事務局からのお知らせ

参議院60周年記念論文入賞者



心の交流の時代へ、今

兵庫県 三木学園白陵高等学校 1年
北口 千裕

『六人で やっと持ち出す 濡れ畳』
 この作品は、平成16年に台風23号の災害復旧ボランティアとして豊岡を訪れた時に作ったものだ。当時の状況は今も目に、そして心にはっきりと残っている。
 建物の壁には私の胸よりも高い所に黒い筋が残っている。水がそこまできたことを示すものだ。わらくずや泥などを身にまとっている木々が並んでいる。そんな光景を見ているだけで、水の恐ろしさが伝わってくる。そして、つい先日まではにぎやかであったろう鶏舎は、今はひっそりとして、そこからは何も聞こえてこない。
 その場に立って、何をしたらいいのか分からない私は、ただ言われた事を手伝うだけであった。が、その時に持った水に浸かった畳の重さを、今もはっきりと覚えている。ほんとうに運び出すことができるのだろうかと思うほどに重い畳でも、6人いれば運び出すことができた。気持ちを合わせ、心をそろえれば、「せえの」の一言で大きな力を発揮することができた。
 次は、水をかぶった部屋のふき掃除だ。たまった泥などは大方取り除かれていたが、床にも、柱にも、壁にも、家具にも泥がこびりついている。
 早速、雑巾を持って、こびりついた泥を拭っていく。ひとふきで雑巾は真っ黒になる。乾いてこびりついた汚れはなかなか取れない。雑巾をゆすぐバケツの水も、すぐに交換が必要になる。何度も水道に向かい水を交換する。作業を進めるうちに、「本当にきれいになるのだろうか」と思われた部屋が、徐々に元の姿を取り戻してくる。きれいになってくると、それがうれしくて、ふき掃除をする手の動きが速くなる。一緒に掃除をしている人たちの顔にも笑顔が見えてくる。みんなの心が一つになった意欲が成果につながり、その成果がさらなる意欲につながり~と前向きの循環が続いていく。
 心を通じ合わせ、力を合わせれば困難を乗り越えていける。防災や福祉といった問題を解決するには国の施策がもちろん大切ではあるが、その下支えになるのは人の心だ。
 近年、南海地震・東南海地震の発生が予測され、防災意識の向上が我が国の課題とされる。防災意識とは、被害を最小限に抑えるノウハウを知ることだけではない。命の尊さやボランティア精神、他者を思いやる心の大切さを実感することも防災につながる。お互いに助け合い、協力しあって災害からの心の復旧を目指していくのも防災である。
 また、少子・高齢化社会、福祉社会の到来が叫ばれる。昨年末に発表された人口推計では、現在は高齢者の割合が2割であるが、2030年には、我が国の人口は1000万人減って、高齢者の割合は3割2分になるそうだ。実に3人に1人が高齢者ということになる。医療や年金制度の将来が危惧されているが、医療制度を充実させ、金銭の不安を解消すればそれで良しという訳ではない。人はいくつになっても心がつながって生きていてこそ意欲的になれる。
 防災や福祉の大切さが言われる時代にあって、大切なのは「思い合う」心だ。「私のからだの状態が変わらなくても、私をとりまく社会の環境が変われば、私にも今までできなかったことができるようになる」これは、村田稔氏が『車イスから見た街』で記している言葉である。このことは社会のあらゆる場面で実現していかなければならない課題を示している。
 人にやさしい街であることは、施設・設備と人々の心がマッチしてこそ成り立つ。段差がないことや、手すりがあることは基本ではあるが全てではない。私がこのように思うのは、私自身の困難を乗り越えるのに力を貸していただいた方々の影響だ。
「あの頃は、夜でも部屋の灯りをつけたままでないと、寝られなかったね。」
 阪神淡路大震災から12年が過ぎても、昔からの友人と出会うと、このような会話が出る時がある。幼い時の記憶で今も残るのは、半壊となった家で、水道もガスも出ず、余震におびえながら過ごした日々。そして、その中で私たちの心を支えたのは、「私たちのことを思ってくれる人々がいる」と実感できたことだ。
