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国際問題に関する調査会

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国際問題に関する調査報告(中間報告)(平成14年7月3日)



一 調査の経過

1 調査活動テーマの設定

 第152回国会の平成13年8月7日に、国際問題に関し長期的かつ総合的な調査を行うため設置された本調査会は、3年間にわたる調査活動のテーマを「新しい共存の時代における日本の役割」と決定し、調査項目として、イスラム世界と日本の対応、国際経済(グローバリゼーションと国際経済、東アジア経済の現状と展望、貧困の削減と世界経済の持続的発展)、地球環境問題の現状と日本の取組、アジア太平洋の安全保障などについて、調査を進めることとした。

2 第1年目の調査

 「新しい共存の時代における日本の役割」のテーマのもと、第1年目は、「イスラム世界と日本の対応」について、(1)イスラム世界の歴史と現在、(2)イスラム世界と国際政治、(3)イスラム諸国と国際資源問題、(4)イスラム社会と開発協力、(5)文明間の対話などについて、幅広くかつ重点的に調査を行うこととした。また、国際経済では、「東アジア経済の現状と展望」について、自由貿易協定、中国のWTO加盟の影響など東アジア経済の将来について調査を行うこととした。
 第1年目の具体的調査活動は、次のとおりである。

○平成13年11月28日(水)
「イスラム世界の歴史と現在」について、後藤明(東京大学東洋文化研究所教授)、小杉泰(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)の両参考人から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成14年2月6日(水)
「東アジア経済の現状と展望」について、青木健(杏林大学社会科学部教授)、大野健一(政策研究大学院大学教授)の両参考人から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成14年2月13日(水)
「イスラム世界と国際政治」について、立山良司(防衛大学校教授)、酒井啓子(日本貿易振興会アジア経済研究所地域研究第二部副主任研究員)、 平山健太郎(白鴎大学経営学部教授)の3参考人から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成14年2月20日(水)
「イスラム諸国と国際資源問題」について、宮田律(静岡県立大学国際関係学部助教授)、畑中美樹(財団法人国際開発センターエネルギー・環境室長)の両参考人から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成14年2月27日(水)
「イスラム社会と開発協力」について、清水学(宇都宮大学国際学部教授)、遠藤義雄(拓殖大学海外事情研究所教授)の両参考人から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成14年4月3日(水)
「文明間の対話」について、板垣雄三(日本学術会議第一部長・東京大学名誉教授・東京経済大学名誉教授)、大塚和夫(東京都立大学人文学部教授)、梶田孝道(一橋大学大学院社会学研究科教授)の3参考人から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成14年4月8日(月)
「イスラム世界と日本の対応」について、杉浦正健外務副大臣、田勢修也政府参考人(経済産業大臣官房審議官)、松永和夫政府参考人(資源エネルギー庁資源・燃料部長)から報告を聴取し、外務副大臣及び政府参考人(外務省及び経済産業省)に対し、質疑を行った。
○平成14年4月24日(水)
「イスラム世界と日本の対応」について、政府参考人(外務省及び経済産業省)に対する質疑と委員間の意見交換を行った。
○平成14年5月22日(水)
「イスラム世界と日本の対応」について、委員の意見表明及び委員間の意見交換を行った。

3 第4期調査会のODAに関する提言と政府施策の現状についての調査

 平成7年8月4日に設置された第4期の国際問題に関する調査会では、「アジア太平洋地域の安定と日本の役割」について調査を行い、最終報告(平成10年6月)では、「21世紀に向けた我が国の経済協力の在り方」について、政府等に対して、(1)ODA大綱原則の運用の透明性の向上、(2)ODA大綱の見直しと中期政策の策定の検討、(3)援助基準の多様化、(4)援助実施体制の見直し、(5)国民参加型援助の推進、(6)NGOとの連携強化など、提言11から提言28まで、詳細かつ網羅的とも言える内容の提言を行うとともに、提言29では「国会のODAに対する恒常的な関与の充実強化」、提言30では「ODA基本法案の骨子の提起」を提言している。

 第4期調査会の最終報告から3年余が経過し、この間、我が国のODAをめぐる情勢は、国内では、極めて厳しい経済財政状況にあり、ODAの適正かつ効果的・効率的な実施がこれまで以上に求められており、国際社会では、グローバル化の急速な進展に伴い、多くの途上国で、貧困、環境破壊、感染症など様々な問題が深刻化しており、内外ともに極めて大きな変化の中にある。

 本調査会では、平成13年11月7日(水)に、前記の提言11から提言28に対して政府施策の現状を示した政府作成の資料を配付した上で、第4期調査会のODAに関する提言と政府施策の現状について西田恒夫政府参考人(外務省経済協力局長)から政府の報告を聴取した。さらに、政府参考人(外務省、財務省、文部科学省及び経済産業省)に質疑を行い、第4期調査会のODAに関する提言のフォローアップに努めた。

 委員からは、政府ODA施策に対する提言の効果、ODA大綱に定めた援助基準(原則)の運用状況、ODAによるIT支援の現状、我が国の最貧国向け援助の現状、我が国の食糧援助の在り方、国連機関や人間の安全保障基金へのODA資金の確保、日本経済の状況とODAのアンタイド率の問題、JICA沖縄国際センターの拡充、欧米諸国と比較した我が国NGOの現状と強化策、ODA評価体制の現状などについて、質疑が行われた。

 また、ODA基本法について、委員からは、21世紀の新しい時代にふさわしい経済協力の理念・哲学を盛り込んだODA基本法を制定することが必要であり、その制定に向けた努力を本調査会としても継続すべきであるとの意見、我が国が援助額で世界一を続けており、外交上の有力な手段であるODAの実施が、なぜ大綱の段階でとどまっているのか疑問であり、基本法というより「実定法」が制定されてしかるべきとの意見が述べられた。

二 イスラム世界と日本の対応

1 イスラム世界の歴史と現在

 世界でイスラムを信仰する人々の数は、10億人を超え、その地域は、中東を中心にアジア、アフリカ、さらにはヨーロッパ、アメリカ大陸等にも広がっている。これらの人々は、イスラム教徒として共通の生活習慣や価値観を持ち、共同体意識で結ばれている。数十のイスラム国は、政治的にはイスラム諸国会議機構(OIC)を結成し、国際社会の中で一つのまとまりを持って、その存在感を示している。

 近年、イスラム諸国では、イスラム復興の運動が盛んになり、これを無視することができなくなっている。また、国際社会においては、価値観の相違や無理解から、欧米中心の国際社会との間で摩擦も生じている。

 イスラム教徒(ムスリム)が人口の過半数を占めるようなイスラム世界の国々と我が国との交流は、アジアの国々を除き、これまで、中東を中心に、エネルギー資源をめぐる貿易と経済協力に偏っていたといっても過言ではない。加えて、我が国のイスラム教徒は極端に少なく、我が国のイスラム教、イスラム世界に対する理解度は極めて低いと言える。そのため、イスラム世界を理解するための努力が、今後一層求められる。

(一)イスラム世界の歴史

 イスラム世界の歴史について、参考人から、次のような所見が示された。

 7世紀、メッカのムハンマドという人物が、神殿に祭られている神々はすべて神ではなく、キリスト教やユダヤ教が言う唯一なる神だけが神であると主張する宗教運動を始めたことが、イスラムの始まりである。その後、ムハンマドは、迫害を受け、メッカを捨ててメディナに移る。これを「ヒジュラ」と言い、そこからメディナを中心にして新しいイスラム教徒の社会ができていくことになる。ヒジュラによってでき上がったイスラム教徒の社会を「ウンマ」と言い、そのウンマができたことがイスラムの歴史にとっては非常に重要である。このヒジュラがあった年を紀元にして今日のイスラム暦(ヒジュラ暦)ができ上がっている。西暦で言えば622年がイスラム教徒の社会の始まりであると認識されている。

 この時期のムハンマドの言動が、人間としてどう生きるべきかということの指針であるイスラム法の判断基準になり、イスラムの聖典であるコーランは、ムハンマドが神から啓示された言葉を集めたものと考えられ、この時代のウンマに帰れということが今日のイスラム運動の政治思想の大きな基盤となっている。

 632年にムハンマドが没した後、アラビアのイスラム教徒たちがまとまり、現在の中東の大部分を征服することになる。この時代までのイスラム教徒の社会が、今日から見て「理想の社会」「理想の時代」と見られている。

 9、10世紀ごろから少しずつイスラム教への信仰が民衆化していく。11世紀ごろになると中東各地で、人口の面でもイスラム教徒が多数派になっていったと考えられる。つまり、イスラム教徒が中東を征服してから数百年間かけて徐々にイスラム教徒が増え、イスラム教が支配的な宗教になっていった。

 13、14世紀に一挙にイスラム世界が地理的に拡大していく。そして、地域的に見れば今日のイスラム世界が大体14、15世紀にはできることになる。その間、おそらく14、15世紀までは、イスラム世界が、産業、科学技術、あるいは教育の面において世界の最先端地域であった。

 18世紀は、西ヨーロッパ諸国が急速に発展し始める時期であるが、それと並行的に、ヨーロッパからの圧力というよりはむしろ内部の問題で、イスラム世界の大きな政治的体系が壊れていく。その中で、今日につながるイスラム運動の原型のようなものができていく。

 ヨーロッパが18世紀後半から20世紀の前半までイスラム世界を植民地化していくが、その抵抗運動を行ったのは18世紀から始まる新しい形での神秘主義教団が中核であった。

 第二次世界大戦前後から、イスラム世界の国々はいずれも独立していく。この国家建設の際の大きなイデオロギーはナショナリズム・民族主義であり、イスラムということよりは、アラブ民族とかインドネシア人の精神といったものが重要であった。この時期、どちらかと言えばイスラム運動は政治的に弾圧される傾向にあった。

 1967年、第三次中東戦争でエジプト軍が壊滅的な敗北を被ったことを契機にナショナリズムは急速に下火になり、それに代わって出てくるのがイスラム運動であり、次第にイスラム世界の国家はイスラムを無視できなくなっていく。特に1979年のイランにおけるイスラム革命以降は、イスラム運動というものがイスラム世界で政治的にも文化的にも社会的にも非常に重要な意味を持つようになって今日に至っている。

(二)我が国との歴史的関係

 歴史的に見たイスラムと日本との関係について、参考人から、次のような所見が示された。

 現在の日本人には、中東やイスラム世界は非常に遠い存在であると思われているが、歴史的関係における「間接性」というものは否定できず、イスラムと日本との間の関係には不思議な同時並行性(パラレリズム)がある。

 国家の形成は、イスラムにおいても日本においても西暦7世紀が非常に重要な目印になる。聖徳太子と預言者ムハンマドは、全く同時代、全く重なり合った時を生き、しかもそこで強調された「和」と平和を意味する「サラーム」、このような言葉の対照においても不思議なパラレルを考えることができる。

 また、諸宗教の共生やその相互の関係付けという点でも、日本とイスラムとの間には非常に不思議なパラレリズムがある。イスラムは、諸宗教がどういう関係を持ち合うべきであるかということに関して、諸宗教の間の安全保障にかかわる契約関係をいかに安定的に整えるかという、言わば制度化の方向を向いている。それに対して日本は、神道、仏教、儒教、道教、後にはキリシタンも含めて、習合、シンクレティズムという、社会の日常生活の中で諸宗教が重なり合う状況を作り出すというところで絶えず諸宗教の間の関係を考え続けてきた。

 1世紀前の日本人はイスラムに非常に重大な関心を持って対話を行っていた。明治時代の日本人は、現在の我々からすれば信じ難いほどにイスラムのことを知り、イスラムに対して非常に強い関心を持っていた。

 特に条約改正の問題に関し、列強諸国は、条約改正の前提条件として、エジプトにおいて実施されていた混合裁判所を日本においても実施するよう要求した。そのため、明治期の日本人はこの条約改正を追求するに当たり、いや応なくオスマン帝国やエジプトの法制や裁判制度を研究せざるを得なかった。

 20世紀の初頭においては、エジプトをイギリスが、モロッコをフランスが取るという英仏協商、イランを南北に分割して、北側をロシアが勢力範囲とし、南側はイギリスが勢力範囲とするという英露協商、この二つを組み合わせた三国協商が成立し、これが第一次大戦の一方のブロックを形成するが、この三国協商ができ上がるきっかけは日露戦争であった。

 また、日本はパレスチナ問題において手を汚したことがないと一般によく言われるが、パレスチナ問題の出発点であるイギリスのパレスチナ委任統治を定めたサンレモ会議に日本は参加している。

 20世紀の中葉においては、イスラエルが建国され、スエズ戦争で植民地主義が退潮し、第三世界のナショナリズム運動が起こってくる。高度成長期を迎え、専ら中東の石油に依存する日本は、アラブ・ナショナリズムの運動としてのパレスチナ問題、やがてやってくるイラン・イスラム革命に深くかかわらざるを得なかった。

 20世紀の後半になると、第一次石油危機、湾岸戦争が起こり、国際社会における日本の国としての在り方が大きく変化した。このような日本の大きな曲がり角は必ず中東における大事件と絡み合っており、しかもそこにはイスラムが絡んでいる。

(三)イスラム世界の現状
(今日のイスラム世界)

 参考人から、イスラム世界というものが国際社会の中にあって、イスラムというものを一つの共通項として様々なことを主張し、何かのまとまりを持って行動しているとの意見が述べられた。

 イスラム教徒(ムスリム)の数について、参考人から、今日、約10億人から12億人の人々、すなわち地球上の人間の5分の1がイスラム教徒であり、国連の推計によると、2050年には、世界の人口は90億人から100億人になり、ムスリム人口は30億人をはるかに超え、世界の3分の1ぐらいはムスリムになると推定されているとの説明があった。また、参考人から、人口の面から見ると、中東が必ずしも多いというわけではなく、イスラム世界を見るときには、人口の多いアジア、特に東南アジアの問題と重ねて見る必要があるとの意見が述べられた。

 イスラムの共同体意識について、参考人から、イスラムでは、「五行(信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼)」がイスラム教徒の義務になっているとし、これを我々は宗教的な行為と受け取るが、その宗教的な行為をする中に世界的なイスラムの共同体意識が生まれてくると考えられるとの意見が述べられた。

