質問主意書

第5回国会(特別会)

答弁書


答弁書第十一号

内閣参甲第一四号
  昭和二十四年二月二十三日

内閣総理大臣 吉田 茂      


       参議院議長 松平 恒雄 殿

参議院議員池田恒雄君提出土浦飛行場等に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。



   参議院議員池田恒雄君提出土浦飛行場等に関する質問に対する答弁書

一、茨城県土浦市、阿見町、木原村等に所謂予科練その他著名巨大なる海軍の軍事施設の終戦当時における状況について。

甲、霞ケ浦海軍航空隊
 所在 茨城県稲敷郡阿見町大字阿見
1 軍事施設の種類 海軍候補生等の養成
 規  模  土地 一、〇三六、〇七七坪
建物    二〇、〇二六坪
 装  備海軍候補生約三、〇〇〇名の養成に要する居住並に訓練施設にして戦斗装備なし。
2 土 地 面 積 一、〇三六、〇七七坪
 利用状況  右施設に要する宅地並に飛行場として使用し一部に飛行機有蓋掩体壕の設備あり。
3 建物の種類 庁舎、兵舎、士官宿舎、講堂、飛行機庫、その他候補生養成に必要な施設
 棟  数 二〇〇棟
 坪  数 二〇、〇二六坪
 利用状況 軍候補生の養成に要する居住並に訓練施設
4 軍事物資、種目、数量
 右候補生三、〇〇〇名の養成に必要な食糧品、備品、物品等

乙、土浦海軍航空隊
 所在 茨城県稲敷郡阿見町
1 軍事施設の種類、海軍予科練習生の養成
 規  模  土地 二一七、九一〇坪
建物  一八、九六八坪
 装  備海軍予科練習生約六、〇〇〇名の養成に要する居住施設並に訓練施設にして別に戦斗装備なし。
2 土 地 面 積 二一七、九一〇坪
 利用状況 右施設に要する宅地及訓練揚として使用
3 建物の種類 庁舎、兵舎、士官宿舎、講堂、飛行機庫、其の他予科練生養成に必要な施設
 棟  数 一一〇棟
 坪  数 一八、九六八坪
 利用状況 予科練習生の居住及訓練施設として使用
4 軍事物資、種目、数量
 右予科練習生約六、〇〇〇名の訓練養成に必要な食糧品、備品、物品等である。

丙、第一海軍航空廠
 所在、土浦市右籾
1 軍事施設の種類、航空機の修理、組立工場
 規  模  土地 四四〇、〇〇〇坪
建物  三三、〇〇〇坪
 装  備航空機の修理、組立工場にして従業工員約三〇、〇〇〇人、戦斗装備なし。
2 土 地 面 積 四四〇、〇〇〇坪
 利用状況 右航空機の修理及組立に使用
3 建物の種類 庁舎、組立工場、倉庫、飛行機格納庫その他附属建物
 棟  数 一八〇棟
 坪  数 三三、〇〇〇坪
 利用状況 航空機の修理及び組立のため使用
4 軍事物資の種目、数量
 航空機の修理及び組立に必要な諸材料

