平成十三年八月に発足した本調査会は、同年十一月に、今期の調査項目を「真に豊かな社会の構築」と決定し、調査を開始した。
一年目は、「グローバル化が進む中での日本経済の活性化」と「社会経済情勢の変化に対応した雇用と社会保障制度の在り方」をサブテーマとして、政府からの説明聴取、参考人からの意見聴取、委員派遣等を行い調査を進めた。そして、平成十四年七月にその結果を取りまとめた中間報告書を議長に提出した。
また、昨年の常会閉会中に、オーストラリア及びニュージーランド両国の経済、雇用及び社会保障等の実情を調査するため、海外派遣を行った。
二年目は、地域社会での住民のあるいは国民のライフスタイルの変化に着目し、生活者の視点から真に豊かな社会の構築に向けた課題を検討するため、「国民意識の変化に応じた新たなライフスタイル」をサブテーマと決定し調査を行った。
第百五十五回国会においては、地域社会の活性化と課題について参考人から意見を聴取し、質疑を行った。平成十四年十二月には、地域社会の活性化等に関する実情調査のため、千葉県及び川崎市において視察を行った。
また、第百五十六回国会においては、参考人から少子高齢社会における多様なライフスタイルを可能とする働き方、都市と農山漁村との交流・世代間交流等新たなライフスタイルの実践と課題、個の確立を促す教育・学習の在り方、ボランティア、NPO・NGO活動等社会参加システムの在り方について意見を聴取し、質疑を行った。さらに、二年目の調査を総括する意味でサブテーマである「国民意識の変化に応じた新たなライフスタイル」について関係省庁に対し質疑を行った。そして、二年目の中間報告をまとめるに当たって、委員間の意見表明及び意見交換を行った。
さらに、平成十五年二月には、国民意識の変化に応じた新たなライフスタイルに関する実情調査のため沖縄県に委員を派遣した。
本報告書は、こうした活動を基にその概要と論議を整理し、中間報告として取りまとめたものである。
地域社会の活性化と課題を概観するため、構造改革特区、まちづくり、コミュニティービジネス等に詳しい有識者を参考人として招致し、意見を聴取するとともに質疑を行った。
各参考人の意見陳述の主な内容は以下のとおりである。
構造改革特区の理念は、特定地域の成功事例を全国へ波及させていくことと、地域特性をいかした産業の集積、新規産業の創出等を図ることである。前者は全国レベルで規制緩和を推進することは難しいので、ある地域で実験的に実施し、成功すれば全国に波及させていくこと、後者はある地域に多様な産業等を認めることによって、集積の効果を出していくことである。
しかし、特区がうまく機能をしていくためには、幾つかの問題点を正面から考えていく必要がある。
第一は、どのような基準で特区を選ぶかである。裁量の余地があるため、政治的な陳情合戦等の混乱を生んでしまうことが懸念される。
第二は、全国への波及、産業の集積という特区の二つの理念が必ずしも両立しないことである。ある特区にある規制緩和が認められても、その規制緩和が迅速に全国に波及する場合、他の地域の多くの企業は地元で規制緩和が認められるまで待つので、特区で産業が集積する効果は小さくなる。逆に、ある規制緩和が当分全国へ波及せず、ある特区だけに認められる場合には、他の地域の多くの企業はその特区に進出するので、特区で産業が集積する効果は大きくなる。
これまでのプロセスを見ていると、さらに問題があると考えている。どの地方自治体でも検討対象としてよいという特例措置の一覧性が確保されるのであれば、なぜ全国レベルでできないのかという疑問が出てくる。ある特区をある地域に認めて別の地域に認めないという線引きをどう行うかは深刻な問題である。しかし、他方では、各地域の出したアイデアがどの地域でも利用可能になると、各地域は創意工夫、革新的なアイデアを出していくインセンティブがなくなってしまうという問題もある。
最後に、地域活性化の重要な視点は、地域による創意工夫や実験を可能にする徹底した分権である。日本経済の将来展望が見えない、これまでの定石が通用しない中で、生活者、企業、政府とも共通して必要なのはトライ・アンド・エラーであり、実験をしながらいろいろ手探りでどういうモデルがいいのか見付け出していく努力である。地域同士で競い合うことが可能になる分権が求められる。
特に強調したいポイントとして教育問題がある。幕末期は教育の分野で分権が非常に進んでおり、中央から遠い地域で非常にユニークな人材を生み出すシステムがあって、明治維新の原動力になった。ある地域でいい教育が行われるのならその地域に行きたいと考えている国民も非常に多いと思う。こういうことが日本経済の活性化で非常に重要なポイントになっていく。
特区を作るメリットは地域においても選択と集中が起きること、企業の投資意欲が刺激されること、規制緩和の突破口になることである。ただし、特区には政策的な課題がある。第一は社会的な規制、具体的には医療、教育、農業に株式会社の参入を認めるか否かが大きなネックになっていることである。株式会社だからよくないという考え方は突破していく必要がある。第二は特区が成功したときにどれだけの速さで全国に広めていけるかである。第三は全国的な規制改革についての議論もさらに深めることである。
経済社会全体が新しいビジョンを模索するステージに入っている。一つは、ボランティア活動、NPO(民間非営利組織)活動、地域通貨等、行政や企業にもできないすき間を埋めて個人にサービスを提供する活動の活発化が見られ、これを社会の変革の力としてどう育てていくかである。教育、道徳、社会の荒廃が問題になっており、コミュニティー全体で子供を育てていく、道徳を養っていくために新しい地域が必要である。もう一つは、非常に高度な社会システムを作り、そこから出てくる価値観を新しい物づくりと非製造業に応用、拡大していくことが必要である。医療、看護・介護、観光等で新しい価値観を生み出すことができれば、日本は諸外国からお金を稼ぐことができる。
まちづくりの観点の一つ目は、住民の意思や責任をもっと反映させた政治をすることである。そのツールとして情報公開、政策評価等が挙げられる。二つ目は、国、県ではなく、まちをどう変えていくかという発想をすることである。三つ目は、まちから新たな産業、雇用が生まれていく仕組みを作ることである。四つ目は、まちで教育を通じた世代間交流等を実施していくことである。五つ目は、高齢になっても社会に必要とされていると感じられるまちづくりを目指す行政である。
地方を自立させるための政策課題の第一は分権の徹底である。行政から立法、司法へ、国から地方へ、官から民へ、政府から住民へと、あらゆる分野で分権を更に進めていくことである。第二は、行政単位が自立的な機能を持つための市町村合併である。第三は、社会全体として規制改革を進める必要があることである。第四は、NPO、地域通貨等を新しいツールとして育てていく観点から、財政支援、税制上の優遇、ファイナンス手段の拡充を含む政策である。
昨年、日本商工会議所全国商工会議所青年部連合会の会長をしていたときに、NPOを真剣に考えてみるための専門委員会を作った。NPOはアメリカで最初に立ち上がり、今では千六百万人の雇用がある。昨年、青年部の中で立ち上げたNPOで一番大きい例として、新規雇用で四月に三十一名も雇用した実例がある。
中小企業が活性化するためには、まず雇用問題を何とかしなければならない。仕事が無いのに物を買うわけがないし、動くわけがない。雇用の機会を与えて我々の仕事に反映させてほしいという思いからボランティア活動に従事している。
本年になって、もう一つ踏み込んで、NPOからコミュニティービジネスに考え方が変わってきている。コミュニティービジネスは、地域における問題点をビジネスとして構築しようというのが一つのねらいである。
コミュニティービジネスの一つ目の事例は、日本で最初にNPO法人として立ち上げられた群馬県伊勢崎市の環境ネット21である。バックボーンは伊勢崎商工会議所青年部のメンバーが作り上げた。高齢者が駅前から出るどのバスに乗っていいか分からないので、駅前の空き店舗を利用して二人の常勤職員を置き、目的地へ行くバスの乗り場に高齢者を案内した。
二つ目は、NPO法人として私が立ち上げ、今月に新潟県から認可を得た環境パル21である。亀田町は梅が県内では一番多く取れるが、一昨年、価格が十分の一の中国産の梅が入るようになり、町内産の梅は市場で受け入れてもらえなくなった。商工業者と農業者団体の話合いの中で梅の需要回復を図ってみようと町に働き掛け、二年前に初めて加工品を作った。
我々は営利を目的としていないが、ある程度の収入を得ないと、活動のための資金が無い。今後は事業型NPOしか残らないと考えている。事業型NPOの最大のネックは、市町村からの委託事業一つ一つが課税対象となり、経理が非常に複雑になってしまうことである。市町村からの委託事業は、ボランティアだから利益を取っていない。さいわい、商工会議所の定款を変更してもらい、NPOも商工会議所の会員になることが可能となり、現在経理をすべて商工会議所に丸投げをしている。透明性を確保するため、すべて商工会議所に申告し審議してもらっている。我が国に現在、事業型NPOが幾つあるかさえ把握されておらず、NPOを横でつなげる方法が必要である。
我々は雇用の安定を第一に考えている。中小企業がカバーすることも大事だが、NPO、コミュニティービジネスを確立することが先決である。
委員と参考人との質疑応答の概要は、次のとおりである。
○ 社会規制が残っている医療等のサービス産業の雇用増加策については、例えば、医療を産業ととらえて、どうすれば国民のニーズを満たしていけるかという観点から、規制を思い切って外していくことがまず必要であるとの意見があった。
○ 交通ネットワークの整備によって地方の消費が大都市に吸い上げられるストロー現象については、一番重要なのは地域にどんな魅力があるかである。従来と同じ発想だけで人を集められる時代ではなく、創意工夫をして新たな魅力を付加して、引き付けていくことを考えていく必要があるとの意見があった。地域発の魅力を作ることができれば相互交流ができ、一方的なストロー現象には終わらないとの意見も示された。地域住民の発想転換、人材育成に懸かっているとの意見も出された。
○ 地方が創意工夫をして生きていく仕組みについては、ある地域が創意工夫や実験を行う場合に、新たなアイデアで成功したらその地域の利益になる。しかし、失敗したときはその地域が責任を取る必要があるという自己責任もあり、財源がしっかりしていなければ実行していけないとの意見があった。特区が成功するかどうかは、地方自体がどれだけハード偏重をやめるか、独創的な考えを出せるかに懸かっている。分権を推進することが地方を自立させることになるとの意見も示された。
○ 政府丸抱えの公助と自己責任の自助の間を埋める共助システムの構築を促す方法については、コミュニティーの運営経費を寄附や会費で賄う際の税制上の優遇、補助金の支給等が必要であるとの意見があった。
○ 真の豊かさについては、職業人生とそれ以外の人生をうまく維持していくことが真の豊かさにつながっていく。職業人生以外の人生では地域の役割が大きいとの意見があった。物質的な豊かさではなく精神的な豊かさと考えるべきである。精神的な豊かさの一つは、自分に悩みや問題があったときに手間暇を掛けて解決してもらえること、もう一つは、社会に貢献しているという実感を持てることであるとの意見も示された。地域における豊かさは福祉の充実である。高齢者福祉や介護だけではなく、子供の教育も福祉であるとの意見も出された。
○ 地方を全国的な規制緩和の突破口や踏み台にする特区構想は、住民本位の地方自治という時代の流れに逆行しているのではないかという問題意識については、地方から具体的な提案が出たらサポートしていくべきである。地域が独自性を出していくときに、地域の考えた提案を最大限に尊重できる仕組みは必要であるとの意見があった。このままでは分権や規制改革が進まず、日本経済は変わらない。セカンドベストの解決であるが、特区を作ってみることによって一つでも成功体験が出てくれば日本人を奮い立たせることになるとの意見も示された。地域で考えてもらわないと、問題はクリアできないとの意見も述べられた。
○ 特区で医療、幼稚園、農業等への株式会社の参入を認めることによる弊害や、住民の福祉、健康、安全を守るという地方自治体の責任については、アイデアを生む仕組みの一つとして株式会社形態を考えてもいい。ただし、それを悪用するなどの問題には目を光らせていく必要があるとの意見があった。例えば、株式会社による医療経営を容認するのは、患者のための経営をすることが期待できるからである。市場メカニズムを持ち込み、閉鎖状況を打破していくことが必要である。もちろん、安全性等を確保するための最低基準は必要であるが、株式会社経営イコール無責任経営ではないとの意見も示された。
○ コミュニティービジネス等の新しい事業形態に取り組む市民の活動を支えていくための規制緩和や税制面の政策誘導については、最初の手助けとして税制上の優遇措置等がある。ただ、過保護にならないよう手助けを限定し、うまく軌道に乗ったところで例えば補助を打ち切る等、多様な配慮の仕方があるとの意見があった。コミュニティービジネスを育てるためには、財政支援、税制面での優遇、ファイナンス手段の拡充が必要である。例えば公共事業等の予算をコミュニティービジネスへの補助金にあてること、寄附行為等を優遇すること、NPOの認定基準をもっと緩和していくこと、中小企業が事業協同組合等を作ったときに、課税対象としないこと等がある。金融機関による貸出しを国による保証の対象にするとか、税制面で優遇することも一つの方法であるとの意見も示された。NPO、コミュニティービジネスを行う側は、福祉という名前が付くだけで補助金が出る方法は好ましくないと思っている。お金を掛けずにいかにいいものを作るか考えているとの意見も出された。
○ 発想の転換で地方の発展や雇用の安定に成功した例については、サービス業にも様々な業種があり、アイデア一つで多様な業種が生まれ、雇用を吸収していく。アメリカの一九九〇年代の雇用創出を見ても、新規産業等が非常に雇用を吸収したとの意見があった。製造業も雇用拡大の余地がある。三重県が九十億円の補助金を出して液晶工場を誘致し、雇用を拡大した例を念頭に置くと、行政として製造業が海外に出ていかないようにしていくことも一つの発想としてある。アパレル工場をインドネシアに造ったが、より先端的なデザインの製品を造る工場は東京に残した中小企業の例を見ると、企業も発想の転換をすれば国内で雇用、マーケットを拡大する余地があるとの意見も示された。
○ 自助が薄れ、互助、公助に頼っている国民意識を改革する方策については、国民はこれから生活水準の低下や政府に頼れないことを実感していく。痛みを感じないと変わらない。そこまでしないで国民の意識改革ができればいいが、日本人の中には長年の高成長の間に痛みがなくても改革できるという意識ができてしまった。この意識を変えるのは簡単でなく悲観的に感じているとの意見があった。
○ 沖縄に特定した経済特区を設けて、東南アジア、太平洋アジア関係の経済的な交流を図っていくことについては、沖縄で税制上の優遇措置等を認める特区を作ることには意味がある。何を材料にして特区を作るにせよ、最初は地域が日本の切り札になり、その後は地域特性をいかして地域自体が発展していくメカニズムが始まることが重要である。沖縄にはアジアとの接点や世界の交通路という色彩があるとの意見があった。
○ 今後の日本の将来にもかかわる青年の就職難については、ヨーロッパの失業問題を見ても、教育問題とともに、非常に注視して、政策的にいろいろ考える必要のある問題であるとの意見があった。非自発的失業に関しては、訓練だけでなく、職業紹介、一人前になるまでの生活保障まで含む総合的な職業訓練の仕組みを作り、さらに多くの資金を投入していく必要がある。非正社員、非組合員等が不利な扱いを受けない仕組みを作っていくことが必要である。ただ、経済停滞がそもそもの原因であるので、デフレをどう克服するかが重要である。自発的失業に関しては、若者が情熱や意義を感じている非製造業で新しいタイプの職場を提供することが必要である。労働に関する意欲や価値観が非常に低下していることが問題であり、教育やコミュニティーの在り方が問われているとの意見も示された。高校生は離職率が非常に高いので、採りにくい。人を辞めさせなければ銀行からの融資が受けられないから、人を減らすしかない、雇い入れないというのが実態である。経営者はできるだけ人を雇わずにやってきたが、現在は地域の活性化のために方向を転換し、雇用の増加が必要であると考えているとの意見も出された。
○ 車社会の中でまちのドーナツ化現象が進んでいるが、今後は高齢社会で車を運転できない高齢者も多くなるので、歩いて暮らせるまちづくりが必要になることについては、まち全体のバリアフリー化、新しい公共交通手段の導入等によって、高齢者がショッピング、散策、人生を楽しめるスローソサエティーを支えるまちづくりが求められるとの意見があった。
経済社会情勢や国民意識が変化する中、少子高齢社会における多様なライフスタイルを可能とする働き方について、欧州や米国のワーク・ライフに詳しい参考人から意見を聴取するとともに、質疑を行った。
各参考人の意見陳述の主な内容は以下のとおりである。
多様なライフスタイルを可能にする働き方については、次の理由から仕事と家庭生活の調和という視点が必要である。第一に、家族的責任を持つ者の権利として、育児・介護をしている労働者もそうではない者と同じように企業、使用者は処遇すべきである。第二に、国際的に見て日本人は働き過ぎであり、仕事と家庭生活のバランスを欠くと指摘されている。第三に、EU(欧州連合)を中心に最近、福祉国家の考え方が変化し、性別、年齢、人種、障害の社会的属性にかかわらず働くことによって社会参加し、福祉社会を構築することが一つのデザインになりつつあり、家族的責任を持つ労働者も一般の労働者と同様に雇用だけでなく働くことによって社会参加し、社会的に統合されていく必要がある。
オランダは多様なライフスタイルを可能にする働き方を実現しつつある。また、高失業率を克服した一つの要因に労働市場の改革があったと言われている。オランダモデルはパートタイム労働の均等待遇で注目されているが、パートタイムは多様な働き方の一つとして位置付けられており、一九九〇年代以降労働法の改正によって均等待遇を進め、これにより労働市場が大幅に改善された。
家族のタイプには妻が子育てを行う片稼ぎ型と子育てを外部化する共働き型が考えられてきたが、オランダでは夫も妻も正規の短時間労働者として働き、収入は若干減るが二人で働くのでやっていける、余った時間を子育てに集中するという新しいモデルが登場した。興味深いことに政策のイニシアチブによってこのモデルは登場した。
多様なライフスタイルを可能にする働き方のためには、第一に、これからは労働において賃金と同様に時間が大事になってくる。ワーク・ライフ・バランスを可能にする労働時間・生活時間のため、男性が専ら会社で働いて女性が育児をするという偏った労働時間を再配分していくことが必要である。第二は、育児・介護休業のみならずすべての人のワーク・ライフ・バランスを可能にするような職業やライフコースへの支援である。最近は結婚しない、子供を持たないライフスタイルを選ぶ人も多いので、あらゆるライフスタイルを持つ労働者の仕事と家庭のバランスが必要である。
また、これからは働くことの意味、定義をもう少し広く解釈していく必要がある。企業で働くことも大事だがNPO活動のように社会のために働くということも評価していく必要がある。多様なライフスタイルを可能にする働き方の制度の構築は、このような条件があって成り立つ。単なる弱者救済という発想の福祉ではなく、個人個人が能力を最大限にいかしながら社会参加する、働くということを通して福祉社会を構築していくことが今後は重要な視点になってくる。
多様な価値観やライフスタイルに対応する仕組みを企業の中で作る必要があるとの観点でワーク・ライフの問題をとらえており、人材の有効活用の上でワーク・ライフは見過ごせない問題である。
欧米ではダイバシティーの問題に人事戦略、経営戦略として積極的に取り組んでいる。ダイバシティーには幾つかの側面がある。まず、優秀な人材を抱えるには性差にとらわれず個人差で能力を活用していく必要があり、多様な価値観を持つ働き手がいる組織は強い。多様な人材を確保するためには子育て中の女性に短時間労働を可能とするなど価値観、ニーズに合わせた働き方を提供していかないと、雇用が流動化していく場合いい人ほど逃げられてしまう。また、マーケット戦略がある。物があふれる現代、個々のニーズに応じていかないと売れないが、仕事だけをしている男性よりも仕事も家事も効率よくしたいと思う働く女性のように多様なニーズを持った人からアイデアは出てくる。このことを考えないとマーケット戦略として負ける。さらに、多様なニーズやマイノリティーに、会社として理解のあることを示しておくことも企業イメージの点から考え、多様性を戦略として使っていこうとするのがダイバシティーの考え方である。
また、少子高齢化で労働力が不足する場合、女性や高齢者を活用するためにも多様な働き方の提供は必要である。
多様な働き方を認め能力をいかすという観点は何もかも認めるということではない。個人生活で悩み、問題を抱える社員が業務に専念できるように会社が解決策の提起をするという考え方である。給料分だけ働いてもらわないと企業はやっていけないので、働きやすい環境整備も福利厚生というよりも社員が個人生活で問題を抱えることなく仕事ができる環境づくりとの視点で制度を考えている。
日本企業ではワーク・ライフ・バランスは女性の問題とされるが、男性にとっても重要な問題であり、企業が真剣に考えなくてはいけない人事戦略の大きな柱である。
日本でワーク・ライフ・バランスの阻害要因となっているのは、結果さえ出せばいいという働き方ではなく、顔を見ていないと信用できない、顔を合わせることで働いていると実感する見方が組織にあることである。結果を評価する仕組みができていないので、どういう働き方をすれば効率性の高い仕事ができるかとの考え方をしない体質が日本企業に残る。また、他の人と違うことをやることはバツが付くのではという横並びの意識が管理者にも従業員にもある。
日本で在宅勤務をする場合の問題は家が狭いことだと言われているが、家が狭くてもやりくりはできる。むしろ男性の場合、家にいると配偶者に邪魔にされるなど居場所が無いことが問題であり、多様な働き方に対して中高年の男性が否定的であるのが現状である。
会社が柔軟性のある制度を導入しようとしても深夜の割増賃金など労働基準法の制限に触れることがある。多様な働き方を提供するには縛りをなくしていく必要がある。
企業としては社員のニーズに合った選択肢を用意し、それを自己責任の下に各自が選択して、自分の働きやすい、効率の高い働き方ができるような仕組みを自己責任で選択し対応する方向に持っていきたいと考え、そのような流れになっていると思われる。また、企業は多様なライフスタイルを可能にする働き方の重要性と必要性を認識しないと動かない。多様性をいかしていくことが企業にもメリットがあり、人材活用に重要だということを認識させないと企業側はなかなか動かないと考えている。
ワーク・ライフ・バランスの目的は、社員が仕事と私生活のバランスを取りながら能力をフルに発揮できるようにサポートすることである。この取組は、九〇年代初期のリストラの盛んなときにアメリカ企業で広まった。不況によるリストラで仕事が増大して前より長時間労働になった社員に、私的な問題を気にせず仕事に集中し、結果を出すことを求めた企業が、私生活をサポートする必要があったからである。
この取組の推進に当たり、今までと異なる革新的アプローチを行い、企業も社員も恩恵を受ける、ウィン・ウィン(Win・Win)関係になることを目標とした。困っている社員を助けるというのではなく、社員のニーズを満たすことによって企業も満足を得ることを目標とした。