 イスラム法について、参考人から、イスラムというものは国民国家を超えている存在であり、イスラム法は国家が定める法律ではなく神の意思に基づいているので、国家の枠組みにはとらわれていない、その意味では一種の国際法であるが、18世紀以来ヨーロッパ諸国が発展させてきた国際法とは全く性格が異なっており、これからはヨーロッパ中心の国際法も変わらなければならないし、イスラム法も変わらなければならないとの意見が述べられた。

(イスラムの多様性)

 委員から、イスラムは多様性を持った国々であり、イスラムを一つの単位、一つの文化としてとらえるのではなく、様々なものの総体としてイスラムがあるのではないかとの意見、イスラム世界を一まとまりとして話すことは難しいとの意見が述べられた。

 参考人からは、イスラムの中は非常に多様であり、一つ一つの国の歴史があるので、イスラム一般ではとても語れないことが多いとの意見、イスラムは一枚岩ではなく、様々なイスラムがあるとの意見、イスラム自体が複数存在するとの意見、イスラム世界と言った場合に、内実はそれぞればらばらの、あるいは独自の問題を抱えて展開しているという部分が余りにも捨象されてしまってはならないとの意見が述べられた。

(イスラム復興運動)

 今日のイスラム復興運動について、参考人から、植民地支配から脱却して独立した国々における民族的、文化的なアイデンティティーの回復としてイスラム復興が出てきているとの意見、行き過ぎた近代化、西欧化の反動として、今再びイスラムが見直されているとの意見、イスラム世界の近代化は欧米モデルを追求したが、その中で生まれてきた貧富の拡大、環境問題、劣悪な社会基盤の問題、政治腐敗あるいは非民主的な政治体制といった問題を、イスラムの正義や平等といった概念で改善していこうというのがイスラム原理主義の運動であり、対外的には、欧米の影響力をイスラム世界から排除するのがイスラム原理主義の考え方であるとの意見が述べられた。

(イスラム社会の課題)

 現在のイスラム社会が抱える課題として、参考人から、次の5点が示された。

 第1点は、イスラム法の現代化である。イスラム法は前近代のかなり安定した時期に安定した形をしていたため、近代に入りかなり齟齬が出てきた。近代的なものとイスラム的なものを合わせたものにする努力が進んでいるが、イスラム世界は割合に一体感があり、コンセンサスを大切にするので、その近代化にはまだ時間がかかる。

 第2点は、穏健・中道派の形成である。今、非常に過激なイスラム急進派の動きが国際的にも問題になっているが、非常に伝統的な考え方、近代主義的なイスラムの考え方、復興の考え方があり、復興の中にも穏健派と急進派とがいるため、イスラム世界の中はかなり意見が分かれている。

 第3点は、パレスチナ問題、エルサレム問題の解決である。そのためにイスラム諸国会議機構(OIC)もできたが、この問題を何とか国際的に解決したいという強い希望を持ち続けている。

 第4点は、OIC加盟国間の紛争防止である。イラン・イラク戦争や各地の国境紛争などイスラム諸国のメンバー間ではかなり紛争があり、これを何とかしなければならないと考えている。OICは、1987年に国際イスラム司法裁判所を設置することを決めたが、まだ実際には設置されていない。

 第5点は、途上国が多いので、その経済発展、イスラム諸国間の水平貿易、経済協力の拡大である。OICは75年にイスラム開発銀行を設立して、貿易の拡大、加盟各国の経済発展、職業訓練等を含めた教育の問題などに取り組んでいるが、課題としてはまだ大きなものが残されている。

2 イスラム世界と国際政治

 米ソ冷戦構造崩壊後、貧困や民族・宗教対立などを原因として地域紛争が世界各地で起こるのではないかと危惧された。その後の10年余の経過をたどれば、残念ながら、この予測が的中したことは明らかである。しかも、諸々の紛争には、国内のみならず数か国にまたがる紛争も存在している。

 イスラム世界、特に、中東、中央アジア、コーカサス地域については、国境が民族分布に関係なく設定されていること、同じイスラム教の中でもスンニ派とシーア派の対立があること、水資源をめぐる対立が激しいことなどが、これまで指摘されてきた。これに加えて、イスラエル建国以来のパレスチナ問題が特に最近深刻化していること、石油・天然ガスなどの国際資源をめぐる先進各国と産出国の思惑が複雑に交錯していること、また、大量破壊兵器の開発・拡散やテロ問題で疑惑がもたれているイラクやイランに対して、米国が「悪の枢軸」と決めつけて、その対決姿勢を強めていることなどから、この地域の対立・紛争要因は、ますます増大するとともに複雑になっている。

 調査会においては、パレスチナ問題を含めてこの地域に大きな影響力を有する米国の対応、我が国の中東政策、イラク、イラン、トルコ、中央アジア諸国をめぐる問題などについて、様々な観点から論議が展開された。

(一)米国の中東政策

 冷戦後の米国の中東に対する基本的な国益に関して、参考人から、ソ連の影響力の拡大阻止が抜け落ちて、(1)石油資源への自由なアクセスと安定供給、(2)イスラエルの安全の維持の二つになり、さらに石油資源に関しては、カスピ海周辺へのアクセスと安定供給も加わったとの意見が述べられた。また、参考人から、中東における対ソ抑止政策(オーバー・ザ・ホライズン)がそのまま残っていたことの結果として、反共勢力として利用したビン・ラーディンらのイスラム原理主義集団、サダム・フセインの右派民族主義勢力が登場したとの意見が述べられた。

 ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言に関して、参考人から、「悪の枢軸」発言は、米国とイスラエルが組んで世界を支配しようとしているという「陰謀論」を中東アラブ世界に拡大させる原因となるとの意見が述べられた。

 委員からは、アフガニスタン空爆後、米国は別の国も攻撃する思惑があったのではないかとの意見、米国はブッシュ政権になってから一国主義の傾向が非常に強まったのではないかとの意見、ブッシュ政権はベトナム戦争のトラウマからの脱却を図ろうとしているとの意見が述べられた。

 政府からは、米国は国際的なテロネットワークを庇護する国家体制を持つ国と対決しているのであり、その意味では、アフガニスタンだけではないとの所見が示された。

(二)我が国の中東政策

 我が国の対中東外交に関して、政府から、中東和平、イラク、イラン、アフガニスタンの四つが当面の重要課題であるとした上で、特に中東地域の平和と安定は我が国の生存と繁栄に極めて重要であり、また、大量破壊兵器の拡散問題、テロ問題も存在していることから、世界の主要国の一員として中東の平和と安定の実現に積極的役割を果たしていく必要があるとの報告があった。

 参考人からは、我が国の対中東政策は、対米外交と石油の安定供給の確保という二つの柱から成っており、米国との関係と、アラブ、イスラム諸国との関係を同時に進めなければならないというジレンマを抱えていることから、米国が二者択一的な選択を求めてきた場合に、その対応は極めて難しいとの意見が述べられた。

 委員からは、日本は米国の中東外交に過度に追従すべきではなく、日本の持ち柄をいかした外交を展開することによって日本の存在感を示すことができるのであり、それがある面で米国のためになるとの意見が述べられた。

 また、委員から、クリントン政権からブッシュ政権への移行に伴う米国の対中東政策の変化と、中東における平時から有事モードへの移行は、日本外交にとっては環境の変化と見るべきではないかとの意見が述べられた。これに対し、政府から、90年代が平時であったのではなく、冷戦後、米ソの重しがとれ、イラクのクウェート侵攻以降、非常に先が読みにくくなった状況の中で何をしていくべきかが問われているのであり、日本は中東から地理的にも遠く、歴史的にも関係は希薄だが、積極的に発言し、国際的な世論の構築に参加していかなければならない時代に来ているとの所見が示された。

 また、日本の具体的対応策として、参考人から、イスラム主義の中で過激化し武闘勢力になっているのは民主化に失敗した国の人たちがほとんどであり、欧米諸国が動けない部分で、草の根からの民主化を進めていくという方法は十分とり得るとの意見、米国が一方的な外交政策をとっていることに対し、日本は、欧州その他の主要国と緊密な政策協議を続けながら、米国に対する意見開陳を積極的に行う必要があるとの意見が述べられた。

 委員からは、米国がテロ撲滅のためにアフガニスタン以外にも多国籍軍を展開することになった場合の日本の姿勢が問われた。これに対し、政府から、アフガニスタンのケースと同じではないが、テロは国際社会の安全にとって大きな脅威であり、軍事的な役割以外の面で可能な協力をしていくことは当然であるとの見解が示された。

(三)パレスチナ問題
(パレスチナ問題の経緯)

 パレスチナ問題の経緯について、参考人から、次のような所見が示された。

 1947年11月、国連が、イギリス委任統治領であったパレスチナをアラブ人の国とユダヤ人の国とにおおむね半分に分けるパレスチナ分割決議(総会決議181号)を採択したものの、イスラエルは自前の国を望んだのでとりあえず同決議を受け入れたが、アラブ側は人口比で不公平であると主張し、これを拒絶した。その理由として、アラブ側には、アラブ人を主体としてユダヤ人少数民族を抱え込む形で国を作る構想があったことがあげられる。

 その後、67年の第三次中東戦争で、アラブ側にわずかに残っていたヨルダン川西岸とガザ地区も占領され、エジプトはシナイ半島を、シリアはゴラン高原を奪われた。67年11月に、国連で決議(安保理決議242号)が採択されたが、占領地の英語が「テリトリーズ」というあいまいな表現であったことから、アラブ側とソ連は、ザ・テリトリーズ、すなわち全面撤退に固執し、イスラエルはおしるし程度に返せばよいと考えたため、どの程度撤退すれば妥結するかが示されないままであった。さらに73年の第四次中東戦争の結果、エジプトはイスラエルと単独講和を結び、シナイ半島の返還を受け、対イスラエル戦線から離脱した。残されたところが、基本的にそのままの形になっている。

 参考人から、パレスチナ問題は、宗教問題であるとか、大国のパワーポリティックスの舞台と言われるが、結局は土地問題であるとの見方が示された。また、参考人から、イスラエルに対し影響力を持つ唯一の大国である米国が決断しリードしていくことが重要であり、その米国に対し同盟国ないし大国が影響力を行使していくしかないとの意見が述べられた。委員からは、パレスチナに自決権、国家建設を含めた権利を認めるとともに、イスラエルの国家を認めることが非常に重要であるとの意見が述べられた。

(オスロ合意とその後)

 参考人から、93年の「オスロ合意」は、単一の合意ではなく、最終的な着地点に向けた手続を定めたものであり、その骨子は、(1)パレスチナ側はテロを放棄し、イスラエル側はアラファト議長の組織(PLO)を交渉相手として認知する、(2)暫定自治を5年間実施するとともにこれを拡大する、(3)3年目からは、入植地問題、境界線設定問題、エルサレム問題、パレスチナ難民帰国問題を議題に、最終的な着地点を決めるものであったとの説明がなされ、オスロ合意後の状況等について、次のような所見が示された。

 イスラエルでは、タカ派のシャロン首相がパレスチナがテロを行ったことによりオスロ合意に基づく和平プロセスは停止したと考えている。一方、パレスチナでは、オスロ合意に依拠しようとしているのはアラファト議長らのパレスチナ自治機関の幹部たちであり、イスラエルと武装闘争を行っているグループは、アラファト直系のファタハも含めて、「オスロ合意は死んだ」「新しい論理に従った戦いである」と認識している。そのため、現状では、先に進めるのは非常に難しく、新しい交渉の枠組みを作る必要がある。

 その後の解決策については、米国には、ブッシュ政権の公式な見解として、まず暴力停止とその後の信頼醸成期間を経て対話に戻るという「ミッチェル・プラン」があるほか、67年の境界線を基準に微調整した米国の独自案を最終案として強く打ち出すべきとの「ブレジンスキー提案」がある。イスラエルには、バラク政権の外相代行であったシュロモ・ベン・アミ氏による、米国が指導力を発揮した形で、ロシア、EUを含めた国際的な大国による強制裁定で仕切るべきとの提案がある。EU、フランスには、まずパレスチナを独立国家として承認し、それと引換えに、暴力停止と積み残しの問題を国同士の関係の中で解決していくべきとの提案がある。

(米国とイスラエルの国内情勢)

 参考人から、米国のユダヤ・ロビーの活動に関して、世論形成・集金力の点で強い影響力を持つユダヤ・ロビーと、イスラエルびいきの右派キリスト教系原理主義の力が強く、政府が独自にイスラエルに対しプレッシャーをかけることは難しいとの意見が述べられた。

 また、参考人から、イスラエルの政治情勢について、土地で譲歩してもアラブとの関係を正常化した方がよいとするハト派の労働党(ラビン、ペレス、バラク政権)と、占領地保持に固執しアラブとの平和の約束を信用しないと考えるタカ派のリクード(シャミル、ネタニヤフ、シャロン政権)の二つが絶えず対立しており、ハト派には財産のある人たちが、タカ派には貧しい人たちが多いとの意見が述べられた。

(我が国のパレスチナ問題への対応)

 我が国のパレスチナ問題への対応に関し、参考人から、日本は、91年のマドリード会議でパレスチナ側を出席させることに協力しているが、その種のことはいろいろできるとの意見、日本は、オイルショック後、イスラエルに対して占領地の返還とパレスチナ人の民族自決権を認めるべきであるとの姿勢を示しており、こうした姿勢は、占領、併合は認めないという意味で、我が国の北方領土問題にもつながるとの意見が述べられた。委員からは、北方領土は依然としてロシアに占領されていることを踏まえ、日本はパレスチナ問題では占領も併合も認めないと声を大にして主張すべきであるとの意見、日本が虚心坦懐にアドバイスできることがあるとすれば、報復に次ぐ報復は何も産まないこと、怒りのエネルギーを平和な国の建設や国際社会の安定に向けて転換させていくことを、平和で豊かな社会を作った我が国の戦後の経験に基づいて主張すべきであるとの意見が述べられた。また、参考人から、日本は何らかの形で政治的なイニシアティブを示して、同盟国である米国に対する説得を試みる人道上の義務があるとの意見が述べられた。

 日本の貢献策について、参考人から、日本は手を汚したことがないので仲介役ができるとの認識はレトリックとしては正しいとしても、実際の政治ではほとんど不可能であり、ゴラン高原のPKOやパレスチナ自治選挙の監視団への参加、イランへの経済援助といったことなどを今後も続けていくべきであるとの意見が述べられた。

