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参議院60周年記念論文入賞者



たくましい国 日本

東京都 創価高等学校 3年
水垣 雅子

 昨年秋、安倍内閣が誕生した。美しい国日本をキャッチフレーズに船出した新内閣も、現在の様子をみると少し難航のように見受けられる。私は反対ではないが、美しい国日本を目指すにはそこに住む人の心をいかに潤わせるかが大きな課題だと思うし、また、国民が一番求める国の姿がそうなのかどうか少し疑問を感じている。
 私は今春、高校生活を終え大学へと進む。あと4年間親に援助してもらう生活が続く。勉学第一の生活は親の望むところではあるが、私たちの同世代の友人の中には社会人として責任ある仕事に従事する人もおり、なんらかの形で政治と向き合わなければならなくなる。そういった意味でも単なるすねかじりになるのではなく、大いに学生の立場から私も政治に目を向けていきたいと思う。
 では、私が自分の生まれた日本という国の方向性として言葉を選ぶならば、と考えてみた。様々な言葉の中で私は「たくましい国 日本」と描いてみた。私は軍国主義的な勇ましいイメージでたくましいとしたのではない。
 「たくましい」を広辞苑で調べてみると「①存分に満ち満ちている。豪勢である。②存分に力強く、がっしりしている」とある。たくましいという言葉で連想してしまうのが母の姿だ。夫を支え、子供を育て、地域活動に走り、朝から晩まで動き回る。少々の事では動じない、私の母もその中の一人だ。本人はたくましいとは思っていない。独身時代の少々弱々しい姿を自分の本来の姿だと錯覚している。しかし結婚して3人の娘の母親となり、前に後ろに子供を抱えおむつを持って走り回り、育てあげ、身も心もたくましくなったはずである。そんな生活の中で作り上げてきた多くの宝があったと母は言う。
 今日本は高齢化の一途をたどっている。老人介護の問題、少子化対策が大きな課題として叫ばれ各党の政策に盛り込まれている。子供を安心して産み育てられる社会。老人が人生の終わりを心豊かに迎えられる社会。言葉だけではあまりにも悲しい。子育てが難しい時代といわれるが、昔に紙おむつがあっただろうか? 車がこんなに普及していただろうか? 昔と比べ今、現在が子育て、老人介護が大変な時代なのだろうか? 政治レベルで打つべき手はうっていかなければならないが、多くの困難以上に感じる子育てのよろこびを、より多くの人に感じてほしいと私は思う。
 私は母に「3人の子供の親になってどうだった?」と聞いた事がある。母の答えは「実に面白い! また楽しい!」だった。病気もしただろう、反抗期もあったに違いない。しかし母は面白い、楽しいという。その言葉に私は母の愛情の深さを感じた。産む産まないで悩むのではなく「産む」ことを前提に考え知恵を出していく。年老いて寝たきりにならないように体づくりを日常生活の中に取り入れていく。また様々な地域のネットワークを作っていく。個人においても地域にも、よりよく団結してたくましくなっていきたいと思う。
 また、環境問題についても環境にやさしいだけではなく「よりよい環境をつくり、守り続ける」そのために自分の生活スタイルに対してもきびしくチェックし、たくましく生活できるたくましい自分づくりをしたい。幸い私は高校に入り親元を離れて生活を始めたため多少の暑さ寒さには強くなり、我慢強く生きることもおぼえ、少しはたくましくなったと思う。
 様々な形で自身を見直し大きな目で長期的展望にたって日本という国の行く末を考えてみたい。個人的レベルでなすべき事を自分達で知恵を出し合い考え工夫し行動する。政治的レベルでしかできない場合は政治家にお願いする。両方がうまくかみあって方向性を見極める。それが私の描くたくましい日本のイメージだ。
 かつて大分県で一村一品運動という村起こしが注目され、時の知事の講演に2歳前の私も参加したそうだ。ただ国からの援助を求めるのではなく、その地域の特徴を活かした新しい何かを考え知恵を出し合い、研究費と資料を国に求めたという。地域の団結と地域の目標達成時に皆でハワイ旅行にいくという楽しみも共有したという。地域の特徴を活かすには高齢者の知恵や“もったいない”の発想も大いに役立ったそうだ。そして成功した後世界の注目もあつめたという。実にたくましい村起こしの姿だと感じるのは私だけだろうか? 無関心と無責任では、たくましくはなれない。
 政治という点で現状を見た時に、日本の衆参両議院の制度において参議院無用論が時々でてくる。立法機関である国会の中で衆議院という、いわばプロの政治家がおり、そこで審議したものを再び幅広い見識の人材をかかえる参議院で審議する。衆議院は解散などで何年で選挙になるかわからないが参議院の場合は6年任期で3年ごとに半数が改選という腰をすえた政治活動ができる。立法機関である国会がたくましくなる要素だと思い、私の少ない知識の中でこの制度はなかなか良いのではないかと思っている。ただし、各党が候補者を参議院議員として、この分野で絶対に必要な知識と見識と活躍の可能性があると自信をもって送り出し、当選後その期待にこたえているかどうか明確にする責任があると私は思う。反対するだけ、けちをつけるだけではなく何をなしたのか、また何をなそうとしているのか、有権者も見極めなくてはならない。
 豊富な知識とそれを活かしきれる政治家の進出を信じ、見つめていこうと思う。生きていくことが面白い、楽しい。政治にかかわる事が面白い、楽しい。国も人もおおいにたくましく生きていける、そんな日本になるよう私も多くの事を学んでいきたい。