二、前項記載の軍事施設並びに物資に関する終戦以来今日までの管理、処分、利用について。

甲、霞ケ浦海軍航空隊
1 財団法人霞ケ浦農科大学
 昭和二十一年八月二十九日附、同日より一箇年間土地四五、一五一坪、建物一〇、〇〇〇坪を農科大学校施設として一時使用認可しその後同大学より右土地、建物の貸付方申請あり、目下調査中である。
2 新日本食品工業株式会社
 昭和二十一年七月一日附同日より一箇年間グルコースによる甘味工業工場施設として一時使用認可しその後右会社に対し昭和二十三年十二月十八日土地二四、二四〇坪建物四、〇二二坪を売払した。
3 農林省え所管換
 昭和二十二年十月三十日茨城県知事より緊急開拓による農耕適地として所管換の申請ありて仮許可し目下正式所管換手続中である。
4 茨城県農業会
A 中央格納庫、土地二七、六九〇坪、建物二、八一一坪は元茨城県農業会において作業場として使用し、同農業会は昭和二十三年八月十五日解散、その後は同農業会精算人中央農林金庫理事長において精算終了期迄管理使用中である。
B 医務部は昭和二十一年五月三日より一箇年間茨城県農業会更生部の経営に係る新治共同病院施設として一時使用認可し農業会解散後は精算聯合会更生部の経営として貸付方申請あり目下病院施設として使用中である。
5 舟島村外二箇村
 木原送信所(所在木原村)土地四、九〇〇坪建物五九〇坪は昭和二十一年一月十日及同年七月一日附を以て舟島村長並に同村外二箇村え病院として一時使用を認可し目下、新治共同病院として使用中である。
6 鹿島参宮鉄道株式会社外四件、建物、約一、五〇〇坪は売払済である。

乙、土浦海軍航空隊
1 財団法人霞ケ浦農科大学
 昭和二十一年八月より右大学附属農学校施設として土地八一、六三〇坪、建物二、六五六坪を使用中である。
2 財団法人日本体育会
 昭和二十一年六月より土地六九、七三〇坪、建物一〇、四五二坪を同会経営に係る学校施設として現在使用中である。
3 稲敷郡阿見町
 同町において湖畔の建物及湖水岸壁を水陸貨物輸送施設として目下、使用中である。
4 中央気象台
 霞ケ浦湖沼研究所施設として建物及土地を使用中である。
5 農林省え所管換
 昭和二十二年十月農耕地として土浦市大岩田及阿見町大字阿見の旧土浦海軍航空隊練兵場土地三六町九反一畝歩を所管換した。
6 筑波郡旭村外六件、建物約三、一七〇坪を売払済

丙、第一海軍航空廠
1 日本貿易運輸株式会社
 昭和二十三年八月頃右会社に対し建物約九〇〇坪売払済
2 北相馬郡守屋町
 昭和二十三年十月頃同町に建物五〇二坪売払済
3 鉄道車輌株式会社
 建物一、五〇〇坪を右会社に対し昭和二十三年二月より同二十四年一月迄貸付、現在使用中である。
4 日本貿易運輸株式会社
 建物二、〇〇〇坪を昭和二十三年二月より同二十四年一月迄貸付、現在使用中である。
5 右以外のものは賠償指定工場で現在大部分返還(昭和二十三年六月十五日)済であるが、未返還のもの二十一棟ある。
 以上は第一海軍航空廠本廠内の施設(建物)であるが、以下記載のものは右第一海軍航空廠附属の施設建物である。
6 財団法人後樂園スタヂアム
 舟島補給工場内の建物一棟建坪三、九五九坪を昭和二十三年十二月売払済
7 稲敷郡阿見町
 土地三、〇一七坪、建物一、一〇八坪(旧第七二工員宿舎)は、右阿見町え新制中学校々舎として売払済
8 財団法人世界平和建設団
 建物一一、〇〇〇坪(旧若栗補給部)の中飛行機庫外四棟を(この建坪三、四二五坪)昭和二十三年七月処分済
9 土浦市
 土浦市大岩田所在、旧第二工員宿舎建物二、八六四坪を昭和二十三年十一月右市に売払済
10 櫻川紡績株式会社
 同市石籾所在、旧理材工場、土地一〇、五五一坪建物七五九坪は右会社に対し昭和二十三年十二月土地建物共売払処分済
11 神奈川県横浜市
 土浦市右籾旧補給部、土地三五、〇〇〇坪、建物一一、〇〇〇坪の中、建物のみ一七八坪は昭和二十三年十一月右横浜市に売払済
12 朝鮮国際事業総連盟本部
 右建物(旧補給部)の中約建物一、二八〇坪を昭和二十二年二月より同二十三年一月まで一箇年間一時使用認可し現在引続き復員者、引揚者の救済事業施設として使用中である。
13 東京鉄道局
 土浦市右籾所在、旧医務部土地一九、八六二坪建物一、一九一坪を昭和二十一年二月十五日一時使用認可し目下使用中
14 土浦女子商業学校
 第五工員宿舎建坪一、八〇〇坪を昭和二十三年十二月二十日右校に対し一時使用認可目下使用中
15 戦災者、引揚者等の使用中のもの
旧荒川沖住宅建 物五六三坪
旧第六工員宿舎九、三六〇坪
旧第八同一、三二〇坪
旧第九同二、八一八坪
16 櫻川貿易株式会社
 土浦市石籾所在、旧第一工員容舎建坪六一一坪は昭和二十一年二月以来大日本朝鮮人聯盟茨城県本部え一時使用認可せしが右聯盟は昭和二十三年十一月右建物を返還したので爾後右会社より貸付方申請あり目下手続中である。
17 西茨城郡笠間村
 旧工員養成所建物三、六七〇坪の中、昭和二十三年十月右笠間村に建坪七四〇坪売払済
18 稲敷郡舟島村
 前記工員養成所建物中、昭和二十三年七月右舟島村に対し建物三〇〇坪売払済
19 真壁郡中村
 前記の中昭和二十三年七月中三〇〇坪売払済
20 稲敷郡浮島村
 前記建物中二〇〇坪を昭和二十三年五月中売払済
21 茨城県
 右の中四四〇坪を昭和二十三年中売払済
22 第一海軍航空廠の職員の居住するもの
 旧中高津住宅、建坪五五〇坪は終戦以来右職員の大部分が引続き居住している。
23 第一海軍航空廠の工員の居住するもの
 旧第一住宅建坪一、八〇〇坪、旧第二住宅建坪一、八一八坪、旧第三住宅建坪五、一二一坪にはそれぞれ前記工員が終戦以来引続き居住している。