 政府からは、イスラエル、パレスチナ間の紛争による悲劇的状況を1日も早く終わらせるため、国際社会とともに、イスラエル、パレスチナ双方に対する働きかけを引き続き行っていくとの所見が示された。

 委員からは、パレスチナ問題に対する日本の顔が見えていないとの意見、米国の調停行為が決定的な役割を担うことは自明であるとしても、日本が事前に米国に対して白紙委任状を与えるような支持を表明することは避けるべきであるとの意見が述べられた。これに対し、政府から、我が国としては、米国が積極的な関心を示さなくなると危険であるとの認識に立ち、パウエル調停の支持を表明し、パレスチナに対しては93年のオスロ合意に立ち戻ることを、イスラエルに対してはパレスチナ側の自治に任されるべきA地区からの即時撤退を主張しているとの所見が示された。

 さらに、参考人から、日本のパレスチナに対する援助により作られたものが攻撃で破壊されている可能性があり、国民の税金で作られたものの状況を質問する形で日本は和平への姿勢を示すことができるとの意見が述べられた。

(四)イラクをめぐる問題
(米国のイラクへの対応)

 米国のイラクへの対応に関し、参考人から、米国は、冷戦期に対ソ抑止としてビン・ラーディンらを使い、イラン型のイスラム革命の波及阻止のためにサダム・フセインを使ったのであり、現在の「ならず者国家」封じ込め政策は、冷戦期の政策の清算を行っていると見ることができるとの意見、米国はフセイン政権をまだ使えると考えている可能性があり、イラクに対して徹底的な討伐を行わないのではないかとの疑念が常に出されているとの意見、イラクにおける反政府勢力の第一はイスラム勢力、第二は共産主義勢力であり、両者とも米国が最も忌避してきた二大勢力であることから、米国はフセイン政権の方が好ましいと考えている可能性があるとの意見が述べられた。

 イラク攻撃の可能性について、参考人から、クルド問題やシーア派の問題などがあるイラクにおいて、軍事力による政権交代や転覆がいかなる問題を引き起こすかを考えれば、見通しのないまま結論を出すことは非常に危険であるとの意見が述べられた。

 委員からは、日本は、現実味を帯びてきたイラク攻撃に対して、アフガンに対する侵攻と同じスタンスで対応すべきかをも含めて、具体的に考える時期にあるのではないかとの意見、米国がイラクを攻撃するという事態が起こったとき、日本の外交は踏み絵を迫られ、どのような協力をどの範囲で行うのかという選択を求められる事態が来るとの意見、米国政府はイラクに対する攻撃の可能性を繰り返し示唆しており、実際に攻撃が開始されれば、日本がこれを間接的に支えることになり、イスラムに対峙する関係が作られることになりかねないとの意見が述べられた。

(イラクの経済的価値と国際社会の対応)

 米国がフセイン政権に対して徹底的な行動をとらないもう一つの理由として、参考人から、サウジアラビアに次ぐ第2位の石油産出国であるイラクの経済的価値を無視できないからであるとの意見、また、フランス、ロシアなどの欧州諸国にはイラクに対し相当額の債権を持つ国が多く存在することや、米国の石油企業が西欧諸国に比べて対イラク経済進出に後れをとっていることなどがあり、米国が強硬策に出るか否かは結論が出ていないとの意見が述べられた。また、参考人から、米国は軍事シミュレーションに基づくフセイン政権打倒は、相当な年月と相当の米兵の犠牲を覚悟の上であるならば実行可能という結論を出しているとの認識が示された。

(我が国の対イラク外交)

 我が国の対イラク外交について、政府から、石油賦存量の非常に大きい国であり、湾岸地域の平和と安定の実現には正にかぎとなる国であるとの所見、イラクに対してかけられている大量破壊兵器開発等の疑惑解明が重要であるとの所見が示された。

 委員からは、米国がイラクに対してはスマート・サンクション的な柔軟な対応をとってきた中で、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言があり、強硬姿勢を示したことから、その後の日本の対応が問われた。政府からは、イラクに対する国連の制裁は、原子爆弾を含む大量破壊兵器とミサイルの開発がなされていないことを証明させることが主眼であり、日本としてはイラクに対してこれらの懸念を払拭するよう申し入れているとの報告があった。

(五)イランをめぐる問題
(米国とイランとの関係)

 米国のイランへの対応に関し、参考人から、イランはハタミ政権の下で、中東で最も民主的な国となっていることから、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言は一方的であるとの意見、米国における同時多発テロ以降、ハタミ政権の対米アプローチは、「テロに対して極めて遺憾であり同情を禁じ得ない」「共にテロ撲滅に向けて歩んでいこう」と呼びかけるものであったにもかかわらず、「悪の枢軸」発言によりイランを反対側に押しやることになるとの意見、対テロの敵か味方かというレトリックからすると、イランに対する政策も近い将来大きく変わるとは思えないとの意見が述べられた。また、参考人から、米国の軍事費の増額と「悪の枢軸」発言がリンクするのではないかとの意見が述べられた。

(我が国の対イラン外交)

 我が国の対イラン外交に関して、参考人から、イランに対してはある程度の独自のパイプを維持しており、米国が建前上接触できない状況の中で、何らかの形でつなぎ役を果たすことが可能であるとの意見、イランは良質かつ豊富な石油資源を抱えており、日本の国益を考えればイランとの関係を絶つことは困難であり、また、日本に対する期待も非常に強いので、米国に同調し過ぎると悪い影響も出るとの意見が述べられた。

 政府からは、イランについては、中東地域及び国際社会の安定に多大な影響を有する域内の大国であり、日本は一貫して友好関係を維持しており、ハタミ政権が進める国内改革及び国際社会との対話路線を支持していくとの所見、日本は、イランをめぐる国際社会の懸念については共有しており、イランが具体的措置をもってその懸念を払拭するように、今後も率直な働きかけを続けていくとの所見が示された。また、委員から、米国にとっては「悪の枢軸」であるイランと日本との関係強化は、戦略的かつ経済的な観点から重要な意味を有しているとの意見が述べられた。

 委員からは、「悪の枢軸」発言によって日本の対イラン政策に変更があるか、米国はなぜイランを「悪の枢軸」としたかが問われた。

 政府からは、これまで日本はイランと特別な関係を持ち、国際社会の懸念を伝えてきたことについては、米国もそれなりの理解を示しており、対イラン政策が変わっているということでは必ずしもないとの所見が示された。米国がイランを「悪の枢軸」に含めた理由について、大量破壊兵器の開発、中東和平の妨害、パレスチナ占領地区への武器密輸出などからではないかとし、「悪の枢軸」という表現は、テロに対する強い姿勢を示すためのものであり、テロと大量破壊兵器が結びつくと非常に危険であるという強いメッセージではないかとの所見が示された。

(六)トルコ、中央アジア、コーカサス地域をめぐる国際関係

 トルコの外交に関して、参考人から、トルコは欧州への仲間入りと脱イスラムの二つの目標があるが、EUはトルコがイスラム教国であることから参加に難色を示しており、トルコ国内にはこれに反発して民族主義が台頭し、中央アジア、コーカサスに外交の重点が移る傾向もあるとの意見、現在、国内民族主義の極右政党の代表が首相を務めており、極右政党の台頭が今後のトルコ外交に影響を及ぼす可能性があるとの意見が述べられた。

 我が国の対中央アジア外交に関して、政府から、この地域の安定は極めて重要であり、アジア諸国や日本のエネルギー供給源の多様化に資する可能性が大きいとの所見が示された。参考人からは、ユダヤ人が中央アジア諸国の大統領顧問になってブローカー的な役割を果たしており、彼らとの接触は日本にも役立つことになるので、アラブに付いてイスラエルとは断絶するという政策は得策ではなく、両者とのつながりを保ちながら平和のために貢献していくべきであるとの意見が述べられた。

 中央アジア、コーカサス地域をめぐる米露の対応に関して、委員から、ロシアのプーチン大統領がアフガニスタンにおける米軍の軍事行動を支持し、米軍のグルジア派兵を容認した戦略について問われた。政府からは、テロへの戦いに参加することは、ロシアにとって、(1)チェチェン紛争をテロへの戦いと定義付けられること、(2)かつてアフガニスタンで負け組だったが、今度は連合軍的なサイドで、勝ち組に入ることができるという判断からではないかとの所見が示され、また、中央アジア諸国への米軍のプレゼンスがロシアの支持を得ていることに今後とも注目していく必要があり、中国もこの点を大変気にしているとの所見が示された。

 中央アジアをめぐる中露の対応に関して、政府から、中国とロシアは、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンとともに「上海協力機構」を作り、政治的対話から、最近では経済や文化等の協力まで活動分野を広げているとの所見が示された。

(七)水資源をめぐる問題

 中東地域の水資源問題に関して、参考人から、トルコ、イスラエル、エジプトを中心とした三つの紛争に関連した地域と、砂漠地帯サウジアラビアを中心とした湾岸諸国について見る必要があるとし、次のような所見が示された。

 トルコを中心とする地域については、世界四大文明の発祥の地の一つであるメソポタミアには、チグリス川とユーフラテス川が流れているが、水源はどちらもトルコ東部の山中にあり、このことが、トルコ対シリア、トルコ対イラクという水資源をめぐる関係を形づくり、政治問題とも絡み微妙な問題となっている。

 イスラエルとその周辺地域については、イスラエルの水需要の30%程度は水資源に恵まれたヨルダン川の西岸地域から供給されているが、この地域は、第三次中東戦争によりイスラエルの占領下に置かれたことから、イスラエルとヨルダン、イスラエルとパレスチナ自治政府との間で、水問題が重要になっている。また、ヨルダン川西岸の占領地では、水の割当てについてイスラエル側が一方的に決めているが、ゴラン高原が仮にシリアに返還された場合には、下流への流水の保障や水に関する公正な割当てを新たに決めなければならない。

 エジプトとスーダンについては、水資源としてナイル川が貴重であるが、両国は歴史的、政治的に関係が良好でないため、両国間で決められた水量供給協定どおりの水量が下流国のエジプトに供給されていないという問題が起きており、加えて、近年、エジプトでは、人口増と都市化が進み、水問題が深刻化している。

 サウジアラビア等の湾岸諸国について、参考人から、砂漠地帯では水が希少資源であるため海水を淡水化し対処してきたが、財政難で十分な海水淡水化プラントが完成しておらず、サウジアラビアの首都リヤドや西部の商業都市ジェッダでは断水や給水制限があり、水問題がアラビア半島で社会・政治問題化しているとの認識が示された。

3 イスラム諸国と国際資源問題

 石油、天然ガスといった国際資源の安定供給の確保は、我が国の対外政策の重要な課題と言える。しかしながら、我が国はほとんどの資源を外国からの輸入に依存しており、中でも中東に対する石油依存度は非常に高い。

 中東は石油などの埋蔵量が膨大であり、我が国を含む東アジア地域は、今後、一層中東依存度を高めていくと予想されている。しかし、この傾向は、エネルギー安全保障の観点から望ましいとは言えず、中東以外にも供給源を多角化していく必要性が認識されている。このため、近年、我が国を始め米国や中国などは、中央アジア、カスピ海沿岸地域に対する関心を高めている。

 一方、中東・中央アジア諸国の経済は、国内外に解決を必要とする課題を多く抱え、結果として持続的な経済成長が遂げられているとは言い難い状況になっている。石油や天然ガスといった国際資源だけに依存しない持続的な経済成長が可能な産業をいかに育成させるかがこれからの課題として指摘される。

(一)イスラム諸国の石油資源と我が国の対応

 我が国の石油の中東依存度について、委員から、我が国は2回の石油ショックに直面し、危険分散を図る目的で依存度を少しずつ低下させていく政策をとったが、現在の依存度は逆に石油ショック以前より跳ね上がっているとの見方が示された。

 政府からは、石油ショック以降、自主開発原油の開発や供給ソースの多角化に努力を傾注し、中東依存度を下げる努力を行い、輸入先を約15か国から20数か国まで増加させたが、中国やインドネシアなどの輸出量が減ったことや、中東原油は日本に輸入する際、競争力があることなどにより、結果として依存度が上がったとの所見、我が国は、中東以外の資源開発や輸入増大に努力しているが、一方で、原油の埋蔵量から見て、経済的な意味での中東との結び付きを強化し、また、中東諸国も、需要の安定性から日本を含めたアジアに依存せざるを得ないため、相互依存関係を強化することも一つの方策ではないかとの所見が示された。

 委員から、パレスチナの緊張が高まり、アラブの石油産出国が様々な対応を考えるとなると、石油の中東依存度が高まっている我が国は厳しい状況に置かれるのではないかとの意見が述べられた。政府からは、石油やガスだけではなく、経済的、産業的な面での協力、水資源の面での協力、人的な面での交流、イスラムとの対話などのツールを総動員して関係の緊密化と安定的な推移に向けて努力を続け、何か起きても石油が供給されるようにしているとの説明がなされた。

 我が国のエネルギー安全保障について、委員から、世界第2位のGDPを誇るものの資源のない我が国が経済を維持していくためには、エネルギーの安定的供給は極めて重要であるとの意見が述べられ、特に、米国同時多発テロ事件以降、エネルギー安全保障的な考え方が重要な要素の一つではないかとの見方が示された。

 政府からは、我が国のエネルギー政策を考えた場合、石油の備蓄、自主開発の促進は重要な柱であり、中東・中央アジア諸国を中心とする産油国との貿易投資の促進や様々な対話を行うことが重要であるとの認識が示された。

 参考人からは、石油等の購入先を政治的に不安定な中東以外に多角化すること、第一次石油危機以降進められてきた戦略備蓄を充実させること、さらに新エネルギーを開発することが、我が国のエネルギー安全保障上必要ではないかとの意見が述べられた。

 委員から、我が国のシーレーンに影響を与える紛争の防止や、イスラムの資源保有国に対する民主化の支援を行うといったことに絞った外交努力をしていくことが大切ではないかとの意見が述べられた。