八〇年代初期までの米国企業では仕事と私生活はゼロサムゲームであり、両方求める人たちにはサポートは何もなかった。ところが、八〇年代後半から企業は時代の変化に対応する必要から、従業員が仕事と私生活のバランスが取れるように取組を始めた。効果的に対応することによって従業員の価値観、目的とビジネスの目的とのウィン・ウィン関係を作り良い結果をもたらした。現在では企業だけでなく政府機関や大学もワーク・ライフ・オフィスを設置し、仕事や学業と私生活、家庭とのバランスが保てるようにサポートしている。この背景には、働く母親の増加や片親の増加という労働人口構成の変化やIT(情報技術)などによるビジネス環境の変化、価値観の多様化など世界共通の変化に米国が対応したことがある。
企業にとってのワーク・ライフ・バランスのベネフィットで最大のものは知的生産性の時代に最も必要な優秀な人材の確保である。その他にも生産性の向上、社員の満足度とモラリティアップ、コミットメント向上、カスタマーサービス向上、業績向上が企業のベネフィットとして挙げられる。
個人にとってのメリットで最大のものは仕事に集中できることである。また、生産性の高い働きにより勉強時間が取りやすくなり、その結果仕事と私生活の健全なバランスを助けストレスが減ることなどがある。
ワーク・ライフ・バランスの取組には、フレックスワークの他に、社外学習への授業料援助、有給・無給の休暇制度、企業内カウンセリング的サービス、保育・介護サポート等がある。このうち、日本では社外学習への援助があっても長時間労働等により自己啓発活動ができないとの調査がある。米国では金銭援助の他にフレックスワークなどで勉強時間が確保できるようにしている。勉強には金銭以上に時間が必要である。勉強ができないと社員も困るが、企業も時代の変化に対応できない。
米国での七百万人の社員を対象とした調査では、七五%の社員がフレックスワークが仕事と私生活とのバランスのために最重要と答えている。また、優良企業の方がフレックスワークを導入している。フレックスタイムが日本でうまくいかないのは、社員の権利として導入しても、業績や仕事に支障がある場合は使えないからである。誰でも使える制度では企業にとってもうまくいかないので、導入目的の明示、マネージャーや社員向けのトレーニングが必要である。
九〇年代中期にリストラが一層進み仕事と労働時間の増加によるストレス等が社会問題化したとき、従来のプログラムや制度の限界を認め、既存の仕事のやり方にメスを入れた。それは、どのように仕事のやり方を変えれば期待される結果を達成でき、同時に私生活を充実させる時間が持てるかということである。例えば、十四時間掛かる仕事を生産性の向上により十時間で仕上げ四時間分浮いても、日本の場合はそこに新たな仕事が来るが、少なくとも半分の時間を社員に返し、社員も恩恵を受けられるようにするのがこのワーク・ライフのアプローチである。今、米国では働き方の柔軟性を高められるように、仕事のやり方の見直しに力を入れている。
委員と参考人との質疑応答の概要は、次のとおりである。
○ 我が国でワーク・ライフ・バランスを進める場合の国の施策や企業の取組については、社員にとって個の確立が重要であるので企業側は個を尊重して仕組みを作っていく必要があるとの意見、企業側には、仕事のやり方を見直して柔軟な働き方を導入、推進し、評価制度や時間に対する意識を向上させるよう提案し、国には、世界的に特殊な日本男性の労働時間を短縮し八時間近くにするという働き方のグローバル化の促進を望むとの意見、会社でひたすら働き引退したら一気に労働時間が減るという典型的なライフコースが少しずつ崩れており、社会に必要なのはライフコースにおいて時間を再配分する政策であるとの意見があった。
○ オランダモデルが成功した理由については、パートタイムで働くことが労働側からの希望であったため、労働組合のバックアップがあり、政策を進める上で有利であったこと、また、労使の関係が非常に安定しており、賃金を抑制する代わりに短時間労働者等の労働条件を改善するというコンセンサスに基づいて政策が展開されたことが大きいとの見解が示された。
○ 育児等を含め男女がともに満足いく形で働くための日本企業の課題については、今まで家庭と仕事の両立は戦力ではない女性の問題として軽視されたが、女性が男性同様に役割を与えられ、不可欠な存在になれば真剣に考えざるを得ない。また、女性の能力を活用しようとするならその働きやすさを追求する必要がある。企業が性差に関係なく能力、人材をいかそうとするならば、両立問題に着目するはずであるとの見解が示された。
○ オランダ等EU諸国と比較した上での理想的な日本の就業体系については、オランダモデルそのものではなく、日本の社会、働き方、文化、考え方に合わせた形で移植する必要があるが、持てる能力を最大限にいかしながら社会に参加し、それを国が支えるという雇用親和的な社会保障というオランダやEUの福祉国家の考え方は参考になる。また、日本の高齢者は働くことを通して社会参加する意識はEUより進んでいるにもかかわらず、ライフコースの多様性はヨーロッパほど認められていないので、多様なライフスタイルに応じた働き方を国が提供すれば、日本は福祉国家の参考モデルになれるとの見解が示された。
○ オランダモデルを企業に導入する場合の政府のイニシアチブについては、パートタイムの労働条件の改善や男性が労働時間を短くしても不利にならないようにすること、また、ゆとりのある中で共働きをできるようなシステムを提案することが可能性として挙げられた。
○ 自分の身は自分で守るという自己責任の時代に必要なスキルアップの心掛けとしては、今は不確実性の時代だということを常に意識して時代に柔軟に適応できる能力、すなわち、スキルや知識というより考える力が一番の基礎であるとの認識が示された。
○ 我が国でフレックスタイム制が機能せずに米国企業で機能した理由については、米国では、企業側の目的、社員側のメリット、マネージャーの役割等、制度を効果的に運営するためのガイドラインがあり、その上でマネージャー向けのトレーニングが行われたからであるとの見解が示された。
○ ワーク・ライフ・バランス推進のメリット及び必要な取組については、育児や介護で退職した人を再雇用すると教育訓練のコストが掛かるがパートタイム労働は雇用の継続が可能であり、また、短時間に集中して働くので生産性が高く企業にとってメリットがある。さらに、体力や健康、ライフスタイルに合った多様な引退を可能にするワーク・ライフ・バランスもあり得るとの意見、長時間労働が恒常化することは仕事の効率化や的確な判断ができるか疑問であり、仕事の効率性が問題となる。また、優秀な人材の活用という面からもワーク・ライフ・バランスの問題は欠かせない、若い人たちにアピールする働きやすい職場を提供することは企業にも重要であり、若い世代に照準を当てて考えるべきであるとの意見、ITの時代になり、高賃金のアメリカは物づくりから知的生産性へと働き方を変えた、両者の働き方は根本的に異なることを日本企業は認識し、知的生産性(物)で競争していくためには働き方を変えなければならないとの意見があった。
○ 女性の就業率に関する日本の「M字カーブ」が世界と比較して急であることについては、多くの人が働けるようにすることは大事であるが、一時期働かない選択を認めることも大切であり、多様な働き方とは働くか働かないかも個人の選択肢とすべきで、そのことも多様なライフスタイルの一つと評価しているとの意見、M字カーブで問題なのは、いったん辞めてしまうと終身雇用の仕組みの中で、日本で言うパートの仕事しかなく、優秀な人でも正社員として復帰できないことが問題であったとの意見、海外の働く母親はこの不確実性の時代に夫のリストラ等のリスクマネジメントの必要から働いている例が多く、働くべきとか働きたいというよりも働きやすい環境を企業と国に望むとの意見があった。
○ 日本女性の出産、育児に伴う機会費用が非常に高額であることについては、子供を産まないのは機会費用が大き過ぎるからではなく、育児をしながら仕事を続けられるか不安であるから出産時期が遅れるケースが多いと思われる。また、企業の立場からはノーワーク・ノーペイは当然であり、国の補助は必要でも企業が給与を支給する仕組みは難しいとの意見、仕事と家庭の両立は両親の問題であり、現在、企業も行政も母親だけの支援の部分が多いが、男性が家庭責任を果たせる政策や制度をとらない限りは保育や育児休業を充実させても少子化は止まらないとの意見があった。
○ 日本での導入が企業の数%に過ぎない裁量労働制については、日本の場合本人がプレッシャーを感じ過ぎて導入前より長時間労働になるので、自己管理と、何を求められているかをマネージャーと共同で評価し、目標を明確にする必要があるとの見解が示された。
○ パートタイム労働に対する均等待遇については、均等待遇ということをきちんと考えるべきであり、軽い仕事を任されているなら給与が低水準でもやむを得ないが、全く同質で責任も同じ仕事をしているのに時間が短いだけで時間当たりの給与が少ないのはおかしいとの見解が示された。
○ ライフスタイルが変化する中での世界における子供へのケアの状況については、アジアは保育が充実しておらず、アメリカも国が行っていないので企業が行う必要があるが、質・量ともに足りない。また、日本の育児休業は一年間であるが、アジアもアメリカも十二週間が標準である。にもかかわらずフルタイムで仕事を続けられるのは、保育や育児休業の長さではなく、仕事に復帰したときに働き続けやすい環境を企業が提供しているからであるとの意見があった。また、IBMでは基金を設けアジアなどで地域の託児所などを充実させているが、日本の場合公の補助金が使われると一企業を優先する仕組みができない。これからは企業が費用を提供した場合は企業にもメリットがあり、地域にも還元する仕組みがあれば良いとの意見もあった。
○ 働く女性の増加により未婚の男女が増えることへの世界における懸念の有無については、働く女性の増加と未婚の男女の増加との直接の因果関係は不明との見解、働きながらの結婚、離婚、再婚は多い、また、結婚にこだわらないパートナーとしての形が日本ではなかなか認められないが、欧米では正式な婚姻以外からの出産がかなりあり、日本の習慣を考え直す時期であるとの意見、ヨーロッパと異なりアメリカでの結婚は多く離婚も多いが、ここ数年の離婚率は減少している。一方、日本は結婚率も出生率も減っているのに離婚率だけが増加しているとの回答があった。
○ 子供の権利を守り、子供を大事にするチャイルドフレンドリー企業という考え方については、チャイルドフレンドリーという考えは企業にではなく地域や国に求めたい。地域で子供をどう育てていくかは重要な問題であるが、今の日本社会に欠けている。企業が手を出せず、法律も及ばない分野を地域でカバーし合えないので、今は少し混乱しているとの意見や、アメリカでは子供に対するワーク・ライフの取組も幾つかあり、小さい企業では保育ができない子供を会社に連れて来られるところがある、また、子供が会社に来て親の働く姿を見るチャイルドデーもワーク・ライフの取組として行われているとの回答があった。一方、日本の場合、健康な子供が生まれてくることが前提とされ、障害児は就学・就業にハンディが大きく、安心して子供を産めないという状況がある、障害があっても健常者と一緒に働ける権利を持つことを前提に考えないと少子化問題は解決しない、チャイルドフレンドリーということも大切だが、広い意味で子供のケアを考えて行くべきとの意見もあった。
国民意識の変化に伴い、新たなライフスタイルを実践する者が増加している。そこで、都市と農山漁村との交流及び世代間交流等に詳しい有識者を参考人として招致し、意見を聴取するとともに質疑を行った。
各参考人の意見陳述の主な内容は以下のとおりである。
近年注目されているソーシャルキャピタル(社会関係資本)とは、人と人との信頼関係がなければ、その社会で力を発揮できないということに注目するものである。豊かさをソーシャルキャピタルという観点から考えていく場合、人々がどのような人間関係の中でどのような生活時間を費やしているかというスタイルに注目するが、そこで、ゆとりの時間と信頼できる知人、友人の数と質が確保されていなければ、その社会は豊かではない。このような観点からすると、日本は極めて貧しい状態にあると言わざるを得ない。
そのような状況の中、都市と農山漁村の交流は、ソーシャルキャピタルを高める上でどのような役割を果たしてきたのか。もともと、都市と農山漁村との交流は、生産者と消費者が匿名的な関係になるという問題に対し、もう少し顔の見える関係の中で、すべての関係性を見直そうという動きの一つとして展開した。その先行形態として、青空市や朝市が提起され、産直運動という形でも展開した。一九七〇年代以降になると、オーナー制度など、近代的な農産物流通でない形でのつながりが求められ、ふるさと特別町民(村民)制度やふるさと宅急便も始まった。教育の面でも、山村留学といった形で、都会の住民が農村における新たな価値を見出そうとする動きを展開している。
我々はこれを一括して都市と農村の交流現象としてとらえ、政策的な課題を政府に提言してきたが、都市と農村の交流が有効な手段であるとの認識は徐々に広がってきており、その形態も様々な新しいアイデアを盛り込んで展開し始めた。例えば、農村物産のアンテナショップや道の駅での販売、特別栽培米の契約、市民農園、グランドワークトラスト運動、グリーンツーリズム、ワークホリデー、ハーブ留学、織姫留学、田んぼの学校などが挙げられる。また最近は、地産地消、旬産旬消、身土不二といった言葉が広まっており、また、ファーマーズマーケットの設立や、原産地表示の明確化、認証制度の確立を目指す動きがある。都会の側からも自分たちの生活の一部として、食の安全を支えてくれる農村に対し、非常に大きな関心が芽生え始めている段階なのであろう。様々な形で契約栽培をして、生産者と消費者といった枠組みを超えて互いに協力し、生活を支え合う仕組みづくりが展開されているし、教育面でも、農村でのインターンシップや教育農場等の取組があり、また、今までは結び付かなかった福祉分野で、園芸福祉、園芸療法、動物療法等新たなプログラムが試行されている。
しかしながら、現行の地域政策の上で様々な問題点を抱えており、(1)農業の多面的機能論における費用負担原則の論議、(2)省庁の横断的規制緩和による地域活動の活発化と相乗効果を誘発する手法の展開、(3)新しいマネジメントをする組織の育成、(4)交流人口基礎統計の整備、(5)地域計画における人口フレームの見直し、(6)ITリテラシーの向上、(7)エンパワーメント型支援策の展開、(8)事業計画の新たなコラボレーションの促進、(9)退蔵的所有を乗り越えた経営活性化を促す環境整備、(10)エコマネーの活用、(11)周縁地域に即した活性化プログラムの誘導、(12)ミチゲーション技術の展開といったことに取り組んでもらいたい。
世代を十歳ずつに分けて見ていくと、戦前・戦中生まれと昭和二十年代生まれは、「人のため」「大義名分」といったものを大事にした世代である。昭和三十年代生まれぐらいから世代の気分は大きく変化しているが、徐々に選択肢が増え、その中で様々な迷いが生じているということではないかと思う。新・旧世代を比較すると、旧世代には、「欠落感から豊かさを志向」「努力することで幸せになるという幸せ観を持つ」「目標を達成するため、手続を重視」「子供扱いされ、家の中でも大事にされない」「世間の評価を大事にする」といった傾向が見られるのに対し、新世代には、「豊かさが前提にあり、自分の中に目標を求める」「今を楽しむという享楽的な志向」「“自分が気持ちいいと思うもの”をすぐに入手」「子供が主役という状況で育ち、保護されるのが楽だという気持ちを持つ」「自分らしさを大切にする」といった傾向が見られる。
このような世代間の違いがある中で、新世代における想像力の欠如、バランス感覚や応用力の喪失など様々な問題が指摘されている。また最近、「社会の中の自分」という意識が後退し、「自分の中の社会」が拡大しているが、これについては、今後の社会を考える上での大きな要素となるだろう。
世代間のライフスタイルを見ると、旧世代が非日常と日常とのギャップの中で暮らしているのに対し、新世代は普段と少し違う「異日常」に満足感を得ている。心地よさが選択基準となり、モノよりも気分、時間、居場所といったものに価値を感じている。
人間関係も大きく変化している。組織の縦の関係より、個人としての評価を重視するようになり、新世代は仕事とプライベートをはっきり区別することを望んでいる。また、旧世代はアナログ的な人間関係の中でのネットワークで動くという感覚があるが、新世代は最適な条件の組合せで動きたいというユニット感覚を持つ。
生活価値観は、「公」より「私」に移り、ライフスタイルを考える上で、社会の中の「私」をどう位置付けるかがポイントになってくるが、その際重要なのは、経済以外の視点を私たちが持てるかということだろう。生活者の視点で見ると、「仕事」と「家庭」と「自分の時間」ぐらいは持ち、それぞれの中で満足感が得られなければ生きる意味を感じないところまで来ているのではないか。つまり、バランス良く生きられるというのが、豊かな時代を生きることではないか。ただ、新世代には、多くの選択肢があるものの、迷って選択できていない。そもそも、旧世代が多くの選択肢を持った時代を過ごしておらず、子供の教育面からは難しい状況にあるため、解決方法を制度として考えることも必要ではないか。
若い世代は、目標を決めるまでの迷いから、閉塞感のある社会に出ないための選択(留学、大学院入学、資格取得、フリーター等)をしているが、(1)根拠の無い自信との決別、(2)迷いの時期の制度的容認、(3)社会経験や失敗を評価する仕組みといったものが必要である。一方で、明確な目標を持っている人(専門職、職人、農林漁業、アーティスト等)は、今の社会でも努力しているが、(1)トライアルできる入門の仕組み、(2)多様な就業形態の担保、(3)文化・芸術等経済的に難しい分野でも産業化することが必要だ。
世代間交流は、若い世代が望んでいることを私たちが一緒にやっていくことがきっかけになるが、その際大切なのは、「共通のテーマ設定」「共感を呼ぶ“志”」「影響し合う関係性」である。
一般的にコミュニティーと言う場合、地域コミュニティーとテーマコミュニティーがあるが、テーマコミュニティーを活用していけば、そこを中心として様々な組織展開が起こり、地域コミュニティーとして展開できる。コミュニティーを起こすには、中心にコアメンバーが必要であり、その上で活動を支援するグループが必要である。そして、賛同・協力するグループがあり、さらにその外には便益を享受する人がいる。このように何重もの渦ができているのがコミュニティーである。
共生型住まい全国ネットというネットワークでは、「未来長屋」を提案している。「未来長屋」とは、昔の長屋のように、個々の家はあるが、一歩外へ出ると助け合う関係があるという状態を快適な環境の中で実現しようというものである。共生型住まいは全国に百余り出来ており、「参加性」「共同性」「福祉性」という基本的な要素があって作られていくが、このような住まいを作ることがコミュニティーの拠点となり得る。
グリーンハビタットの会という団体でも活動しているが、これは、自分たちが手作業で酒米を作り、それを酒造所に持ち込んでできた酒を皆で飲むという会である。酒米作りは手作業の有機農法を原則にしており採算は合わないが、農作業の楽しさ、仲間との語らい等、様々な楽しさがあるので続けている。また、このような活動を通して地元の農家の人たちと交流する工夫もしているが、田んぼを貸してくれた協力農家以外の地元の人たちは、閉鎖的で余り協力的でないなど、都市と農村との交流というのは意外と進みにくい。また、行政側も協力する意思はあっても、協力の仕方が分からない。
このような経験から、農都市民会議を設立した。ここでは、都市と農村の交流を進めるための様々な共生型事業を企画しているが、このような活動を通して「デュアルライフ」という概念を五~六年前に提案した。これは、日本人が「ふるさと」をなくしてしまった結果、農村と都市の関係意識が非常に薄くなってしまったため、「ふるさと」喪失状況を見直す必要があるのではないか、その場合には、グリーンハビタットの会のような活動をもう少し発展させ、農村と都市の両方に拠点を持つ「デュアルライフ」ができれば、もう一度新しいふるさとづくりになると考えられないか、というものである。
しかしながら、都市住民には農村との交流希望が非常に多い一方、農村側はオープンマインドではなく、むしろ都市からの侵略といった強い受け止め方をしてしまう。欧米では、コミュニティーが支える農業(コミュニティー・サポーテッド・アグリカルチャー)が広がり、友好な関係を築いているが、もともとは日本の生産者と消費者の提携が原型であり、日本ももう一度見直していく必要がある。
農都共生対流進展のインセンティブとして、(1)NPO法において農村都市共生対流を推進する分野を明記する、(2)農村都市双方においてコーディネーターを設置する、(3)農村都市双方に人の交流ができる拠点を作る、(4)都市と農村のコラボレーションで事業を進める、(5)市町村の協力を制度化するといったことが考えられる。また、現在の制度では、農村への公的資金(補助金)は、当該農村のある市町村内に投資範囲が限定されるため、例えば需要の多い都市部にファーマーズマーケットを作ろうとしても資金が使えない。このような仕組みについても見直すべきではないか。
委員と参考人との質疑応答の概要は、次のとおりである。
○ 都市と農村との交流において行政が果たすべき役割については、都市の人が農村に行って利用できる農地や住む場所が確保できるよう制度化することが望まれるとの意見、都市の人を地域の住民として育てていく視点が行政に必要であるとの意見、自治体単位でなく、ローカル・アクション・グループに対して契約を行いながら支援していくような行政の仕組みを考えるべきだとの意見があった。
○ 国民皆農を推進するための方策については、農業が一種の公的義務であるとの位置付けが必要だとの意見、国民皆農の問題点として全員を動員するイメージを嫌う風潮と指導者層の決定的な欠落があるため、いろいろな実験を積み重ねて徐々に進めていくしか方法は無いとの意見があった。
○ 個の自立を促す親離れ子離れのための必須条件については、親子の会話を通して、それぞれが自己主張し、自己決定し、自己責任を取ることが大事であり、また、家族の中での教育力が外との関係とも強く連動するという意味で家族の見直しも大事であるが、この問題はかなり根本的なところから意識改革も含めて改善しなければ解決しないとの見解が示された。
○ 子供に好影響をもたらす農山漁村交流活動の具体例については、市川のスタートプログラムで不登校の子供に農場体験させるといった話は聞いているが、全体的に言うと、不登校やストレスで引きこもるというのは閉鎖的な住宅で地域交流しないことが原因であり、子供たちにはできるだけ自然の中で交流体験をさせ、その際、自主的に行動させることが重要であるとの見解が示された。
○ 真の豊かさとは何かについては、自分の存在価値が感じられることが豊かさであろうとの意見、人と一緒に生き、その人の温かみを感じていられること、また、常に自分を磨いて変化し得る状況にあるということが豊かさを感じる上で大事だとの意見、自由な時間・空間が豊かにあり、それによって仕事も生きがいになっていることが真に豊かではないかとの意見があった。
○ 地方自治体による農山漁村支援策に関する具体的事例については、新潟の黒川村のように、村が直営事業を展開するところもあれば、鳥取県の東伯町のように、農協がそのような役割を担う場合もあり、地域住民と地方自治体・その他の団体との関係は多様化しているが、日頃から問題意識を地元住民と共有していない自治体は力を発揮できずに終わるのではないかとの見解が示された。
○ 農山漁村が持つ多面的機能や地域資源に関する情報発信ネットワークづくりについては、情報を発信する側の人間が心を込めて当該地域資源の価値を見付け出すという基礎的な作業が必要であるが、現状では決定的に人材が不足しており、人材の発掘又は育成プログラムの作成が重要な課題であるとの見解が示された。
