質問主意書

第210回国会(臨時会)

質問主意書

質問第五九号

北海道百年記念塔の解体に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  令和四年十二月七日

神谷 宗幣


       参議院議長 尾辻 秀久 殿



   北海道百年記念塔の解体に関する質問主意書

 令和四年十月開催の北海道議会第三回定例会において札幌市厚別区の野幌森林公園に建立された「北海道百年記念塔」(以下「百年記念塔」という。)の解体工事契約が承認された。

 百年記念塔は蝦夷地が北海道に改められ、開拓使が置かれてから百周年を記念する昭和四十三年の「北海道百年」の中心事業として昭和四十五年に建立された。「北海道百年記念塔建立記」はその建立の意図を次のように述べる。

 「産業、経済、文化など、あらゆる分野において目覚ましい発展を続ける北海道の現状を思う時、かつて原始の密林を切り拓き、厳しい風雪に耐えぬいて、本道発展の基礎を築いた多くの先人の、想像を絶する辛苦を忘れることはできない。(中略)われわれ道民は、先人が示したこの不抜の開拓者精神を受け継ぎ、開道二世紀にふさわしい躍動する産業と香り高い文化が融合する偉大な北海道の建設に向かって、力強く邁進しなければならないと考える。(中略)このような趣意から、先人の偉業を長く後世に顕彰し、慰霊の誠を捧げるとともに、輝く未来を創造する決意を表徴として、道民の総意をもって北海道百年記念塔の建立を企図したところである」

 百年記念塔の建設は、道民の総意に基づくべく北海道百年事業と切り離して町村金五知事を会長とする「北海道百年記念塔建設期成会」が創設され、建設費五億円の半額が道民の寄付によって賄われた。

 百年記念塔の数式を駆使して練り込まれた精緻なデザインは、日本建築家協会会長で審査委員長の佐藤武夫氏から「北の大地の交響曲」と激賞された。また、外板と骨格には、アメリカのUSスチール社によって発明された錆の被膜が内部の腐食を防ぐ耐候性高張力鋼(通称「コルテン鋼」)が使われ、当時の最先端技術で、日本ではパテントを受けた富士製鐵(現日本製鉄)室蘭製鉄所だけで製造されていた。

 以上を鑑みるなら、百年記念塔は建立の背景、設計の経緯、用いられた技術、優れたデザインから、第一級の建築文化遺産と見ることができると考える。令和二年に築後五〇年を経て有形文化財の資格要件を満たしているとも言える。

 しかるに北海道は平成三十年十二月策定の「ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想」(以下「空間構想」という。)において「解体もやむを得ないと判断」し、令和四年度予算に解体工事費を計上した。「文化財指定がされるべき」との道民の声に対しても解体が予定されていることを理由に登録申請を拒んでいる。

 一方、「空間構想」は、百年記念塔撤去後の跡地に「はるか太古から連綿と続く、北海道の歴史・文化と、今日の北海道を築き上げてきた幾多の先人の思いを引き継ぐとともに、お互いの多様性を認め合う共生の立場で、未来志向に立った将来の北海道を象徴する」モニュメントを設置するとしている。

 「空間構想」において、北海道は百年記念塔について構造上「今後の老朽化の進展を完全に防ぐことは困難である」として、「利用者の安全確保」と「将来世代への負担軽減」を解体理由に挙げているが、空間構想が発表されると、道民から多くの疑問や反対の声が寄せられた。保全を求める住民グループが結成され、北海道の情報公開条例を活用して関連公文書を取得し、解体理由を精査する活動も展開された。この結果、「利用者の安全確保」と「将来世代への負担軽減」について重大な疑念が持たれている。

 これまで百年記念塔は、おおむね十年ごとに現況調査を実施し、修繕など対応すべき事項と費用を示した十年間の保守管理計画を策定した上で、継続的にメンテナンスが行われてきた。最後の十年計画は平成二十三年に策定されたもので、令和三年までこの計画に則りメンテンスが行われてきたことになる。

 しかし、保全を求める住民団体の調査によれば、平成二十三年に百年記念塔の解体計画を含む新たな計画がつくられ、平成二十三年のメンテナンス計画は破棄された。以降メンテナンス費用は半減し、平成二十九年からは完全に打ち切られている、という。

 メンテナンスが打ち切られた平成三十年九月に長さ百九十五センチ、重さ約九キロの部材が落下した。北海道はこの事象を「老朽化」の証しとしてアピールしていているが、この部材は平成四年に後付けされたもので、容易に点検できる場所にあり、老朽化というよりも北海道の意図的な管理懈怠が問われるものである。