 イスラム産油国に対する我が国の対応について、委員から、イスラム産油国との関係強化のため、我が国の技術協力などの援助が有効ではないかとの意見が述べられた。

 参考人からは、中東イスラム諸国との人脈づくりを積極的に行い、重要な情報を取りながら、先方の求める外資導入政策に乗る形で、石油資源の開発や不足する基礎的インフラの再整備、あるいは失業者の雇用創出のための教育や職業訓練の協力を行うなど、的確な政策展開を図っていくことが必要との意見が述べられた。

 委員から、アジア全体での石油需給関係や効率化について、我が国がイニシアティブをとって政策提言をしていく時期であり、これまでの二国間の外交から地域協力機構の活用のような複眼的な取組が必要ではないかとの意見が述べられた。参考人からは、日本がエネルギーの需給政策に関して、世界的レベルで提言を行うことが、広い意味の日本の石油外交を強化することになるとの意見が述べられた。

 中国のエネルギー需要について、委員から、環境的な変化が起こり、需要が増大してきているとの見方が示された。政府からは、中国の石油需要は急激に伸びており、中東からの輸出も相当増えるとの認識が示され、また、ロシアは、中国を天然ガスのマーケットとしても見ており、中東、中央アジアにおける中国のプレゼンスは相当大きくなっているとの説明があった。

 参考人から、中東産油国へ日本の石油企業が進出するためには、企業同士の再編の促進や企業体力をつけるような環境整備を行う必要があると同時に、欧米に比べて相対的に海外事業の獲得が弱い日本の石油産業を国家としていかに支えるか、そのためのメカニズムが重要ではないかとの意見が述べられた。

(二)カスピ海周辺地域の国際資源問題

 中央アジアのエネルギー資源について、参考人から、多くのエネルギーが眠っていると考えられるとの認識が示され、また、南アジア地域のインド、バングラデシュ、パキスタンの人口増加を考えると、この地域のエネルギーは中央アジアに依存しなければならないとの意見が述べられた。

 参考人から、中央アジアで米軍の展開が拡大している理由について、米国同時多発テロ後、米国が湾岸地域の将来の不安定さについて懸念していることがあり、長期的には中央アジアのエネルギーが視野に入っているとの意見が述べられた。

 また、参考人から、アフガニスタンで平和や安定が実現すれば、中央アジアの資源をアフガニスタンを通してインド洋に運ぶことが可能となり、これを日本が輸入することも可能となるとの意見が述べられた。

 カスピ海周辺地域のエネルギー資源について、参考人から、イランはインド洋とカスピ海の二つの海洋に接する地理的な利点を持った両洋国家であり、パイプラインを使えば、中央アジアあるいはコーカサスの国々の資源を輸出することも可能で、これらの国々は海洋との交流を考える上でイランを重視せざるを得ないとの意見、トルコは、主にロシアやイランから石油を購入しているが、ロシアとイランとは関係が良好ではないため、石油購入先の多角化が必要であり、中央アジアやコーカサスのカスピ海沿岸諸国が重要になっているとの意見、カスピ海沿岸諸国は、中央アジア諸国に以前住んでいたユダヤ人を介して経済的な交流を進め、イスラエルとの接近を図っており、一方、イスラエルは、トルコを介してカスピ海の資源を購入しようとしており、カスピ海の資源はイスラエルの資源購入先を多角化させる上で重要との意見が述べられた。

 中央アジア、カスピ海沿岸諸国に対する日本の取組について、委員から、中央アジア、カスピ海沿岸諸国は、産油国としてのプレゼンスが上がってきており、我が国はエネルギー安全保障の方向性を考え直す時期にあるとの意見が述べられた。

 政府からは、中央アジア・コーカサス地域における石油・天然ガスのポテンシャルは高く、中央アジアの将来に着目して、戦略的な見地からの取組が必要であるとの認識、90年代初期にカザフスタン、ウズベキスタン等が独立してから、我が国としては中央アジアに非常に関心を持っており、特に、97年に橋本総理がユーラシア外交を打ち出して以来、政治対話と経済的協力、域内の平和、核不拡散に関する協力の三つの柱を中心に、これまで様々な努力を重ねているとの見解が示された。また、政府から、中央アジア諸国と日本との貿易・投資は非常に低調であるが、ウズベキスタンやキルギスには日本の復興の経験から学びたいとの要望があるため、例えば、専門家派遣やセミナーを実施しているとの説明があった。

(三)中東・中央アジア諸国の経済の現状と課題

 中東諸国の経済の現状について、参考人から、中東イスラム諸国の経済の拡大が他の途上国に比べて後れている中で、人口増加と都市化が進み、失業問題と基礎的インフラ不足の問題が同時並行的に起きているとの意見、中東諸国は、90年代中ごろから、人口増による雇用問題が社会問題化し、石油だけでは人口を支えきれず、脱石油と経済の多角化による国づくりが検討されるようになったとの意見が述べられた。

 中東諸国の経済的、産業的な基盤の構築について、政府から、産油国については、原油とガスが最も重要であり、次が石油・ガスの周辺部分で、サウジアラビアでは石油化学、クウェートでは石油精製に用いる触媒の工場などの産業がある、同じ産油国でも、イランは製造業、中でも自動車産業などに強い興味を持っているとの認識が示された。また、参考人からは、工業化の方法論は国によってそれぞれ異なり、例えば綿が取れる国では繊維工業を発達させる余地があり、農業の余地がある国では食品加工を伸ばせる余地があるが、産油国の場合には、石油を一歩進めた石油化学産業やアルミ製錬産業、さらには、サービス産業としての観光産業に経済拡大の可能性があるのではないかとの意見が述べられた。また、政府から、中東諸国に対しては、これまでも、石油、ガスにかかわるものだけではなく、自動車、造水、海水の淡水化でも全力をあげて協力をしているとの説明がなされた。また、委員から、反米、反西欧、反グローバリズムを掲げるイスラム諸国は、どのような戦略で自らの国の基盤を築こうとしているのかがいま一つ見えないとの意見が述べられた。政府からは、イランについて、明らかに反米の色彩があるが、米国と極めて強い関係を有する我が国に対し、資源、エネルギー、さらには経済全般について協力したいとの申出があり、反米と経済とは直接つながってはいないのではないかとの認識が示された。

 投資面における我が国と中東との関係について、政府から、中東におけるビジネスチャンスは相当にあると思うが、ビジネス慣行など多くの点で制約があり、民間企業は、やや投資環境として難しいと感じているとの認識、中東各国は、海外からの投資を呼び込むための施策に重点を置いており、海外投資を呼び込むためのアドバンテージをいかに作り出し、アピールしていくかが今後重要となるのではないかとの認識が示された。

 我が国と中東諸国の経済交流について、委員から、中東諸国では、日本企業のプレゼンスは余り大きくないが、日本の中小企業の持つノウハウの伝授について強い要望があるとの意見が述べられ、参考人からは、中小企業の振興や育成のため、日本は協力していく余地があるのではないかとの意見が述べられた。

 中東諸国の経済の課題について、参考人から、中東イスラム世界では、日本のように教育が普及しておらず、中間層がなかなか育たないことが経済発展の大きな阻害要因になっているとの意見、中東の国々では、オイルブームで経済的に潤い、石油ばかりに目が向いた結果、国内産業の育成がおろそかになってしまい、これからの中東イスラム世界の経済を考える上で、工業化あるいは近代化を図っていかなければならないとの意見、中東イスラム諸国が持つ在外資産は1兆3,000億ドル(推計)で、中東イスラム諸国全体のGNP8,000億ドルよりも経済規模が大きいが、資金が国内に還流していないことが問題であり、中東産油国の為政者もようやくこれに気付き、ここ3、4年、急速に投資関連の法案や投資の規則を整備し始めているとの意見が述べられた。

 また、参考人から、中東の産油国は、90年代の中ごろに外国資本の再導入に動いており、各国がそれぞれの理由で外国の手を借り、油田の探鉱、開発、生産に当たろうとしている中で、欧米の大手の石油会社は積極的に中東の産油国の呼びかけに応じて進出しているが、残念ながら日本の石油会社は、資本的な問題あるいは技術的な問題もあり、欧米のメジャーズと比べると出遅れているとの意見が述べられた。

 中央アジア諸国の経済の現状について、参考人から、ソ連からの独立後、中央アジア諸国の経済状況が厳しくなった理由の一つは、通貨問題について十分解決できないうちに独自通貨を導入したため、相互の通貨の交換性、信頼性が低下し、ソ連時代の分業体制が崩壊、すなわち相互に縮小プロセスに入ってしまったことであるとの意見が述べられた。また、参考人から、ソ連型のシステムから市場経済への転換により、いずれの国も極めて厳しい状況に置かれたが、現在は状況が少し変わり、カザフスタンは石油により約10%の急成長を継続しており、おそらく今後も良い状況が続くのではないかとの意見が述べられた。

 中央アジア諸国の経済の課題について、参考人から、中央アジアは過去10年間にわたり市場経済化を進めてきたが、市場化に込められた民主化はむしろ後退の過程にあり、また、資源に恵まれるカザフスタン、トルクメニスタンあるいはアゼルバイジャン等はいわゆる債務の問題を克服できると思うが、他の国における対外債務の問題は、今後かなり深刻になる可能性があるとの意見、中央アジア諸国のうち、エネルギー資源に恵まれない国については、産業をいかに育成、復活させるかが重要であり、そのために、農業や中小企業等の復興のための技術協力、経営のための協力、金融的な協力が必要であるとの意見が述べられた。

4 イスラム社会と開発協力

 中東地域の国々は、石油や天然ガスなどの分布状態の差異や、各国の歴史的要因などにより、所得水準が国ごとに大きく異なる。そのため、豊富な石油収入による経済社会開発が進んだ国がある一方で、食糧や水の供給、基礎保健医療などの基礎生活分野でさえ満足でない国も存在している。また、豊かな国においても、人口の急増と都市化の進行、食糧自給率の低下、水確保の問題など抱える課題は多い。

 特に、アフガニスタンは、20数年に及ぶ内戦に終止符が打たれ、2001年12月の暫定政権発足により新たなスタートを切ったところであるが、復興には相当の年月を要すると見られており、我が国を始めとする国際社会の息の長い支援が求められている。

 中央アジア地域の国々は、ソ連時代の国家計画経済から市場経済への移行に伴う混乱の影響を強く受け、依然として経済発展に向けた課題を多く抱えている。カザフスタンなど石油・天然ガスを産出する国については、比較的経済状況が好転しつつあるものの、キルギスなどでは依然として厳しい経済状況が続き、各国の経済状況は多様化しつつある。

 こうしたイスラム社会の国々に対し、我が国はこれまでも開発協力を行ってきたが、21世紀を迎え、今後の開発協力はいかにあるべきか。2001年9月に米国で起きた同時多発テロの一因に貧困があるとも見られていることからも、開発協力の在り方が問われている。

(一)イスラム社会に対する開発協力の現状と課題

 イスラム社会に対する開発協力について、委員から、開発協力の背後には必ず米国流のグローバル経済が存在するが、開発協力を行うことにより、民族的、文化的アイデンティティーを刺激することにならないかとの意見が述べられた。これに対して、参考人から、グローバリゼーションとそれぞれの地域での民族的なアイデンティティーとの衝突は現に起きている問題であり、グローバリゼーションと貧富の差の拡大が一体化すると非常に大きな問題になるため、それらをリンクさせないようなシステムを考える必要があるとの意見が述べられた。

 我が国の開発協力については、政府から、中東諸国に対しては、中東和平プロセス促進のための支援を積極的に行うとともに、産油国から後発開発途上国までの経済発展段階に応じたきめの細かい援助を実施していくことが重要であり、また、中央アジア諸国に対しては、市場経済を根付かせるための基盤整備を積極的に支援する必要があるとの見地から、民主化、市場経済化のための人材育成と制度づくり、運輸、通信等の経済インフラの整備などを中心に経済協力を行っているとの報告がなされた。また、政府からは、アフガニスタンのような極めて貧しい国への協力と、サウジアラビアのような非常に富裕な国への協力で共通の言葉は、「人づくり」であり、イスラム世界に対する協力で重要な点としては南南協力もあるとの説明がなされた。

 委員から、我が国が幾ら援助しても評価すらされないのでは余り意味がないとの意見が述べられ、一方で、イスラムの価値観では、富んだ者が喜捨するのは当たり前で、我々の期待に沿わない援助の使い方をした、あるいは感謝の念が出てこないというようなことに対して違和感を持つのは、イスラムの価値観からすれば、神に対する不遜な態度であるということを理解すべきとの意見も述べられた。

 我が国の貢献の在り方について、参考人から、日本は国づくりの手本としても、経済協力ドナーとしても高く評価されているので、日本的な手法あるいは日本的な発想を出していけば、イスラム世界はよりポジティブに反応してくるであろうし、その中で具体的な貢献策が幾らでも出てくるとの意見が述べられた。政府からは、ODAにより直接的に紛争を解決することはできないが、平和、安定の配当があるということを示すことができ、それをもって中東地域の安定に貢献できるとの見解が示された。委員からは、日本は、IT関連の経済援助に注力すべきであり、特にコンピューターのオペレーションシステム(OS)は文化と直結する問題であるため、日本とイスラム諸国が共同で、米国発のウィンドウズに代わる新たなOSにチャレンジすべきではないかとの意見が述べられた。

 イスラム社会に対する今後の開発協力については、委員から、これまでの我が国のODAは、オイルショックや湾岸戦争など問題が起きると急に増え、安定すると再び減るという傾向があったが、中長期的な視点や戦略を持ち、石油資源の確保という観点から、拡大した支援があってもよいのではないかとの意見、我が国が継続的にイスラムにかかわっていけるとすれば経済であり、国家戦略として国益にかなうのであれば、ODA対象国リストに関係なく、イスラム諸国といかに関係を結ぶかという発想からの支援が必要ではないかとの意見が述べられた。また一方で、イスラム社会をグローバル経済に適合させるという観点から、市場経済が根付くような基盤整備をしていくべきとの意見、本当に役に立ち、現地の人に喜ばれる援助が求められており、そのために重要なことは日本側から経済援助プランを押しつけないことであって、産油国に対しては、資源活用の自主性を尊重することも重要であるとの意見が述べられた。これらに対して、政府からは、ODAに割ける資源がかなり制約を受けてきているが、うまくODAを活用し、効果的、効率的な支援を行うとともに、戦略性と方向性を持った支援を行うようにしていきたいとの説明がなされた。参考人からは、開発協力援助は量から質に転換していかなければならず、技術協力、人づくりなど地道な分野での協力を更に進めることが重要であり、インフラ整備についてもその効果や効率性、あるいは環境との共存、住民意思の尊重などに重点を置くべきであるとの意見が述べられた。

