質問主意書

第169回国会(常会)

質問主意書


質問第三号

防衛省防衛研究所の戦史資料「集団自決」に付された見解に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成二十年一月十八日

糸数 慶子   


       参議院議長 江田 五月 殿



   防衛省防衛研究所の戦史資料「集団自決」に付された見解に関する質問主意書

 防衛省の防衛研究所(東京都目黒区)は、第二次大戦時の沖縄・集団自決に関する公開資料について、同資料に対する見解を付し、一般公開している。同資料は、昭和三十五年(一九六〇年)に、厚生省(当時)の事務官・馬渕新治氏が陸上自衛隊の幹部学校で「沖縄戦における島民の行動」をテーマに講演した際の講演録に添付された手記「集団自決の渡嘉敷島」「座間味住民の集団自決」なるもので、その手記資料に対し、見解を付けている。手記資料の「集団自決の渡嘉敷島」においては、「友軍は住民を砲弾の餌食にさせて、何ら保護の措置を講じようとしないばかりか『住民は集団自決せよ!』と赤松大尉から命令を受けた」と記され、「座間味住民の集団自決」では「艦砲のあとは上陸だと、住民がおそれおののいているとき、梅沢少佐から突然、次のような命令が発せられた。『働き得る者は男女を問わず、戦闘に参加せよ。老人、子供は全員、村の忠魂碑前で自決せよ』」と書かれている。同手記資料に対し、防衛省の防衛研究所は、附録三「集団自決の渡嘉敷島」および附録四「座間味住民の集団自決」について、という表題を付け、以下の通り記述している。原文のまま記述する。
 本資料は、沖縄タイムス編「鉄の暴風」(昭和二十五年)に記述されている上陸日の誤り、赤松大尉が発したといわれる命令等同一の表現を持つ部分が多く、独立的に書かれたとは考えにくい。
 「日本軍の旧態を暴く」という風潮の中で、事実とは全く異なるものが、あたかも事実であるがごとく書かれたものである。
 戦後、雑誌「家の光」に掲載された渡嘉敷島駐在巡査安里喜順氏の証言、宮城晴海著「母の遺したもの」(高文研二〇〇〇・十二)等から、赤松大尉、梅沢大尉の自決に関する命令は出されていないことが証明されている。
 この記述は、手記資料に対する明らかな見解であり、手記資料を否定し、赤松、梅沢の両隊長命令が出されていないことを断定しており、政府機関である防衛研究所の見解としては極めて不適切、かつ問題である。
 よって、以下質問する。

一 手記資料「集団自決の渡嘉敷島」「座間味住民の集団自決」に対する防衛研究所の見解について、政府側としてどのように取り扱うのか。

二 同見解は、いつ誰が執筆し、どのような経緯のもとに一般に公開されたのか、明らかにされたい。

三 同見解には「防衛研究所戦史部」の名称が付されており、防衛研究所戦史部の見解であることには間違いないが、同戦史部は資料保存のための価値判断が業務であり、著しく業務を逸脱している。このような業務外の見解が付けられた背景には、防衛研究所としての「集団自決」に対する基本認識と、何らかの指示・命令等があったと理解される。防衛研究所の「集団自決」に対する認識と、指示・命令等の有無について、明らかにされたい。

  右質問する。