 「将来世代への負担軽減」については、空間構想の中で、百年記念塔の展望室に立ち入らせる状態に回復する場合と、現状のように立ち入らせない場合で、今後五十年間の維持管理費がそれぞれ二十八億円と二十六億円と提示された。令和三年度に行われた百年記念塔の解体工事実施設計の調査のなかで単価の見直しが行われ、三十億円と二十八億円に改められた。解体実施設計の調査を行う業者が出す維持管理費にどれだけ正当性があるのか疑問の声が上がっている。

 この長期維持管理試算についても住民グループが調査したところ、全体の八割近くを占める大規模修繕費について経費内訳が示されていないなど、積算根拠を確かめようがないものであった。このことについて北海道は「調査報告書において経費内訳は示されていないものの、受託者において一定の根拠を持って積算されたものと認識しています」と経費内訳の無いことを公式に認めているが、「一定の根拠」はいまだ公開されていない。

 以上のように北海道の唱える「維持管理費」、「老朽化」という百年記念塔を解体する二大理由は既に論理的に破綻状態にあると言ってよい。しかるに北海道は、同じ説明を繰り返しながら解体工事着手の時を待っている状態である。こうした状況を受け、令和四年十月三日には、主要保全グループ「北海道百年記念塔を守る会」が地方財政法第八条違反を理由に百年記念塔解体工事差し止め訴訟を起こした。

 百年記念塔の解体については、その背景に早くからアイヌの支援団体、一部歴史研究者、教職員団体などから「アイヌ民族侵略の象徴」、「百年記念塔が象徴する北海道開拓は日本帝国主義の侵略行為」との批判が根強くあった。

 令和元年四月、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(アイヌ施策推進法)が成立したが、百年記念塔の解体議論はこのアイヌ施策推進法の策定議論と並行して行われていた。こうしたことから百年記念塔の解体は、北海道開拓を侵略と捉えるアイヌ支援者に忖度した結果ではないかとの指摘もなされている。

 以上の経緯を踏まえ、以下質問する。

一 政府は明治期から昭和二十五年の北海道開発法制定までの間に日本が国家を挙げて取り組んだ北海道開拓の歴史的意義をどのように捉えるのか。また、こうした開拓の歴史を記念した北海道百年記念塔のこれまでの存在意義をどう捉えているのか、示されたい。

二 岸田文雄総理は、昭和四十三年九月二日に行われた北海道百年記念祝典における昭和天皇のお言葉で「ここに百年、進取の気風と不屈の精神をもって今日の繁栄を築き上げてきた人々の努力は深く多とするところであります。(中略)今後とも、道民一同がたくましい開拓者精神をうけつぎ、一致協力して北海道の開発を推進し、国運の進展に寄与するよう、せつに希望します」とされていることについて、この精神は今日も変わらず受け継がれるべきものと考えるか。

三 一部のアイヌ支援者には北海道開拓の称賛はアイヌ民族への差別であるとの主張が根強くある。北海道はこの声に忖度して公共空間から「開拓」の排斥を続けている。北海道百年記念塔の解体もその一環であると見られている。北海道開拓の顕彰はアイヌ民族への差別だと考えるか、政府の見解を示されたい。

四 「北海道百年記念塔はアイヌ民族に対する侵略の象徴」、「アイヌ民族に対する同化政策の象徴」という主張が一部のアイヌ支援者からなされているが、そもそも北海道開拓の過程で日本政府・国民によるアイヌへの侵略行為、日本人同化政策が存在したかどうかについて、政府の見解を示されたい。

五 北海道開拓の歴史的意義に鑑み、その象徴である北海道百年記念塔は、建設の背景、造詣、技術を含め全国的価値を有する建築文化遺産に値すると考える。政府の見解を示されたい。

六 自由民主党の議員連盟「日本の尊厳と国益を護る会」が令和四年八月三十一日と九月六日に百年記念塔を視察し、小玉俊宏北海道副知事らと意見交換を行った。会代表の青山繁晴参院議員は、「拙速に破壊を進めれば最悪の場合、政治的な争点になる」と解体に反対する姿勢を明らかにした。一方で、北海道幹部らは「地方自治を保障した憲法九十二条を踏まえ自治の趣旨を踏まえてほしい」と述べたとされる(北海道新聞 令和四年九月十五日付)。文化的価値、歴史的意義から全国的に注目されるこの度の百年記念塔解体が「地方自治の趣旨」ということで、いささかの批判や反対が許されないというこうした見解は、正しいものと言えるのか、政府の認識を示されたい。

七 現在の有形文化財の登録は所有者による先願主義となっている。百年記念塔のように所有者である自治体が解体を決めたとき、全国的価値を有する文化財の喪失を政府が是正させる仕組み、法的な取り決めは存在しないのか。

  右質問する。