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参議院の動き

参議院70周年記念論文表彰式

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 むくみ経済活性化

神奈川県  慶応義塾湘南藤沢高等部 1年

小野 桃果

今でも覚えている。小学校の頃から目にしてきた国家支出の円グラフ。圧倒的な割合を占めるのは、決まって社会保障関係費というものだ。そして、2017年度ついに過去最大の予算額を記録した。内訳を見てみると年金、医療、介護といった順に費やしている。これらに通ずるものは何か。それは、高齢者のための使い道であることではないだろうか。だが、今日の日本では少子高齢化が目にもとまらぬ速さで進行している。税金の負担を主に担う若者が減る中、社会保障関係費を必要とする高齢者は増える一方だ。このまま黙ってこの問題を見逃すわけにはいかなくなる。働く者が減る状況で、どうやって膨らむ支出に対応していくのか。試行錯誤の末、私が辿り着いたのが「むくみ経済活性化プロジェクト」であった。

日本経済が悪化した末を描いてみた際に、その実態は今の過疎地域を彷彿とさせた。未来の日本社会の縮図ともいえる過疎地域の改善策を導くことは、少子高齢化社会である日本の経済を救うことに繋がるはずだ。思い立った私は、過疎地域の経済救済策を考えることとした。

過疎地域の実情を正確に把握するところから始める。自主財源に乏しく脆弱な歳入構造で、財政力指数は全国平均の半分。人口減少の速度は加速し、産業も厳しい景況。問題は山積みだが、永続的に支えとなるような決定的政策はまだない。経済が滞っていくばかりでその様はまさにむくみと等しい。では、むくみを解消する時、何が必要か。それは、マッサージ等の何らかの外部刺激である。内部で技巧を凝らすのではなく外から新たに風を取り入れ、景気回復を目指したい。根底にあるその想いを込め、むくみ経済活性化プロジェクトを練った。

人口が僅かな小さな村ながら、財政力1位を誇る自治体。私を惹き付けた理想の街、愛知県飛島村だ。稼ぎ手が少ない中、収入を確保できる理由は税収にあった。これまで200を超える企業の工場を村に誘致し、固定資産税収入で財源を得ていたというのだ。このような安定した豊富な税収のお陰で、飛島村では充実した福利厚生を設けている。これはまさしく、国でいう社会保障関係費に相当する。過疎地域における経済活性化の糸口を見つけたと感じた。

第一の新たな風を、企業誘致としてみる。土地が安く、用地も確保できる過疎地域には適した策だ。加えて、数年前までは賃金が安いが故に海外に工場移設を進める、産業の空洞化が著しかったが、円安が進む今、企業が高い技術を誇る日本に工場を戻す流れが生じている。「製造業の国内回帰」は、この策の追い風となるだろう。

ただし、飛島村は地理的に好都合だった為に企業誘致が功を奏しただけで、他の過疎地域では応用できないと思う人もいるだろう。確かに飛島村は海に面していて、大都市に隣接しているなど条件が整っている。対して過疎地域の多くは、平地面積の割合が低く水源が乏しいといった具合に、立地条件が悪いのが実態だ。だが、工場を建設するという概念にとらわれる必要はない。IT企業を導入するというような、その地に見合った企業に的を絞ればいい。多分野に亘って企業が展開している中で、地域色を生かせる企業選択をすることが秘訣だと考える。

国土面積の過半を占める過疎地域において、工場立地件数は、約10%にしか満たないという。まずは、過疎地域の自治体に企業誘致という術があることを認知して頂く。自治体側は交通アクセスの更なる改善、道路整備を推進するとともに、ブロードバンドサービスエリアの拡大など、企業の需要に見合う地域創造に向けて先手を打たねばならない。国からの補助金を、いかに適した形で有効活用していくかが鍵だ。そして、遠く離れた企業側に自治体の魅力を存分にPRし、広く周知してもらう。宣伝方法においても、新聞やテレビといった従来の方法のみならず、浸透力の高いSNSを運用し、幅広い層を意識して発信することが不可欠だ。つまり、実行には「時代の変遷に対応すること」が1つの課題となるであろう。

企業が増えれば、それに伴って自然と人が舞い込んでくる。それは企業での働き手が、交通機関を使って通勤するか、過疎地域に移住するかという二択を迫られるからだ。いずれにせよ、過疎地域において喜ばしいことであることに違いはない。というのも、人が街の中を巡るようになると交通インフラ整備による新たな利益を生むことができる。さらに、その地域に魅了された人が移住を決断する可能性も大いにあり、未曾有の展望が見込めるのだ。