○ 共同農園推進上の改善点については、共同作業によってコミュニティーが生まれるという意味からも、作業の共同性をある程度の仕組みにして、農村・都市双方にコーディネーターを置き、行政の政策的支援も受けながら進めていくべきであり、また、優良田園住宅促進法は一区画ごとに家を建築することを課しているが、このような規制は不要ではないかとの意見があった。
○ 二十代前後世代の特徴的な意識については、自己責任で動かず、常に言い訳のようなものが用意されるなど、自ら決め、自ら意志的に動く人が少なく、また、自分たちで社会を作っていくという意識が非常に薄いという傾向が見られるので、突き放して子供世代の自立を促すことを考えていく必要があるとの見解が示された。
○ 今後の農村等における公共資本の在り方については、外部の人が当該地域に訪れるような魅力づくりにおいてソフト活動に当たる部分、そしてまた、人の関係を紡ぎ合わせる努力をソーシャルキャピタル(社会関係資本)というが、従来の公共事業ではそのような観点が抜け落ちていたことが最大の欠点であり、今後は、社会的な人間・信頼関係を紡いでいくことを考えていく必要があるとの見解が示された。
○ 若年世代に社会的存在として自覚させることの重要性については、日本全体の問題であり、社会が手を差し伸べている過保護な状況をやめ、若い人たちが社会に対して果たすべきこと又は貢献できることを行っていくという作業が必要ではないかとの見解が示された。
○ 都市と農山漁村との交流に関し、都市部サイドの「押す力」を有効に働かせる方策については、農村政策と他の都市政策や国家政策との接合点を詰めるべきだとの意見、農山漁村での長期滞在を可能とする長期休暇制度、滞在中の過ごし方に関する議論、農山漁村のかかわり方など入口でまず問題があるほか、情報発信におけるコーディネーター機能や農業等に携わる若者を引き付けるだけの魅力ある個性を持つことが大事であるとの意見、健康や教育など様々な問題に関し、農村に行く方が解決できるというインセンティブがあれば「押す力」が働くとの意見があった。
○ 都市と農山漁村の交流進展のために撤廃すべき規制と必要な規制については、中山間地域の場合、事業を始めようにも狭い土地しかなく、その周辺地域も森林法や農地法による縛りがあるなどほとんど活動できない状況にあるので、規制の見直しを進めてほしいとの意見、農村に関しては農地法関係の規制により農業の新規参入が非常に困難な状況にあり、また、共生型住まいを作る場合にも、市街化調整区域の扱いなど様々な規制があるが、こうした原則規制、一部自由という従来の形を見直し、原則自由、一部規制にすべきだとの意見があった。
○ テーマコミュニティーに対する行政支援の在り方については、団体の活動計画に即して審議し、社会的実験と位置付けて団体の活動を支援し、仮に失敗しても教訓を得るという形での協働を進めてもらいたいとの意見、コミュニティー活動において資金調達力が大きな問題になっているので、金融機関が支援するような枠組みを行政が作ってほしいとの意見があった。
○ 若年世代における農山漁村の役割については、農村の持つ魅力を磨き上げ、若者が持つ多様な関心にこたえられるような取組を活性化してほしいとの意見、村に入ってきた若者のコミュニティーを根付かせる工夫、育成するための仕組みをどうするかが課題であるとの意見、若者に農山漁村を開放し、インキュベーターにしてはどうかとの意見があった。
個の確立を促す教育・学習の在り方を検討するため、教育の変革、現下の教育の実情及び現場について詳しい有識者を参考人として招致し、意見を聴取するとともに質疑を行った。
各参考人の意見陳述の主な内容は以下のとおりである。
教育あるいは学習の最終目標は、各人が自立した判断力を持てるような個を確立するところにあり、第一にアイデンティティーの確立、第二に社会の中で協力しながら生きていけるかということである。アイデンティティーとは、自分というものに対する客観的認識と肯定感や自信を持つことである。特に現在の社会との関係で重要になってくるのが男女の区別であり、その他、民族、故郷、家族などへの帰属意識によって構成されている。子供は一般的に、大体二、三歳くらいから男女の区別を意識し、思春期までには自分がどちらの特性を持っているかを意識的に確信してそれなりの行動基準が確立されていなければならない。そうでないと、価値観などで自分に自信が持てない、無気力になる、閉じこもるなどの原因の一つになりかねない。
男らしさ、女らしさの他、民族、故郷、家族などへの帰属というすべての特徴が統合されたものが自分らしさである。男らしさ、女らしさは必要なく、自分らしさだけ持てば良いというのは空論である。男らしさ、女らしさを最近ではジェンダーと呼び、これをなくすのが教育の在り方であると主張する者もいるが、男らしさ、女らしさは生まれ付きのものであるということが一〇〇%に近いくらい証明されている。
ただし、社会的に言われている具体的な男らしさ、女らしさがそのまま生まれ付き、生得的なものではなく、歴史的、社会的に決められる。男文化、女文化と分かれているのは、決して後れているわけではなく、むしろ文化的に進んでいる。しかし、実際に男らしさ、女らしさと言われているが、全部そのまま正しいという意味ではなく、差別を反映した部分もあるので、そうした部分はなくしながら、適正なものとして洗練されていくのが望ましいと考える。
次に重要なことは、心のコントロールセンターである自我の形成である。脳科学でいうと個の確立に絶対に不可欠の部分は前頭連合野であり、八歳までに形成される。これが形成されるためには確固とした価値基準が安定して与えられ続けなければならない。この基準が作られるためには、年齢に応じて適切な枠を与える必要がある。枠の中で特に大事なのが秩序感覚であり、自我の一番基本にあるもので三歳までにほとんど形成される。したがって、三歳までに規則正しい生活習慣を付けさせることが、自我の確立にとって非常に大切になってくる。
このような基盤の上にいわゆる個、あるいは自分らしさや主体的判断力が成長していくことができ、これを育てるために、適切な枠に守られた訓練の場を提供する必要がある。子供に全く基準を与えないで放っておくと、逆に自主性や自由が育ってこない。教育界の中にも、自主性を与えればよいという者がいるが、それは大きな間違いである。子供には基本となる価値基準をきちんと与え、これを基にして各年齢に応じて自由を与え、枠を広げ、そして自分で判断する訓練を次第に付けていくという教育の順番がある。
四年ほど英国に住んでいた経験から、絶えず日本人と英国人を比較して考えるのが習性になっているが、日本人は個の確立というものが彼らに比べると劣っている。
変化の激しい不透明な時代であり、個の確立が必要であるにもかかわらず、社会、教育環境が個の確立を促すものとなっていない。
日本の初等教育では、依然として受け身の授業が非常に多いが、英国等では、参加型の授業が増えている。
後期中等教育、すなわち高等学校では、依然として一流大学に入るためには問題解決型にならざるを得ない。それに対して、アメリカ等では問題発見型が非常に重要視されており、それに向けての教育が現在盛んに行われている。もう一つ重要なことは、モラトリアム期間の過ごし方である。つまり日本の場合には後期中等教育から高等教育へとストレートに結び付いていく状況があり、これが最大の問題である。ヨーロッパでは、高等学校が済んでも、ほとんどの若者がそのまま大学へは行かず、いろいろな形で社会経験を踏み、親離れをし、社会の一員として自分を自覚するというステップがあるが、日本には全くない。
次に高等教育であるが、日本の大学、殊に研究室等では問題解決型の学生が重宝されるが、欧米ではプロフェッサーの言うことを聞くような学生ではなく、いかに新しい発見をするか、人と違った発想をするかが学生を評価するメルクマールになっている。
社会では、日本人はお上がやってくれるという発想をほとんどの人が持っており、セキュリティー感覚というものが全然備わっていない。これに対して欧米では、タックスペイヤーということを意識して、自分たちがやるという発想を持ち、若者もモラトリアム期間を通過したせいか、明確なセキュリティー感覚を持っている。
では、どうすればいいのか。まず、家庭では子供たちに責任と仕事を持たせることであり、英国の家庭では徹底している。
そして、初等教育では、参加型の授業の比重を増やしていくことである。
次に、後期中等教育では、大学受験方法を変えるしかない。随分変わってきているが、特定の影響力のある大学だけを見ると依然としてペーパーテストだけであり、例えば高等学校以前にそれぞれ何を行ってきたかについては一切問われないのが、スクールレコードやインタビューなどを組み合わせることによって、問題解決型だけを偏重する社会傾向が少しは減るのではないか。また、社会問題として、日本には現役崇拝主義があり、これが個の発現ができない大きな理由になっている。
さらに高等教育では、徹底した自主性の育成ということを考えて展開する必要がある。
社会では、官の役割をもっと縮小すべきである。様々なセクターへ権限移譲を行い、各個人が参画していくことにより、セキュリティー感覚が身に付き、それを通じて個の確立が可能になるのではないか。
特に、学習の面から個の確立を考えてみると、好きになることが大切であり、とにかく体験学習、参加型の授業をもっと増やしていかなければならない。
そして、重要なことは、学習意欲は個人によって出る時点が違うということである。一点は、学習意欲が出た時点で学習ができるシステム、二点は、遅くスタートした人がハンディキャップを背負わないようなシステム、この二つを込みにしてシステムを作る必要があり、これがすなわち生涯学習社会の形成ということになる。
生涯学習社会を一言で言うと、十分な学習の機会を備えること、学習した成果を社会が認知することであり、それなくしては真の生涯学習社会はできない。
今、なぜ個の確立を促す教育あるいは学習が求められているのかという、必然性を考えると四つの柱から整理することができる。
一つは、日本型企業社会の崩壊、つまり、労働の流動化の問題である。個人が自らキャリアイメージを作らなければならない社会、個の時代が到来してきたということは認めざるを得ない。
二つ目は、保護者の高学歴化により、価値観の多様化した成熟社会、知識社会の欲求として、これまでの人材育成教育から、個の確立を目指す教育、共生時代の地球市民としての子育てや教育が求められているような変化である。
三つ目は、国際化、情報化の進展の中で個人生活の激変の問題である。インターネット社会など消費主義的な社会変化の中では、学校や家庭でこのような教育を受けていないにもかかわらず、自己決定、自己責任を取らざるを得ない社会に子供たちが投げ込まれている状況がある。
四つ目は、家庭の崩壊の問題である。家庭の復権の重要性は言うまでもないが、ダイレクトに個をいかに確立していくのかを独自に考えなければいけない。
そういう大きな変化の中で、私たち大人や社会が子供の教育、子育てについて自信を喪失し、それによる迷いがそのまま教育政策に出ている。
一つは、目新しい教育改革である。例えば、民間人校長、予備校・塾講師による授業、学区の自由化、エリート教育、小学校での英語教育、小中一貫の構想、大学の独立行政法人化の問題、習熟度別授業への変化、チームティーチングの導入、教育特区構想などであるが、校長や平場の先生方は、現場の声を無視して進んでいくことに悲鳴をあげている状況である。
もう一つ重要な柱として、このように目新しいことをやっていこうというトーンと同時に、背景分析が弱いままで非常に回顧的な傾向が強くなってきている。例えば、日本語ブーム、教育基本法の改正問題、心の教育、家庭教育の強調、数値目標の流行、百升計算などのトレーニング主義、進学重点校の指定、全体的に子供への抑圧傾向の強まり、受験学力の復活の兆し、学校五日制の中での授業時数の確保などである。
一方、地方は規制緩和の影響もあり、少人数学級、体験学習、市町独自のカウンセラーの設置、学習支援者、学校ボランティアなど現場の実態に即しながら努力している。
では、個の確立を促す教育や学習の在り方を実現する課題は何か。
一つ目は、条件整備である。二十~二十五人学級を全国レベルで実施することによって、心豊かな教育ができ、一人一人の個性を発見し、子供たち同士も個性を認め合った学級、学習生活が送れるのではないか。
二つ目は、教師のゆとりである。五日制の下で忙しいため、財源的問題はあるが、教員増を大幅に行うなどである。
三つ目は、スクールデモクラシーの問題である。日本の子供たちは諸外国と比較してセルフエスティーム(自己肯定感情)が極端に低い。それを高めるため、あらゆる領域での子供参画を拡大することが必要である。参加することによって自己決定をせざるを得なくなり、達成感を持ち、自己責任感を形成し、セルフエスティームを高めていくのではないか。
四つ目は、教えから学びへ授業観の転換である。
五つ目は、不登校問題である。フリースクールやホームエデュケーションをどのような方法で制度として取り入れるべきかということである。
六つ目は、学校をベースにした町づくり、スクールコミュニティーをどうするのかということである。
七つ目は、文部科学省の施策に国際的な視点を取り入れることである。
八つ目は、家庭教育の支援策をどうするのかということである。
委員と参考人との質疑応答の概要は、次のとおりである。
○ 今は、子供が社会のルールを身に付ける機会がなくなったが、地域における子供社会の在り方については、最初は大人によるある程度の指導と場の提供が必要である。また、すべての基本として家庭教育をきちんと行い、学校では特に小学校低学年においてルールとか秩序感覚をきちんと持たせることが必要との意見があった。
○ 知識を教え込む教育から自ら学んで考える教育への変換の必要性については、基礎・基本の問題が重要であることはもちろんであるが、トレーニング的なことを中心にすることとは違う。基礎的な学力が高くても、人としての基本、心が分からなければ豊かな生き方はできないとの意見があった。
○ 場当たり的な施策が繰り返されているゆとり教育については、受験戦争による子供たちのストレス解消及び考える力、知識を総合する力不足改善のために導入されたが、教育のフロントが付いていけず、対症療法ばかりを行っている。一つのポリシーを打ち出したら時間を掛けてその結果を評価して、次へ動かなければならないとの見解があった。
○ 親に対する支援や教育については、必要なことであるが、日本の行政はアドバイスのみで最後まで面倒を見ない。しかし、新しい兆候として、インターネットを使い子育てなどの情報交換を行っているので、是非行政が支援してほしいとの意見があった。
○ 教員の在り方及び育成方法については、日本では、先生方が不熱心、研究中心、授業が面白くない、社会経験をほとんど積む機会が無いなどの問題があるので、例えば大学と産業界、経済界との人事交流など、個人、教育者としての厚みを増していくような経験を積むことが必要ではないかとの見解があった。
○ 三歳児神話の科学的立証については、科学的、実証的な研究は非常に積み重ねられており、三歳ではなくて、思春期までは母親は非常に大事であり、子供の心を安定させるなどの作用をもたらすとの意見があった一方、三歳児神話については、科学的根拠は無いという見解があるとの意見も示された。
○ 子供の教育における父親と母親の役割については、父親は子供に対して強い刺激を与え、母親は心を安定させる作用をするため、子育てをするときには分担した方が心は豊かに育つとの意見があった。
○ 個の確立を促すために考え得るゆとり教育の改善点については、ゆとり教育の中で期待できる総合学習の時間を本当にマネジメントできる先生方を一人でも増やし、国としても今後一生懸命進めていくことが必要ではないかとの意見があった。
○ 教育基本法における人格の完成については、文部科学省的、今日的な表現で言えば生きる力であり、それは国が求める枠をはめるものでなく、それぞれの子供や家庭の願いを反映した形になっていくのではないかという見解が示された。
○ 子供本位の仕事と家庭の両立を実施する方策については、今は前提として、制度的、経済的、社会的風潮で母親が働かざるを得ない社会であるが、この前提そのものを変える必要があるのではないか。方法としては、一つは、M字型と言われている労働形態を可能にする方法、もう一つは、いわゆるワークシェアリングによる方法であり、現実の制度を変えようとすることが日本人全体のコンセンサスを作っていくのではないかとの見解が示された。
○ 真の豊かさとは何かについては、生活、学力、心の面におけるセーフティーネットがしっかり張られているという安心感を実感できる社会であるとの意見、個人が学習の意欲がわいたときにすぐに学習社会に参加でき、その成果が認められる社会であるとの意見、精神的なものに価値をシフトし、家族や友人たちといかに仲良く愛し合っていかれるか、自分の能力を社会でのびのびといかしていかれるかであるとの意見があった。
○ 教師の厳しい労働条件の実態と子供への影響については、教師にゆとりがなければ、ゆとりある教育や子供の個性も発見できない。教師の豊かさとは物理的なものと同時に、市民的な生活をいかに保障するかであり、市民として土、日曜日を自分の地域で充実した生き方ができるか、奉仕できるかがポイントであるとの見解が示された。
○ 男らしさ、女らしさの定義において、どこからが生まれ付きでどこからが社会的に後から形成されたものなのかについては、生まれ付きのものにプラスして文化的に性の差をすべての社会が際だたせるような仕掛けを持っており、それは男性、女性が青年期になるに従って、自分がどちらに所属しているかをはっきり自覚させるための文化的装置で大切なものである。文化的性差の中で、差別を反映した部分はなくし、良いものだけを選び取っていく作業が必要であるとの意見があった。
○ 家庭教育が崩壊していることに加え、学校と教師の権威が完全に失墜してしまったことについては、親や関係者が積極的に学校経営に参画するシステムを作ることが必要であるとの意見、イギリスやフランスのようにみんなで立ち上げ、人事権や運営も含め、選び手から作り手になることによって、責任を共有し合えば、新たな信頼や学校への権威が形成されるのではないかとの意見、学校、家庭、地域社会などの教育主体が提携し、正しい協力関係に持っていくことが非常に大切であるとの意見があった。
○ グローバル化に対応できず、日本が教育再編に失敗したことについては、日本は戦争ですべてをなくし、教育のポリシーも世界的動向を踏まえて考える余裕がなかったこと、諸外国の立場になって考えるということをほとんどしなかったことが要因であるとの意見、戦後教育が人材育成路線で来たこと、国際的レベルから非常に遅れており、視野も狭いことが要因であるとの意見があった。
○ 個の確立における体験、参加の重要性については、今の子供たちは現実感覚、生活感覚がなく、親の多くは勉強ばかりをさせて生活の自立教育をやっていない。他方、自立できる子供たちはモラルやマナーができておらず、家庭教育が非常に偏っているが、これは家庭における一家団らんの在り方や生活面での甘やかしなどが問題ではないかとの意見があった。
○ セルフエスティームと評価の在り方の関係については、戦後日本の教育は常に相対評価で来たが、二〇〇二年四月から目標準拠、いわゆる絶対評価が始まったことにより、競争の質が変わり、全体的に子供たちの学力が高い日本になっていけるのではないか。そしてそれは、子供たちのセルフエスティームを確実に高め、他人と比較して自分は駄目だと思っている子供とは一味違った子供像になっていくとの見解があった。
○ メディアリテラシーと子供への影響あるいは対応については、現在のイラク戦争の報道の影響は既に子供たちに出ており、放送局側は子供たちも見ているという前提で考え、対応策も示すべきである。また、先進国の中で学校教育にメディアリテラシーが入っていないのは日本ぐらいであり、逆にメディア界が学校現場と協力して一生懸命やっているというゆがんだ形で進んでいるとの見解があった。
○ 胎教や超早期教育が行われている中で五感のバランスの取れた子育てあるいは教育については、脳をバランス良く発達させる教育、例えば父性と母性の提携、情操的、知能的な体験などうまく組み合わされて与えられることが非常に大切であり、具体的に家庭教育、学校教育の中でどのように保障していくかという観点が求められていくとの意見、過激な刺激を与えないことは子供にとって非常に大切であり、褒めたときや波の音などを聞くと脳科学的にいいというような知見をいかして子育てにも応用していくことが必要ではないかとの意見、学級崩壊などで集中力が高まらず、脳の発達も思うようにいかないので、安心感の中の集中力や信頼に満ちた集団の中での刺激が重要ではないかとの意見があった。
○ 祖父母による子供の教育のメリット及びデメリットについては、教師や両親の子供への愛情は条件付きである。祖父母の愛は無償の愛であり非常に大切であるが、最近、祖父母も元気がよく条件付きの愛情に変化してきているとの意見、過干渉的になるという面はあるが、民族特有の文化を伝えるなど心を豊かにするために良い影響を与えることができるとの意見があった。
社会参加システムの在り方について、ボランティア、NPO・NGO(非政府組織)活動にかかわる有識者を参考人として招致し、意見を聴取するとともに質疑を行った。
各参考人の意見陳述の主な内容は以下のとおりである。
NPO、NGOについては、日本では正確に理解されず、NGOは国際協力をする非営利組織、NPOは足下の福祉、文化、芸術、教育その他の問題にかかわる組織と一般に理解されている。しかし、NGOは、国連が作った名称であり、こちらの方が日本に早く入ってきた。一方、NPOは特にアメリカで戦後使われ始め、営利目的の企業等に対して、営利を目的としないが社会を活性化する組織をNPOと呼んできた。日本では、阪神・淡路大震災の頃から、NPOへの認識が高まり、現在は一万を超えるNPO法人が誕生している。国際協力で活動するいわゆるNGOと呼ばれる組織も、日本社会での法律的な立場はNPO法人である。NPOとNGOはイコール、あるいはNPOの方を大きな範疇での活動ととらえ、その中に国際協力もあることが正しく理解される必要がある。
国際社会では、一見すると市民の財団法人や社団法人だが、実は政府の意向によって動くものを、「擬似的な」との意味の言葉にNGOを付けて、QUANGO(クワンゴ)と称する。以前、日本やドイツにはなぜ多いのだと言われ、驚いた経験がある。
国際的な見地からすると、日本では、ボランティアが非常に誤って解釈され、他人を救うこと、奉仕すること、自己犠牲すること、安い労働力であることをボランティアと呼んだり、暇がある人、奇特な人、専門性は無いが非常に善意の人をボランティアと意味付けているようだ。私も、イギリスのボランティアの父と呼ばれる方から、自分が生き生きと、今日はこれで良かったという思いで生きていける、そうした日々が与えられるのはボランティア活動をしているからだと教えられた。
日本の伝統的ボランティア活動には、江戸時代のいわゆる「結い」「講」が該当しようが、ボランティアに義務があってはならず、自分の心の中で思ったことに基づいて活動する人がボランティアであり、やりたくない人もやらなければならないのはボランティアと違う。
そして、ボランティア活動については「機会を与える、しかし義務付けない、したい人はどうぞ」である。加えて、ボランティアをしていて、何かの事情でやめたいというと非常に白い目で見られるのであってもいけない。
NPOとボランティアの関係について、ボランティアの存在が非常に貴重だが、NPOはボランティア団体という考え方は間違っている。NPOは、ノンプロフィット・オーガニゼーションなので、プロフィットを上げたらいけないようなイメージを持っている人も多いが、ノット・フォー・プロフィット・オーガニゼーション、プロフィットを得て構わないが、それを追求し、あるいは関係している人に配分するという組織ではない。NPOは、多くのボランティアの存在とともに、その中心にはボランティアを引き付け、束ねる有給の人がいなければ、良いものに育っていかない。
