質問主意書

第143回国会(臨時会)

質問主意書


質問第二号

戦時遭難船舶犠牲者の洋上慰霊祭・遺族補償等に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成十年八月十二日

照屋 寛徳   


       参議院議長 斎藤 十朗 殿


   戦時遭難船舶犠牲者の洋上慰霊祭・遺族補償等に関する質問主意書

 一九四四年八月二十二日、学童疎開船・対馬丸は、トカラ列島悪石島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没し、学童ら乗客及び乗組員千五百八人が犠牲となった。対馬丸遭難の惨劇の悪夢から五十四回目の夏を迎えんとする今日、犠牲者の遺骨は船体とともに海の底に眠ったままである。
 戦時遭難船舶遺族会(島袋林功会長代行)の資料によると、対馬丸を含め嘉義丸、赤城丸、湖南丸等戦時遭難船舶は二十六隻、犠牲者は三千四百二十七人となっている。以下「戦時遭難船舶」と言う場合は、太平洋戦争中に米軍の攻撃を受けて沖縄近海等で遭難した船舶を呼ぶこととする。
 戦時遭難船舶は、(1)南洋群島から本邦へ引き上げる船舶、(2)沖縄から南九州や台湾へ向かう疎開船、(3)本土から沖縄への帰郷者を乗せ航路の途中で遭難した輸送船の三つに大別される。
 この戦時遭難船舶による犠牲の実相について、本年六月二十三日に行われた戦時遭難船舶慰霊祭で採択された内閣総理大臣宛の要請決議は、次のように指摘する。
 「沖縄・本土間の定期航路では客船六隻で犠牲になった県民は二千六百五十三人、沖縄から本土への強制疎開、沖縄から本土の軍需工場へ赴く徴用工及び女子挺身隊であります。本土から沖縄への犠牲者の多くは、阪神方面で働いていた県民が召集令状を受けて、自宅から出征しようと帰省の途上犠牲になりました。少年航空兵も定期客船に便乗して犠牲になっています。南洋諸島からは十六隻、七百六十三人が、戦争遂行のため足手まといになるとして沖縄や本土に強制送還される途上、老若男女が犠牲になりました。これらの船舶は、すべて船舶運営会の使用船であり、国の徴用船でありました。戦時中、本土・沖縄間の定期航路の客船は単独航行は行われず、常時軍人輸送船などと船団を組んでの航行でありました。そのため、定期航路の客船は米潜水艦の標的になり、非戦闘員であった県民多数が犠牲になりました。」右要請決議の指摘は、正鵠を得たものと考える。戦時遭難船舶犠牲者は、被害の特殊性等に照らし、国が戦争を遂行する過程で強いた「特別の犠牲」であり、その遺族等に対しては、国の責任において現行法令上、または新規特別立法等の措置により、十分な補償がなされるべきものと思慮する。
 よって、次の点について質問する。

一、本年三月七日、対馬丸の洋上慰霊祭が行われたが、この慰霊祭には船の定員との関係で、多くの遺族が参加できなかった。小泉純一郎厚生大臣(当時)は、本年三月二十四日の参議院予算委員会における私の質疑に対し、「ご遺族のご希望が強いので、できれば今年中に二回目の洋上慰霊祭を行いたい」と答弁している。対馬丸の第二回洋上慰霊祭はいっ行うのか、また、その規模を明らかにされたい。

二、対馬丸のご遺族は、犠牲者の遺骨収集を強く希望している。政府は、対馬丸の船体引き揚げと遺骨収集について技術的な検討をしたことがあるか。検討したならその内容を明らかにされたい。また、検討していないなら船体工学、海洋工学、気象学等の専門分野の調査・検討を速やかに行うべきであると考えるが、所信を明らかにされたい。

三、嘉義丸、赤城丸、湖南丸等の戦時遭難船舶二十六隻の沈没地点を示されたい。

四、対馬丸以外の戦時遭難船舶の犠牲者についても、洋上慰霊祭の開催、その他の慰霊事業等を実施すべきと考えるが、所信を明らかにされたい。

五、去る大戦で、わが国において唯一地上戦が戦われた沖縄では、二十万人余の尊い命が犠牲になった。沖縄戦で犠牲になった県民に対しては、厚生省による遺骨収集、遺族補償についても、六歳未満の戦闘協力者に対する援護法の適用拡大等によって戦後処理は相当進展したが、戦時遭難船舶によって犠牲になった人々に対する補償等の戦後処理は進んでいない。戦時遭難船舶犠牲者に対する補償について、「対馬丸方式」による遺族補償をすべきと考えるが、政府の見解を示されたい。

  右質問する。