 また、NGOとの関係について、委員から、中東である程度の活動基盤を持った日本のNGOと連携しながら、草の根レベルでの交流を後押しすることが重要であるとの意見が述べられた。参考人からは、中東では多くの国の政府がNGOをできるだけ管理下に置こうとしているが、NGOの規模、量、質が拡充し、政府が活動を抑えることはできない状況になっているため、NGOと協力しながら当該国の発展のための政策を考えることは有益であるとの意見が述べられた。また、政府から、政府当局者が国民同士の橋渡しをどこまで行うかについては微妙な問題もあるが、支援できるところがあれば支援するというのが基本的な立場であるとの説明がなされた。

(二)アフガニスタン復興の現状と課題
(アフガニスタン復興に向けた取組)

 アフガニスタン復興の課題について、参考人から、2001年12月の「ボン合意」にある本格的な政府を作るまでの2年半の間で重要なことは、中央権力の確立、切れ目のない国際援助、隣国の復興協力の三つであるとの意見、ツーリトル・ツーレートでなく、レッドテープでもないように、実施できることを速やかに実施していくことが必要との意見、警察力、軍事力が全くなく治安が悪いため、暫定政府が優先しているのは国軍の創設であるが、これには米国や英国の協力が必要であるとの意見が述べられた。

 特に、アフガニスタンの治安維持に関しては、参考人から、外国の援助スタッフは国内の治安が悪いと活動することができず、援助物資を届けることもできないため、治安確保が最大の課題になっているが、うまくいっていないとの意見、地方の軍閥の力をこれ以上強くさせないために、それらにヒモを付けている周辺国はそのヒモを弱める必要があり、その関係では、アフガン復興は二国間援助を少なくし、できる限り暫定政府を通じる形態をとっていく必要があるとの意見が述べられた。国軍の創設については、参考人から、2年半かけても実現し得ないかもしれない難しい問題であるが、米国、英国、トルコの指導によって、既に国軍の核になる人材を作る作業に着手しており、その人たちが更に半年程度の短期の訓練を受けて国軍作りに貢献するというシステムの確立が必要との意見が示された。

 また、参考人から、アフガニスタン復興で最も重要なことは、米国がコミットメントを継続させることをきちんと示すことであり、治安のためにも米軍が協力しなければならないとの意見が述べられた。これに対して、委員から、米国はイスラム社会において非常に反発を受けており、米国のコミットメントが強くなり過ぎることは、アフガンが再び近代主義者ではない人たちの手に動いていくきっかけになる懸念はないかと問われた。参考人からは、米国のコミットメントへの反動は十分に考えられるが、自らの治安を確保できないのであれば外国人部隊を使ってでも治安を確保したいという要求はあり、反動を怖がって何もしない場合には、タリバンを復活させるようなことにもなるのではないかとの見解が示された。

(我が国の支援の在り方)

 我が国のアフガニスタン復興支援について、委員から、人道的観点から日本は援助をしているが、ほかの国は必ずしもそうではなく、欧米の政策の背後には必ず投資家や投機家がいることを踏まえ、日本は、ユーラシア外交や中央アジア外交の中でアフガン復興をきちんと位置づけるなど、国益や戦略をより重視する必要があるとの意見が述べられた。参考人からは、アフガニスタンで平和や安定が実現できれば、中央アジアの資源をアフガニスタンを通してインド洋に持ってくることができ、日本も中央アジアの資源を輸入できるようになることから、アフガン復興支援は、単にアフガニスタンの人々を助けるだけではなく、日本にとっても経済的なメリットがあるとの意識を持つべきとの意見、アフガニスタン復興は、10年先、20年先を見越した投資に当たるとも考えることができるとの意見が述べられた。

 我が国の支援方針については、政府から、アフガニスタンの安定的な国づくりを支援していく方針であり、特に、アフガニスタン国民による和解の努力やブラヒミ国連事務総長特別代表を中心とする努力を積極的に支援するとともに、政治プロセスを進展させるには復興を同時並行的に進めることが必要との見解が示された。その上で、我が国は、今後2年半の間に5億ドルまでの政府開発援助を着実に実施するという本年1月の東京会議でのコミットメントを的確かつ着実に行っていく方針であり、また、2月にはアフガン大使館を再開し、これまでに地雷、医療を始めとする分野等で約4,500万ドルの支援を実施しているが、今までの各種ミッションの調査結果を踏まえ、更なる支援を目に見える形で迅速に進めていく考えであるとの報告がなされた。

 委員から、日本はどちらかといえば女性の地位向上や保健などに力を入れているが、最も大事なことは政治的な安定であり、我が国も復興前の政治的な安定にもう少し関与していくべきではないかとの意見が述べられた。参考人からは、人道的な援助を行うにしても、治安が改善しないと展開できないため、国内の治安の改善にどれだけ貢献するかという点で我が国は難しい側面を持っているが、間接的にでも貢献できる場面を探すことが大事であるとの意見が述べられた。

 我が国のアフガン復興支援の目玉である地雷撤去について、参考人から、日本から大勢の専門家を派遣することも考えられるが、数人の地雷撤去のプロが現地でアフガン人を訓練し、自らの力で地雷を撤去できるような能力を身に付けさせる形の援助が良いとの意見が述べられた。

 また、アフガニスタンの女性の社会進出について、参考人から、女性の活動舞台が狭められたのはタリバンの勢力下の6年間であり、現在のアフガン女性には、創造的に再建のために力を出したい、汗を流したいという欲望が強くあると思われ、それに我々の援助や技術が届けばうまくいくのではないかとの意見が述べられた。

 アフガニスタンの教育の再生については、参考人から、治安の悪くないところから順次学校を設置していくことが必要であり、小学校レベルの学校の再建と教育システムの再確立に日本は貢献できるとの意見が述べられた。

5 文明間の対話-イスラムにどう向き合うか

 冷戦終結後、今日の国際社会においては、人種、民族、宗教、文化等の違いに根ざした複雑な対立抗争や地域紛争が頻発する中で、抗争や紛争の予防だけでなく、多様な文化や価値観に配慮した豊かな共生社会を目指すためにも、地球社会の様々な相違を乗り越えるための「文明間の対話」が重要になっている。

 そういう中で、2001年9月に発生した米国同時多発テロは、文明間の対話とイスラムへの理解の必要性について、改めて考えさせる契機となった。

 イスラム教徒(ムスリム)は、世界人口の5分の1に当たる10億人を超えると言われ、中近東のみならず、アジアや欧米諸国でも伸張しており、イスラムの動向は、今後の地球社会の行方に影響を与える要因の一つとして、注目されている。

 日本は、最もムスリムの少ない国であり、世界の中でも例外的な国である。国際社会の中で生きていかざるを得ない我が国は、21世紀を迎えて、国家レベルでも、また、個人、地域、企業レベルでも、イスラム世界の様々なファクターと向き合わざるを得ない状況に直面しつつある。しかしながら、これまでの我が国におけるイスラムの理解は、十分であったとは言えない。

 文明間の対話の一つとして、イスラムについての知見を持ち、理解を深め、イスラム世界と対話することは、我が国の将来にとって極めて重要である。

(一)米国同時多発テロと「文明の衝突」
(米国同時多発テロ)

 2001年9月の米国同時多発テロの原因について、参考人から、イスラム世界の主要な指導者の圧倒的多数は、今回の同時多発テロはイスラムの論理でも合理化できないとして非難しているが、なぜこのようなテロが起きるのか、それを根絶するためには一体どうすればよいのかという議論が必ずしも十分に行われていないとの意見、このような事件が引き起こされる前の国際政治の状況や雰囲気を考えてみる必要があり、パレスチナ問題の行き詰まりの原因を最も根元的なこととして考え直さなければならないとの意見が述べられた。

 同時多発テロのような事件の再発可能性について、参考人から、パレスチナとイスラエルとの関係の悲劇的な状況は、同時多発テロに比べてより深刻な状況を引き起こす可能性があり、日本を舞台とすることもあり得るとの意見、ある種のマグマがたまっているために再発の可能性が大いにあり、今後、在日のムスリムが増えてくる過程で、同様の事件が国内において起きるかもしれないとの意見が述べられた。

 委員から、アラブのファンダメンタリストが西欧の近代化に対して対話を拒否したことが同時多発テロの際の最大のショックであり、対話の拒否によって多大の悪影響が我々の享受する近代文明、西欧文明に及ぶことが明白となったとの意見が述べられた。これに対して、参考人から、9月11日の事件の背後にあると考えられているイスラム原理主義者は、著しく西欧化して本来のイスラムからかなり逸脱し、欧米に対する対抗主義というイスラムの立場を打ち立てようとする人々であるため、現在言われているような対決主義的なイスラムだけがイスラムではないことをはっきり見分けることが重要であるとの意見が述べられた。

 参考人から、同時多発テロにより米国で多くの人々が精神的な打撃を受け、その後遺症は予想もできないということが指摘されるのであれば、同時に、パレスチナ、ルワンダ、旧ユーゴスラビア、カシミールなど世界各地での惨劇についても考えなければならないとの意見が述べられた。また、参考人から、同時多発テロに対しては、非イスラムの第三世界の国々あるいは途上国の国々においても喝采している人々がいるという側面があり、米国対イスラムという単純な枠組みだけで考えていては、長期的な国際戦略を誤るとの指摘がなされた。

(米国に対するイスラム社会の感情)

 委員から、相当な恨みが極限化していなければ9月11日のような事件は起きないものであるが、米国が、自分たちと共通の価値観を持たない国々に対して、米国のやり方(アメリカンスタンダード)が最も正しいと押しつけてくることにイスラム社会は非常に反発しているのではないかとの意見、米国に対する憎悪の念は、アフガニスタンばかりでなくイスラム諸国全体に広がっていることを非常に危惧するとの意見、テロと闘うとして進めた戦争が、真にテロに対する効果的な闘いとなっているかについてよく見る必要があり、反米感情を相当に強めているという点では、テロの温床を客観的には広める役割を果たしているとの見方が成り立つとの意見が述べられた。

 これに対し、参考人から、米国のイスラム世界への干渉姿勢に対する憎悪は強いとの意見、パレスチナ人が国家を持てない背景としてイスラエルの軍事占領がある中で、米国がイスラエルを擁護する姿勢に対する憎悪は大変根深いとの意見、米国に対して反発している理由として、米国的な価値観を押しつける米国の一国主義外交が特に冷戦後に強く表れていることがあげられるとの意見が述べられた。

 参考人から、イスラム世界内部の問題として、経済状態が良くならず、大勢の貧しい人々がいる中で、ごく一部の富裕層が欧米流の生活を享受していることに対する恨みや憤りがあるとの意見、イスラム諸国はいずれも政治体制が貧弱で独裁体制か権威主義体制しかなく、また一般大衆を政治的に弾圧する体制を米国が支援していることに対する恨みもあるとの意見、中東諸国においては、民衆レベルの対欧米感情と国家レベルでの対応が異なり、国家が民衆レベルの感情を政策的に利用する外交姿勢があることも事実であるとの意見が述べられた。

 委員から、アメリカ的な経営や資本、社会をイスラム諸国がどのように受け止めていくかが問われたのに対し、政府から、今後、自分たちの尊厳を保ちながら、どのように国を発展させていくかについての答えを持たないまま、米国ないしはグローバリゼーションという大きな力と対峙しなければならなくなったため、特に草の根のレベルでは、反グローバリゼーションや反米主義が高まっているとの意見が述べられた。

 委員から、アラブ各国における反米ナショナリズム的な動きがある中で、日本には何ができるのかが問われたのに対し、政府から、日本は地理的にも遠く、これらの国々と植民地の歴史や戦争の歴史もない中で、アラブの国と積極的に対話をしていくことが重要であるとの意見が述べられた。

(「文明の衝突」)

 米国同時多発テロをきっかけに、「文明の衝突」の考え方が改めて問われているが、委員から、同時多発テロの問題を文明の衝突として理解してはならないことは常識になってきているとの意見、イスラムには様々な政治的多様性があるにもかかわらず、あたかも敵対する価値観であるとする立場から文明の衝突としてとらえられてしまうとの意見、文明の衝突という考え方は現実に照らしても間違っており、異なる文明や宗教の平和的共存が非常に大事であるとの意見が述べられた。

 参考人からは、理念と理念をぶつけ合うようなイスラム原理主義は、すべてのイスラム教徒に共有されるものではなく、極めて一部の政治思想として掲げられているものであるとの意見、宇宙万物の多様性、個別性、差異性を考え一つ一つの違いを見て、万物をつくった神の存在のもとで、最後にその多様性が一つにまとまるという「タウヒード」の考え方が、二項対立的、二分法的な立場とは違うイスラム本来の立場であるとの意見が述べられた。

 また、参考人から、実際に今、民族、宗教、文明という形で紛争が起き、流血の事態が発生している中で、紛争当事者たちの主観的な意識の中では、ハンチントン流の「文明の衝突」論は説得力があるとの認識が示された。

(二)文明間の対話

 異なる文明間における対話の必要性について、委員から、対話によって相互の違いを認識し、相互の意見を押しつけ合うのではなく、新しい価値をすり合わせることが重要であるとの意見が述べられた。

 参考人から、イスラム文明と西洋文明の双方において、共通する要素と違いを認識した上で、様々な集団と様々な形で対話を行い、それを拡大していくという考え方が好ましいのではないかとの意見、相互の価値観を尊重しながら、異なった宗教や考え方を理解していくことは、今後ますます重要になるとの意見が述べられた。

 文明間の対話をめぐるイスラム世界の取組について、参考人から、イスラム諸国会議の下部組織であるISESCO(イスラム教育・科学・文化機構)は、多くの国際会議を開催し、他文明との共存を中心にしてイスラム文明を考える、あるいはイスラム文明の中での近代をとらえ直して新しい学問を創造するための努力をしており、イスラムの知識人の努力には一つの方向性があるとの意見、イスラム世界の側の問題として教育レベルの向上があるため、教育に対する支援を行い、イスラム諸国側も自助努力を行うことが大切であるとの意見が述べられた。