日本社会で本当の意味のボランティア活動を妨げているのは、幼児の頃からの対応と、有償と無償の関係へのこだわりである。
国際的なNGOの視点から、今後、活動を活発化させるのに重要なのが、安全保障、保険の制度である。二十年も前に、フランスでは、こうした活動をする人のために特別に安い掛金の保険制度が有ったが、日本にはいまだに無い。物資を輸送するときの護衛などの問題もあり、こうした支援策も進めてほしい。
市民バンクを十年前に始め、夢を担保に融資して、百九件、五億六千数百万円、貸倒れなしという実績を上げることができた。市民バンクは、金利では稼いでおらず、周辺のサービス業務を一貫して提供して、収益を得ている。市民バンクが融資した事業が事業として成り立ってきているのは、近くの人々で支え合うような社会を市民バンクが作ってきているからだと思う。
NPOが、新しい社会サービスの担い手になるような時期に来ているのではないか。財源が逼迫し行政によるサービス提供が先細りしていかざるを得ない状況の中で、格差が拡大しないためには、小さな単位で社会サービスを提供する、自立した事業が多数生まれるしかない。そのためには経営能力が求められる。NPOは、行政にコストパフォーマンス、企業に自発性、やりがいを教えていく。そして、経済規模ではなく、働く人にとってのやりがいを育てていく経営ノウハウを、逼迫した日本経済の経営者たちに教えなくてはいけない。山口県の単独予算でコミュニティービジネスカレッジが始まった。私が実行委員長で、私が大学で教え育てた十七人の学生起業家が運営している。最初に教えるのは、ミッション、使命感である。次が地域のために何をやれるかという覚悟である。それから経営ノウハウを教えるが、大きな夢から語っていく。一年間掛けた結果、十三人が地域でいろいろな形の活動を開始した。地域で問題を解決する人たちが集まり、行政だけで解決することが難しい分野を持ち寄るステーションが動き出している。
今大事だと思うことは、実は若者が中高年の男性に志を教えることである。若者たちが、志が無い、金もうけしかない、組織の命令しか聞けないといった人たちに対して、自発的に動きなさいと呼びかけている。
また、公開オークションについては、地域財オークション会議というNPOで主催しており、金銭だけでなく地域の財が集まるが、そうしたことが、少しずつ、地域の中で実践されている。
次に申し上げたいのは、これから先、新しい自治の精神、真に豊かな社会の構築は、自分たちでやるしかないということを明確に言うことである。
そして、今教育が重要だと考えており、知恵と勇気を教えたい。知恵とは、問題解決は必ずできると思う若者を教えることであり、勇気とは、世界の危険な場所で活躍すると同時に、リスクを持って事業に投資したり経営していくことである。さらに、市民の持つ金をどう循環させるかを次の課題にしたい。これからの投資のイメージは、株式に投資することではなく、近くにある、自分がこれから生活していこうとするときに必要なものに投資することである。
今、生産側にインセンティブを与えるという政策は間違っており、一番大きな消費サイドにインセンティブを与えるべきである。
これからは、真に豊かな社会を構築する基本法を作って、それ以外は一切決めず、後は地域が決めるのが良い。地域で自治体やNPOがリーダーシップ、イニシアチブを取れば、新しい地域の経営者たちが生まれてくるが、彼らでしか次の社会は作れない。行政がやれることをだんだん小さくしていき、行政は方向だけを示すといったことが必要だと思う。
お好み焼き専門店の千房は、昭和四十八年に大阪ミナミに進出したが、当時オイルショックであることを知らなかったので、来客が無いのはすべて内部要因だと考えていた。今は社会の状況、景気動向がよく分かっており、我々の仲間も、不況が身に付いてしまい、すべてが外部要因のように感じてしまう。しかし、今もう一度、すべては内部要因であることを自覚してやっていこうと言っている。
平成十三年に道頓堀商店会の会長に就任した。道頓堀商店街は、三百八十年の歴史があり、平日十五~二十万人、土日・祝日には四十~五十万人が集まる大繁華街だが、祝日に一度も国旗掲揚をしていなかった。役員会で祝日の国旗掲揚を提案したが、賛否両論あって、継続審議とした。そこで、商店会の企画、イベントについて、行政への陳情、補助金・助成金を当てにせず、自主的に、自立し、汗をかいて取り組むことから始めた。
食い倒れの町道頓堀の三つの橋のたもとの公衆便所を、役員総動員で掃除した。
梅雨の時期には、てるてる坊主を作って配った。七月の七夕では、道頓堀から星に願いをというタイトルを付けて配るとともに、期間中飾った。
全国から訪れる修学旅行生のために、あきんどの体験学習を提案し、既に二百名以上迎えた。
昨年、一番ミナミに人が集まったのがワールドサッカーのときで、当時閉館していた中座の前にテント三張りの観光総合案内所を作った。ボランティアで通訳四十名も参加した。
秋のよさこいソーランでは、全国から若者が集まる青少年健全育成の一環として道路で踊る予定だったが、警察が認めてくれなかったので、廃校の小学校を利用して踊ってもらったため、参加者はがっかりした。
道路への灰皿設置を建設局にお願いしたら、最初は認められず、スポンサーが入ったら絶対認められないということだった。強引だったが、スポンサーを入れたまま継続している。
道頓堀には、五百メートル続く道路の中央に、街路灯が二十メートル置きに立っている。その街路灯に鉢植えの花飾りをしたいが、当然スポンサーが付くので認められない。道路の中央が駐輪場であり、撤去を要望するが撤去されない。夜市をやりたいが販売は認められない、道頓堀にふさわしいベンチを置きたいがスポンサーが入れば認められないという。建設局の担当者に相談し許可を求めたら、すべて認められなかった。
道頓堀はちんどん屋が似合う場所で、ちんどん屋カーニバルをやりたいと言ったら、警察の交通課で認められなかった。店の前なら可能だが、パレードは認められないという。
大阪市が道頓堀の河川敷を遊歩道にする工事を行っており、来春完成の予定だが、今、水辺と切り離すような柵ができている。
他の商店街ではよくても、道頓堀では、人の集まることをやってはいけないと言われる。
今、飲食店が大変困っているのは交通規制である。交通アクセスの確保が大事なので、地下鉄をもう少し遅くまで運転してほしいと大阪市交通局に盛んに言うが、実現しない。
十二月に入ると夜回りが始まる。そして、十二月二十三日の祝日に国旗掲揚の提案をしたとき、ただの一人も反対がなかった。無事揚がって、涙が出たが、これで心が一つになれた。
私は、一人の純粋な日本人、国民の一人として誇りを持って、地域とともに一緒になってやっていきたい。正論で相手を倒すのはたやすいが、相手に感情が残る。コミュニケーションを大事にしていけばどんなことでも解決すると思っている。行政は取り締まるところではない、一緒に力を合わせながらやっていくところだと今でも信じている。
委員と参考人との質疑応答の概要は、次のとおりである。
○ 日本にNPO、NGOが誕生し根付いてきた条件については、経済が一定レベルに達し、物質的に豊かになると、環境汚染、家族関係の希薄化などのマイナス要因が目立つようになる。そのようなときに市民の運動が起きてくるというのが全体的な流れであり、日本もその例外ではなかった。また、阪神・淡路大震災のような事件を体験し、政府に頼っても解決できないことを実感したことも、その条件であるとの説明があった。
○ 地域に貢献する経営者を育てるために重要なことは、刺激を与え続けることと成功モデルを作ることであるとの意見があった。
○ ボランティア活動、NPO活動においても、人の育成、教育が大切だと言われているが、体験的見地からの教育問題、学校教育に関しての所感については、学歴よりも学問が大事であると考えるが、現在は高校程度の学問は必要であり、高校は義務教育にしてほしいとの意見、教育とは責任を持つことの重要性を認識させることであり、そうした場をどれだけ作れるかであるとの意見、ボランティア活動で入ってくる学生が、自分が何をしたいのかも答えられないなど、外国(フランス)と比べ日本では自分で考え、行動する育て方、教育がなされていない等の意見があった。
○ 地域に貢献する際に資金ゼロから始めるコツは、拾う、もらう、作るであって、拾うというのはリサイクルであり、もらうというのは人脈であり、作るというのは、体を使って創造的でなければいけないことであるとの見解が示された。
○ いわゆる三K職場と外国人労働者に関する見解については、青年海外協力隊の経験から、汚い仕事でも自分がやりたい仕事とどう関連してするのか、そのつながりが見えれば、人はかなりきつい仕事でもできる。日本では、そうした職場に人が必要であるにもかかわらず、従事する外国人の不法滞在者が発見されれば送還される。単純労働でも外国人を受け入れる体制を作る必要があるとの意見が示された。
○ 真の豊かさとは何かについては、豊かさとは心の豊かさであり、人に対して親切にし、お互いの意思の疎通が図られるようになれば、自然と心は豊かになる。非常に自然が豊かな場所に帰ることに豊かさを感じている。豊かさは安心であり、今まで豊かさや安心は保護されてきたが、その保護がなくなることに対する不安が豊かさを感じられなくしている。しかし、これからは保護の無い社会に立ち向かう気持ちが大切であり、自立できないと豊かさは十分感じられない等の意見が述べられた。
○ 利益を得ることとNPO活動との関係で最も重要なことは、ミッションとして目的を達成することであり、その結果として利益が出ることは余り問題ではなく、利益は社会的に必要なことを行っていれば付いてくるとの意見が述べられた。また、女性の起業スクールあるいはファンドなど、女性の感性に着目したNPO活動について意見があった。
○ 政府や自治体とNPOとの望ましい関係については、最初に政府が動くのではなく、まず、市民自体が活動して成果を出し、結果が良ければ財政的な支援等様々な支援を行うことであるとの意見があった。
○ NPOが継続的な活動を行い、その組織の活性化を図るための方策については、ピラミッド型、あるいはクリスマスツリー型の組織を作らないことである。イメージとしては、ジャガイモのように根でつながり一つ一つが自己増殖できるスタイルが良い。そのために必要なことは、情報が共有されていること、決定に際しての参加を可能にすることであるとの意見があった。また、組織をヒエラルヒー型にせず、ミッションを求心力に、自由と自発をエネルギーにした演出と経営ができたNPOが生き残っていくとの意見もあった。
○ 青年が社会体験をする機会が欠如していることについては、無理強いはせず、体験の機会が与えられることが必要であるとの意見が述べられた。
○ 公益法人等の制度改革の在り方については、自由で活発な民間非営利活動を育成するとの長期的観点から、十分な国民的議論を踏まえて行われるべきであり、主務官庁の認可主義を本旨とする現行の公益法人制度を準則主義に切り替え、新たな法人制度においても、非課税の原則を貫くべきであるとの意見が述べられた。また、税制については、不動産に対する寄附の免税措置を求める意見もあった。
○ 公益法人とNPOとの本質的な相違については、公益法人に対する寄附行為には税制上の優遇措置が講じられるが、NPOでは、一万を超える中で現在九団体ぐらいしかない認定NPO法人でなければ、公益法人と同様の税制上の優遇措置が講じられないという点で異なっているとの意見が述べられた。
二年目のサブテーマ「国民意識の変化に応じた新たなライフスタイル」について、関係省庁に対して質疑を行った。
その質疑の概要は次のとおりである。
○ 国土交通省の観光に対する取組や自治体等との連携については、昨年十二月にグローバル観光戦略をまとめた。また、観光立国懇談会の報告書がまとめられ、五月に関係閣僚会議が開かれ、国土交通大臣が中心になり、七月中にアクションプログラムを策定することになっている。さらに、国土交通省としては、観光施策を推進する上で地方公共団体や有識者の意見を聴きながら政策を立案、推進しているとの答弁があった。
○ 地域の個性を尊重した観光振興策については、外国の人に多く来てもらうには日本の町を美しくすることが重要である。そのため、日本の伝統と個性をいかした町づくりを都市計画の中で考えている。例えば、歴史的な風土や建造物の保護、保存、修復などあるいは古い建造物の保存と再開発との調和を考えた都市計画の推進などである。また、検討中の美しい国づくり政策大綱の中では、公共事業の進め方、景観の在り方などについて公共団体、住民、NPO等との具体的な連携策を検討しているとの答弁があった。
○ 国益を考えた観光業を振興していく際の行政の取組については、海外からの客を二〇二〇年までに現在の二倍にする戦略を立てている。例えば、外国人観光客に対しては、入国手続の問題、観光地での案内標識問題、通訳の能力問題等様々な観点からグローバルな観光戦略を立て、政府としても観光立国関係閣僚会議を設け取り組んでいるとの答弁があった。
○ 市町村合併の一つの目的として地域の活性化があるが、市町村合併施策の中での過疎化や人口流出問題に対するソフト面での支援策については、少子高齢化の中で過疎的な地域の活性化を図ることは大きな課題である。活性化のためには雇用の増大につながるような産業おこしが必要であるが、合併においても活性化の観点からも対応を願っている。具体的には、地域審議会を設けて検討してもらう。旧市町村単位に基金を設けて地域おこしや伝統行事の維持復活ができるようにする。また、合併を契機とした町づくりなどにも交付税などの財政措置も行っているとの答弁があった。
○ 高齢者の医療費抑制のための各省庁の横断的な取組については、積極的な健康増進あるいは疾病予防に重点を置いた取組が重要である。健康増進については、厚生労働行政分野における健康増進対策のほか、学校保健対策、ウォーキングロード整備などの町づくり対策、森林等自然環境の利用促進対策など関係行政分野・機関と連携を取って推進していく必要がある。例えば、農水省と国土交通省が連携して都市と農山漁村の健康増進の情報発信・実践支援ネットワーク事業等も実施しているとの答弁があった。
○ 都市と農山漁村の交流推進のための各省庁の横断的取組については、都市と農山漁村との共生・対流は新しいライフスタイルを作り、ゆとりある国民生活を実現する上で重要な取組である。農水省はじめ関係府省と連携を取り、地方自治体、民間企業、NPO等とも連携していく必要がある。昨年九月副大臣会議の下に都市と農山漁村の共生・対流に関するプロジェクトチームを作り、その成果として、関連情報を伝えるホームページを立ち上げるとともに民間主体の推進組織を設ける方向で進んでいるとの答弁があった。
○ 個の確立を促す教育を行うに際して、どのような規律の導入を考えているかについては、個性を伸ばし社会性を培っていくことを学校教育の中で重視しながら取組を進めている。これまでは道徳の授業で、個としての基本的な生活習慣、社会的な規範意識を培ってきたが、これからは座学中心の道徳教育でなく体験的な集団活動の中で子供たちの個性と同時に社会性を培うような、道徳教育を推進していきたいとの答弁があった。
○ 政府のNPOに対する支援策については、NPO活動は行政でも営利企業でもなく第三番目のプレーヤーとして、国民の多様なニーズにこたえる存在で今後重要な役割を果たしていくとの認識が示された。NPOに対する支援としては、昨年のNPO法の改正により、活動分野の拡大、法人格取得手続の簡素化が行われた。また、税制面でも寄附者優遇制度の要件緩和、みなし寄附金制度の導入などNPO活動を支援する体制を作ってきており、今後一層制度の定着を図り、NPO活動が活発に行われるような環境づくりに努めたいとの答弁があった。
○ 教育分野に関する構造改革特区構想の現況については、第二次提案募集総数六百五十一件のうち約四分の一の百四十件が教育関連であることから、教育特区の推進により構造改革を進めようとする意欲と期待の大きい分野であることが分かる。こうしたことから、人材育成や不登校児童生徒等に多様な教育を提供するために、株式会社、NPO法人による学校設置の容認やNPO法人等による学校設置のための要件の緩和などが実現した。このように構造改革特区は地域のニーズや教育を受ける側のニーズに応じた多様な教育を可能にするものであるとの答弁があった。
○ 教育の地方分権の推進方策については、学級編制の弾力化、教育課程の基準の弾力化など地方の自由度や学校の自主・自律を高め、自己責任による学校経営の推進など従来から地方分権を積極的に推進してきた。同時に教育の機会均等、教育水準の維持向上についても国としての最終責任を持たなければならないので、義務教育の円滑な実施のため国と都道府県、市町村が協力しながら初等中等教育の円滑な実施に努めていきたいとの答弁があった。
○ 公益法人の公益性の判断基準については、現行制度は法人格の取得と公益性の判断が一体となっておりその弊害が指摘されているが、公益法人制度改革の議論の中では、法人格の取得と公益性の判断を切り離す制度の創設の方向で検討している。また、現行制度では公益性の明確な定義は無いが、改革後の公益性の判断については客観的で明確な基準を設定することを検討している。この基準は時代や社会状況の変化に応じて見直していくことも適当であるとの答弁があった。
○ 公益法人制度改革における民間非営利活動の促進策については、民間非営利活動を我が国経済社会システムの中で積極的に位置付けていくことは重要な課題であり、基本的理念と認識している。この理念の下、簡便な法人格の取得のため登記すれば法人を設立できる準則主義の導入を検討しているとの答弁があった。
○ 公益法人制度改革により民間非営利活動の促進を行った際の政策効果の評価方法については、NPO関連の施策を推進するに当たって、今回の制度改正の使用実態を把握することが必要である。そのため、NPOの支援組織との連携等によりその実態把握に努めたいとの答弁があった。
○ 導入から三年が経過した介護保険制度の実施状況については、第一号被保険者数は、二〇〇三年二月に二千三百八十五万人と導入当初に比べて一〇%の増加、同時期の要介護認定者数は三百四十万人で五六%増加したが、全体では要介護度の低い人が増加している。また、サービスの利用者数は、二〇〇二年十二月に二百六十六万人で七八%の増加となっている。内訳は施設サービスが七十一万人で三八%の増加、在宅サービスが九七万人で一〇〇%増加しているとの答弁があった。
○ 特別養護老人ホームの待機者数については、複数の施設への申込みが自由にできること、特別養護老人ホームへの入所希望者がかなり多いこと等の要因があり、全国的な待機者数の調査は行っていないとの答弁があった。
○ 要介護者のすべてが施設介護の申請、入所の権利を有する介護保険制度において、入所者のランク付けを行う新たな入所基準を導入したことは、介護保険制度をゆがめるものとの意見については、介護保険制度では複数の入所申込みや予約的申込みが多くなったことから、入所の順番をどのように考えるかが議論となり、施設の人員、運営等の基準の見直しについて社会保障審議会に諮問し、答申を得た。その結果、優先度に応じた施設への優先入所を制度化することとし、その際に不公平な取扱いにならないよう課長通達としてガイドラインを示したとの答弁があった。
○ 厚生労働省が進める子育て支援事業としての学童保育と各自治体が進める全児童対策との違い及び仕事と子育ての両立支援方針の閣議決定に基づく厚生労働省の学童保育への取組については、子育て支援事業の学童保育は放課後児童クラブとして、児童福祉法の規定に基づき予算措置を講じて推進している一方、各自治体の全児童対策は、それぞれの自治体の自主的な判断で行っているものである。また、仕事と子育ての両立支援の閣議決定は放課後児童の居場所の確保や受入態勢の拡充計画であるが、閣議決定の一万五千箇所を現時点の整備目標として、十六年度までに達成するよう努力しているとの答弁があった。
○ 放課後児童健全育成事業への国庫補助の行い方及び同事業と放課後児童クラブ事業での部屋の使い方についての現場からの疑問の声については、放課後児童健全育成事業に補助する場合、まず放課後児童クラブ事業として施設整備を行い、育成事業の要件を満たしている部分に限り補助を行っている。また、放課後児童健全育成事業は、児童福祉法に規定があるので、政令に基づき事業実施要領を定めて補助事業を行っているが、事業そのものは社会福祉法に基づいて地方が自治事務の中で直接行っている事業であり、政府が指導監督する位置付けとなっていない。ただし、不適正なことがあれば政府としても対応するが、自治体に対しては適切な対応を願いたいとの答弁があった。
○ 放課後児童クラブにおけるスタッフに対する安全確保、健康保持等への指導状況については、各自治体に対して児童の安全管理、生活指導、遊びの指導等に関して放課後児童指導員の計画的な研修の実施をお願いしているとの答弁があった。
○ 待機児童数の計算における二重の定義については、平成十三年の待機児童ゼロ作戦の閣議決定以降、待機児童の計算を新しい方式に改めたが、従来の計算方法との違いは、保育ママ等の保育所以外の自治体単独事業に入っている児童や、近くに入所可能な保育所があっても他の特定の保育所への入所を希望するなど私的な理由からどこにも入所していない児童を計算上除外しているところにあるとの答弁があった。
○ 公立保育所の民営化計画などが出されているが、今後の公立保育所の役割については、これまで公立保育所は保育サービスの提供に一定の役割を果たしてきたが、多様な保育需要に対応するための延長保育や休日保育等への対応が私立保育所と比較して十分でなかったこと、あるいはコスト面でも割高である等の指摘がなされ、先般公有財産の貸付等のいわゆる公設民営等で対応すること等を盛り込んだ児童福祉法の改正が行われたところである。今後とも民間で取組が進まない分野があれば特色ある保育所を目指していくことが望ましいとの答弁があった。
○ 急速に進む少子高齢社会に適合が困難になりつつある年金制度の再構築については、第一に、将来世代の年金制度への不安解消、第二に少子化、経済情勢等に柔軟な制度の構築、第三に将来世代の保険料水準が過大にならないことを考え、現在検討中である。こうした点を踏まえ、以下のような検討を行っている。一点目は、短時間労働者への厚生年金適用を拡大するかどうかであるが、拡大すれば本人及び事業主の保険料負担が増加し、理解を得る必要があることである。二点目は、第三号被保険者の問題である。これについては、基礎年金に加え報酬比例部分についても年金権を分割してはどうか、本人にも保険料負担をしてもらってはどうか、また、負担をしないのであれば基礎年金を若干減額することは考えられないか、さらに短時間労働者への適用拡大を進めることで第三号被保険者の数を縮小してはどうかという観点から検討しているが、現時点ではその方向性を述べる段階にはないとの答弁があった。
○ 新しい年金制度を構築するに当たっての税制の在り方等については、今の年金受給者と将来の年金受給者との間で負担と給付に大きな落差があり、この問題をどうするのかなど大きな課題がある。基礎年金の国庫負担二分の一の問題は、平成十六年度までの間に安定した財源を確保し、給付水準、財政方式を含めてその在り方を幅広く検討することとなっているので、まず、年金制度について政府部内でもきちんと議論を交わしその基本的仕組み等を幅広く検討することが必要である。また、税制については税制調査会で中長期的視点から、第一に各種控除の簡素化、集約化、第二に個々人の自由な選択に介入しないよう税制を中立的なものにすること、第三に税の空洞化と言われる現象を是正するために課税ベースを拡大する方向で控除を見直すこと、の三つの観点から見直しが行われたところである。引き続き、高齢化に伴う公的サービスの増大が予想される中で安定的な歳入確保という観点から議論を深め、対応していきたいとの答弁があった。