今、過疎地域では残された空き家を再利用しようという試みがなされている。移住者のための居住地として、さらに企業のオフィスとして息を吹きかえそうというのはいかがだろうか。近頃、若者が自然をより好むようになり、地方で暮らすことを視野に入れる人が着実に増えていることは、実際のデータからも伺える。現に私も、都心に転居してからというもの、田舎特有の温もりが恋しくなっている。移住者は、移住者を呼ぶ。未知の良さが移住者の手によって発掘される。自然に囲まれて働くことが、これからの働き方の主流になりうるのだ。企業の参入によって色づけられた過疎地域は、発信地に生まれ変わる可能性をも秘めている。

むろん、過疎地域が若者偏重の街となってしまってはいけない。そこで同時進行でCCRC構想というものを本格的に採択しようと考えている。CCRC構想というのはアメリカ発祥で、日本版では仕事を退職した人が、健康な内に地方に移住し主体的に街を活性化させ、第二の人生を楽しむというもの。日本政府が日本版CCRC構想を考案したのだが、施設や人手が不足している中では、負担が大きすぎると異議を唱える人もいた。だがそれは、今の地方の状態での議論である。企業誘致によって企業と街が堅く手を組めば、施設の建設も実現に近づく上、若者が増えた中での採択となれば、話は違ってくるだろう。2人以上の近隣住民が高齢者に目を配る仕組みを構築し、施設がなくとも運営していく道もある。隣人との関わりが薄く、孤独死が日常に溶け込む日本社会を、大きく変容させる契機が待っているかもしれない。高齢者と若者が主体的に輝ける街は、伝統と革新を兼ね備えた力強い街となる。そこには、かつての衰弱した過疎地域の姿はない。

こうして、まち、ひと、しごとという3拍子が揃い、それぞれの要素が影響しあえば、過疎地域は間違いなく活性化するであろう。すると、国の経済も潤うであろうし、これをモデルにして政策を打ち出すこともできる。この「むくみ経済活性化プロジェクト」考案の裏には、私が実際に10数年岡山県に住んで知った、移住者の声がある。岡山県は移住者を広く受け入れており、多様な背景を持つ人々が集う。都心から来た友達が「人々は温厚で、独自の知恵が息づいているから私もこの街好きだな」と何気なく呟いていた。今まで住んでいた者には気づけない美点が潜んでいるのではと、ハッとさせられた。だからこそ、自分が政策を立てる際には、地方も思慮した案を立て、国と地方を繋ぐ架け橋になりたいと思ったのだ。これが地方と首都圏を知る私の、更なる広がりを見せるであろうプロジェクトの原点である。

社会に生きる政策を提言するにはどうすればよいのか。自分がその立場になったと仮定して見出せたことが、主に3つある。まずは、革新と保守の均衡がとれている策を図るということ。時代が移りゆく中、踏襲だけでなく、時には型破りな方法が求められるだろう。決して軽率になることなく、真新しい切り口から見つめていくべくだと思う。次に、複数の政策を連携させてみるということ。単体では効果を発揮しないと思われた政策も、合わさることで、可能性の幅を大きく広げることがある。多角的な視点が要求されると犇々と感じた。そして、あらゆる人の為の策か見直す複眼思考をするということ。例えば、税が全国民のものである以上、偏ることなく全ての人に有益な政策を打たねばならない。だからこそ、度なる議論を重ね、様々な立場の人の意見に耳を貸すことを、決して疎かにしてはならないのだ。このように質の高い政策を生むことは、一筋縄ではいかないものだ。政府は国の先頭かつ中心に立っており、国民皆が政治を動かす一員であることを忘れてはならない。

前代未聞の政策には、大きなリスクがはらんでいる。今回の政策も然りである。古くからの習わしがある地に、新しい者が介入すると、摩擦が起こる危険性が極めて高いのだ。危惧を抱いて踏みとどまることは容易いが、同時に可能性を潰してしまうことを意味している。何事も円滑に進めばこの上ないものの、政策を進める上で、必然的に齟齬や歪みが生じてしまうことは多々ある。それが人々の意識や配慮といった努力で修復できるものなら、社会全体で手を尽くし、道を切り拓いていくことが大切だと思う。それこそが社会が「政策を生かす」為の手ではないだろうか。

近年、若者の政治に対する関心離れが叫ばれ、対策が講じられている。「誰が議員になろうと変わらないから。」「今までだって失敗していたから。」政治に興味がないと、貴重な参政権を無駄にしてしまう人たち。だが、その人々も社会から幾多の恩恵を受けており、その社会で生きていくのだ。悲観する前に問題意識を持つことが、明日の日本を創る力となる。私も、日本が皆にとって誇れる故郷になるよう、先を見据えた自分なりの突破口をさらに模索していきたい。