 文明間の対話に向けて我が国に求められることについて、参考人から、文明や宗教が多様であることを前提に、我々がどれだけ共通項をくくれるかという知的努力を繰り返すよりないとの意見、双方向での対話のために日本側から強く働きかけ、奨励していくことが大事であるとの意見、相手のことを理解すると同時に、相手にもこちらを理解してもらうことが必要であり、対話を成立させるために自分が変化する覚悟も持たなければならないとの意見が述べられた。

 参考人から、西側先進諸国もイスラム世界に対する基本的な知識が欠けているため、努力を積み重ねることが必要であり、中東イスラム世界を長く見てきた研究者の声を政治に反映させるべきであるとの意見、イスラム世界の側の教育、貧困、人口の問題について、欧米とイスラム世界あるいは日本が共に考え、協調できる問題は改善に努めていくことが大切であるとの意見が述べられた。また、参考人から、覇権的グローバリズムに対して多元主義的な多文化共生を強めていくことが非常に重要な課題であり、イスラム文明におけるタウヒードの多元主義的普遍主義の本来の論理をスーパーモダン原理として活性化するとともに、イスラム世界における本来のタウヒードの力を再活性化するように協力することが非常に重要であるとの意見が述べられた。

 参考人から、日本側からのメッセージとして、我々の国力となる新しい文明間対話力という考え方を内外に向かってはっきりさせるとともに、外交、防衛、警察、防災、司法、地方行政、教育、科学技術、社会福祉、医療、国民生活、環境、産業、経済等のすべての項目に関して、我々の文明間対話力をどのように構築するか検討する必要があるとの意見、我々の頭や体に染み付いてしまった西洋中心主義からいかに脱却するかが非常に大きな問題であるとの意見が述べられた。

 委員から、文明間の対話あるいは我が国の文明戦略の在り方について問われたのに対し、参考人から、新しい文明間対話力というコンセプトを内外に向かって提起し、定着化させることが非常に重要であるとの意見が述べられた。政府からは、イスラム文明との対話は、日本の将来にとっても大事であり、現在問題になっていることは、その国あるいは地域に生きる人々と日本の人々が、今後、どう付き合い、互いに理解していくかということであり、努めて政府レベルでこのような動きを応援し、あるいは強化していかなければならないとの認識が示された。

 委員から、国際社会から尊敬される文明戦略を正面から提示するための我が国独自の役割について問われたのに対し、参考人から、文明間の対話力を発揮するためには、イスラムと我々とは異なると決めつけるのではなく、様々な意味での共通の基盤を有するという人類意識を具体的に相手側に提示することが必要であるとの意見が述べられた。

 参考人から、単に言葉の上だけではなく、身をもって対話を行わなければ、文明間の対話はきれい事で終わってしまう可能性があるとの意見、衝突にせよ対話にせよ、文化的、文明的、民族的な他者の存在を前提にしているとの意見、イスラムについては、様々なイスラムがあるばかりでなく、イスラム自体も変わっていくため、永遠に話合いを続け、すべてを分かり合えるような到達点を最終目標に設定することは難しいとの意見が述べられた。

 委員から、イスラム社会では、知識人は西洋的な価値観や法治主義を理解しているが、大多数の人々が余り教育を受けておらず、宗教と政治の分離が最も後れている中で、どのように欧米と折り合いを付けるのかが見えないとの意見が述べられたのに対し、参考人から、イスラム世界側の問題として、教育のレベルが上がれば欧米の発する言語が分かってくるため、教育に対する支援や自助努力が大切であるとの意見、また、西側先進諸国の側でも、イスラム世界に関する基本的な知識を得るための努力を積み重ねることが必要であるとの意見が述べられた。

(イスラム世界の日本に対する評価)

 イスラム世界の日本に対する評価について、参考人から、アラブ・イスラム世界における日本のイメージは非常に良いとの意見、日本はイスラム世界から非常に高く評価されているとの意見が述べられた。その理由として、参考人から、アジアの国として、イスラム世界が目指している近代化に成功したとの意見、西側の合理主義的な文化風土に対して、日本的あるいは東洋的な、一種の和魂的なものに対するあこがれや親しみがあるとの意見が述べられた。また、政府から、中東の人々、イスラムの人々は、日本に対する大変強い敬意と日本文化に対する強い親近感を持っているとの意見、イスラムの人々は、物の感じ方や感性の点で、ヨーロッパ人とは異なる温かな心と心の通い合いというものを日本人から感じているとの意見が述べられた。

 また、委員から、米国と異なり、日本には長い歴史や文化、伝統、多様な価値観、イスラム文化の影響があるほか、寛容の精神をイスラム世界と共有しているため、イスラム世界は、日本が米国と同じような価値観を有しているとはとらえていないのではないかとの意見が述べられた。

(イスラムについての理解)

 委員から、キリスト教でさえ理解しているかどうか分からない中で、より遠い存在のイスラムの考え方をどのように理解するかが問題であるとの意見、イスラムは一つではなく、多様性を兼ね備えた文化、世界であり、多面的にとらえる必要があるとの意見、無知による誤った価値判断だけは絶対に避けなければならず、イスラムについて知り、調査し、勉強することが必要であるとの意見、外交力や中東問題に関する教育・研究機関を充実させるとともに、中東社会と付き合っていくための宗教的素養を作っていく必要があるとの意見が述べられた。

 イスラムについての理解が不十分である原因として、委員から、イスラム圏の国々から入ってくる情報量が圧倒的に少なく、基本的な知識に欠けていることがあげられるとの意見、世界の常識とされていることと違う考え方がイスラム社会にはあるのではないかとの意見、日本では、中東戦争、石油危機、イラン・イスラム革命、湾岸戦争、米国同時多発テロなどが起きるたびに、イスラム問題を勉強しなければならないとしつつ、時間がたつとすべて忘れてしまうとの意見が述べられた。

 政府からは、現時点ではまだイスラムについての理解が低いが、日本人は異文化を吸収する高い能力を持っているため、付き合いを深めるほど、イスラムの考えや文化を取り入れ、そこから新しい日本の文化を生み出すというポテンシャルも期待できるのではないかとの認識が示された。

6 我が国のイスラム外交

 イスラム世界との間で積極的な対話を行い、相互理解を深め、良好な協調関係を構築することは、我が国の繁栄にとって不可欠であり、我が国の外交政策において、最も重要な課題の一つである。

 我が国のイスラム外交を展開していく上で、イスラムについて調査・研究する体制を整備するとともに、イスラムとの交流を促進するなど、相互の相違を尊重しつつ理解を深めるための取組が求められている。

(一)我が国のイスラム外交とイスラム研究
(イスラム外交)

 我が国外交の在り方について、委員から、日本の外交には理念や構想力が欠けており、国際社会へのアピールやメディア対策の努力も非常に不足しているとの意見、米国追随の外交では国際社会の中でダイナミックな政治的役割は果たせないとの意見、国家対国家の外交という世界では冷徹な原理原則が働くので、情緒的あるいはセンチメンタルな感情に流されてはならないとの意見、外交の基本として、国益を大きな基軸の一つに考えていくことが重要であり、グローバリゼーションの中で、各国がその独自性や自己利益を追求するという「せめぎ合い」が必要になってきているとの意見が述べられた。また、委員から、日本はイエス・ノーがはっきりせず、外交が見えないと言われるが、この独特のしなやかな外交というものをいかせば、すばらしい外交戦略ができるのではないかとの意見が述べられた。

 我が国のイスラム外交について、政府から、(1)日本の国益を考えた場合に、イスラム世界との関係は生命線の一つとも言える極めて重要なものである、(2)双方の立場を尊重しながらイスラム世界との相互理解を深めていくことは、日本の国益の上から非常に大切である、(3)昨年の米国同時多発テロ事件以降、イスラム世界との相互理解及び中東・中央アジア地域における諸問題への対応の重要性が特に増しているとの所見が示された。

 委員からは、日本は、欧米とイスラム社会との懸け橋としての役割を果たすべきであり、直近にできることとしては、非欧米国でサミットに唯一参加している日本が中東各国の意見を酌み取り、それをサミットの場で紹介していく役割を果たすことであるとの意見が述べられた。

 また、委員から、米国の外交が国益第一主義をとる中で、日本とイスラムとのかかわりは、単に人道上の観点だけで考えるべきではないとの意見、日本の外交政策の在り方をイスラム社会との関係を通じて考え、また、地域研究の拡充を前提に、総合的、戦略的あるいは主体的な外交をいかに構築すべきかが課題であるとの意見、外交戦略を打ち立てる場合に、欧米的な物の見方、イスラム的な物の見方、そして日本的な物の見方の本質を相当に究めなくてはならず、そのためには、キリスト教、イスラム教の原理、日本の仏教や神道の原理について、ある程度共通の知識を持つ必要があるのではないかとの意見が述べられた。

 参考人からは、中東諸国は、旧宗主国の英国や植民地であった米国とは違う型の経済発展を遂げた日本や東アジアの発展メカニズムや、日本が西洋化・近代化を行いながら固有の文化・伝統も守り続けていることに大きな関心を寄せており、また、自分たちはアジアの一員という認識を持っているので、日本と東アジアの経済や産業発展の経験を踏まえた協力、固有文化の保持や教育の在り方の面での協力を行うことが、我が国の中東外交の一環として大いに役立つのではないかとの意見が述べられた。

 イスラム外交について考慮すべき点として、委員から、中東は、辛抱、我慢、努力といった日本との共通項を持っているという点で、正にアジアの一員であるとの意見が述べられた。また、委員から、我が国の外交は、体系化・理論化された理念がないままやすきに流れる形になってしまい、それを変えるとしても理念がないまま変わらざるを得ないということが、イスラムと付き合う場合に考えなければならない根源的問題であるとの意見、近代資本主義にイスラムがどう対応していくのかということを理解しない限り、日本の外交として何ができるかという問題の根本的な解決はないとの意見、日本人は人の命が最も大事であるという価値観を持っているが、イスラムには信仰や神に対する契約という命よりも大切なものがあるということを考えなければ、日本が独自のイスラム外交を進めると言ってもかえって未達成感が残るばかりであり、本当にできる範囲のことをためらいながらも進めることが限界ではないのかとの意見が述べられた。

 イスラム外交における米国との関係について、委員から、我が国は、イスラム世界を米国式の単純化した価値観で見たり、推し量ることには慎重であるべきであり、イスラム世界に対する米国とは違ったアプローチが可能ではないかとの意見、米国ばかりでなく、長い歴史と伝統を持つヨーロッパ諸国との意見交換をしながら日本は中東外交を進める必要があるとの意見、米国との関係では意見や見解が相違する部分が出てくるが、日本の独自性をどこまで貫くことが日本の国益に合致するのかといった視点に立ってみなければ、対イスラム関係の在り方も見えてこないのではないかとの意見が述べられた。

 イスラム諸国との議員外交について、委員から、イスラム世界では議員に対する評価が非常に高く、議員外交を活発に展開することの効果は大きいのではないかとの意見が述べられた。参考人からは、日本の議員が積極的に中東諸国の要人に会うことは、先方は自国を大切にしている証拠と受け止めるため、議員外交の展開に期待したいとの意見が述べられた。政府からは、イスラムやアラブ諸国では議員の評価については国によって異なり、個々に見ていく必要があるとの意見が述べられた。また、委員から、友好議員連盟を再活性化する必要があるとの意見が述べられた。

 委員から、外務省においては、イスラム地域の専門家だけでなく国別の専門家も育てる必要があるとの意見、日本の外交官が、国内各県の現場で粘り強く交渉するという経験を踏んだ上で中東戦略を進めていけば、様々な外交にも適するのではないかとの意見が述べられた。

(イスラム研究)

 イスラム研究の在り方について、委員から、日本外交の姿勢として、他国を深く広くかつ重層的に調査、研究することがその基本に据えられなくてはならないとの意見、我が国政府は、十分な資金を拠出するとともに、調査人員を養成してイスラム世界の研究を強化すべきであるとの意見、イスラムのプレゼンスが今後増大することが予想される中で、イスラム世界に対する研究の重要性を再認識すべきであるとの意見が述べられた。

 また、委員から、イスラムは日本になじみの薄かった分野であり、一部の専門家のみが知識を持っていたが、これを国民的な課題にどう広げていくか、また、国際関係を見るときの切り口にイスラムをどのように位置づけていくかを考える必要があるとの意見が述べられた。

 参考人から、世界諸文明の態様とその動向に関する地域研究の体制整備や情報収集態勢の抜本的な強化を図らなければならないとの意見、イスラム世界について関心を持って研究している人ばかりでなく、より多様な分野の人に興味を持ってもらわなければならないとの意見、地域研究のための研究機関を充実させていくことが最も重要であり、長いスパンでの世界の動きについて地道に資料を蓄積し、研究を続けていくと同時に、社会に還元していく制度的な保障が必要であるとの意見が述べられた。

 地域研究の重要性について、委員から、日本には地域研究の専門家や研究者が少ないが、正確な認識や理解なくしては独自の政策を立てることはできないため、国家戦略的に育てていく必要があるとの意見が述べられた。参考人からは、粘り強い調査の力は長期的には大変意味のあることであるが、日本の場合、長期に研究者を派遣して現地の事情を調査させることが必ずしもうまく機能しておらず、2、3年単位の現地派遣でなければ地域研究者は育たないとの意見、地域研究者を養成するためには、例えば、民間の研究所のようなものを各地に作り、そこに大学や官庁あるいは民間から人を派遣できるようにし、希望があれば現地で長期的に働いてキャリアが積めるようなシステムを考えていくことも重要であるとの意見が述べられた。

 日本のイスラム研究について、委員から、文部科学省の予算に基づき5年間にわたって実施されたイスラム地域研究の成果を我が国の外交や内外の政策にいかしていくことが重要であるとの意見が述べられた。また、参考人から、この10年間、相対的に若いイスラム研究者が現れてきているとの意見、イスラム地域研究のようなプロジェクトが次世代に与える影響は非常に大きいとの意見が述べられた。