 私たちの滅入りそうな心を温かくしたのは、多くの方々が呼びかけてくださった「必ず明るい朝がきます」というメッセージ。その言葉は、私たちに未来への希望を与えてくれた。
 当時は、近隣だけでなく遠方からもたくさんのボランティアの方々がかけつけてくださった。「水は」、「食べ物は」、「何か手伝うことがあれば」と様々に声をかけてくださった。協力して運んでくださった水で母が私の汚れた顔をふいてくれたこと。その横で、「おなかがへっているでしょう」とおにぎりを手渡ししてくださった方がいたこと。断片的ではあるが、今も思い出される場面がたくさんある。
 それから12年を迎える今、私たちは「人を思う心の持つ大きな力」に感謝しながら、ほんとうに「明るい朝」がやってきたことを実感している。
 また、私には、次のような体験がある。
 家族の都合がつかず、私一人で遠方への列車に乗ったときのことだ。初めての一人旅で不安いっぱいの私に、隣の席に座っていた年配のご婦人が、「あなたはどこまで行くの」と優しく声をかけてくださった。それをきっかけに、学校のこと、家族のこと、趣味のことなど色々と話をしながら旅を続けることができた。最初は、「乗り過ごしたらどうしよう」などと考えていたのがうそのような楽しい旅となった。「高齢の方=お世話する存在」と一方通行の関係なのではなく、心の交流の中からお互いが元気や勇気を受け取ることができることを学んだ。
 近年、「メンタルヘルス」という言葉が使われ、家族・友人・地域の方などとの人と人のつながりが、健康増進や疾病予防・生きる意欲にも影響すると言われる。現代の問題は、人の孤立・孤独化である。家族や地域関係の希薄化などで、多様なふれ合いが減っている。そして、人間関係能力が育たずに、職場や社会での多様な人間関係に対応出来ない人が増えているという。私の身近にも、パソコンやメールといった間接的な関係の中にしかつながりを見つけられない者がいる。
 自分が家で・職場で・社会の人間関係の中で安心して生きていられるか、という不安はあってはならない。特に被災者、高齢者などにとってはこの問題は重要である。思いを受け止める者が側にいて心を通わせることが落ち着きを取り戻させる。心のふれ合いと心の健康は、一身同体なのだ。
 最近増加しているニートの問題についても、同様のことが言えるのではないか。若者たちが「家庭や企業、社会は自分のことをわかってくれない。」と嘆いていても出口はない。周囲が「近頃の若者は何を考えているかわからない。」と言っても解決はない。
 人を育てる場である家庭や学校で生き方や社会の仕組みについてしっかりと語り合う、心の交流が必要だ。
「働くようになって、自分が社会を支え、また自分も多くの人によって支えられていることに気がついた。」
 これは、父から聞いた言葉だ。学校でも様々な先輩の話を聞く機会に恵まれ、生き生きと自分の道を歩んでいる姿に憧れを持つようになった。様々な人と出会う経験を通して、人は成長していく。
 常に相手に温かい関心を持ち、ふれあいを持つこと。相手の心を考え、相手を受け入れて語り合うことで支えること。それには、予算も施策も必要ない。ただ人と人がつながり合うだけでいい。
 防災の問題、高齢化の問題、若者のニート化問題など、その解決に関して十分には見通しが立っていない。このように考えると悲観的に思えるが、決してそうではない。物事は、問題があるから改善があり、疑問があるから解決があり、未知の部分があるから可能性がある。そして、そこに大きな夢が生まれる。
 逃げ腰や無関心の態度はいけない。今ここに生きているということは、今の世の中や将来に対して責任を負うことである。今、何が必要であり、何を再検討しなければならないのかをしっかりと見極めていくことが大切だと感じる。
 人が好きで、常に人と関わって生きている「男はつらいよ」のフーテンの寅さん。寅さんの人気が続いているのは、心と心のふれあいにあるのではないか。人と人の心のつながりを大事にした国、少々お節介かも知れないが人情があふれ、下町情緒あふれる国が私の理想である。