○ 現在進められている市町村合併については、地方分権及び地方自治確立の観点からも、市町村が住民に身近な行政主体として十分な権限と財源を持つことが必要である。また、ナショナルミニマムの見直しや国と地方の役割分担の明確化とともに、国の地方への関与の縮小、地方の権限と責任の拡大が重要である。本年六月を目途に改革案を取りまとめることとしており、国庫補助負担金、地方交付税、税源移譲を含む税源配分について三位一体で検討が行われているところであるとの答弁があった。
戦後の約半世紀を振り返ると、我が国は物質面、経済面で世界のトップレベルに到達できたが、多くの人々は仕事に追われ、生きがいや心のゆとりを感じて心豊かに暮らしているとは言い難い。さらに、少子高齢化社会を迎え、自分の老後に対する不安がぬぐえない。
これまでの経済的な豊かさを維持発展させつつ、ゆとりと生きがいを持って生活できる社会を構築していかなければならないが、多くの課題が山積している。
まず認識を要するのは、我が国の人口が間もなくピークを迎え、少子高齢社会が一段と進んでいくことである。年金や医療、介護といった社会保障の基本的仕組みは維持しつつ、高齢者、若年者にとって安心でき、持続可能な仕組みに改革していかなくてはならない。年金については、必要最小限の給付水準を保障しつつ、若年世代に過度な負担にならないような適切なシステム作りが必要である。医療については、一般物価が低下する一方で、高齢者層の医療費単価が年々上昇していることが問題である。年金や医療、介護の費用負担を考慮した場合、年齢や性別に関係なく、働くことができる者に働く場を提供することが社会保障給付の抑制になり、高齢者や女性の生きがいにもつながろう。
社会システムの見直しとともに、生き方や生活スタイル、意識を変えていかなくてはならない。女性も多様なライフスタイルを選択できる社会にすることが重要であり、雇用形態はフルタイムもパートタイムもあり、職場や職業も個人の選択や社会の変化に応じて異動することが当然の社会となってくるだろう。
働き方を中心としたライフスタイル、意識の変化に応じて、ボランティアやNPO活動をしたい人々の増加は望ましいが、本当のボランティアは決して義務や強制でなく、やりたい人が自由にやれるところに意味があり、自由にできる仕組みや、それを支援する行財政上の措置を考えていくことも重要であろう。
そして、人間が社会的存在であるという自覚を持たせ、社会や他人のために何かを行うことを奨励し、自分の行動に責任を持たせる教育が必要である。
バブル崩壊から十年余の今日、二十一世紀の日本が元気を取り戻し、再び活力に満ちた社会になるためには、まず企業に元気を出してもらわなければならない。日本人が本気になって能力を発揮すれば、必ずや道は開けてくるものと信じている。
申し上げたいことの一点目は、今後は共働きが普通の時代になるので、これを前提とした社会環境づくりを早急に進めていかなければならないことである。保育施設等の整備が必要であるのは当然であるが、最も大事なものはパート労働を安価な労働力としてでなく、一つの就労形態として尊重すると同時に、法的に保護していくことである。具体的には、同一労働同一賃金の実施、パートに対する社会保障制度の整備等の法的対応が必要である。
二点目は、ゆとりある就労形態と生産性維持という一見相反する二つをいかに両立していくかである。スウェーデン、フィンランド等の諸国は、ゆとりある就労形態と生産性維持の両立を実現している。これらの諸国では、個を大切にするには、ゆとりの時間を作るとともに、創造性ある仕事に能力を活用することが必要であり、これを可能にするためには、ITを徹底的に活用していくことが重要であるという結論にたどり着いた。このようにITを活用すれば、ゆとりある就労形態と生産性維持の両立を図ることができる。
さらに、豊かさを実感するためには、仕事に生きがいを感じられることが不可欠である。多くの若者は就職先をイメージで決め、イメージとの違いから早期に退職してしまう。しかし、大事なのはイメージではなく、入社前に業務を経験してみることが労使双方にとっても大切である。そこで、一か月間程度のトライアル雇用に対して国が補助金を出し、その間、雇用側は雇われた若者の能力を確認し、その若者も自分の仕事としていけるか確認していくという施策を展開することを提案したい。
最後に、本調査会は最終年に入るので、豊かさを実感できるようにするため、諸外国の実例も参考にしながら、法整備も含めどのような施策が必要なのか具体的な検討に着手していくべきである。
今、私たち人類に課せられた大命題は生命を尊厳する社会の構築であり、生命の尊厳をあらゆるライフスタイルの基調に置くべきである。
いかなる国も国際化の波を避けられず、世界は相互依存を強めている。我々は地球共同体の一員であることを認識し、人類益、地球益としての正義と平和の確立に努力すべきである。しかし、日本社会はエゴが横行し、他者の存在や生命を軽視するライフスタイルのもたらす犯罪により社会不安が増加し、環境汚染が日常化するなど、人為的な愚かな社会の中であえいでいる。若者の傍若無人な行為や嘆かわしい状況で満ちているが、子供は大人社会の投影であり、律すべきは大人の倫理である。
日本は高齢化・少子化の真っただ中にあり、高齢者や障害者への福祉を優先する施策、高齢者の心を大切にする町づくりを国民的視点とすべきである。深刻さを増す少子化問題では、長期展望とビジョンの上に立った新たなライフスタイルに対する施策の提供と実践が求められる。
最近の教育問題では五四制、中高一貫制など制度変革が流行のようだが、教師の教育観を転換し、教師が子供にかかわる技能を向上させることで教育を変える、教育改革は教員からとの視点が望まれる。また、国民意識の変化では青少年育成の明確な指針がかぎとなる。若者には阪神大震災でのボランティア活動等すばらしい資質があり、将来に大きな希望を感じている。人の心をいかに改善、開拓し、国際化に即応できるよう育成するかが新たなライフスタイルの回答を得る方程式である。
我が国が直面する利己主義と生命軽視の風潮、高齢化・少子化、国際化をいかに克服すべきかとのリーダーシップの発揮と人間性豊かなビジョンの提示、国際社会で信頼される国になるという態度を示せる日本人としての誇りと世界市民としての自覚を併せ持つ高邁な人格の涵養こそが国民意識の変化に応じたライフスタイルの形成につながる。
二十一世紀に生きる私たちが本当に幸せに生きていると実感できる豊かさとは何か。
ライフスタイルについては、二十一世紀の世界の流れを見ると、男女がともに仕事も家庭も両立できる新しい時代に向かっている。日本は、経済大国でありながら過労死や働き過ぎという問題があり、仕事と家庭生活のバランスを欠いている。また、女性のM字カーブや、出産、育児の多大な機会費用などは女性だけが負う問題ではなく、大きな社会問題であり、根本的改善が必要である。保育所、学童保育の抜本的拡充、男女の賃金格差の是正、育児休業手当の引上げ、育児時間が保障される職場環境の確立が急務である。男女の働く権利と子育ての権利が尊重される日本企業、子育て支援、労働時間の短縮、パートタイム労働者の権利保障、サービス残業の根絶など、雇用を守るルールのある日本社会でなければ国際的信用も得られない。
九〇年代以降、日本の財界が進めている規制緩和路線や現政権下で行われている不良債権の早期処理、リストラ、失業、雇用の流動化と社会保障の切捨て路線は、国民の願う真の豊かさとは逆方向になる危険性がある。海外視察の教訓からも、GDP(国内総生産)が日本より小さな国が男女とも十分余暇と家庭の団らんを楽しむなどの新しいライフスタイルを営んでおり、経済大国と言われる日本がゆとりある社会を実現できないはずがない。現在の総合デフレ対策の中心は不良債権処理の加速であり、地域経済に大きな打撃を与えている。規制緩和万能主義ではなく、国民生活や中小企業の営業を守るための民主的なルールを確立することが求められる。
次に、都市と農村の共生問題については、食料自給率を高め、農林漁業が成り立つように予算を重点的に価格保証に回すことが必要である。また、合併といった市町村の将来は住民投票で決めるなど、小さな村の大きな誇りを守ることがあってこそ真に豊かな都市、農山漁村の交流と共生の道が開ける。
次に、個の確立の実現のためには、教育、文化、芸術に関する予算を抜本的に増やすことが必要である。今大切なことは、教育基本法を改悪するのではなく、その精神を教育の立て直しにいかすことである。
最後に、NGO、NPOの発展は、これからの日本の自立した個人の豊かな生き方、青年、女性、高齢者の生き方に大きな希望をつなぐものであり、日本型の官指導のQUANGO(クワンゴ)の多い現状の改善、税制の改善も含めて民主的な日本社会を築く上で重要な課題である。
真に豊かな社会の構築には、人々の住む地域の活性化が不可欠である。私は、地域の活性化とは、まちづくりに主体的にかかわっていく人々の輪を広げることだと考えている。その意味において、現在、全国で一万以上と急速な広がりを見せているNPO活動に絞って意見を表明する。
行政に依存せず、地域の身近な問題を解決するには、NPOなどの存在が不可欠であり、その活動の場が広がることは、地域の活性化、ひいては豊かな社会の構築に資するものである。NPOは、営利企業より社会的サービスを供給する機能が強く、また、行政より多様な需要にきめ細かくかつ機動的に対応し得る。国や自治体に抜本的な行政改革が求められる中、いわゆる地域の第二市役所的機能を果たすようなNPOの存在、その広がりは正に時代の要請であると言えよう。特に介護などの医療・福祉分野において広がりを見せているが、今後は、ITや環境分野などへの更なる進出も期待され、また、雇用創出面においても大いに期待される。行政は、営利、非営利の境界線を設けることなく、活動の場がますます広がるような施策を取るべきであり、当然、活動の内容まで事細かに指導するようなことがあってはならない。立法府にいる我々も行政も、根本的にこの点において意識変革の必要がある。
NPO法人の多くは規模が小さく、経営基盤も脆弱である。収入源を見ると、我が国では寄附や助成金による収入が少ないので、寄附のインセンティブを高めるような税制改革が必要である。平成十三年十月から、一定の要件を満たすNPO法人に対して寄附をした個人や法人に寄附控除を認める新税制が始まった。しかし、要件が過度に厳しく、全体の約〇・一%しか認定を受けることができなかったため、本年四月からは要件の一部が緩和されることになったが、それでも認定されるNPO法人は全体の数%にとどまるとの見方が一般的である。こうした状況からも、経営基盤の強化が求められる一方、いまだ支援税制は不十分であり、抜本的な取組が必要である。
今後の調査会において、NPO及びNPO活動を巡る環境整備の問題をもう少し深く掘り下げて検討することを要望する。
○ デフレ不況と言われる中で、豊かさを実感できない理由は、雇用問題にある。働く人の人権が守られ、安心して働けることが真に豊かな社会である。
また、パートタイム労働者の均等待遇も含め、男女の賃金格差の是正、青年労働者の待遇改善が重要である。特に失業者の対策として、例えば、NPOに青年失業者が就労した場合には、国や自治体が助成するなど、各団体の自主性を損なわず就労の場を提供するなどの対応も必要である。
ゆとりと雇用という点では、異常なサービス残業、過労死を引き起こすような現状を国が規制し、対応していくことが必要である。国民の雇用や暮らしを守ることが、真に豊かさを実感できる社会である。
二年目の調査会においては、調査項目(「真に豊かな社会の構築」)に関して各種の意見や見解が表明された。これらの意見等を主要な論点と思われる事項について取りまとめて課題として整理すると以下のようになる。
なお、課題としてまとめた意見等は本調査会の結論として集約したものではない。これらの課題は、今後の議論を深めていく基礎となるものである。
我が国は経済大国となったにもかかわらず、国民が真の豊かさを感じることができていないといわれる。長引く不況による雇用不安、地域紛争、新たな感染症の発生、金融不安等々将来に対する不安を抱えて国民は、豊かさを感じることはできなくなっている。こうした状況の中で、今、これからの社会を真に豊かな社会とするために、何をすべきなのか。国民が真の豊かさを共有するために、何が必要なのかが問われている。そして、国民のライフスタイルがどのようになって行けばよいのか、将来社会に対するビジョンを示すことが大きな課題となっている。
真に豊かな社会を構築するには、個人の価値観に国家が介入しない、自己の確立こそ豊かさの原点であるという視点で社会をつくることが大事であるとの意見、まちづくりに主体的にかかわっていく人々の輪を広げることによる地域の活性化が不可欠であるとの見解、真に豊かな社会の姿については、安心感を実感できる社会、人権が守られ安心して働ける社会、学習意欲のある人がいつでも社会に参加でき、その成果が認められる生涯学習社会との見解が示された。また、真の豊かさについては、個人が自立できないと十分に豊かさを感じられない、職業人生とそれ以外の人生をうまく維持していくこと、社会に貢献しているという実感を持てること、自由な時間、空間が豊かにあり仕事も生きがいになること、家族・友人と仲良くして、自分の能力を社会でいかせること、隣人との意思の疎通が図られると自然と心は豊かになる等の意見があった。
地域の活性化を図るための課題の第一は、国から地方へ、官から民へ、あらゆる分野での分権の推進、第二は行政単位が自立的な機能を持つための市町村合併、第三は情報公開、政策評価等によって地域住民の意思や責任を反映させた政治、第四は教育のプロセスを通じた世代間交流の実施、第五は高齢者でも社会に貢献していると感じられるまちづくり、第六は自動車を運転できない高齢者でも歩いて暮らせるまちづくりへの転換である。また、まち全体のバリアフリー化、新しい公共交通手段の導入等によって、高齢者がショッピング、散策、人生を楽しめるスローソサエティーを支えるまちづくりが重要である。
構造改革特区はある地域で先行的に規制緩和を行い、地域特性をいかした多様な産業等を創出し、集積効果をあげるなどして、成功すれば全国に波及させていこうとするものであり、特区から成功事例が出てくれば他の地域等への大きな刺激になる。このように地域からの提案を最大限に尊重できる仕組みとして、特区は重要であるとの意見が出された。
一方、日本では分権、規制改革が遅々として進んでいないが、この打開策としての特区構想もセカンドベストにすぎない。地方が特区に失敗する危険もあるが、その場合、国は何も知らないというのでは問題であるとの意見があった。特区は地方を全国的な規制緩和の突破口や踏み台にするものであり、住民本位の地方自治という時代の流れに逆行している。また、規制緩和万能主義ではなく、国民生活や中小企業の営業を守るための規制を強化するなど、今の社会に合ったルールを確立することが求められるとの意見もあった。
構造改革特区の運用上の課題は、第一にどのような基準で特区を選ぶか、第二に成功事例の全国への波及、多様な産業等の集積という特区の二つの理念が必ずしも両立しないという懸念があること、第三にどの地方自治体も特区の申請が可能であるなら、なぜ全国レベルで早期に実施できないか、第四にある地域のアイデアが他の地域でも利用できるなら、新たなアイデアを出す地域のインセンティブが無くなってしまうこと、第五に特区の成否は地方がどれだけ独創的なアイデアを出せるかに懸かっていること、第六に特区についての議論と同時に、全国的な規制改革についての議論も更に深めることである。
医療、教育、農業への株式会社の参入問題については、例えば医療では患者のためになる経営が期待できることであるが、株式会社だから無責任であるという考え方を改め、多くの先駆的なアイデアが出てくる仕組みとして株式会社形態を考える必要がある。ただし、医療等への株式会社の参入を認めるに当たって、安全性等を確保するための最低基準を設けることは当然であるとの意見があった。一方、経営が厳しく撤退の相次ぐ小児科や救急医療で事故まで起きている現状を踏まえて、医療等の分野への株式会社の参入を認める場合の弊害や、住民の福祉、健康、安全を守るという地方自治体の責任を懸念する指摘もあった。
コミュニティービジネスは地域の問題点をビジネスにしていこうとするものであるが、その活動を支えていくために、財政支援、税制面での優遇、ファイナンス手段の拡充等の支援が必要である。コミュニティービジネスの担い手である事業型NPOの最大のネックは、市町村からの委託事業が課税対象になるなど経理が複雑化する問題である。コミュニティービジネス等が福祉関連事業に取り組んでいるというだけで補助金を受給できる制度は好ましくないとの意見も出された。
コミュニティー活動において、資金調達力は大きな問題であるが、コミュニティー活動に対し、金融機関から支援が得られるような仕組みを行政が作ることが望ましいとの意見がある一方、市民バンクのようなものも生まれており、行政の過剰な介入は求めるべきでないとの意見もあった。
一九九〇年代のアメリカでは、経済活性化のリーダー役がITで、サービス産業が雇用の拡大を担ってきた。しかし、日本では、サービス産業で規制が残っており、雇用を増やす障害となっている。このため、例えば、医療を産業としてとらえて、どうすれば国民のニーズを満たしていけるかという観点から、規制を思い切って緩和していくことがまず必要であるとの意見があった。一方、行政や企業が発想を転換すれば、製造業でも雇用を拡大する余地がある。雇用の安定のためには、企業がカバーすることも大事だが、コミュニティービジネス、NPOを確立することも課題である。
青年の就職難の問題には、経済再活性化や雇用ルールの確立のほか、無料の職業訓練、訓練中の手当支給等の緊急対策が必要である。就職できない若者については、職業訓練だけでなく、職業紹介事業、訓練を受けて一人前になるまでの間の生活保障までも含む総合的な職業訓練の仕組みを作り、更に多くの資金を投入していく必要がある。自発的に失業する青年については、介護や看護、教育の現場に意義を感じている者が多く、今後は非製造業、サービス業など青年たちが求める新しいタイプの職場を提供していくことが重要である。また、例えば、青年失業者がNPOの職に就いた場合、国や自治体が助成するなど、各団体の自主性を損なわないようにしつつ、働ける場を提供するなどの対応も必要である。若者の労働に関する意欲や価値観が豊かさゆえに低下しているため、教育、コミュニティーの在り方が問われている。
最近の国民意識を見ると、公助、共助に頼り、自助が薄れているので、個々人が自助の重要性を自覚するよう国民意識を改革していくことが必要であるとの意見がある一方、国民意識を変えるのは簡単ではないが、このまま自助中心の社会に変わると、住みにくい社会になってしまうので、公助と自助の間を埋める共助システムの構築を促すことが必要である。その方法として、コミュニティーの運営経費を寄附や会費で賄う際の税制面での優遇や、補助金の支給などが必要であるとの意見があった。
多様なライフスタイルを可能にする働き方のためには、第一に、これからの社会では労働において賃金と同様に時間が重要であり、ワーク・ライフ・バランスを可能にする労働時間・生活時間のため、男性が専ら会社で働いて女性が育児をするという男女間の偏った時間配分を再配分していく必要がある。第二に、最近は結婚しない、子供を持たないライフスタイルを選ぶ人も多いので、あらゆるライフスタイルの労働者の仕事と家庭の両立ができるよう、育児・介護休業のみならずすべての人のワーク・ライフ・バランスを可能にするような職業やライフコースへの支援が必要である。また、これからは働くことの意味、定義を広く解釈し、企業で働くことだけでなくNPO活動のように社会のために働くということも評価していく必要がある。
家族的責任を持つ労働者の権利として、育児や介護をしている労働者もそうではない者と同じように処遇すべきである。また、日本では労働時間が長く、国際的に見て働き過ぎという問題があり、仕事と家庭生活のバランスを欠くと指摘されており、仕事と家庭生活の調和という視点が必要である。
また、従来仕事と家庭の両立は企業にとって戦力ではない女性の問題とされたが、女性が男性同様の役割を与えられるようになると、女性の能力を活用するため、企業は女性の働きやすさを追求していく必要がある。そのため、性差に関係なく能力、人材をいかそうとすれば、企業は両立問題に着目するはずであるとの見解が示された。
さらに、仕事と家庭の両立は母親だけの問題ではなく両親の問題である。現在、企業も行政も両立政策は母親支援の部分が多いが、男性が家庭責任を果たせるような政策や制度を取らない限りは、保育や育児休業を充実させても少子化は止まらないとの意見があった。
日本の組織では、仕事の結果さえ出せばよいというのではなく、互いの顔を見ていないと信用できず、顔を合わせることで働くことを実感する見方がある。結果評価の仕組みができていないので、いかに仕事の効率性を高めるかという発想が無い体質が日本企業に残っていることや、他の人と違うことを不安に感じる横並びの意識が管理者にも従業員にもあることがワーク・ライフ・バランスの阻害要因となっている。また、労働基準法等の規制により柔軟な働き方の導入が不可能なことがあり、企業が選択肢を用意して社員が自己責任の下に効率の高い働き方を選択できるように規制を外す必要があるとの意見があった。
現在、企業においてワーク・ライフ・バランスを考慮した働き方の見直しは活発でないが、働き方を整備する上での国や企業の役割としては、個人個人のライフスタイルや実情に合わせた働き方の仕組みをつくっていくことが必要である。男女の働く権利と子育ての権利が尊重される企業、子育て支援、労働時間の短縮、パートタイム労働者の権利保障、サービス残業の根絶など、雇用を守るルールのある日本社会でなければ国際的信用も得られないとの意見があった。
また、企業は、仕事のやり方を見直して柔軟な働き方を導入、推進し、評価制度や時間に対する意識を見直す必要があり、国も世界的に特殊な日本男性の労働時間を短くして八時間に近づけるなど働き方のグローバル化を促進すべきである。さらに、会社でひたすら働き、引退後は急に労働時間が減るという典型的なライフコースが徐々に崩れているが、ライフコースにおいて時間を再配分する政策も求められるとの意見があった。
パートタイム労働に対する均等待遇については、同質の仕事で責任も同じであるなら時間当たりの給与が少ないのは認められないとの見解が示された。
一方、不況下で均等待遇だけを進めると企業のコストが高くなり中小企業は倒産につながるおそれがある。正規雇用を基準とした賃金体系を変え、家族手当等の生活給の部分を廃止することも必要であるとの意見があった。
また、企業の体力が落ちている中、男性も例えば年功制から業績給へと賃金体系が変わることは確実である。しかし、格差の無いパートタイム労働を実現し、働きたい人に働く機会を提供できれば、共働きだがワーク・ライフ・バランスのとれた働き方になる。男性の賃金が下がっても配偶者が積極的に労働システムに参加できる賃金体系であれば世帯全体にはプラスになることもあるとの見解が示された。
今後は共働きが普通の時代になるので、これを前提とした社会環境づくりを早急に進めていかなければならない。パートタイム労働を一つの就労形態として尊重し、同一労働同一賃金の実施、パートタイムに対する社会保障制度の整備等が必要であるとの意見もあった。
労働形態の変革は必要であるが、地域社会には日本の伝統的な心の豊かさを感じる家族のぬくもりや親子のきずながある。この心の豊かさを実感し、守っていくようなことを前提に労働形態の変革を行う必要があるとの意見があった。一方、アジアの国々も家族を大切にしながらも個を確立した形で役割分担すべきは分担する仕組みができている。これに対して日本は、男は外、女は中という既成概念にとらわれ、役割分担がうまくいっていない。既成概念を取り払い、個を重視しながら適切な仕組みをつくっていく必要があるとの意見があった。
