質問主意書

第71回国会(特別会)

答弁書


答弁書第二号

内閣参質七一第二号
  昭和四十八年二月十三日

内閣総理大臣 田中 角榮      


       参議院議長 河野 謙三 殿

参議院議員田中一君提出フィリピン戦没日本人慰霊園の建設に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。



   参議院議員田中一君提出フィリピン戦没日本人慰霊園の建設に関する質問に対する答弁書

一、について

 政府は、海外戦没者遺骨収集事業の進捗に伴い、戦没者遺族の要望ならびに国民感情を考慮して、さきの大戦における海外の旧主要戦域に戦没者慰霊碑を建立することについて、昭和四十三年五月以来検討を進めてきたところであるが、さきの大戦における最大の激戦地であり、約五十万人が戦没したフィリピンに最初の戦没者慰霊碑を建立することを計画し、昭和四十五年当初からフィリピンの国民感情を考慮しつつ、慎重にフィリピン政府と交渉を進めてきたところである。
 フィリピン政府としては、当初から戦没者遺族の心情を考慮し、また日比親善という観点から積極的にこの計画に協力する態度を表明し、建立地の選定にあたつては数か所の候補地を示してきたが、昭和四十六年七月に至り、フィリピン政府が最も推奨した国立公園予定地のルソン島ラグナ州カリラヤに建立することに決定したものである。
 本件に関してフィリピン政府が寄せられた好意と協力に対しては、外交ルートを通じ深甚なる感謝の意を表してきた。また、昨年十一月塩見前厚生大臣が訪比の際、マルコス大統領に直接感謝の意を述べたところである。さらには、本年三月下旬行なわれる予定の竣工ならびに追悼式において政府当局者から謝意を述べることとしている。

二、について

 戦没者慰霊碑および慰霊園は、一切の宗教的色彩を払拭し、簡素にして清浄な雰囲気のものにするという方針のもとに、すでに慰霊碑については東京工業大学名誉教授谷口吉郎氏、慰霊園については環境計画研究室代表池原謙一郎氏によつて設計ができ上つている。
 この設計は、慰霊碑については、戦没者を象徴する遺骨箱を型どつた石碑を重量感のある台石の上に安置し、後方に障壁を造り、その壁面に碑文が刻まれることとなつている。
 この慰霊碑を中心としてその周辺を日本式公園とし、閑静の中にも日本的雰囲気のあふれる慰霊園を、社団法人フィリピン戦没日本人慰霊園建設委員会が広く民間から募金した資金によつて建設することとなつている。

三、について

 政府としても、本件慰霊碑および慰霊園の建設計画がフィリピンの国民感情を刺激し、ひいては日比友好関係を損うことがないよう十分に注意を払つてきており、従来戦没者の遺族等関係団体等からの慰霊碑建設陳情に対しても慎重にこれを扱つてきた。しかるに、太平洋戦争により最悪の状態に陥つたフィリピンの対日感情は、日比両国官民の努力もあつて逐年改善されている。マルコス大統領も本件慰霊碑および慰霊園の建設に積極的であり、昭和四十七年一月訪比した岸元総理に対し、「大統領としてのみならず、個人としても一切の協力を惜しまない」旨述べ、比側関係者に対して全面的に協力方を指示している。本件慰霊碑および慰霊園はかかる背景の下に建設されるものであり、日本側の無理押しで建設されるものではないので、これがために日比間の友好的協力関係が損われることはないものと考える。
 慰霊碑建設にあたつてはフィリピン人戦没者の霊も併せ慰める趣旨のものとすべきではないかとの点については、政府部内でも検討したが、約五十万日本人戦没者の遺族の気持を尊重し、日本人戦没者のみを対象とするのが適当との判断である。ただし、慰霊碑に刻まれる碑文については目下フィリピン側と協議中であるが、「比島戦没者の碑」または「慰霊碑」となる予定である。
 本件慰霊碑および慰霊園の構想について、フィリピン側は当初から日本人戦没者の霊を慰めるものとして考えており、特に平和公園建設の構想は有していない。また、政府としても、戦没者の遺族の気持を尊重して慰霊を主としたものを建設することが適当であると考えている。従つて日比両国政府が折衝過程で平和公園構想についての意見交換を行なつた事実はない。しかし、本件慰霊碑および慰霊園建設の背景である根本精神は、まさにご指摘のとおり日比親善と人類の恒久的平和祈願であり、その意味において本件慰霊園は平和公園としての意義を有するものと考える。
 次に、過去に政府が外国において、日本人墓地以外に日本人戦没者の慰霊碑を建設した事例はない。