第1回国会(特別会)
(答弁書第百二十三号)昭和二十二年十一月二十八日配付 内閣参甲第一三四号 昭和二十二年十一月二十五日 内閣総理大臣 片山 哲 参議院議長 松平 恒雄 殿 参議院議員池田恒雄君提出満洲開拓移住民に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。 参議院議員池田恒雄君提出満洲開拓移住民に関する質問に対する答弁書 第一 (1) 閉鎖機関は昭和二十二年勅令第七四号閉鎖機関令第一条の規定によつて連合軍最高司令官の要求に基いて指定すべきものであるが今迄の処満洲移住協会については閉鎖指定の要求を聞いていない。 (2) 日本国民高等学校は終戦後名称変更を行つていないがその役員は更迭し教職員も教職員適格審査を得たものがこれに当つており教育内容においても教育基本法による新しい教育理念によつたものと思うがなおこの点については各種学校の監督庁である知事に調査して指導するよう指示したい。 また高等学校の名称については各種学校が用いることは学校教育法により禁止されているから変更させるよう措置したい。 (3) 日満鉱工青少年技術員養成所は財団法人日満鉱工技術員協会(既に解散した)がその目的とする満洲国鉱工技術員の教育養成並にこれが補給上必要な事業の一つとして設けた施設である。 第二 (1) 解散当時の役員
(3) 譲渡した財産の目録と価格は左の通りである。 一、開拓民援護会に対して 満洲移住協会の財産全部 無償譲渡 二、全国農業会に対して
三、地元町村に対して
四、開拓民帰農者に対して
満洲移住協会の財産は当時監督官庁たる外務省の認可を受け財団法人開拓民援護会に一括無償譲渡をしたのであるがその後たまたま全国農業会において農業技術員の養成施設として譲りうけたき申出があつたので幹部訓練所及指導員養成所施設と病院施設を譲渡した。 又帰農者組合は当時内原訓練所職員は約六百名程であつたが帰郷し得る者は帰郷せしめ他に転職し得る者は就職斡旋をなしその大部分は離散せしめたのであるが巳むを得ず現地に留まる者については土地建物を分譲して帰農せしめたのである地元町村に対しては日輪宿舎を分譲したのであるがこれらの内訳は前述の通りである。 (4) 前項で説明した通り内原の職員の帰農者と引揚開拓民及び若干の復員者である。 (5) 現在全国農業会のものについては農業会、開拓民援護会のものについては援護会が使用しているのであつてその他は国民高等学校の所有である。 (6) 前(3)において説明した通り建物の一部は附近の村に分譲した。価格については帳簿価格を基準として分譲したのであつて闇取引の事実はないが最近において公共施設用として分譲したものについて現在の経済状況等をも勘案し帳簿価格よりも多少高価に分譲したものがある。 第三 (1) 内原収容所に収容を開始したのは昭和二十一年七月であるが収容実人員は八〇三人を算え収容開始以来昭和二十二年八月迄の収容延人員は五九、九八一人であつて、一日平均一六四人となつている。その内、開拓民として入植したものは七二三人となつている。 収容者には成るべく早く開拓農民として入植せしむべく、関係方面とも協力して入植地の選定斡旋をなすほか就農、就業の補導斡旋をしている。 (2) 引揚開拓民の援護については、一般海外引揚者及戦災者と同様政府としては生活保護法による救済炊事用具、衣料、寝具類の特別配給等の途を講じているほか開拓民に対してのみの特別の援護は行つていない。 (3)開拓民は引揚概数四万七千戸(十二万人)中開拓に従事しているもの概略二五パーセント強一万二千戸程度でその他開拓とは別に縁故をたどつて帰農しているもはその詳細は判明しないが、かなりある模様である。なお開拓民は帰農後互に扶け合い更正の道を主として国内開拓に求め目下入植促進運動を実施中で入植希望者はかなりある模様であるが開拓民の中心となるべきものが未帰還等のため必ずしも充分な成績とは云えない。 (4) 開拓民援護会は自己資金により引揚開拓民の就農、就業の補導斡旋、援護物資、援護資金の獲得斡旋等を行つている民間団体であつて政府の開拓民に対する特別の取扱いをする施設としての補助団体ではない。 (5) 開拓民に対し特別な援護は考えていないが更生の方途として政府においては昭和二十二年度、二十三年度において開拓民を最優先的に入植させる方針である。 又現在の諸般の情勢下において、国内開拓を推進するものは、開拓者自身の合理的な組織力であると考えるが、幸い開拓民は分村又は全県等一定の組織の下に送出された関係上できるだけその組織編成をくずさないでその儘入植させるよう指導している。なお特に開拓民は大集団地区の開発を希望しているから、この場合はその経験と技術を活用するよう指導している。 第四 (1) 保有財産の換価処分により調達し得たる資金を以て本節第三項に述べるような事業を遂行している (2) 現在の役員構成は次の通りである。
次に財産の動態としては満洲移住協会解散に当り同会より無償譲渡を受けた資産の大半は全国農業会へ譲渡済みであつて、爾余の資産により逐次資金を調達し会務を遂行しているわけである。 (3) 開拓民援護会は東京に本部を置き各府県単位にその府県の援護会を設け関係諸機関との密接なる協力の下に主として就農、就業の補導斡旋、無縁故者の収容救済等の事業を行つている。 又引揚者の上陸港に職員を駐在せしめ開拓関係引揚者の把握につとめ極力之を緊急開拓入植誘導に努めている。収容施設としては現在内原の他、新潟、山形に之を有する。又孤児収容事業への協力、授産事業への協力等をなしている。 第五 (1) 解散した事実に全く相違はない。 (2) 大部分の職員は相違無く離散した。ただ資産を継承して新たに設定された機関が、旧来の事情に精通する若干の職員を新たに採用執務せしめているのである。 (3) 前項の質問事項にもある通り「協会の送出訓練」から「援護会の引揚援護」即ち「往から復」へ全く逆の大転換が行はれたのであるから「旧来の事業をその儘継続している」のではなく、全く事業内容を異にしている。又援護の対象が同じ満洲移住者であるから送出に従事した役職員の一部が引続きその援護に徒事することはその責任上からも当然そうあるべきである。それも一部の役職員のみであり大部分は更新している。 (4) 仰せの如き事実は全くない。 (5) 内原訓練所の経営を委託されていた満洲移住協会の事務所が昭和二十年五月二十五日の空襲により罹災全焼したためである。 |