 河野外相の発案によって2000年3月に設立されたイスラム研究会について、委員から、イスラム研究会が設置され、研究者の交流が始まっているが、この流れは非常に重要であるとの意見が述べられた。また、委員から、川口外相は河野イニシアチブによるイスラム研究会の方針を受け継ぐのかと問われたのに対し、政府から、川口外相はアフガニスタンの復興会議やイランについて大きな関心を示しているため、このイニシアチブを続けていきたいとの意見が述べられた。

 河野イニシアチブに基づきバハレーンで開かれたセミナーについて、委員から、2回目の文明間対話を東京で開催するとの話があるが、是非これは実現させてほしいとの要望がなされたのに対し、政府から、これを継続し、開催に協力したいとの意見が述べられた。

 中東地域を対象とした調査機関について、委員から、外務省所管では中東調査会、経済産業省所管では中東経済研究所や中東協力センターなどがあるが、外交の観点から日本の国策を考えるには、各省の縦割りの関係を超えて調査研究に取り組むべきとの意見が述べられた。

(二)イスラム世界との交流

 イスラム世界との交流について、政府から、イスラム世界と我が国との相互理解はいまだ十分とは言えず、相互の違いを尊重しながら、相互理解のための文化交流・協力を積極的に行っていく必要があるとの報告がなされた。また、政府から、イスラム世界の対日感情が一般的に良いことは、文化交流・協力を進める上で重要な要素であり、政府としては、留学生交流や青少年交流を通じた次世代を担う親日家の育成のための交流の強化、国際機関を通じた支援や文化遺産無償協力を活用した文化遺産保存のための協力を行っていきたいとの報告がなされた。

 イスラムに対する理解を深めるための取組について、委員から、留学生など青少年レベルでの草の根的な交流を始め、あらゆるレベルの交流を図っていくとともに、イスラム研究体制の整備を推進し、省庁間の縦割りを超えた外国人政策に取り組むことも重要であるとの意見が述べられた。

 参考人からは、イスラム諸国との関係を見た場合、日本には人脈が基本的に不足しているため、必要とされる情報に基づいた的確な政策対応が不十分なのではないかとの意見が述べられた。人脈が不足している理由について、参考人から、中東諸国では大臣や高級テクノクラートが一つの役職に長く在籍するが、我が国の場合は長くて3年で交代するために、人脈の蓄積がないことが大きいとの意見が述べられた。

 人脈づくりの具体的方策として、参考人から、中東イスラム諸国の有力な家系の人々に日本の大学や研究所に来てもらい、日本の友人となって帰国後に活躍してもらうことが最も良いのではないかとの意見、中東イスラム諸国の人々は日本を企業や経済で意識しているため、日本の文化を広く理解してもらえるような設備を積極的に作るべきであるとの意見が述べられた。

 また、参考人から、中央アジアのウズベキスタン、キルギス、カザフスタンの3か所にあるジャパンセンターでは、日本語や日本文化を相手国に伝えると同時に、大学生レベルから公務員レベル、場合によっては局長や次官など更にクラスの高い人たちも対象とする長期的視点に立った知的支援を行っており、今後は、掲げている目標をいかに実現するかが問われるとの意見、イスラム世界の人々に日本をよく知ってもらうため、例えば文部科学省の国費留学生の枠をイスラム世界に広げるなど、政府として様々な工夫が必要なのではないかとの意見が述べられた。

 委員から、政府が今後進めようとしている施策について、地方自治体を通じて、地方の力や知恵も借りながら進めていくことが、イスラムについての国民全体の関心を高める上で非常に有効ではないかとの意見が述べられた。これに対して、政府から、同じ悩みを持つ地方自治体の経験や知見をいかした形での姉妹都市交流は、今後高い可能性を秘めており、様々な機会に情報を提供していくことが重要であるとの意見が述べられた。

 芸術や文化を通じた交流について、委員から、中東では、我々が想像する以上に日本の芸術や文化を好み、受け入れていることを日本人は余り知らないのではないかとの意見が述べられた。政府からは、中東地域の芸術について、現在アラブジャズが大変なブームになっているほか、日本になじみが深い映画や日本の書道に似たカリグラフィーがあり、こういう面でも日本と中東との芸術・文化の橋渡しをやっていきたいとの所見、国際情勢や政策がどのように変わっても、その国の国民が日本に対して親近感を持ち、評価する感情が後の世代まで残るように努力することが大切であるとの所見が示された。

三 東アジア経済の将来

 東アジア経済、特にASEAN、韓国、台湾、香港の経済は、1985年のG5プラザ合意以降、正に「東アジアの奇跡」と言われるように、短期間のうちに急激な成長を達成した。しかし、97年のアジア通貨危機に見られるように、東アジア経済はその脆弱性をも露呈させている。現在、通貨危機をいかに防ぐかをめぐっては、複数バスケット方式の採用、アジア通貨基金の創設など、幾つかの提案もなされている。また、13億人とも言われる巨大な人口を抱える中国の急激な経済成長により、中国へ生産拠点や資本が移動しており、そして更に成長、発展するであろう中国の市場としての魅力に世界各国が注目している。さらに、日本・シンガポール間の自由貿易協定(FTA)の締結のほか、日本・ASEAN包括経済連携協定、中国・ASEANのFTA締結に向けた地域統合の動きのある中で、東アジア経済は大きな転換期を迎えていると言えよう。

 こうした中、東アジア経済をリードしてきた我が国は、対外的には、貿易・投資、通貨・金融政策などの面でいかなる対応を図り、東アジアの経済の成長・発展にいかなる貢献をしていくか、また、国内的には、新たな産業をいかに育成するか、完全雇用そして安定成長をいかに達成していくかなど、様々な課題を抱えている。

1 東アジア経済の展望と可能性

(東アジア経済の評価)

 参考人から、東アジアの経済は、1997年までの10年間に極めて高い経済成長を達成したが、同年のアジア通貨危機でその高度成長は終わったとの認識が示された上で、東アジア経済の成長要因とその評価、今後の展望等について、次のような所見が示された。

 東アジアの経済成長を見ると、高い貯蓄率と外国からの直接投資に支えられた「要素投入型」の成長パターンであり、特に85年のG5プラザ合意による円高ドル安調整を背景にした日本企業の猛烈な東アジア進出(貿易・投資・技術)という1回限りの機会をいかし、優れたマクロ経済運営と輸出志向性の強い外資の導入によって達成された成長である。東アジア経済は、成長率が高かっただけでなく、不平等の低下を同時に達成し、世界銀行から「東アジアの奇跡」と評された。

 97年の通貨危機後、東アジア経済はV字型の回復を示しつつも米国発のIT不況の影響を受けて現在に至っている。通貨危機以後、1日1ドル以下で生活する絶対的貧困層が3億数千万人と再び増加しており、依然として東アジア経済は成長を必要としている。これまでのような経済成長は無理であるが、「歴史的長期経済成長率」である4%プラスアルファに沿った経済運営をすべきである。

 「プラスアルファ」とは、技術革新に支えられた経済成長であり、そのチャンスとしては、(1)生産効率の改善、(2)IT革命、(3)地域統合(経済統合)という三つの要素があり、これらは相互に関連しており、楽観、悲観、両方のシナリオが描けるが、東アジア経済は、日本を含めて、持続的成長に向けた様々な政策努力を行うべきである。

(東アジアにおける地域統合)

 東アジアにおける地域統合(経済統合)について、参考人から、東アジアでは、ASEAN自由貿易地域(AFTA)という地域経済協力体がある中で、中国がASEANとのFTAを2010年を目途に締結する協議を開始し、また、日本とシンガポールが二国間FTAを締結し、小泉総理が日本・ASEAN包括的経済連携協定を提唱するなど、最近、新しい地域統合の胎動が見られるとした上で、次のような所見が示された。

 東アジアにおける地域統合の背景として、(1)中国の場合は、自国経済の躍進と東アジア地域に対する影響力の行使に加えて、日本・シンガポールFTAで日本が国内農産物の市場開放を排除したこと、(2)ASEANの場合は、中国脅威論よりもむしろ中国の経済活力を活用しようという政策の転換が推測され、また、熱帯性農産物輸出の拡大と中国が外資導入の魅力の地であること、(3)日本の場合は、WTOを中心とした多角的な自由貿易を主張してきたが、FTAを中心とした経済協力協定の流行という世界的環境変化に呼応した対外通商政策展開の必要と、中国の台頭とASEANへの引き続きの支援の必要などが考えられる。

 「中国とASEANの自由貿易構想」と「日本とASEANの包括経済連携構想」の関係について、ASEANは日本と中国の共通のパートナーであるが、現状は、日本と中国の間には直接の関係がなく、「喪われた環」(ミッシング・リンク)となっている。

 今後の展望としては、日本・ASEANの包括経済連携構想の公表後、各種部会が開かれて論議が重ねられており、ASEAN内部にも、中国への対抗上、日本に入ってもらった方がよいとの意見があり、2010年までに、ASEAN、中国、日本に韓国を加えた東アジアの自由貿易圏あるいはFTAが形成される可能性がある。

 経済協力体・FTAの頑健さを「域内貿易比率」「対外貿易依存度」等のデータから見ると、一番がNAFTA、次にEU、これに相当するのが「東アジア+オセアニア(豪州・ニュージーランド)」であり、これらのデータからは、中国・ASEANのFTAに日本が参加するなら、より強硬な経済協力体・FTAができることを示唆している。

 以上のような参考人の所見に対し、委員からは、東アジアの自由貿易の枠組みについて、小泉首相が、ASEAN+3(日本・中国・韓国)にオーストラリアとニュージーランドを加え、さらに米国を関与させるという方向を提起したのに対し、マレーシアやインドネシアはアジアの価値観や結束が重要との発想からASEAN+3がよいとしているが、マハティールの「東アジア経済協議体(EAEC)構想」に米国・日本が反対した経緯等もある中で、現実的でベストな組み合わせは何かが問われた。これに対し、参考人からは、先行して発表された中国・ASEANのFTAに、日本と韓国が一緒に入るのが現実的な枠組みであり、オーストラリアとニュージーランドの背後に米国があるという憶測もあるが、両国は、地理的にもアジアに近接しており、経済的にも東アジア経済に包括されていることから、両国を加えればより頑健な経済協力体になるとの意見が述べられた。また、参考人から、日本と東アジアの貿易構造や投資関係等から見て、日本が東アジアのFTAに参加しないという選択肢はなく、それに参加しない場合には、日本にメリットはなく、デメリットだけであるとの意見が述べられた。

 また、委員から、中国は経済と政治を切り離せない共産党支配の国家であり、東アジア経済を語るときに、中国をなぜ入れなくてはならないかについて意見が求められた。これに対し、参考人は、時代と状況は違うが、中国の台頭に対する経済的な意味での「コンテインメントポリシー」ではないかとの所見を述べた上で、中国のWTO加盟に際して四つの厳しい条件が付されたが、これにも見られるように、中国には国際的枠組みに入ってもらい、国際ルールに従ってもらう方がよいとの判断があるとの意見を述べた。

 さらに、参考人から、日本・ASEAN包括連携構想は、従来のODAの延長との印象がある中で、中国・ASEANのFTAでは実務的なアジェンダが多く、逆に、日本をなぜ加える必要があるのかと問われかねず、日本は早急に対アジア経済戦略を確立する必要があるとの意見が述べられた。

(今後の東アジア経済の課題)

 参考人から、2010年までには、ASEAN、中国、日本、韓国を加えた東アジアのFTAが形成される可能性があるが、そこに至るには、様々な問題が発生するとして、次のような指摘がなされた。

 中国の1人当たり年間所得は平均で900ドルであるが、沿岸部では4,000ドル、内陸部の最低は300ドルと、所得の地域間格差が極めて大きいため、WTO加盟で失業率が上昇し、その失業者が沿岸部に向かうことにより混乱が発生し、その結果、中国が挫折しないかという問題である。

 次に、ASEAN内部の分極化の発生と結束維持という問題である。すなわち、これまで東アジアは、NIES、ASEANを一体として高度成長国家群ととらえられていたが、これからは、外資による選別、国内構造改革の進展度、中国との地理的近接性、インドの台頭、中国やインドとの人種的親和性、ITの進行と国レベルのITデバイドによって、一国一国がかなり違った経済発展のコースをたどることが予測されるからである。

 また、NIES、ASEAN諸国の中には、日本と同様に、少子・高齢化の不安を抱えることが予測される。

 さらには、東アジアの輸出構造を見た場合に、今回、米国発のIT不況が東アジアを直撃したように、資本や技術の集約度が高い商品ほど域外依存度、特に対米依存度が高く、中国・ASEAN、日本・ASEANの間で協定に基づく経済協力体を形成しようとする動きに逆行するような実態が進行している。

 以上のような参考人の指摘に対し、委員からは、東アジア諸国には、日本と同様に、ハイテク等の国際競争力の比較的高い分野とそうでない農業等の生産性の低い分野とを持つ経済の二重構造の問題があり、また、対外依存度が高いため不況にぶつかりやすいとの意見が述べられた。参考人からは、マレーシアを例に、自由貿易地域に外国企業を誘致してインセンティブを与えているが国内経済とのリンクがなく、輸出と生産における二重構造等の問題があり、政策担当者もこれに気付いているが、現状は、外国企業の工業品輸出増に伴いそれに必要な輸入が拡大しており、1985年以前は50%であった輸出入依存度が、現在は100%近くになっているとした上で、東アジアがITの世界的生産輸出基地になることによって、東アジアFTAを作ろうとする動きに逆行する構造ができ上がりつつあり、また、二重構造の存在や対外依存度が高いために不況に陥りやすい経済体質にあるとの意見が述べられた。

(我が国のとるべき対応)

 参考人から、ASEANをパートナーとした二つのFTAが進む中で、日本は、韓国とともに、ASEAN・中国のFTAに参加することを表明すべきであり、同時に、一つのバーゲニングパワーとしてのASEANを積極的に支援していくべきであるとの意見が述べられた。また、参考人から、日本経済の空洞化を回避し、「歴史的長期経済成長率」に復帰していくべきであり、東アジアにおける経済統合の動きの中で、日本がイニシアティブを発揮するには、経済力を背後に持っていなければならないとの意見が述べられた。