新しいグローバル化社会に対応し、日本企業が国際競争力を保っていけるような労働市場にするために、企業が新しい仕組みを構築できるようなインセンティブを与える政策・法的整備が必要であるとの意見があった。
今後の社会において女性労働の在り方は一つのかぎとなる。日本の場合女性の就業率に関するM字カーブは急カーブを描き世界的にも特異であるが、その中で問題なのは、いったん退職するとパートタイムの仕事しかなく、優秀な人でも正社員として復職できないことであるとの意見がある一方、多くの人が働けるようにすることは大事であるが、一時期働かない選択を認めることも大切で、多様な働き方とは働くか働かないかも含め個人の選択とすべきであり、そのことも多様なライフスタイルの一つであるとの意見があった。
また、海外の働く母親はこの不確実性の時代に夫の失業等の危険に備えて働いている例が多く、働きやすい環境を企業も国も整備することが重要であるとの意見があった。
日本の場合女性の出産、育児に伴う機会費用が非常に高額であるため、出産のために仕事をやめる決断がしにくく、出産をしづらい。また、M字カーブや出産、育児の機会費用などは女性だけが負う問題ではなく、改善が必要である。保育所、学童保育の抜本的拡充、男女の賃金格差の是正、育児休業手当の引上げ、育児時間が保障される職場環境の確立が必要であるとの意見もあった。
一方、子供を産まないのは機会費用が大き過ぎるからではなく、育児をしながら仕事を続けられるかどうかの不安から出産時期が遅れるケースが多いことによる。また、企業の立場からはノーワーク・ノーペイは当然であり、国の補助は必要であっても企業が給与を支給する仕組みは困難であるとの意見があった。
男女共同参画社会ではファミリーフレンドリー企業が重視されているが、子供の権利を守り、子供を大事にするチャイルドフレンドリー企業という観点で社会を整備していけば更に進んだ社会となる。チャイルドフレンドリーということは企業ではなく地域などで行うべきであり、地域で子供をいかに育てていくかは重要な課題である。
多くの若者が就職しても早期に退職してしまう傾向があるが、早期退職を減らしていくためにも、入社前に一か月間程度のトライアル雇用を経験することが労使双方にとって大切である。こうしたトライアル雇用によって、雇用側は若者の能力を確認し、若者もその仕事を確認することが可能になるが、このトライアル雇用に対して国が補助金を出すことも考えられるとの意見があった。
都市と農山漁村との交流の前提として、農山漁村の住民の生活を支援していくことは大切であるが、その際、自治体がその地域の特徴をよりいかして支援することで、豊かな環境を守っていくということが重要である。
自治体が当該地域住民のニーズに即して政策を立案し、それを実施していくという第一義的な責任を負うのは当然であるが、その前提として、地域住民と自治体との間に、問題認識を共有するだけの信頼関係が構築されていることが望まれる。
官、企業、民間非営利的な地域集団等がコラボレーション(協働)を進める場合、行政は事業を行う団体を活動計画に即して審議し、仮に失敗をしても、社会的実験と位置付けて引き続き団体の活動を支援するという形が望ましい。そうすることによって、草の根の住民の動きが様々な形で展開する可能性がある。
また、行政には、市町村合併に伴い交流振興に影響を受ける地域や広域的な活動を行う団体にも対応できるよう、ローカル・アクション・グループに対して契約を行いながら支援していくような新たな仕組みを考えてもらいたいとの意見があった。
一方、合併といった市町村の将来は住民投票で決めるなど、小さな村の大きな誇りを守ることがあってこそ真に豊かな都市、農山漁村の交流と共生の道が開けるとの見解も示された。
都市と農村との交流を進める場合、農村では閉鎖的な傾向が強いため、市町村が何らかの役割を果たさなければ農村側が受け止めにくいという状況がある。
したがって、都市の人が農村で利用できる農地や住む場所の確保といった最小限のことは、市町村が間に入る形で制度化することが望まれる。
都市と農山漁村の交流については新たな動きが展開されているが、現行の地域政策上、様々な問題点をいまだに抱えている。今後は、(1)農業の多面的機能論における費用負担原則の論議、(2)省庁の横断的規制緩和による地域活動の活発化と相乗効果を誘発する手法の展開、(3)新しいマネジメントをする組織の育成などに取り組む必要がある。
従来型の公共事業には、無駄が多いといった批判があるが、最大の欠点は、ソフト活動に関する構想が抜け落ち、物づくりだけに終わっていることである。
したがって、今後の農村等における公共事業では、「道の駅」でみられるように、社会的な人間・信頼関係を育成していくことを考えていく必要がある。
また、地方が補助金によって設備を整えたとしても、一律的で魅力が無いので、個性を発揮するものに対して支援するような仕組みに変える必要がある。
都市と農山漁村の交流を深める理由は、互いの価値観の違いを認め合い、自然環境を守り、農林漁業を守ることで都会の生活を守り、お互いが共存し合っていることを認識するためである。また、人間にとって、様々な価値観を持った人たちと暮らすことは大事であり、それが交流の一つの原点である。
しかしながら、従来から、違いを持つ人たち同士の交流、世代間交流等ができないような規制がなされているためニーズに合わなくなってきており、そのような規制は撤廃する必要がある。一方で、田舎の持つ魅力を無くさないよう、逆に規制が必要な場合もある。
農村や中山間地域では様々な規制が存在し、都市と農山村の交流の障害になっているが、従来の原則規制、一部自由という形を見直し、原則自由、一部規制にすべきであるとの意見があった。
都市と農山漁村との共生対流を促進するため、様々な角度からの検討がなされているが、受入側である地方サイドの取組(引く力)については、様々な試みがなされながら、ほとんどが失敗したり有効に働いていない。一方で、都市部サイドの取組(押す力)を有効に働かせる方策を模索する動きがある。
都市と農山漁村との共生対流を促すためには、農村政策と他の都市政策や国家政策との接合点を更に詰める必要があるとの意見、長期休暇制度、滞在中の過ごし方に関する議論、農山村のかかわり方など入口の問題があるが、一方で、情報発信におけるコーディネーター機能や農業等に携わる若者を引き付けるだけの魅力ある個性を農山村が持つことも大事であるとの意見、健康や教育など様々な問題に関し、農村の方が解決できるというインセンティブができるよう工夫し支援していくことが、都市側の押す力にもつながり、大切であるとの意見があった。
農山漁村には、癒しを求めていく、あるいは積極的に自分たちが社会に対して何か貢献することで生きがいを見いだすという場がある。しかし、都会の人たちにそのような要望があっても、受入側の農山漁村の現場に関する情報が非常に乏しく、また、農山漁村の持つ多面的機能に関する国民の理解も十分でない。したがって、農山漁村の持つ多面的機能や文化も含めたすばらしい資源などを発信する情報ネットワーク作りは重要な課題である。
ただし、情報を作成するには、人間が心を込めて当該地域資源の価値を見付け出すという基礎的な作業が必要であるが、現状では決定的にそのための人材が欠けており、人材の発掘又は育成プログラムの作成がまずは重要な課題である。
農村では後継者問題が大きな課題となっているが、農村に若年世代を受け入れるための対応策として、農村の持つ魅力を磨き上げ、若者が持つ多様な関心にこたえられるような取組を活性化することが望まれる。若者に農山漁村を開放し、インキュベーションとして考えて応援すれば、若者が農山漁村を活用するのではないか。また、村に入ってきた若者が孤立しないよう、そういった若者のコミュニティーを根付かせる工夫、育成するための仕組みをどうするかが課題である。
農都共生対流の進展を図るため、インセンティブとして、(1)NPO法において農村都市共生対流を推進する分野を明記する、(2)農村都市双方においてコーディネーターを設置する、(3)農村都市双方に人の交流ができる拠点を作る、(4)都市と農村のコラボレーションで事業を進める、(5)市町村の協力を制度化するといったことを考えるべきである。また、現在の制度では、農村への公的資金(補助金)は、当該農村のある市町村内に投資範囲が限定されるため、例えば需要の多い都市部にファーマーズマーケットを作ろうとしても資金が使えない状況にあるが、このような仕組みについても見直す必要がある。
若年世代の生活や価値観は大きく変化しているが、それに伴う問題や課題がある。若い世代は、目標を決めるまでの迷いから、閉塞感のある社会に出ないための選択(留学、大学院入学、資格取得、フリーター等)を行っているが、(1)根拠の無い自信との決別、(2)迷いの時期の制度的容認、(3)社会経験や失敗を評価する仕組みが必要である。一方、明確な目標を持っている人(専門職、職人、農林漁業、アーティスト等)は、現在の社会システムの中でも努力しているが、(1)トライアルできる入門の仕組み、(2)多様な就業形態の担保、(3)経済的に難しい分野でも産業化することが必要であるとの意見が述べられた。
教育あるいは学習の最終目標は、各人が自立した判断力を持てるような個を確立すること、すなわちアイデンティティーの確立と社会の中で自立的な判断力を持てるようにすることである。しかし、今日の社会、教育環境は個の確立を促すものとはなっていない。今日の二十歳前後世代は、自ら決め、自らの責任で行動する人が少なく、また、自分たちで社会を作っていく意識が薄いという傾向が見られる。今後は、子供への過保護な状況を改め、子供の自立を促すような対応を考えていくことが必要であり、自分の意見を述べ、自分の責任で決定する自立した子供に育てていくためには、まず、家庭で親子が十分なコミュニケーションをとるようにしていくことが大切であるとの意見があった。
また、これからは、豊かな社会を実現していく豊かな子供像のために、教育、文化、芸術に関する予算を増やしていくことが必要であるとの意見もあった。
インターネット社会、大人と子供のボーダレス化した消費主義的な社会変化の中で、子供たちは自己決定、自己責任を取らざるを得ない社会に投げ込まれているという状況にある。我が国の子供たちの自己責任感を形成するためには、諸外国に比べると極端に低いセルフエスティームを高めることであり、あらゆる分野での子供参画を拡大し、自己決定させることが必要である。
個の時代において、個を尊重することは非常に大事であるが、同時に、個という存在と社会的な存在としての自覚をバランスさせることが重要である。
したがって、社会的な存在であることを若年世代に自覚させることが、今後の重要な課題であるが、そのためには、無理をしても社会が手を差し伸べている過保護な状況を見直し、若い人たちが社会に対して果たすべきこと又は貢献できることを行うという作業が必要であるとの意見があった。
ゆとり教育は、これまでの日本の教育が知識偏重に陥り、自ら考え、自ら問題を発見することに欠けているために、子供たちに考える力を育成する目的で導入されたものである。そのために設けられた総合学習の時間は突然の導入だったため、教師がこれに付いていけないという実態があるが、本当にマネジメントできる教師を一人でも増やしていくことが必要である。総合学習は非常にすばらしいアイデアであり、国としても今後一生懸命進めていくことが個の確立へと結び付いていくとの見解が示された。
学習意欲は個人によって出てくる時期が違うため、意欲が出た時点で学習することができ、また、遅くスタートした人がハンディキャップを背負わないようなシステムを作る必要がある。これが生涯学習社会であり、一刻も早く形成する必要がある。
学習面から個の確立を考えてみると、学習することを好きになることが大切であるが、学習意欲をどうやって持たせるかという観点からも、体験学習、参加型の授業を増やすことが重要である。
個の確立を妨げる教育の問題点として、受け身型の授業、問題解決型の重視、モラトリアム期間の不存在などが挙げられる。
教育面だけではなく、我が国の社会の仕組みそのものを変えなければ、知識を教え込む教育から自ら考える教育へ変換することができないのではないかとの意見があった。
現在、我が国は、制度的、経済的、社会の風潮として、母親も働かざるを得ない社会的状況にあるが、子供を中心にして仕事と家庭の両立が可能になるように社会を改善していく必要がある。
子育て中の母親が継続して仕事を続けたいときに、子育てに十分時間が取れるような働き方、また、子育てに専念したいときには、所得的にも保障されるような選択肢を用意することが重要であるとの意見があった。
一方、現在の母親が働かざるを得ない社会という前提そのものを変える必要があり、いわゆるM字型と言われている労働形態を可能にする方法、または、いわゆるワークシェアリングによる方法によって実現が可能であるとの意見があった。
我が国の教育施策にもっと国際的な視点を取り入れるべきである。
経験に基づいた確かな知識、情報にまどわされない判断力と価値基準を持つような教育を進めていかなければならない。
教育が危機的な状況に陥っている大きな原因の一つとして、学校と教師の権威が失墜してしまったことが挙げられる。親や関係者が、積極的に学校経営に参画し、人事権や運営も含めて、責任を共有し合えば新たな信頼や学校への権威が形成される。学校、家庭、地域社会などの教育主体が提携し、協力関係を構築していくことが大切である。
豊かに子供を育てるには、教師が豊かでないと実現不可能である。現場の教師は学校五日制の下、過重労働であり、教師が教師としての役割を果たせないような実態であるため、大幅に教員増を行うなどし、教師にゆとりを持たせる必要がある。また、地域社会への参加、ボランティア活動など、教師に対して市民的な生活をいかに保障するかがポイントであるが、学校機関の構造改革と同時に、教師の育成方法や在り方そのものを大きく見直していかなければ本質的には変わらない。我が国では、教師が社会経験を積む機会がほとんど無いなどの問題があるので、例えば産業界あるいは経済界と人事交流を行うなどして、教育者としての厚みを増していくような経験を積むことが必要であるとの意見があった。
さらに、現在の我が国の学級人数では教師が本当の教育ができないので、学力や生活に関して心豊かな教育を行うことができ、一人一人の個性の発見、お互いの個性を認め合った学級生活が送れるよう全国レベルで二十~二十五人学級を実施することが必要であるとの見解が示された。
最近、小中学校を五四制や中高一貫の制度をとる学校が多くなっているが、制度を変えれば教育が変わるかどうかは疑問であるとともに、詰め込み教育への逆行に拍車を掛けている面もある。教師の教育観を転換し、子供を教える技能の向上を図るなど、教育改革は教員改革からという視点が求められるとの意見があった。
地域、社会的モラルが崩壊している中で、すべての基本として、家庭教育をきちんと行う必要がある。
個の確立した子供を育てるためには、親の支援や教育とともに、学校現場の改革はもちろんのこと、社会がどのように家庭における教育や子育ての支援を行うのかが重要である。
バランスの取れた子供を育てていくためには、例えば父性と母性の提携、情操的、知能的な体験などをうまく組み合わせて与えることが大切である。それを具体的に家庭や学校教育の中でどのように保障していくかという観点が求められていくという意見もあった。
また、過剰な刺激を与えず、褒めたときや波の音などを聞くと脳科学的にいいという知見をいかして子育てにも応用していくことが必要であり、安心感の中の集中力や信頼に満ちた集団の中での刺激が重要であるとの見解が示された。
国際化、情報化の中で個人の生活も変化しており、メディアリテラシー教育の実践が課題である。過激なテレビ映像等は、子供に悪影響を及ぼすこともあるので、静止画像に切り替える等対応策も含めて報道の在り方を検討する必要がある。
また、先進国の中で学校教育にメディアリテラシーを取り入れていないのは我が国ぐらいであり、遅れている。放送界においては、メディアリテラシーを教育界と協力しながら実践しようとする姿勢もあるので、教育界もこれに対応していかなければならないとの見解が示された。
NPOは、行政でも営利企業でもない、国民の多様なニーズに的確にこたえることができる存在であると同時に、その活動に参加する個々人にとっても自己実現の意欲をいかせるシステムである。
こうした中で、我が国では、一般にNGOは国際協力をする非営利組織であり、NPOは足下の福祉、文化、芸術、教育その他の問題にかかわる組織であると理解されている。しかしながら、NPOとNGOは同じもの、あるいはNPOを大きな範疇での活動ととらえ、その中に国際協力もあるということが正しく理解されることが必要である。
我が国では、ボランティアが誤って解釈されており、他人を救うこと、奉仕すること、自己犠牲すること、安い労働力であることをボランティアと呼んだり、暇がある人、奇特な人、専門性は無いが善意の人をボランティアと意味付けている。しかしながら、ボランティア活動については、活動の機会を与えるが、義務付けはせず、活動を希望する人が活動できるようにすべきであり、青年が社会体験する機会の欠如に対しては、無理強いはせず、体験の機会が与えられることが必要である。
また、我が国社会において、真の意味のボランティア活動を妨げているのは、幼児の頃からの対応と、有償と無償との関係へのこだわりであるとの意見もあった。
NPOは、ノット・フォー・プロフィット・オーガニゼーションであって、プロフィットを得て構わないが、それを追求し、あるいは関係している人に配分するという組織ではなく、NPOをボランティア団体とする考え方は正しくないとの意見が述べられた。
また、良いNPO組織であるためには、多くのボランティアとともに、中心となる有給の人の存在が不可欠である。なお、NPO活動と収益については、ミッションとしてNPOが目的を達成することが最も重要であって、その結果として収益を得ることは問題でなく、社会的に必要なことを行えば利益が得られるとの意見もあった。
国際的なNGO活動を活発化させるためには、安全保障、保険の制度が重要である。既にフランスでは、こうした活動をする人向けに特別の保険制度が有るが、我が国には無い。物資を輸送するときの護衛などの問題もあり、こうした支援策も進めてほしいとの意見が述べられた。
NPOが新しい社会サービスの担い手になるような時期が到来している。財源が逼迫し行政サービスの提供が先細りしていかざるを得ない状況の中で、格差が拡大しないためには、小さな単位で社会サービスを提供する、自立した事業が多数誕生することが必要である。そして、今後、NPOは、行政に対してはコストパフォーマンスを、企業に対しては自発性、やりがいを教えていくとの意見が述べられた。
また、NPOの発展は、これからの日本の自立した個人の生き方、青年、女性、高齢者の生き方に大きな希望をつなぐものであり、地域の身近な問題解決にはNPO等の存在が不可欠であるとの意見があった。
今後の社会参加の在り方については、既に社会システムが存在して、各人がそれに参加するという考え方ではなく、一人一人がNPO、自らの問題を自らで解決していく一億総NPOの時代となって、その総和が国家であるとの意見が述べられた。
地域では自治体やNPOがリーダーシップ、イニシアチブを取り、新たに誕生する地域の経営者だけが次の社会を作り得るのであって、行政は、その関与を次第に縮小し、方向性だけを示すことが必要であり、また、地域に貢献する経営者の育成には、刺激を与え続けること、成功モデルを作ることが重要であるとの意見があった。
特定非営利活動法人とは、特定非営利活動促進法、いわゆるNPO法に基づく名称であるが、市民として非営利活動の実践者は皆、市民活動法人になることを希望しているので、名称の変更を求めたいとの意見が述べられた。
また、NPOの認定基準についても、我が国は過度に厳しいとの指摘があることから、これを緩和することが必要である。NPO法によって、NPOの活動分野は十七分野に限定されているが、分野を限定する必要はないとの意見があった。
政府や自治体とNPOとの関係については、まず政府が一定の枠を決め、それにNPOをはめ込むのではなく、NPOの市民性を確保するためにも、市民側の多様なアイデアや、市民の活動による成果に対して、財政的な支援等様々な支援を行うことが重要である。
また、行政は、営利、非営利の境界線を設けることなく、NPOの活動の場が広がるような施策を講ずべきである。
NPOが今後における民間非営利活動の中核的な存在になり、民間非営利活動を活発化することが、二十一世紀における豊かで柔軟な経済社会を構築する上で、大きな要素になる。NPOが継続的に活動し、組織の活性化を図るためには、ピラミッド型、あるいはクリスマスツリー型の組織を作らないことが重要である。有機的につながって、一つ一つが自己増殖できるスタイルがよく、そのためには、情報の共有、決定に際しての参加可能性が必要であるとの意見が述べられた。
また、NPOにおいては、ヒエラルヒー型の組織ではなく、ミッションを求心力に、自由と自発をエネルギーにした演出と経営が可能なものが生き残っていくとの意見があった。
今後、民間非営利活動を我が国経済社会システムの中で積極的に位置付けていくことが重要な課題であるが、これまで我が国の民間非営利活動の中心的役割を果たしてきたのは、公益法人である。公益法人等の制度改革は、自由で活発な民間非営利活動を育てていくという長期的な観点から行われるべきである。公益法人の公益性について、現行制度では不明確で客観性に欠けるため、公益性の判断基準が極めて重要であり、情報公開が欠かせない。いわゆる社会貢献性を認定する仕組みについて、客観的基準の法制化についても検討すべきとの意見があった。
また、中間法人は公益法人、特定非営利活動法人とは性格が異なるので別の法人類型とするとともに、特定非営利活動法人については、今後公益法人の改革の方向が特定非営利活動法人の改革と一致するなら、これらの法人制度は統合することが望ましいとの意見があった。
今後の新たな公益法人等の制度においては、運営の透明性を確保することが最も大事であるが、収益を非分配としている以上は非課税の原則を貫くべきである。また、NPOにおいては、経営基盤が脆弱なことから、その強化が求められる一方、いまだに支援税制は不十分で、寄附のインセンティブを高めるような税制改革などへの取組が必要であり、検討中の公益法人制度改革では不動産の寄附が免税対象になっていないようであるが、免税になれば大きな支援になるとの意見があった。
会長 | 勝木 健司 | 理事 | 魚住 汎英 | 理事 | 北岡 秀二 |
理事 | 中島 啓雄 | 理事 | 内藤 正光 | 理事 | 松 あきら |
理事 | 西山 登紀子 | 理事 | 森 ゆうこ | 委員 | 加治屋 義人 |
委員 | 小斉平 敏文 | 委員 | 山東 昭子 | 委員 | 田村 耕太郎 |
委員 | 伊達 忠一 | 委員 | 月原 茂皓 | 委員 | 藤井 基之 |
委員 | 松山 政司 | 委員 | 山内 俊夫 | 委員 | 池口 修次 |
委員 | 中島 章夫 | 委員 | 円 より子 | 委員 | 和田 ひろ子 |
委員 | 加藤 修一 | 委員 | 渡辺 孝男 | 委員 | 畑野 君枝 |
委員 | 山本 正和 |
理事 | 鶴保 庸介 | 理事 | 日笠 勝之 | 理事 | 島袋 宗康 |
委員 | 太田 豊秋 | 委員 | 鈴木 政二 | 委員 | 朝日 俊弘 |
委員 | 岩本 司 | 委員 | 神本 美恵子 | 委員 | 郡司 彰 |
委員 | 小林 元 | 委員 | 齋藤 勁 | 委員 | 榛葉 賀津也 |
委員 | 鈴木 寛 | 委員 | 千葉 景子 | 委員 | 辻 泰弘 |
委員 | 藤原 正司 | 委員 | 本田 良一 | 委員 | 山根 隆治 |
委員 | 弘友 和夫 | 委員 | 山口 那津男 | 委員 | 大江 康弘 |
調査項目・真に豊かな社会の構築
(1) 調査会(手続のためだけに開かれた調査会を除く)