三、戦時中軍事施設のため地元住民の払つた犠牲(土地その他の収用、徴発、失業)等の状況及び之に対する政府の保償の概況、バクゲキその他軍事的災害による住民の損失の状態並にその経過等について。

 戦時中特に終戦時に近き昭和十八、九年頃より急速に軍事施設の拡充、整備を行うため土地の強制的買収、家屋の短期強圧的立退等により地元民としては多大の犠牡を払つており又軍事施設の目標によるバクゲキのため家屋及び人畜にも相当の被害があつた。
 しかしてこれ等の損害に対しては戦時補償特別措置法によりその補償を請求し昭和二十二年六月頃当時東京財務局茨城管財支所霞ケ浦出張所経由、久里浜復員局において調査の結果、現地阿見町に対してはその請求総額約八〇万円の中その半額約四〇万円の支払を受けた実状である。又地元阿見町、木原村の一部にはバグゲキにより一家全滅その他死傷者も相当あり実に悲惨極まる状態も各所に見られたがかかる者に対しては国家の救恤又は弔慰によりそれぞれ処理されている。
 叙上の如く地元民としては相当の犠牲、損害は払つているが又一面軍事施設の拡充により道路の開発、軍人その他その関係者を対象とする各種商業の繁栄等のため地元民としては又相当の恩恵に浴していることも事実である。なお終戦後は地元民としては旧軍用物件を利用し当地方即ち土浦市を中心とする附近一帯の地域を文化並びに工業都市として将来の飛躍発展を企画し文化施設、工業施設の計画に対しては、直接、間接これが設立並びに誘導に尽力した結果前記農科大学、体育学校、食品工業会社、紡績会社等の設立を見、将来の発展を予想し得る現況で夫等の各企業者も鋭意その線に副い各施設の整備、遂行に努力邁進しつつある現状は復興途上にある地元民にとりて洵に多とすべきである。