 さらに、参考人から、中国がASEANとのFTAを締結した場合に、中国は香港・マカオと台湾にも参加を呼びかけることとなり、韓国の動向次第では日本が取り残される可能性があるとの懸念が示された。また、参考人から、FTAにおける日本の切り札は農産物の自由化であり、東アジアで日本がイニシアティブを発揮するためには、農産物の自由化について政治的決断が必要であり、その切り札をどのタイミングで切るかが最も重要であるとの意見が述べられた。

 委員から、日本の戦略的パートナーであり、経済レベルも似た韓国との間で、FTAを行うことは極めて重要であるが、日韓のFTAが、東アジアのFTAを進める上で、どういう位置付けになるかが問われた。参考人からは、日本と韓国の貿易構造は、電機・機械などの部品輸出の比率が極めて高いのが特徴であり、これを韓国では「輸出用輸入」という言い方をしており、日韓は技術上インテグレートした経済構造となっており、日本と韓国は、一緒に、東アジアのFTAに入るべきとの意見が述べられた。

2 途上国の為替運営-通貨危機後の東アジアを中心に

(途上国の為替政策)

 世界経済は、非常に不安定かつ競争的であり、途上国にとっては、国内産業が弱く、政府の政策能力も十分でない状況の中で、国際統合圧力が高まっている。そのような中で、為替の主な政策目標は、(1)競争力の維持(=為替レートを柔軟に動かす必要)、(2)物価の安定(=為替レートの安定が必要)、(3)経常収支の調整・バランスシート防衛、(4)為替損失の回避などであるが、特に、(1)と(2)は対立し、整合性のある為替政策の選択は、為替レートは一つであるだけに難しい課題である。

 参考人から、アジア通貨危機以降において、途上国・体制移行国は、どのような為替制度・政策を選択したらよいかについては様々な議論があり、その収束は容易でないとした上で、(1)途上国は、対ドル「短期安定」「長期伸縮」を実現すべく、柔軟に為替制度政策を選択すること、(2)通常時と危機時(ルーブル暴落・アジア通貨危機)では、為替政策のモードを切り替える必要があり、切替えのタイミングが重要である。(3)危機時には、2~3割から5割未満の為替減価、一時フロート、非市場的保護策の採用はやむを得ないとの意見が述べられた。

(アジア通貨危機)

 アジア途上国の通貨はドルを基準に運営されていたが、タイ・バーツの下落に始まった1997年~98年のアジア通貨危機の際には、制御不能なフロートを余儀なくされ、ASEAN各国、香港、台湾、韓国などの通貨が下落した。しかし、同危機の収束後は再びドルを基準とした制度に復帰している。すなわち、米国ドルに対して、(1)中国・香港・マレーシアは、ほぼ完全固定制、(2)ベトナムは、スライド方式による「アジャスタブルペッグ」、(3)タイ・インドネシア・韓国・台湾などは、ドル基準による柔軟なシステムを採用している。

 参考人からは、ドルを基準とした為替制度(ドル・ペッグ)は危険であると言われながら、なぜ、ドルを基準とした制度に回帰したのかについて、次のような二つの解釈が示された。第一は、東アジアの通貨当局は、今回の教訓を学習しておらず、再び危険なところに戻ったとする国際経済学者の解釈である。第二は、ドル基準の為替運営は、実際には、自然かつ便利なものであり、運営を誤らなければ危機は回避できるとする解釈である。その理由は、(1)貿易・投資・金融の大部分が「ドル建て」で行われていること、(2)ドルは、ニューヨーク市場等での「使い勝手」「持ち勝手」のよい通貨である、(3)短期でドルペッグしていても、中長期的には市場によって対ドルのレート変更が可能(短期には安定的、長期には伸縮的)である。

 さらに、参考人からは、第一の解釈をとる学者は、バスケット制(日米欧の主要3通貨の加重平均に対応した柔軟な通貨運営)の採用を主張するが、為替制度は様々なショックや変動に対応しなければならず、「ドルペッグ」でも「日米欧の3極ペッグ」でも「スライド制」でも、調整のタイミングが重要であり、バスケット制はドルペッグに比べて運用が複雑になるだけでなく、複数通貨の変動に対する自動的対応では不十分であるとの意見が述べられた。

 委員から、米国の経常収支や対外純債務の状況からドルへの信認が永久に続くか疑問がある中で、EUのユーロ創設も参考に、日本もドルだけに依存するのでなく、円の信頼力を高め、将来的には円の国際化を進める必要があるとの意見が示された。参考人からは、円の国際化を政策として掲げることは余り意味がないとした上で、為替の世界では最も大きい国の通貨を使うのが最も効率的であり、円ドルの安定化を図り、ASEANもドルを基準に運営して、それぞれの対ドルレートの安定化を図った方が現実的であり、円をアジアに分散化した場合、円ドルの安定、円とASEANの安定という両方を行わなければならず、ASEANにとっても通貨政策が非常に複雑になるとの意見が示された。

 委員から、アジア通貨危機の際に、IMF勧告に対しマレーシアが自国の政策で対応したことをめぐって国際論争が起こり、欧米諸国は同国を鎖国政策をとるものと強く非難したが、実際の結果からは、IMFや関係国にも教訓が生じたのではとの意見が述べられた。参考人からは、アジア通貨危機の際のIMFの対応は疑問であり、このような場合に、財政や金融の引き締め政策は内需の下落に輪をかけるため適切ではなく、危機の最中に銀行改革や企業改革を強要しないことが必要であり、このことはIMFも分かったのではないかとの認識が述べられた。

3 中国経済の台頭と日本の対応

(中国経済の強さと弱さ)

 委員から、東アジア経済の不確定要素は中国であるとし、中国が民間資本移動を認めていない中で、日本など東アジアに資本投下している国が、中国の人件費、技術力、為替の固定(「元」の対ドル固定)等による競争力の強さから、生産拠点を中国に移動することによって「世界の生産拠点」になるのではないか、また、これが「中国脅威論」の一つの背景になっているとの意見が示された。参考人からは、中国には膨大な人口があって賃金上昇が少なく、技術向上による製品の良質化により、生産拠点が中国に向かうのは不可避であるが、中国の場合は何が起こるか分からないという不確定要素があるので、リスク分散の観点から生産拠点をすべて中国に移すことはないが、2008年に北京オリンピックがあり、また、中国・ASEANのFTAが完成すれば、中国ブームの再来が予測されるとの意見が示された。また、参考人から、中国経済は、部品輸入、加工、製品輸出という典型的な途上型経済であり、加工部分の賃金が極めて低いことが中国の本質的強さであり、為替調整(元の切上げ)で中国の競争力を下げることはなかなか困難であるとの意見が述べられた。

 中国経済の今後の課題について、参考人から、WTO加盟により海外から安い製品や農産物が流入すると、8億人の農業従事者のうち6億5,000万人が失業の危機にさらされるという中国の専門家の予測もあり、その失業者を沿海部で吸収できない状況下では、国営企業の改革が急務であり、国営企業と農業の問題にうまく対処しないと中国経済のシナリオが崩れることになるとの意見が述べられた。

 中国における経済特区の状況とそれが中国経済に及ぼした影響について、参考人から、中国は、経済特区を設置して、(1)珠江デルタ(華南省・広東省)にパソコン・複写機・家電等の労働集約的な輸出向け電気産業、(2)長江デルタ(浙江省・江蘇省・上海近辺)に半導体等のハイテク産業、自動車、鉄鋼、化学等の重化学工業、(3)北京・中関村にシリコンバレーと三つの産業集積地を形成することにより、中国国内で雁行形態による経済発展をしたとの意見が述べられた。

(我が国のとるべき対応)

 委員から、中国の対日輸出が拡大する中で、我が国が一定の成長を確保していくには、中国市場や労働力に対して、どのようなアプローチをしたらよいかが問われた。これに対し、参考人から、日本の輸出構造は過去10年間ほとんど変化がない中で、中国・ASEANからの製品輸入の拡大が続いているが、これは、日本の産業構造の高度化や技術革新が進んでいないことの表れであり、日本経済は現在立ちすくんでいるが、中国からの安い製品は日本にとってはプラスととらえ、対日輸出の拡大は中国の所得水準の引き上げにつながり、逆に日本のマーケットとして有望となり、中国との関係ではリスクもあるが同時にチャンスでもあるというとらえ方が必要であるとの意見が述べられた。

 委員から、中国に生産拠点がシフトしており、特に日本の部品製造業が中国にシフトしていることに危機感が示された。参考人からは、日本の企業がコストが低くて良い製品を作れるところに進出していくのは、本質的にはダイナミズムであり、それを「危機」とか「雇用問題」と考えるのは、日本国内のエネルギーの問題であって、中国への企業進出を止めても、内にエネルギーがなければ解決にならないとの意見が述べられた。

 これに対し、委員からは、我々政治家は地元の中小企業の現状を見聞きしており、産業の空洞化によって、日本のものづくりの基盤や雇用など失われていくものが相当あるとの認識を示し、日本国内のエネルギーの問題であるとする参考人意見の具体的内容が問われた。参考人からは、産業のダイナミズムは新しい産業が登場し、新しい国が市場に参入する限り存在するわけで、輸入を制限したり、企業の海外進出にブレーキをかけたり、為替で対応したりしてできる問題ではないとした上で、中国やASEANとの対外的関係で、農業や繊維産業の問題、雇用や国民生活の問題をどうするかを、省庁間や政治家の出身地等の争いとせず、ナショナルアジェンダとして正面から議論し、対外経済政策を形成すべき時期にきており、そのエネルギーが出ない限り、日本の産業のダイナミズムは生まれて来ないとの意見が述べられた。

 委員から、貿易・投資の自由化により、日本産業の空洞化が進んでいるが、今後、新たな産業を創出するとしたら、どのような産業が有望かが問われた。参考人からは、東アジアの経済は、日本を先頭に、NIES、ASEAN、中国と、雁行形態でこれまで発展してきたが、中国の追い上げを受けているASEANの国では、中国が労働集約的工業品の最終輸出基地になる前に産業の高度化を進めようとしており、日本がその上を駆け上がるためには、ITではソフト開発やプロジェクト推進への効果的活用が必要であり、バイオでは食料品・化学・化粧品への活用が必要であり、技術とソフトを結びつけた新しい産業分野の開拓が求められているとの意見が述べられた。また、参考人から、新たな産業の創出は、究極的には民間の競争で決めることであって、政府や学者が考えるのはほとんど無理であり、世界的競争の市場形成の中で発信されるシグナルを受け取ることしかなく、できることは、行き詰まった企業やプロジェクトを早く解体し、人的資源や資本を民間の新しい分野にリリースすることだとの意見が述べられた。

 委員から、日本は対外的には非常に力を持っていると言われるが、国内的には政策が硬直化しており、今後、日本の経済政策がこのまま続くと、将来、中国に太刀打ちできなくなるとの意見が述べられた。これに対し、参考人から、政府は改革を目指しているが、産業を立て直すのに「外圧」をうまく使うという観点が欠けており、中国の進出や農業の扱いについて正面から議論することが、産業の再生につながり、日本の中だけで改革することは不可能であるとの意見が述べられた。

 委員から、海外に進出する日本企業は多いが、日米貿易摩擦を契機に、日本企業が米国に進出したように、将来、中国企業が日本に進出する可能性について問われた。これに対し参考人は、中国からの直接投資は今のところないが、日本市場は大きい魅力があるので、10年、20年後の進出はあり得るとの認識が示された。

 委員から、2001年4月の3品目(ねぎ・生しいたけ・畳表)のセーフガードの暫定発動は、日本の農業再生に有効な作用を及ぼしたのか若干疑念があり、様々な角度からの分析と評価が必要であるとの意見が述べられた。これに対し、参考人からは、今回の暫定発動は特定国を対象としたものではなかったが、事実上の対中セーフガードになったとした上で、今回の暫定発動は、3品目以外にも監視対象品目などの報道がある中で、対日「野菜戦略」を中国に認識させ、弱みを握らせただけでなく、日本が「パンドラの箱」を開いたのではないかとの意見が述べられた。さらに、参考人から、ASEAN・中国、ASEAN・日本で、東アジアのFTAに向けた動きがある中で、セーフガード発動の温存は日本にマイナスであるとの意見が述べられた。

 参考人から、農業問題が日本の対外経済政策の最大の「桎梏」となっており、政治問題であるが、経済的、戦略的問題でもあり、単に一つの産業の利害というより、日本の対外経済政策全体にかかわる問題として、正面から議論すべきとの意見が述べられた。

 委員からは、農業の問題に関しては、工業や他の産業と比べたマクロ経済的議論もあるが、基幹食糧の国内生産という食糧安全保障や食糧自給の問題、さらには環境問題との関係もあり、農業がリーディング産業にならないからなどという単純な議論ではないとの意見が述べられた。

あとがき

 21世紀の最初の年に設置された今期の国際問題に関する調査会は、3年間にわたる調査活動のテーマを、「新しい共存の時代における日本の役割」と定めた。「新しい共存」とは何か、その具体的内容については、今期3年間の具体的調査を通じて、徐々に明らかにされることが期待される。

 2001年9月11日に、ニューヨークとワシントンで発生した同時多発テロは、その映像が「自爆テロ」としてリアルタイムで全世界に伝えられ、この未曾有の出来事に国際社会はかつてない衝撃を受けた。同時に、今回のテロの背景や原因についての関心が高まり、グローバリゼーションの「影」の部分からする見方も広がる中で、米国同時多発テロは、文明間の対話とイスラム理解の必要性、さらには貧困と開発について、改めて考えさせる契機となった。

 今期調査会の1年目では、「イスラム世界と日本の対応」について、国際政治、国際資源、開発協力、文明間の対話など多角的観点から、重点的な調査を行った。これは、「新しい共存」を探るには、まずイスラム世界への理解が欠かせないと考えられたからである。なお、前期調査会における委員の意見表明及び自由討議の中で、イスラムを対象とした調査の必要性について複数の委員から言及があったことを付記しておきたい。

 「東アジア経済の現状と展望」についても調査を開始したが、日本経済が「失われた10年」とも言われ、バブル崩壊の深刻な影響から未だ抜け出せないでいる中で、東アジアの自由貿易協定(FTA)などをめぐる動きが加速化しており、東アジア経済の将来について、2年目以降の本格的調査が待たれるところである。