国会回次 | 年月日 | 活動内容 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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一五五回 | 平一四・一一・一三 | 海外派遣議員の報告 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一一・二七 |
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一五六回 | 平一五・二・一二 |
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二・二六 |
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四・二 |
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五・一四 |
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五・二八 |
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七・ 二 | 中間報告書の提出を決定 |
(2) 海外派遣
国会回次 | 期間 | 派遣地等 | |||||||||||||||||||||
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一五四回 閉会後 |
平一四・八・二六 ~九・ 四 |
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(3) 委員派遣
国会回次 | 期間 | 派遣地等 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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一五六回 | 平一五・ 二・一八 ~二〇 |
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(4) 近郊視察
国会回次 | 期間 | 視察目的等 | ||||||||||||||||||||||||
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一五五回 | 平一四・一二・四 |
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○ 中島 啓雄 君 では、海外派遣議員団の報告をいたします。
特定事項調査第三班は、各国の経済、雇用及び社会保障等の実情調査のため、去る八月二十六日から九月四日まで、ニュージーランド及びオーストラリアに派遣されました。
派遣議員は、本調査会の勝木健司会長を団長として、内藤正光議員、山口那津男議員、西山登紀子議員、島袋宗康議員、そして私、中島啓雄の六名でございます。
以下、両国での調査の概要を申し上げます。
私たちは、まずニュージーランドを訪れました。
首都ウェリントンでは、デビッド・カンリフ財務大臣・歳入大臣・商務大臣政務官、フィリップ・フィールド社会福祉・雇用大臣政務次官、デビッド・アーチャー準備銀行総裁代理とそれぞれお会いし、経済改革、社会福祉政策、インフレターゲット政策等について懇談いたしました。
カンリフ財務大臣政務官からは、ニュージーランドの構造改革の経緯と今後の政策の方針について説明を受けました。
イギリスのEEC加盟により大きな輸出市場を失ったことを契機に始まった構造改革は、規制緩和、中央省庁の再編、金融財政改革など、あらゆる分野に及び、その間、若干の修正はあったが改革は継続され、経済は順調である。今後は一次産業中心から変革し、バイオテクノロジー、情報技術、映画等の創造的産業に力を入れて取り組みたい。政府としても、大きくもなく小さくもない政府、OECDの上位国を目指す。政府としてのモットーはアクティブ、スマート、パートナーシップであるとの抱負が語られました。
フィールド政務次官からは、老齢年金、失業手当など国民のセーフティーネットや産業構造の変革による経済成長の維持、そのための人材育成等について説明を受けました。
懇談の中では、最初に女性の参政権を付与した世界で最も古い民主主義の萌芽の国として誇りを持っている。人口はほぼ三百八十万人を維持しており、少子化対策は取っていない。特に、子供たちに機会の平等を保障し、よりよい教育、住宅、家庭環境を与えることが重要で、福祉制度もそのことを念頭に置いて構築し、最終的には国民が持っている力を発揮することが目標である。先住民のマオリやパシフィックも含めて、健康な国には健康な家族とコミュニティーが必要との発言がありました。
アーチャー準備銀行総裁代理からは、インフレターゲット政策について説明を受けました。
準備銀行は政府から独立した機関として設置されており、その目的は物価の安定に絞られています。インフレターゲット政策は、行財政改革の一環として九〇年三月に世界で初めて導入されました。準備銀行総裁は、大蔵大臣との間でインフレ目標値を合意し、ゼロないし三%と決められています。それに従って金融政策を実施します。導入後、インフレ率は低下し、九六年以降平均して一・六%であります。アーチャー氏によれば、インフレのコントロールのために情報公開などオープンな政策を行っており、役員にも健全な運営を求めている、これまではうまくやってきたと思うとの発言がありました。
その他、仕事と家庭の両立問題や育児施設の実情を視察するため、オークランド大学託児所とコミュニティーチャイルドケア保育園、マオリ人のためのコハンガレオ幼稚園、女性の雇用を支援するイコール・エンプロイメント・オポチュニティーオフィスを訪れました。
次に、オーストラリアですが、首都キャンベラで、失業者に対するセーフティーネットの現状を調査するため新設されたセンターリンクを訪れ、グラハム・バシュフォード次長から説明を受けました。
センターリンクは連邦家族・コミュニティー省の外局で、職業紹介や年金等各種の給付など、医療以外の生活保障サービスを総合的に行う機関であります。失業者に対しては、約二百社の企業により構成されるジョブネットワークシステムを通じて求職活動を支援しており、必要に応じて職業訓練プログラムを提供しています。住民にとって各種相談、手続を一か所で済ませることができ、行政コストも節約できる仕組みになっているとのことでした。
また、シドニーでは、ニューサウスウェールズ州のカーメル・テブット高齢者サービス大臣とお会いし、高齢者福祉・介護制度について説明を受け、懇談いたしました。
同国も高齢化社会を迎えており、州政府としても高齢者サービスを統合するため、新たに高齢者事務所を設けました。高齢者政策は施設介護、在宅ケア等がありますが、州政府としては今後、コストの小さい在宅ケアの充実に力を入れていく方針だということです。財政負担については連邦が六割、州が四割負担します。州政府が直営する介護施設はほとんどなく、民間施設への補助金を交付する制度となっております。介護者に対しても連邦政府から補助金が支給されています。
なお、ハリソン高齢者事務所長の、ある調査によると介護者は仕事を辞めない方が質の高い長期の在宅介護が維持できることが明らかになっているとの発言が印象的でした。
次に、同国の構造改革の一環として行われたシドニー空港民営化について、シドニー空港のクリス・ファーベイ理事から説明を受けました。
連邦政府は一九九四年に空港の民営化方針を打ち出し、これまでメルボルン等主要空港は民営化され、最後になったシドニー空港も今年六月、銀行を主体としたサザンクロスグループに売却されました。しかし、民営化になっても航空管制業務や入管、検疫などは従来と変わりなく連邦政府が行っております。民営化によりサービスの向上が図られ、ショッピングセンターの建設、土地の活用など収入の増加と効率化が行われました。
空港民営化の最大の理由は、連邦政府の債務の削減を進める目的以外に、政府は高齢化対策、医療、福祉、教育などに専念すべきであり、空港経営など政府の役割でないとの議論があったとのことです。
以上のほか、外務貿易省託児所、エルダーズゲート介護施設及びアミティ介護施設、クインズランド州環境保護局北部事務所等を視察いたしました。
なお、この報告の詳細につきましては、後日、議院運営委員会会議録の末尾に掲載する予定の文書報告を御参照願いたいと存じます。
最後に、今回の海外視察に際し、御協力いただいた関係各省庁、在外公館及び視察先の関係者各位に対し心から感謝申し上げ、報告を終わります。
○ 中島 啓雄 君 委員派遣の御報告を申し上げます。
去る二月十八日から二十日までの三日間にわたり、沖縄県において国民意識の変化に応じた新たなライフスタイルに関する実情について調査してまいりました。
派遣委員は、勝木会長、魚住理事、北岡理事、内藤理事、松理事、西山理事、森理事、そして私、中島の八名でございます。また、島袋議員が現地参加されました。
以下、調査の概要を申し上げます。
沖縄県は、全国平均と比較しても高い失業率など、早急な解決を要する課題を抱えておりますが、昨年から開始された沖縄振興計画では、本県経済の大黒柱である観光産業の一層の発展、情報通信産業の集積、中小零細企業の多い製造業の活性化等を通じた自立型経済等に向けた諸施策を強力に展開して、豊かな社会の形成を目指しております。さらに、本計画を具体化した推進計画では、観光客数、雇用者数及び自立高齢者の比率等について将来の数値目標を明示し、その達成に取り組んでおります。派遣委員からは、離島への航空料金と酒税の軽減、県外観光客による県内での消費額の減少等に関連した質疑が行われました。
次に、視察先について申し上げます。
まず、名護市役所を訪れ、金融業務及び情報通信産業の両特別地区について説明を聴取しました。法人税軽減等の一国二制度的な措置を通じて産業の発展等を図るため、当市は昨年、我が国で初めて金融特区及び情報特区に指定されました。進出企業のコールセンターでは、地元の若者が投資信託、各種保険、パソコン操作等についての問い合わせに適確に対応しており、今後は更に高度な対応ができるようにして付加価値を高めていきたいとのことでした。
また、特定企業グループの保有するリスクのみを引き受けるキャプティブ保険会社の設立とともに、我が国投資家が海外株式を売買するパスダック市場の創設等を可能とする金融テクノロジー開発特区構想を認めていただきたいとの要望がありました。派遣委員からは、特区構想に対する政府からの回答状況や、若年者雇用奨励金を活用したワークシェアリングの現状、雇用者二十名以上の進出企業等に関して質疑がありました。
続いて、具志川市の中城湾港新港地区特別自由貿易地域を視察いたしました。本地域は、外国に再輸出する物品に対する関税と消費税の課税免除、法人税の軽減等の一国二制度的な措置によって、製造業の発展等を図ることを目的に、平成十一年に我が国で初めて指定されました。現在、分譲地への進出企業は一社のみであるが、賃貸工場が好評なので、今後も増設していく方針であるとのことでした。派遣委員からは、輸出入手続の簡素化等に関連して質疑が行われました。
次に、那覇市の首里城公園を視察いたしました。首里城は琉球王朝の政治等の中枢で、第二次大戦前は国宝に指定されていましたが、戦争によって灰じんに帰しました。平成四年に正殿が復元、首里城公園として開園され、十二年には遺構が世界遺産に登録されております。同公園は、琉球王朝の重要な歴史・文化施設であるだけでなく、我が国の城郭の中で年間の来訪者が最も多く、開園以来の来訪者は二千万人を超えており、本県の最も代表的な観光施設でもあるとのことでした。
次に、那覇市の瑞泉酒造株式会社を訪れました。同社は泡盛のしにせで、本県の代表的な地場産業の一つであります。平成十一年には、戦争中に消滅したと言われてきた種類の黒こうじ菌を発見し、この菌で発酵した泡盛の復活に成功したとのことでした。
さらに、那覇市の城間紅型工房を訪れました。紅型はすべて手作業による伝統的な染物で、大変貴重なものですが、本県を代表する伝統工芸として近年注目を集めるようになってきたとのことでした。
次に、沖縄本島から石垣島へ移動し、石垣市役所を訪れ、説明を聴取しました。石垣市への観光客は年々順調に増加しているとのことですが、現在の石垣空港は滑走路が千五百メートルしかなく、大型ジェット機の離発着が不可能で、島内で取れた生鮮品等の県外移出ができないとのことでした。しかし、先般、長年にわたって議論してきた新空港建設問題について、多くの市民の賛同の下に意見の一致を見て、環境アセスメントに着手したとの説明があり、併せて新空港の早期着工の強い要望がありました。派遣委員からは、増加しているUターン、Iターン等の人たちのための住宅・医療対策や、外国人に対し査証を免除する観光特区構想等に関して質疑がありました。
次に、同市における視察先について申し上げます。
まず、我が国の農業用ダムの中で堤が最も長い底原ダムを視察いたしました。
続いて、約半世紀を要して、黒真珠養殖に世界で初めて成功した川平湾黒真珠養殖場を訪れました。黒真珠養殖の最大のポイントはきれいな海であり、川平湾周辺の自然保護が重要であるとのことでした。
次に、本県の伝統的な織物、ミンサー織りの「みね屋」を訪れました。八重山ミンサーは地元庶民が古くから着用してきた織物であり、上納制度が開始された十七世紀以降は勤勉な職人によって洗練された芸術性も加わり、さらに同社によって大量生産されるようになったとのことです。
さらに、八重山観光ボランティアの会から説明を聴取しました。低調だった観光案内を今年は千件に増加させたいとのことでした。
次に、石垣島から竹富町の西表島へ移動し、国指定の天然保護区域の仲間川のマングローブを視察いたしました。近年、観光客は増加基調にあり、今後も観光客の増加が見込まれており、開発と自然保護の調和をどのように図っていくかが今後の島にとっての重要な課題であるとのことでした。
最後に、沖縄本島へ戻り、那覇市の沖縄都市モノレールについて説明を聴取いたしました。戦時中に県営鉄道が壊滅して以来、県内では鉄道が全くなく、市内の道路が混雑の一途をたどっているため、本県で戦後初めての軌道系公共交通機関となるモノレールの建設が進められてきましたが、本年八月に開業する予定となりました。その一方で、市内の公共交通機関を担ってきたバス会社を今後どう運営していくかという新たな問題も生じているとのことでした。派遣委員からは収支の見通し等に関して質疑がありました。
最後に、今回の派遣に当たりまして、沖縄県並びに関係者の皆様から多大な御協力をいただきましたことに厚く御礼申し上げ、御報告を終わります。
○ 中島 啓雄 君 自由民主党・保守新党の中島啓雄でございます。「真に豊かな社会の構築」の調査の二年目の締めくくりとして意見を述べさせていただきます。
今日、我が国はデフレの進行による経済停滞が続くなど困難な状況に陥っておりますが、戦後から今日までの約半世紀の過程を振り返ってみますと、欧米先進国に追い付くことを目標に努力を続け、物質的な面、経済的な面では世界のトップレベルに達することができたわけであり、私たちはそのことを誇りにしてよいと思うのであります。しかし、日々の生活の中で私たちはどれほどの生きる喜びや充実感を感じているのでしょうか。多くの人々が仕事に追われ、生きがいや心のゆとりを感じて心豊かに暮らしているとは言い難いのであります。さらに、少子高齢化社会を迎え、自分の老後に対する不安がぬぐえないのも現実であります。
これまで私たちが額に汗して築き上げてきた経済的な豊かさを維持発展させつつ、ゆとりと生きがいを持って生活できる社会を構築していかなければならないことは今更申し上げるまでもないことですが、それには多くの課題が山積しております。
まず、私たちが認識しておかなくてはならないことは、我が国の人口が間もなくピークを迎え、少子高齢社会が一段と進んでいくということであります。
私たちがこれまで構築してきた社会システムである年金や医療、介護といった社会保障の仕組みは世界の中でもかなり高いレベルに達しており、社会のセーフティーネットとしてその基本的仕組みは維持していくことが必要でありますが、高齢者にとっても若年者にとっても安心でき、持続可能な仕組みに改革していかなくてはなりません。
年金、医療、介護を問わず、負担以上の給付を行うことは不可能であります。国庫負担を増やすといっても、国に打ち出の小づちがあるわけではありませんから、結局は税金という形で国民が負担をする以外にありません。
年金については、必要最小限の給付水準を保障しつつ、若年世代に過度な負担にならないような適切なシステム作りが必要でしょう。例えば元気で能力ある高齢者には、パートタイムなどで働くことで、年金と給与を合わせれば所得面で有利になるような仕組み、受給開始年齢を繰り下げることが有利になるような制度、自助努力としての私的保険への税制優遇のインセンティブの強化などが考えられます。
医療についていえば、高齢者が病気にかかりやすく、その分医療費がかさむことは、ある面では避けられないことではありますが、一般物価が低下する一方で、同じ年齢層の人々の医療費単価が年々上昇していることは問題であります。スポーツ、レクリエーション、食事管理など日常の健康管理、寝たきり予防のためのリハビリテーションや温泉療養の積極的な支援など、病気にならない、寝たきりにならないための努力を奨励する保険税制上の優遇策が考えられてもよいのではないでしょうか。
こうした施策や運動が浸透していけば、病気にかかる人が少なくなり、その結果、医療費抑制にもつながると思うのであります。年金や医療、介護の費用負担の問題を考えた場合、年齢や性別に関係なく、働くことができる人には働く場を提供することが社会保障給付の抑制にもなり、高齢者や女性の生きがいにもつながるのではないでしょうか。
このような新しい時代に合った社会システムの見直しとともに、私たち自身もその生き方や生活スタイル、さらには意識を変えていかなくてはならないと思います。夫は外で働き、妻は家庭で家事や育児をするという従来型の働き方、生活スタイルは昨今変わり始めています。女性も生きがい、働きがいを求めて、多様なライフスタイルを選択できる社会にすることは重要です。長時間、子供を預けられる保育施設の整備、女性が出産して再び社会復帰できる仕組みへの合意形成、夫婦どちらも育児休暇を取り、育児のためにフレキシブルな勤務のできるような職場の雰囲気づくりなど、育児と職業生活が両立できる社会の仕組みを早く整えることが重要だと思います。
雇用形態はフルタイムもパートタイムもあり、職場や職業も個人の選択あるいは社会の変化に応じて移動することが当然の社会となってくるでしょう。様々な勤務形態の変化に応じて移動することが不利にならないような給与、社会保障、職業訓練等の制度を整備することが必要です。多様な勤務形態を前提として均等待遇する制度を整備したオランダモデルに倣って日本型の新しい雇用形態制度を作り上げていくことが求められています。
こうした働き方を中心としたライフスタイル、意識の変化に応じて、自分の経験や能力を生かして社会に貢献できるようなボランティアやNPO活動をしたいという人々が増えてくることは当然であり、望ましいことであります。
先日の参考人のお話で、ボランティア活動をして本当に心がいやされているのは実はボランティアをしている人たちであるというお話がありました。確かに、ボランティアは最初の取り掛かりに勇気が要るので、学校等での体験を通じて子供のうちにボランティアがどういうものであるかを知っておくことはそれなりの意味があり、重要だと思います。しかし、本当のボランティアは決して義務や強制ではなく、やりたい人が自由にやれるところに意味があり、自由にできる仕組みや、それを支援する行財政上の措置を考えていくことも重要でしょう。青年や壮年のときのように体力、知力の限り働くことはできなくても、社会のために、あるいは人々が喜んでくれる仕事をしたいと思っている高齢者にも、働く場所として極めて重要な意義を持っていると思います。
これまで私たちは、戦後の驚異的な成長、発展という成功モデルに寄り掛かり、あらゆることを政府や自治体、言わばお上が用意し、やってくれるものと考えてきたのではないでしょうか。しかし、経済成長が緩やかなものとなり、少子高齢化が進む社会の中では、もはやお上だけに頼ることはできません。これまでお上に頼ってきたことでも、これからは自らの力でやっていかなくてはならないことが多くなることを自覚しなくてはならないと思います。
残念ながら、戦後の教育は知識を教えるだけで、自己責任の下に自立した創造力ある個人を育てるという考え方が希薄であったことは否めません。物質的な豊かさが手に入れば手に入るほど、家庭でも社会でも子供たちへの過保護とも思える扱いが常態化し、自らの責任で何かすることや、野外での体験的な学習を始め、つらいこと、苦しいことでも身をもって体験し、創造し、学ぶことから遠ざかってきました。自分の自由を主張するならば、他人の自由も尊重しなければなりません。今、教育の現場で多くの問題が指摘されていますが、人間が社会的存在であるという自覚を持たせ、社会のために、あるいは他人に対して何かをすることを奨励し、自分の行動に責任を持たせる教育が必要です。
バブルの崩壊から十年余りが過ぎた今日、企業も個人も元気をなくしていますが、二十一世紀の日本が元気を取り戻し、再び活力に満ちた社会になるためには、何といってもまず企業に元気を出してもらわなければなりません。リスクを恐れず、新しいことに挑戦する企業文化を育て、新しいライフスタイルの社会に合わせて、これまで埋もれていた潜在的なサービスや商品を発見し、開発していくことが重要ではないでしょうか。
その市場での主役になるのは恐らく女性であり、高齢者だと思います。女性や高齢者が活性化すれば男性も元気になり、日本全体が活性化し、真に豊かな社会に近づくことでしょう。日本人が本気になって能力を発揮すれば、必ずや道は開けてくるものと信じます。ともに新しい時代のために頑張りましょう。
ありがとうございます。
○ 内藤 正光 君 民主党・新緑風会の内藤正光でございます。会派を代表して意見を述べさせていただきます。
これまで、多くの参考人の方々から大変有意義なお考えを伺ってまいりましたが、私自身の考えも織り交ぜながら、以下、簡単に意見を申し述べさせていただきたいと思います。
まず申し上げさせていただきたい一点目は、これからの時代、共働きというものがごく普通の、ごくごく普通の時代に入り、そして、それを前提とした社会環境づくりを早急に進めていかなければならないということでございます。
今、バブル崩壊後の長引く景気低迷で賃金水準もデフレぎみでございます。多くの方々はこれを一時的なものと見ているかもしれませんが、やはり、これは決して一時的なものではなく、今後もずっと続く傾向ではないかというふうに私は思っております。
なぜかといえば、今の日本の賃金水準、どのように定められたものかといいますと、やはり一家の大黒柱が家族全員を養う、妻や子を養う、そういったことを前提に日本の賃金水準は定められております。
そして、その結果として、一人当たりの賃金水準、世界と比べると大変高いものとなってきております。当然、そういった賃金コストというのは、彼らが作る製品の価格に反映されていくものでございます。そういったときに、中国等との、あるいはインド、そういった国々との厳しい国際競争に勝ち抜いていけるかということでございます。
一昔前ならば、付加価値の低いものを中国というのは作っている、日本は付加価値の高いものを作るんだからということで、お互いにすみ分けができたわけでございますが、しかし、最近、中国でも大変付加価値の高いものの製造に着手しているわけでございます。そうなってくると、当然のことながら、国際競争という観点から日本の賃金水準も抑制ぎみにならざるを得ないということでございます。
