質問主意書

第145回国会(常会)

答弁書


答弁書第二七号

内閣参質一四五第二七号

  平成十一年八月十三日

内閣総理大臣 小渕 恵三   


       参議院議長 斎藤 十朗 殿

参議院議員福島瑞穂君提出国旗国歌法制化に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。


   参議院議員福島瑞穂君提出国旗国歌法制化に関する再質問に対する答弁書

一について

 お尋ねの「日の丸掲揚や君が代斉唱を求められても拒否する権利」ということの内容が不明確であり、仮定の上での答弁は差し控えさせていただくが、この国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号。以下「本法律」という。)には、国旗の掲揚等に関し義務付けを行うような規定は盛り込まれておらず、政府としては、現行の運用に変更が生ずることとはならないものと考えている。

二について

 今回の法制化の趣旨は、長年の慣行により、それぞれ国旗及び国歌として国民の間に広く定着している日章旗及び君が代について、その根拠を成文法で明確に規定するものであることから、国旗の掲揚等に関し義務付け等を行わないこととしたものである。
 政府としては、法制化を契機に、国民の間に日章旗及び君が代がそれぞれ我が国の国旗及び国歌としてより一層定着することを期待している。

三について

 本法律には、国旗の掲揚等に関し義務付けを行うような規定は盛り込まれていない。御指摘の点が憲法第十九条に抵触するか否かについては、一概に結論づけることはできない事柄であると考える。

四について

 御指摘の点は、本法律の成立いかんによって何ら左右されるものではない。いずれにせよ、御指摘の点が憲法第十九条に抵触するか否かについては、個別具体的に判断すべき事柄であり、一概に結論づけることはできないものと考える。

五について

 御指摘の点は、本法律の成立いかんによって何ら左右されるものではない。一般的には式典等の主催者が、その趣旨を踏まえ円滑に式典等が行われるよう配慮することは、主催者の責務であり、それに協力しない者に対して必要な措置を採ることは、当然認められると考えられるが、その対応が具体的処罰の対象となるかは個別具体的に検討すべきものであり、一概に結論づけることはできないものと考える。

六について

 学習指導要領は、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)及び同法施行規則(昭和二十二年文部省令第十一号)の規定の委任に基づいて教育課程の基準として文部大臣が告示として定めるものであり、法規としての性質を有している。各学校は学習指導要領に基づいて、教育課程を編成し実施する責務を負うものである。国旗及び国歌の指導についても、各学校は学習指導要領の定めるところに基づき、児童生徒を指導する責務を負うものである。また、公立学校の教員は、公務員として、地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)等の法令や上司の職務上の命令に従って職務を遂行しなければならない。

七及び八について

 学習指導要領は、教育の機会均等と全国的な一定の水準の維持のために文部大臣が定める教育課程の基準であり、学校における教育内容に関する全国的な大綱的基準として、法規としての性質を有することは、伝習館高校事件最高裁判決(平成二年一月十八日)においても明確にされているところである。
 なお、各学校は学習指導要領に基づいて、教育課程を編成し、実施する責務を負うものであり、具体的な指導に当たっては各学校において創意工夫を加えることが必要である。

九について

 地方公務員法第三十二条に規定する職務上の命令については、重大かつ明白な瑕疵がある場合、すなわち、当該職務上の命令が無効である場合を除き、職員はこれに従わなければならないものと考える。

十から十二までについて

 今回の法制化の趣旨は二についてで述べたとおりであるが、成文法に根拠がないことをもって日章旗及び君が代を我が国の国旗及び国歌として認めない意見が国民の一部にあることも事実であり、今回の法制化を契機に、国旗が日章旗であり国歌が君が代であることが極めて明確になるものと考えられる。
 また、今回の法制化によって学校教育における国旗及び国歌に対する正しい理解がさらに進むものと考えられるが、法制化によって学習指導要領に基づく国旗及び国歌の指導に関する取扱いを変えるものではない。

十三について

 既に述べたとおり、今回の法制化の趣旨は、長年の慣行により、それぞれ国旗及び国歌として国民の間に広く定着している日章旗及び君が代について、その根拠を成文法で明確に規定するものであり、本法律において、国旗の掲揚等に関し義務付けを行うような規定は盛り込んでいない。
 なお、学校教育における国旗及び国歌の取扱いについてはこれまでも述べたとおりであり、政府としては、現行の運用に変更が生ずることとはならないと考えている。