第109回国会(臨時会)
質問第四号
在沖縄米軍基地の整理縮小の遅延に関する質問主意書 右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。 昭和六十二年八月三日 喜屋武 眞榮
在沖縄米軍基地の整理縮小の遅延に関する質問主意書 今年に入つて、沖縄では米軍基地がらみの事件、事故、軋轢が殊の外に多発しているという現状にかんがみ、その根源たる「米軍基地」の整理縮小に関して、以下の質問をする。 一 在沖縄の米軍施設に関する第十四回(昭和四八、一、二三)、第十五回(昭和四九、一、三〇)及び第十六回(昭和五一、七、八)の日米安全保障協議委員会における返還合意施設の件数及び面積は、それぞれ三件四八一ヘクタール、四十八件二、七八八ヘクタール及び十二件二、四七三ヘクタールとなつており、合計で六十三件五、七四二ヘクタールとなつているが、その実際の返還は遅々として進んでいない。
二 前記返還合意施設中、機能移設条件付き返還合意施設の件数及び面積はどれだけあるか。個々の施設ごとに、その施設名及び面積を示されたい。 三 本年五月十三日の本院予算委員会における私の質疑に対して、宍倉宗夫防衛施設庁長官(当時)は、返還が進んでいない理由は二つあると答弁している。即ち、一つは、「施設の移設先の選定が困難である」ということ。そして、もう一つは、「土地所有者等の御意向がございまして、その御意向が計画の遂行に支障を来しておる」ということ。
(1) そこで先ず尋ねたいことは、第一点の「施設の移設先の選定が困難である」から返還が遅れているという点についてであるが、そもそも初めから「移設条件付き」の返還合意をしているのであるから、移設先の選定が困難であるために返還が進まないという理由を挙げることは怠慢と無責任以外の何ものでもないと言わなければならない。ことさらに、そのような理由を挙げるとすれば「移設条件付き返還合意」というものはあつて無きがごときもの、有名無実なものとなり、沖縄県民を愚弄する結果となるのではないだろうか。沖縄の米軍基地は、狭小な県土に比して超過密に存在し、都市計画や産業の振興開発を阻害していることは勿論、もつと直接的に県民の日常生活の場に侵害と脅威をもたらし続けているから、一日も早く整理縮小をする必要があるのである。しかも現在では復帰後十五年を経過し、返還合意をしてからでも十年余の歳月が過ぎ去つていることを考えるとき、本問題に関する政府の対応は余りにも緩慢であり、誠意に欠けるといわざるを得ない。
四 次に、「土地所有者等の御意向が計画の遂行に支障を来しておる」のが基地の整理縮小が進捗しない二つ目の理由だという答弁であるが、この「土地所有者等の御意向」の内容が「基地の返還を望まない地主がいて、その御意向」という意味だと解釈すると、これは、基地行政の責任者の発言としては御都合主義も甚だしいと言わなければならない。なぜなら、防衛施設庁は、米軍基地として提供する土地の「借用」に際しては、軍事基地のためには土地を貸したくないといういわゆる「反戦地主」の「御意向」に反してでも強制的に十年間の使用を決めておきながら、一方ではその「返還」をすべき時に当たつては、一人一人の地主の「御意向」を尊重しようというのか。矛盾も甚だしいというべきである。かつ「沖縄米軍基地の整理縮小」という行政目標は、沖縄県民の福祉と利益のために、また、沖縄県政の発展のために、なおまた、日本国憲法の下における国民の平等と負担の公平という国政の原則からも、必要不可欠なものであり、早急にその計画の実現を図るべきものであるという観点に立つならば、「地主の御意向」がどうだのというような言い逃れは許されるべきものではないと考える。従つてこの点に関しても政府の見解を承りたい。 五 占領と米軍統治の二十七年間を経て、復帰後既に十五年を経過し、合わせて四十二年間、やがて半世紀にもなんなんとする現在、なお米軍基地の重圧に耐えている沖縄県民の心を思いやるならば、また前記予算委員会で中曽根総理が答弁している「政府としてもできるだけの手だてを講じて、県民の皆様方の御納得のいくような政治を実行し、行政を実現していかなければならないと考えております」という言葉が行政の最高責任者として、真にその権威と権限に基づいて発せられたものであるならば、誠意をもつてもつと速やかに「沖縄米軍基地の整理縮小」が促進されて然るべきものと考えるが、政府の見解はどうか、承りたい。 右質問する。 |