。
2 昭和二十三年における開拓地の主要食糧生産高を推定するに、入植地、増反地を含む統計において、米換算九六万石(約一四万トン)を算する。
四、開拓地における農業経営の状態 1 開拓地における入植者の一戸当耕地面積は、昭和二十三年十二月末において平均一町歩を算し、大部分は普通畑である。一戸当り家族人員四・二人、農業労力二・二人、消費単位人員三・五人を算する。 2 作付面積は、甘藷、馬鈴薯、大小豆その他の豆類、粟、蕎麦その他の雑穀、陸稲等の主要食糧を主体とするが、燐酸有効分少く、強酸性を呈する不良土壌が多いため、土地生産力は著しく低く、二十二年における上記作物の反当収量は、米換算にて四斗内外に過ぎない。 3 入植者の有する大家畜は、北海道を含め五戸に一頭程度の割であり中小家畜もかなりに普及しつつある。大農具としては、プラウ、和犂、運搬用具等の普及が目立つている。 4 入植者の農業資本は、現在一戸当り一〇万円内外にすぎないが、そのうち最大のものは、住居をはじめ農用建物であり、家畜、農具、土地改良等の農業資本は、開拓地の経営形態に照し甚だ僅少な状態である。 5 入植者の収入は、現在の段階では、五〇%程度は、農業外収入と見込まれ、特に現金収入においては、農業外収入が圧倒的に大きい。食糧は平均四割内外を自給しているものと推定される。 |