つまり、これからは一家の大黒柱が家族全員を養うというのは、よほど裕福な家庭ならば可能でしょうが、普通の家庭である限り、二人が一・五人分を稼ぐという共働きが当然の時代になってくるわけでございます。中でも、その中で重要なのは、女性も戦力としてかなりの期待を持たれてくるということでございます。
となりますと、夫婦そろって今までのような働き方を続けていたとしたら、これはもう本当に仕事と家庭の両立がもう完全にできなくなってしまうということでございまして、そういった意味からも、夫婦共働きを前提とした社会環境整備が早急に求められてくるという帰結が得られるわけでございます。
じゃ、具体的にどういうものがあるかといえば、よく言われているように、保育施設等の整備というのは言うまでもございませんが、やはり一番大事なものは何なのかというと、私はこう思います。パート労働というものを安価な労働力としてではなく、一つの就労形態として尊重すると同時に、それを法的に保護していく、そんな整備が必要ではないかと思います。
具体的には何なのかといえば、同一労働同一賃金、そしてまた、パートは社会保障制度が完備されておりませんが、パートであっても、だれもが皆、例えば人生の一時期、パートという就労形態をする可能性があるわけでございますから、継続性という観点からも、例えば年金だとか医療制度、そういったものも含めた社会保障制度、パートに対してもしっかりと整備していくような、そんな法的対応が必要ではないかと考えます。そういったような観点から、このようなしかるべき法改正を早急に進めていくべきだと私は考えております。
そして二点目は、ゆとりある就労形態と生産性維持、この一見相反する二つをいかに両立していくかということでございますが、よく言われている主張に、ゆとりある就労形態を余りにも認め過ぎると、他方で生産性の低下を招いてしまうんではないか、そんな懸念を主張する向きもございます。本当に私はこの二つは二律背反的なもの同士なのかという疑問を持っております。
そこで、よく私が引き合いに出させていただくのがスウェーデンやフィンランドのような国々でございます。こういった国々は、一人一人がゆとりある就労形態を正に享受している国々の代表例でございますが、では、これらの国々の生産性が低いのかというと、私は違うと思います。例えばボルボだとかノキアのような、世界を代表するような企業がそこにはたくさん活躍しているわけでございます。
そこで、これらの国々において、ゆとりある就労形態と生産性維持という一見相反するものをどのように両立を図っているのか。そのかぎは何なのかといえば、これはITの活用による徹底した業務の効率化を推し進めているということでございます。
これは余談になろうかとは思いますが、個を大切にするこれらの国々ですね、実は、なぜか皆、どれもIT先進国と言われている国々なんです。ITで成功を収めている国々なんです。
私は、なぜなんだろうと、本当に長年不思議に思っておりまして、とうとう現地調査までして、いろいろ調べてみたわけでございますが、そういった活動を通じてたどり着いた結論が、個を大切にするには、やはりゆとり時間を作っていかなきゃいけない。そしてまた、一人一人、人間である限り、その雑務に時間を費やすんではなくて、本当に創造性ある仕事に人間の能力を活用すべきだと。
それを可能にするためにはどうすればいいんだということで、それはやはり、ITを徹底的に、仕事の隅々までITを活用していくことという結論にたどり着いたということだそうでございます。ですから、例えば会社、そういった国々の会社の現場を見たり、あるいはまた行政の現場を見ると、もうどれも皆、コンピューターが並んでおりまして、本当に雑務はほとんどしていない。コンピューターでもってほとんど仕事を処理しているという、そういった様を見てまいったわけでございますが。このようにITの活用をしたならば、ゆとりある就労形態と生産性の維持向上というものの、その両立を図れるんではないかと私は思います。
そして、最後に申し上げさせていただきたいのは、豊かさを実感するためには、人生において豊かさを実感するためには、やはり働く仕事に生きがいを感じることができなければならないんではないかなと思います。それが不可欠ではないかなとは思います。
しかし、残念なことに、多くの現在の若者は、大半はイメージでもって就職先を決めてしまって、そして数年後、こんなはずじゃなかったということで早期に退職をしていってしまうと。で、こういう雇用の流動化の一因にもなっているわけでございますが、そして、この雇用の流動化、つまり再就職を助けようと、国の施策の一つとして、様々な補助金を支給しております。
例えば、代表的なものとして、英会話学校で勉強すると雇用保険から最大三十万円まで補助金を出すということでございますが、しかし私は、この程度で再就職に役立つと考えていたとするならば、これは大変な私は現状認識にずれがあるんではないかなと思います。英会話学校で英会話を勉強して、それで就職に、実社会に役に立つほど甘くはございません。
そこで私は、大事なのはイメージではなく、実際の入社前に、その実際の業務を経験をしてみるということが労使双方にとっても大切なことではないかなと思います。しかし、現状では、雇う側もなかなかこれは難しいし、雇われる側もそういう環境が整備されておりませんからなかなかそういうチャンスは見当たらない。
そこで、私は提案させていただきたいのは、例えば一か月間程度のトライアル雇用、試し雇用、それに対して国が補助金を出す。英会話に対して補助金を出すんではなくて、トライアル雇用に対して補助金を出す。そして一か月間、雇用側もその若い人の能力を確認してみる、そして雇われた側もその実際の仕事場を経験してみる。そこで、実際それが自分の仕事としてやっていけるかどうかというのをお互い確認し合っていく。そういった施策を展開してみてはどうかということを提案させていただきたいと思います。
最後になりますが、これからこの本調査会、三年目に突入する。つまり、最後の年に突入するわけでございますが、諸外国の実例も参考にしながら、豊かさを実感できるようにするためにはどんな具体的な施策が必要なのか。法の整備なども含めて、具体的な検討に入っていくべきだということを申し上げさせていただきまして、私どもの意見を申し上げさせていただきました。
ありがとうございます。
○ 松 あきら 君 公明党の松あきらでございます。
「真に豊かな社会の構築」の二回目であります国民意識の変化に応じた新たなライフスタイル、このまとめでございます。今回は、私は少し大きな観点からのまとめを発表させていただきたいと思います。
今、私たち人類に課せられた大命題は、申すまでもなく、生命を尊厳する社会の構築であります。私ども、二十一世紀に生きる者として後世に是非とも残さなければならない正に人間としての遺産こそ、生命を尊厳する社会の構築と継続であると思うものであります。
改めて二十世紀の歴史の流れを見ますと、何とも無惨なことでありましたことか。人類の歴史は横暴と悲惨の歴史と言っても過言でないことはだれしもが実感していることではないでしょうか。
本日のテーマであります国民意識の変化に応じた新たなライフスタイルを考えるに当たりまして、この生命の尊厳をあらゆるライフスタイルの基調に置くべきであると強く訴えたいのであります。その上に立って、世界じゅうの人々が物質的、精神的に幸福を享受すべき平和、文化、教育、人権、開発、福祉、環境等々に向かって知恵を出し合い、苦しんでいる人々とともに悩み、人種、民族、宗教、言語、資源、政治、経済などの差異を克服すべき勇気を持つこと、それをこれからの社会構築観とすべきであると思うのであります。
いかなる国も国際化の波を避けることはできません。様々な現象が地球規模化しております。経済も文化も多くの分野が影響を受け、それに対処しなければならないと思います。世界がますます相互依存を強め、ほかからの影響を受けやすくなっております。私たちは、すばらしい多様性に満ちた文化や生物種との共存、一つの人類家族であり地球共同体の一員であることを認識し、新しい地球文明につながる人間のライフスタイルが創造されなければなりません。
地球憲章にも込められた願いは、未来世代に対する責任感とも言えます。私たちは想像力を使って持続的可能な生活様式のビジョンを地方、国家、地域、地球レベルで発展させ、私たちの時代を生命の尊厳への新たな目覚めとともに、人類益、地球益としての正義と平和を確立するための努力をすべきであると思います。
しかし、昨今の日本社会は余りにもエゴが横行し、他者の存在や生命を軽視するライフスタイルのもたらす犯罪による社会不安の増加、大気、水質、土壌などの直接生命の安全にかかわる環境汚染の日常化、一日平均の自殺者が何と七十人を超えているという、かつて経験したことのない人為的な愚かな社会の中で今日あえいでいるのが、残念ながら日本の現状であります。
今日、教育基本法の中で、国を愛する心の育成の一節が話題になっておりますが、ある識者の論評によれば、国民の心をないがしろにしている日本の社会で、どうして国を愛する心を持てと言えるのかといった辛口の論評もあるくらいです。また国を愛する心を訴える前に人間の心を愛する国にしたらどうだといった会話を耳にしたこともございます。
町じゅうや道路網を無目的に徘回する若者の群れは、自分と仲間以外は皆風景とばかりに、至る所で傍若無人な行為で他者のひんしゅくを買い、他人に迷惑を掛けることをもって自分の存在感とするという誠に嘆かわしい状況が充満しているのでございます。昔から子供は大人社会の投影と言われていることからしますと、まず第一に律すべきは大人の倫理ではないのでしょうか。
また、視線を変えてみますと、現在の日本は高齢化、少子化の真っただ中にあります。
まず、高齢化による国民の生活意識の変化を考えてみますと、これは単に歩行や行動が困難になるお年寄りが多くなったから段差のない町づくりをといったレベルで済まされる問題でないことは言うまでもありません。高齢者が、かつては戦中、戦後の困難な時期の日本を汗水流して支え、頑張ってこられたことへの対応としては、高齢者や障害者への福祉を優先する施策、高齢者の心を大切にする町づくりを国民的な視点とすべきであります。
一方、少子化の問題も深刻の度合いを増しているのでございます。厚生労働省の試算によれば、今のような特殊出生率が将来も続くとすれば日本の国民人口は約三百年後には百万人を割るというのでございます。今年、来年の施策はもちろん重要でありますが、一面からすると、長期の展望とビジョンの上に立った新たなライフスタイルとしての現在から近未来への施策の提供と実践が求められているのではないでしょうか。
既に二十一世紀も三年目の半ばになりました。あと十年、二十年後には現在の小中学生が社会の中核となることは必然でございます。果たして、現在の教育がこうした現実に視点を合わせた教育なのかどうかも国民の意識の変化への大きな論点となってしかるべきと思います。
最近では、小中学校の六三制を五四制にしたり中高一貫の制度にするのが流行のような兆しも見えてきました。果たして、こうした制度を変えれば教育が変わるのでしょうか。その一方では、詰め込み教育への逆行に拍車を掛けている面も浮上しているようです。教師の教育観を大きく転換し、子供へかかわる技能の向上を図ることによって教育を変えることも可能なのではないでしょうか。つまり、教育改革は教員改革からの視点が強く望まれるものであります。
二十一世紀は今日の青少年の活躍の時代でございます。国民の意識の変化といっても、現在の青少年をどのように育てようとしているかということへの明確な指針がこの問題のキーポイントと考えます。
これまで日本の、今日の日本社会の問題点を指摘してまいりました。しかし、日本は悲観的な面ばかりがあるわけではありません。現代の若者にも生命の内容にはすばらしい資質が残っております。阪神・淡路の大震災のときに、リュックサックを背負って、だれに頼まれたのでもなく、多くの青年がボランティアに駆け付け、被害に遭われた市民に生きるという大きな希望を与えてくれました。また、ナホトカ号の油流出のときも、全国から多くの青年が油の駆除に駆け付けてくれました。その姿を見て日本の青年の将来に大きな希望を感じております。
その人間の心をいかに改善、開拓していくか、いかにして国際化に即応してリードしていけるように育成していくかが新たなライフスタイルの回答を得る方程式であると思います。
一例を挙げれば、ゴーン社長率いる日産自動車株式会社の発展がございます。ゴーン社長は思い切ったリストラ策が注目をされておりますが、これまでの日本の肩書き、学歴社会の悪弊を打ち破り、社員個々人の適性と責任感を拡充させることで業績を一挙に向上させたものと注目をされております。一人一人の社員の自信と生きる力を引き出した人として注目を浴びているのでございます。つまり社員の心を変えたのが先なのです。人間、心が変わればすべてが変わるという格言があります。その良いお手本と言っても過言ではないのではないでしょうか。
今回のテーマであります国民意識の変化に応じたライフスタイルの論評のまとめといたしまして、今日我が国が直面をしております利己主義と生命軽視の風潮、高齢化、少子化、国際化の三点をいかに克服すべきかのリーダーシップの発揮と人間性豊かなビジョンの提示、そして、その国民的合意の形成と、それに基づく実践、さらには国際社会で信頼される日本になりましょうといった毅然たる態度を示せる日本人としての誇りと、世界市民としての自覚を併せ持つ高邁な人格の涵養こそが国民の意識の変化に応じたライフスタイルの形成につながることを訴えまして、公明党の意見表明とさせていただきます。
ありがとうございました。
○ 西山 登紀子 君 日本共産党の西山登紀子でございます。日本共産党としての意見表明をいたします。
本調査会の二年目は、「真に豊かな社会の構築」をテーマとして、私も参加させていただきましたニュージーランド、オーストラリアの海外調査や沖縄など国内調査、示唆に富んだ参考人質疑などを含めて旺盛に活動を進めてきました。
まず、豊かさとは何か。それも、二十一世紀に生きる私たちの本当に幸せに生きていると実感できる豊かさとは一体何なのかについてです。
参考人の御意見の中で、子供も大人も何回もやり直しが利く、失敗してもセーフティーネットはきっちり張られている安心感のある社会という、選択の幅のあるゆとりのある社会像は共通していました。また、社会の中における個人の存在感の希薄さが豊かさを実感できない最大の問題だ、家族や友人、周囲の人と仲良く愛し合って生きていけることという人と人とのコミュニケーションの問題から、自由な時間と空間の中で創造活動や芸術活動ができる、働きながら、土曜、日曜は自由に都市と農村の両方の生活をエンジョイできる、仕事は納得のいくエンジョイできるものという個々人の自由なライフスタイルの実現まで、いずれも示唆に富んだものでした。
そして重要なことは、NPOの参考人の述べられた、個人の価値観に国家が介入しない、自己の自立心の確立こそ豊かさの原点という意見は、民主主義の花開く二十一世紀の豊かな日本社会を作る上で大事な視点ではないでしょうか。
次に、重点的に調査されたライフスタイルについてです。
二十一世紀の世界の流れを見るとき、男女がともに仕事も家庭も両立できる新しい時代に向かっていると考えます。今回、参考人からは、日本は経済大国でありながらこうした世界の水準から大きく立ち後れ、過労死や働き過ぎという問題があり、仕事と家庭生活のバランスを欠いているとの指摘がありました。これからの日本の国際的発展にとって極めて重大な指摘です。
また、その際、日本の男性の働き過ぎの弊害が大きくクローズアップされたのがこの間の調査の特徴でした。参考人からは、これからのワーク・ライフ・バランスを可能にするためには、男性が専ら会社で働いて女性は育児をするという偏った労働時間の再配分が必要との指摘、日本企業はワーク・ライフ・バランスは女性の問題というが、男性にとっても重要な問題であり、企業が真剣に考える人事戦略の大きな柱が必要だ、また、企業も行政も仕事と家庭の両立政策は母親支援が多いが、男性が家庭責任を果たせるような施策や制度を取らないと少子化は止まらないなどの意見が繰り返し強調されました。ここ数年の人間らしい真の豊かさを求める国民の意識の変化を反映するものだと考えます。
もちろん、日本の働く女性のM字カーブや、出産、育児の多大な機会費用の問題も大きな社会問題であり、根本的改善が必要です。出産は社会的機能であり、女性だけが負う問題ではないからです。保育所、学童保育の抜本的拡充、男女の賃金格差の是正、育児休業の手当の引上げや、育児時間が保障される職場環境の確立が急務です。
昨年、芝信用金庫、住友ミセスと、相次いで職場の賃金、昇格に関する男女差別裁判で歴史的に原告が勝利いたしました。しかし、今また日本のリーダーカンパニーのJALが女性客室乗務員の育児に関する深夜勤務免除を大幅に制限し、事実上多数を就業困難に追いやる重大問題が起きています。
男女の働く権利と子育ての権利が尊重される日本企業、また、子育て支援、労働時間の短縮、パート労働の権利の保障、サービス残業を根絶するなど、雇用を守るルールのある日本社会でなければ国際的信用も得られません。
多様なライフスタイルという場合、日本の財界が九〇年代に入って、多様で柔軟な働き方の拡大、性に中立、自立した個人単位などをキーワードに、国際競争力の名の下、規制緩和路線を進めている企業ニーズのことを指摘しなければなりません。
今、小泉政権はこの二年間、財界とともに構造改革路線を推し進め、不良債権の早期処理、リストラ、失業、雇用の流動化と社会保障の切捨て路線を進めています。
しかし、この方向や、日本経済団体連合会の二〇二五年への新ビジョン「活力と魅力溢れる日本をめざして」の企業ニーズにこたえる多様なライフスタイルでは、国民、男女労働者の願う真の豊かさとは逆方向になる危険性を指摘せざるを得ません。
海外視察の教訓からも、GDPが日本よりも小さな国が週休二日、男女ともに夕刻には仕事を終え、十分余暇と家庭の団らんを楽しむ新しいライフスタイルを営んでいます。経済大国と言われる日本でこうしたゆとりある社会が実現できないわけがありません。政治のかじ取りが必要と考えます。
政府は、構造改革特区を設けて規制緩和を行うことが地域経済を活性化し、デフレ対策になるとしています。しかし、小泉内閣の総合デフレ対策の中心は不良債権処理の加速であり、地域経済に大きな打撃を与えるものばかりです。日本経済を疲弊させている原因は、規制緩和の遅れにあるのではなく、医療を始め社会保障の連続改悪など、国民負担を増やす小泉構造改革そのものにあります。
規制緩和万能主義ではなく、国民生活や中小企業の営業を守るための民主的規制を逆に強化するなど、今の社会に合った民主的なルールを確立することが求められているのではないでしょうか。
都市と農村の共生の問題では、食糧自給率を高め、農林漁業が成り立つように予算を重点的に価格保証に回すことが必要です。また、農山村を破壊する強制合併に多くの町村が反対しています。町村の将来は住民投票で決め、小さな村の大きな誇りを守ることこそ真に豊かな都市、農山漁村の交流と共生の道が開けると考えます。
個の確立・教育関係の参考人からは、条件整備として二十人から二十五人学級を全国レベルで実施する必要、教員増を大胆に行い、ゆとりを取り戻すこと、スクールデモクラシーの問題が提起されました。
日本の子供たちは諸外国に比べると、セルフエスティーム、自己肯定感が極端に低い。自己肯定感を高めるためにはあらゆる領域での子供参画を拡大する必要がある。参加することによって自己決定せざるを得なくなり、自信、達成感を持ち、自己責任感を形成し、セルフエスティーム、自己肯定感を高めていくと述べておられます。
こうした指摘は、豊かな社会を実現していく豊かな子供像にとって重要な指摘だと考えます。教育、文化、芸術に予算を抜本的に増やすことが必要です。
また、教育基本法の見直しの議論がありますが、今大切なことは、教育基本法を改悪するのではなく、その精神を教育の立て直しに生かすことと考えます。
最後に、NGO、NPOの発展は、これからの日本の自立した個人の豊かな生き方、青年、女性、高齢者の生き方に大きく希望をつなぐものです。
参考人から指摘のあった日本型の官指導のクワンゴの多い現状の改善、真に個人の自己実現につながるNPOの発展は、税制の改善を含めて民主的な日本社会を築く重要な課題と考えます。
大変貴重なこの一年の調査を更に来期につなげてまいりたいと思います。
以上で意見表明といたします。
○ 森 ゆうこ 君 国会改革連絡会(自由党・無所属の会)の森ゆうこでございます。
国民生活・経済に関する調査会におきまして、「真に豊かな社会の構築」という非常に大きなテーマの下に、二年目は特に国民の意識の変化に応じた新たなライフスタイルについて、各界各層の参考人から様々な意見を伺ってまいりました。
「真に豊かな社会の構築」には、人々の住む地域の活性化が不可欠であります。私は、地域の活性化とは、町づくりを自分のものとしてとらえ、主体的にかかわっていく人々の輪を広げることであると考えております。
その意味におきまして、現在、全国で一万個以上と急速な広がりを見せているNPO活動について特に絞って意見を表明させていただきます。
先日の参考人のお話にもありましたように、何でも行政、お上依存ではなく、地域の身近な問題解決にはNPOなどの存在が不可欠であり、その活動の場が広がることで地域の活性化、ひいては豊かな社会の構築に資するものであると申し上げたいと思います。
NPOに対する期待が高まっております。新聞、メディアにも毎日のように登場するようになりました。NPOはこれからの成熟した経済社会においてますます大きな役割を果たしていくのではないか、またそうあってほしいと思っております。
営利企業よりも社会的なサービスを供給する機能が強く、また、行政よりも多様な需要にきめ細かくかつ機動的に対応し得るのであります。国、自治体も抜本的な行政改革が求められている中、いわゆる地域の第二市役所的機能を果たすようなNPOの存在、その広がりは正に時代の要請であるともいえます。
特に介護といった医療・福祉分野においても広がりを見せており、今後、ITや環境分野などへの更なる進出も期待され、雇用創出面においても大いに期待されます。
NPOを担う方は純粋に利他的動機で行動しているのではなく、活動の中での達成感や、またある意味の名誉欲に動かされて活動しているという調査報告もあります。
行政は、営利、非営利の境界線上を設けることなく、活動の場がますます広がるような施策を取るべきであると考えます。もちろん、活動の内容まで事細かに行政が指導するようなことは決してあってはなりません。立法府にいる我々も行政も、根本的にこの点において意識変革の必要があると考えます。NPOがすべて健全で失敗なく運営されなければならないという強迫観念は捨てた方がいいと思います。自由濶達な活動の中からこそエネルギーが生まれていくものと考えます。
また、NPO法人の多くは規模が小さく、経営基盤も脆弱です。年間財政規模も一千万未満のNPO法人が圧倒的に多い。また、収入源を見ると、我が国では寄附や助成金による収入が少ないのであります。この点を改善するために、私は寄附のインセンティブを高めるような税制改革が必要であると考えます。
平成十三年十月からは、一定の要件を満たすNPO法人に対して寄附をした個人や法人に寄附控除を認める新税制がスタートしております。しかし、要件が過度に厳しく、全体の〇・一%ほどしか認定を受けることができなかったため、本年四月からは要件の一部が緩和されることになったわけですが、それでも認定されるNPO法人は全体の数%にとどまるとの見方が一般的です。こうした状況からも、経営基盤の強化が求められる一方、いまだ支援税制は不十分であり、抜本的な取組が必要であると重ねて申し上げたいと思います。
何でも行政頼みの時代は終わりました。地域の身近な問題にこたえ得る存在となるNPOの役割が今後期待される中、その活動の場を自由に広げていくような環境整備こそ必要であります。その意味で、今後のこの調査会におきましては、是非この問題をもう少し深く掘り下げて検討されることを要望申し上げ、私の意見表明といたします。
ありがとうございました。