質問主意書

第96回国会(常会)

質問主意書


質問第二八号

教科書検定に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  昭和五十七年七月十三日

喜屋武 眞榮   


       参議院議長 徳永 正利 殿


   教科書検定に関する質問主意書

 教科書の検定制度やその運用については、従来からいろいろとその問題点が指摘されてきたが、七月一日に一九八三年度以降に使用される新しい教科書の展示会が開始されたのを機に、再び「検定」のあり方が問題になつている。特にある出版社の高校・社会科=日本史の中で、沖縄戦に関して「日本軍による住民殺害」の記述が全面削除されていることが明らかになり、関係各方面に大きな衝撃を与えている。報じられた検定経過によると、最初の記述は「一九四五年四月に米軍は沖縄本島に上陸した。六月まで続いた戦闘で、戦闘員約十万人・民間人約二十万人が死んだ。鉄血勤皇隊・ひめゆり部隊などに編成された少年少女も犠牲になつた。また戦闘のじやまになるとの理由で、約八百人の沖縄県民が、日本軍の手で殺害された。」となつていた。これに対し、検定者側は「十万人とか二十万人、八百人などの数字は根拠が不確実」という理由で書き直し命令。執筆者側は書き直しによつて「六月まで続いた戦闘に巻き込まれ、約九万四千人の一般住民が死んだ。また混乱を極めた戦場では、友軍による犠牲者も少なくなかつた。」と修正したが認められず、三回目に「沖縄県史には友軍によつて殺害された県民の体験がある。」という記述にした。しかしこれに対しても検定者側は「県史は体験を集めたもので、研究書ではない。」との理由で拒否。結局、最終的に認められた記述は「六月まで続いた戦闘で軍人・軍属約九万四千人(うち沖縄出身二万八千人)、戦闘協力の住民(鉄血勤皇隊・ひめゆり部隊などに編成された少年少女を含む。)約五万五千人が死亡したほか、戦闘に巻き込まれた一般住民約三万九千人が犠牲となつた。県民の死亡総数は県人口の約二〇%に達する。」との文章になつたという。関係者は「何とか住民殺害という沖縄戦の重大事実を入れたい。」と手をかえ品をかえてかけ合つたがダメだつた。これ以上争うと、教科書全体が不合格になる恐れもあつたので、引き下がつたという。これに対し、藤村和男文部省教科書検定課長は「昭和五十年の中学社会で沖縄県史がパスしたのは、資料として使われているからだ。今回のように執筆者の主観が入り『約八百人の沖縄県民が、日本軍の手で殺害された。』との記述は県史にも出ていないし、歴史の教科書としては客観的なものではない。県史そのものを否定しているわけでなく、沖縄県民が痛ましい、悲惨な戦争体験を経て、いまもその体験が生き続けていることは、消し去ることのできない事実だと思つている。ただ歴史の教科書は可能な限り客観的で、正確な記述を求めている。」と述べている。
 以上がこれまで報じられた「日本軍による住民殺害」記述全面削除に関する概要である。
 そこで私は以下の点に関し、政府の見解を承りたい。

一 右の検定経過の概要は大筋において、事実に即しているかどうか。もし即してなければ、この件に関する事実関係を承りたい。

二 右の検定経過によると、「沖縄県史が研究書ではない。」等々、戦死者の数について、その根拠が問題にされているが国内唯一の地上戦の戦場となり、今なお野ざらしの遺骨が発見される沖縄戦の戦死者数を政府は如何なる手段・方法をもつて、また如何なる根拠に基づいて確定してきたか、また今後確認しようとしているか。

三 同経過をみると、この検定の真の意図は「日本軍による住民殺害」の削除にあつたと思われる。「執筆者の主観」といわれる、この日本軍による住民殺害について政府における事実関係の把握状況と今後の方策について見解を承りたい。

四 沖縄戦の記述に関するこのような検定のあり方は、朝鮮半島や、中国大陸に関する記述で、“侵略”を“進出”に、“出兵”を“派遣”に、“収奪”を“譲渡”に、“抵抗運動”を“暴動”に、“専制”を“統治”に書き換えるように指示されているのと無関係ではないであろう。この件に関しては、「東亜日報」や「朝鮮日報」等でも「日本の教育当局がどのような内容の教科書を、どう教えようとも、われわれが関与する問題ではないことはよくわかつている。しかし、……」と留保しながらも、日本の動向に厳しく注目しているという。このような近隣諸国の不安と危惧に対し、政府はどのような対処策を講ずるのか見解を承りたい。

  右質問する。