質問主意書

第21回国会(常会)

質問主意書


質問第一号

西日本大水害に関する政府の四月九日附答弁書に対する再質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。

  昭和二十九年十二月十五日

木村 禧八郎      


       参議院議長 河井 彌八 殿



   西日本大水害に関する政府の四月九日附答弁書に対する再質問主意書

 西日本大水害に関する政府の四月九日附答弁書に対し、去る十二月三日左記の質問主意書を提出し、政府の答弁を求めたところ、その答弁が得られぬうちに、吉田内閣は総辞職し、鳩山内閣が成立したので、改めて質問主意書を提出した次第である。よつて政府は、正確な図面と、根拠ある数字をあげて具体的かつ科学的に答えられたい。
          記
一、決潰した遠賀川左岸植木町中ノ江附近の堤防の沈下は遠く昭和十年頃から始まつているが、戦争前後の乱掘によつて更に激しさを加え、昭和二十八年の決潰当時このあたりで沈下の最大は二米以上にも及んだ。これより先政府は昭和二十三年に特別鉱害認定工事に着手し、同二十四年度に完了したが、その設計及び工事内容は植木町中ノ江から剣町今村に至る延長約二キロの堤防天端の一隅に高さ平均一米五〇の小堤を築き、前腹づけを行つた程度にすぎない。従つて該工事は決して地盤の不均等沈下に伴う堤防とその基礎内部の亀裂、空洞などの禍根を除去したものではない。現に堤防決潰当時の洪水位は昭和十年、同十六年などのものより低かつたことは勿論、計画洪水位にも達せず、堤防上端から一米五〇も低く、洪水が政府の築造した小堤に触れないのに、在来堤防の基礎が欠潰して破堤に至つたもので、明らかに特別鉱害認定工事は破堤の防止に役立たなかつた。しかるに政府は右工事の完了を理由にして破堤は不可抗力であつたと弁解しているが、もし然りとすればその科学的な説明を求めたい。
 又政府の答弁書に添えて提出された採掘図は、参議院建設委員会における小員の資料要求に基いて八月十三日に通産省から提出された図面と破堤箇所附近の採掘範囲に重要な喰違がある。政府はこの喰違の生じた理由を明らかにし、改めて鉱業法の規定に基く正確な坑内採掘実測平面図(縮尺千分の一)を、昭和十年、同十五年、同二十年、同二十五年、同二十八年について提出されたい。

二、昭和二十五年四月完了した特別鉱害認定工事に於ては、それまでの沈下に応じて下流今村附近に於て、高さ二米、上流中ノ江附近に於て高さ一米の小堤(平均高一・五米)を築造した。しかるに工事完了後はそれ以前と反対に今村附近ではそれほど大きな沈下を生じなかつたが、中ノ江附近では一米以上に及ぶ沈下を生じたのである。すなわち地盤の沈下は工事完了後も引続いて起つたのみならず、その量は中ノ江の破堤附近に於て最大を示している。従つてもし工事完了によつて従来発生した鉱害が除去されたと仮定したならば、その同じ論拠に基いて、工事完了後に新しく発生した鉱害は除去されなかつたことは明瞭ではないか。政府の答弁書はこの重大な点にふれておらぬから改めて回答を求める。よつて政府は中ノ江附近における該工事完了以前の総沈下量と、工事完了後から破堤に至るまでの期間に生じた総沈下量を示し、後者の鉱害は何によつて除去されたかを説明されたい。
 又通産省が八月十三日に小員に提出した資料にあがつている沈下量は、建設省九州地方建設局で施行している調査と如何なる関係を有するものか、将来の調査は両者において統一して行われるか、これらの点を明らかにされたい。

三、政府の答弁書によれば、破堤箇所の地下四、五米の砂層を通つて堤防法尻に漏水して不可抗力によつて破堤したとあるが、明治末期から改修に着手された本川堤防は、この砂層の上に築造されたものであり、従つて砂層の存在する範囲も広く上下流にまたがつているから、政府がどうしてこの地点に漏水が生じ、どうしてその漏水地点が突破されて破堤に至つたかを論証しなければ果して不可抗力であつたかどうかは明らかではない。この地点における漏水現象は、昭和二十五年六月の田植時に地元農民が発見し、直に建設省遠賀川改修事務所に通報し、同事務所によつて写真撮影が行われ、当時の加藤植木町長が、この写真を携えて関係方面に陳情し、応急復旧を要求した。しかるに政府はこの陳情をとりあげず、漏水を放置したため年々激化し、ついに昭和二十八年六月に至つて破堤に至つたものである。よつて政府は特に中ノ江附近の透水砂層の漏水孔が如何なる内部応力によつて生じ、何故にその漏水孔が計画洪水位にも達しない出水の圧力によつて突破されるに至つたかを科学的に説明されたい。
 明らかに漏水は、三菱新入炭鉱が堤防の下を掘つたため基礎地盤が不均等沈下したことによつて生じたものである。破堤は、河沿いの農地が沈下したのに対し、河床は炭鉱のボタなどの流入によつて上床したため、出水量は同一でも水圧による漏水速度は年々増大し、ついに漏水孔を突破するに至つたものである。もし政府がこの原理を否定するならば次の三点について答弁されたい。
(イ) 昭和二十七年夏、破堤箇所の約二百米上流の堤内法尻において生じた漏水は翌々二十九年の梅雨期になつて遂に捨ておき難い水勢を示すに至つたが、建設省の昼夜兼行の応急復旧工事によつて本年の破堤をまぬがれた。この事実は昨年の破堤も漏水に対する応急復旧工事によつて防止し得たことを実証したものであり、政府自身の手によつて「不可抗力説」を打破したものと考えるが、これに対する所見如何。
(ロ) 本年七月十九日の降雨によつて破堤復旧箇所の下流に接続する堤防法尻およびそれから四、五米はなれた農地において新に漏水が生じたが、これに対してはその夜から翌朝にかけて応急復旧工事が行われて事無きを得たが、その翌七月二十日午後二時に参議院建設委員会の調査派遣議員石井桂氏、田中一氏が現地においてこの事実を視察され、かつ両氏は帰院後破堤が鉱害に関係あることを八月十三日の建設委員会において報告しておられるが、これに対する政府の所見如何。
(ハ) 破堤箇所から約二百六十米上流の堤防法尻に有田一美外三戸の農家があり、これらはいずれも特別鉱害認定工事の完了翌年に約三尺の土盛りをした。ところがその後二ケ年にして宅地はいずれも四尺以上沈下し、二十七年の夏に至るや、これらの農家の井戸、庭、床下など、随所に漏水を生じ、河川増水の水位に応じて或は高く、或は低く水を吹上げている。政府はこの現象を捨てておけば遠からず破堤に至るものと考えないかどうか。このような災禍を農家および堤防に与えても、依然としてそれは「不可抗力」のしからしめるところであり、炭鉱には何の制限もしないで採炭をつづけさせるべきものと考えているかどうか、明確に答弁されたい。