質問主意書

第164回国会(常会)

質問主意書


質問第六四号

日本政府が派遣した「満蒙開拓団」に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成十八年六月五日

吉川 春子   


       参議院議長 扇 千景 殿



   日本政府が派遣した「満蒙開拓団」に関する質問主意書

 第二次世界大戦中、日本政府は、満州(現在の中国東北部)に行けば一人当たり二十町歩の土地を与えると宣伝して、農民を中心に満蒙開拓団を送り込んだ。その数は二十数万人と言われている。
 一九四五年八月九日のソ連軍参戦、同年八月一五日の日本軍敗戦によって、満州は大混乱に陥った。開拓団員とその家族からは、日本への引き揚げ途中に約十万人の死亡・行方不明者を出した。満蒙開拓団を「派遣」したことによる中国人の人的被害は、それ以上とも言われている。さらに、多くの「残留孤児・残留婦人」が生じており、彼らの中には中国の人々に育てられたものも少なくない。
 「満蒙開拓は決して過去のものではない。『日本人のしてきたこと』の記憶を失っては歴史は乗り越えられない。」(中繁彦著『沈まぬ夕日-満蒙開拓の今を生きる中島多鶴』)とあるとおりである。
 私は、中国残留孤児・婦人問題を度々国会で取り上げてきており、一九九三年には満蒙開拓団に関連して「中国残留婦人の永住帰国の実現に関する質問主意書」(第百二十八回国会質問第一号。以下「前回質問主意書」という。)を提出しているところであるが、今回、以下の事項について改めて質問する。

一 廣田内閣の「二十カ年百万戸移民送出計画」について

1 一九三六年八月二五日に廣田内閣が策定した「二十カ年百万戸移民送出計画」(以下「本移民計画」という。)においては、入植戸数の目標を「おおむね二十カ年に約百万戸(五百万人)を入植せしむ」としている。別添の満州開拓農民入植図には、旧満州における開拓団の名前がびっしりと記されている。
 そこで、旧満州に送り込んだ開拓団の数及び人数を、都道府県別に明らかにされたい。
2 本移民計画における移民用地の予定地域及び面積(町歩)を、国有土地(逆産地(抗日運動に参加した中国人の所有地)を含む。)、公有地、不明地主の土地の各区分に沿って示されたい。
3 前回質問主意書に対する一九九三年一〇月二二日付け答弁書において、開拓地面積については、満州拓殖公社の一九四四年度における決算説明書によれば総面積六百二十万四千ヘクタールとなっている旨が示されている。
 満州拓殖公社の決算説明書では作付面積しか分からないが、劉含発氏の論文「日本人満洲移民用地の獲得と現地中国人の強制移住」においては、一九三九年までに満州国と満州拓殖公社が獲得した土地の総面積は千九百六十万二千二百ヘクタールであり、そのうち既耕地百五十一万六千ヘクタール(総面積の七・七パーセント)、その他は放牧採草地、荒れ地などの不可耕地とされている。
 このように、現地住民から取得した土地面積と作付面積には大幅な違いがある。政府は、満州国等から取得した開拓地の総面積について正確に把握しているか、具体的に明らかにされたい。

二 開拓団の土地の入手方法について

 別添の地図は、国立国会図書館所蔵の『満洲開拓年鑑』(一九四〇年版)末尾に掲載されている地図の写しである。この地図には、記号と文字・数字が詳細に示されており、〇と▲は集団開拓民、(※)と●は青年義勇隊訓練所等を示している。
1 満州開拓団の入植によって、この地図にある土地に住んでいた中国人は土地を追われたのではないか。彼らはどこへ行ったのか。
2 満州拓殖公社は、現地の中国人あるいは満州国政府から、どのような方法で土地を入手したのか。買収(譲受)の場合はその価格も示されたい。
3 一九三九年決定の「満洲開拓政策基本要綱」(『満洲開拓年鑑』一九四一年版掲載)には、「開拓用地の整備に関しては原則として未利用地開発主義によりこれを国営とす」となっているが、土地所有関係についてはどうなっていたのかを具体的に示されたい。

(二のうち、(※)は◎の内側円が黒丸である記号を示している。)

三 満蒙開拓団の送出が侵略的行為であったことについて

 当時の日本政府が満蒙開拓団を送出したことは侵略的行為であったと考えるが、政府の見解を示されたい。

四 満蒙開拓団の人数等について

 長野県の満蒙開拓団については、既に全員について調べた結果が公表されている。
 そこで、長野県だけでなく、日本全国より満蒙開拓団として送出した人数、敗戦後日本への帰還者の人数、現地で死亡した人数、行方不明者の人数を、都道府県別にそれぞれ明らかにされたい。

五 満蒙開拓団犠牲者の現地における墓の建立について

 長野県泰阜村から十五歳で両親と満蒙開拓団に一員として中国に渡り、戦後の混乱の中、単身日本へ引き揚げてきた中島多鶴さんによると、この地域には関係者の強い要望にもかかわらず、満蒙開拓団犠牲者の墓は周恩来元首相が認めた一つしかなく、また、多くの遺骨が収集もされずに残されているという。
 日本政府は、関係者が要望する地域に墓が建立できるように、中国政府に働きかけるべきであると考えるが、政府の見解を示されたい。

六 中国残留孤児・婦人に対する生活支援について

 二〇〇六年二月一五日、東京地方裁判所は、中国残留孤児・婦人の政府の自立支援措置を怠ったことについての損害賠償請求裁判で、「①中国残留孤児・婦人等は政府の行為によって危険地帯へ国策により大量に移民として送りだされ生死の危険をさまよう極寒の地での過酷な難民体験を経て、異国に長期間取り残されるという苦難な人生を歩まされた。②他の戦争犠牲者と違って青年期または少年期に日本社会から切り離され、日本語の能力と日本の生活習慣社会習慣等を身につける前に中国に取り残された。次第に日本語の能力も低下し日本社会における習慣など日本国内において大人の仲間入りをするための訓練を受けることができない状態におかれたまま、二十年も三十年も放置されてきた。」という事実を認定した。
 裁判での請求は棄却されたが、これ以上支援措置を遅らすべきではない。中国残留孤児・婦人の方々の生活支援のために、政府は様々な制約のある生活保護という措置だけではなく、これまで講じてきた対策に加えて、立法措置も含めて早急なる特別対策を検討すべきと考えるがいかがか。

  右質問する。

(別添)